62.知らない人じゃないからついて行っても約束を破ってはいないはずだ。
妹はイーズィさんと新しい武器の話をはじめたので、先に一人で”緑の風”に行くことにする。
モカさんの研究室を出ようとすると、イサナと妹から口うるさく注意された。
「道草食っちゃだめですよ」
「道端の草を食べないでくださいよ」
人を牛か何かだと思っているのか。よほど腹が減らなければ道端の草なんか食べない。
人間らしく屋台で買い食いしながら行こうと思いながら研究室で廊下を進んだ出たところで、今度は背後から声をかけられた。
「あの失礼ですが、もしかしてミナセ・ミヅキさんのお知り合いの方ですか?」
声の主に振りむくと、そこには腰まである長い金髪をポニーテールにしている女の子がいた。
たしか妹に尻を蹴られていたバカ貴族だ。名前はユーラだったか。横には小柄な少年のカノッツも一緒にいる。
「うん、ミヅキは妹だけど」
「ああ、やはり。お顔が良く似ているので、そうではないかと思いまして」
ここに妹がいたら「じゃあ顔を変えましょう」とか言って拳が飛んでいるところだ。一人で良かった。
二人には前にも会ったことがあるのだが、性別が変わっているから同一人物だと気付かないようだ。ユーラは見た感じ前に見た時よりも疲れたような顔色をしている。妹に関わってヒドい目に遭っているのに未だに接点を持っているらしい。変態なのかと疑ってしまう。
「いきなり不躾なお願いで申し訳ないのですが、ちょっと私を叩いて貰えませんか」
変態だった。
急いで走って逃げるべきか、大声を出して人を呼ぶべきか。どうやって危機を脱しようかと悩んでいるのが伝わったのか、慌てて「違うんです」と両手を振って否定してきた。
「ここでは何なので食堂にいきませんか」
お茶をおごってくれるらしいのでついて行った。
学園の食堂はいつ来ても人が少ない。昼時は混んでいるのだろうし経営は重視していないのかもしれないが気になってしまう。
カノッツが黙ったまま紅茶っぽい飲み物を持ってきてくれた。前に飲んだのと値段が違うのか、段違いに美味かった。湯気に漂う茶葉の香りからして違う。
「それで、先ほどのお話なのですが」
「ああ、うん」
カップを置いてユーラを見ると、少しだけ躊躇ってから口を開く。
「実は、妹さん……ミヅキさんに叩かれると異常な程、気持ち良いんです」
そっと椅子を引いた。全力で走れば捕まらずに逃げられるか。視界の端で出口までの距離を確認する。
「異常な程、というか異常です。頭に直接、快感を流し込まれているような感じと言うか」
本当に不可解、という感じでユーラが言う。自分の性癖を暴露して快感を得るタイプの変態かと思ったが違うようだ。そっと椅子を戻した。
昔、妹から教えて貰った「変態に出会ったら相手よりも上位の変態を装って逃げる」という使いどころのない知識を使う場面が来たのかと思ってしまった。
もう少しで「実は俺もなんだ。しかも尖ったもので刺されないと興奮しなくてさ」とか言って相手が引いている間に逃げる作戦を実行するところだった。危機一髪だ。
「ミヅキさんは治療魔法を使うと聞いていますが、他に何か違う魔法を使われるのではないですか?」
つまりは、妹に殴られたり蹴られたりすると気持ち良くなってしまうのは、何か別に理由があるのではないかと言うことだった。そんなこと聞かれても知るはずが無い。
「治療魔法しか使えなかったはずだけど」
「そうですか……そうなると……いや、そんなまさか」
「ユーラ様……」
俯いて考え込んでしまったユーラにカノッツが心配そうに声をかける。
「あの……そうなると、もう一つの可能性というか……。本当に失礼なお願いなんですが」
「ユーラ様、そこから先は僕が」
ユーラが言い難そうにしているのをみて、カノッツが代わりに買ってでた。
「お姉さん、僕のことを叩いてください」
立ち上がったカノッツが大きく頭を下げた姿勢のまま、とんでもないことを口にした。
少ないとは言っても、食堂にはチラホラと他の人が居る。カノッツの声に視線が集まるのを感じた。
「まだ若いのに」とか「レベル高いな」とか「いいなぁ。一回いくらだろう」とか言う声が聞こえてきた。この学園は、もう駄目だ。
「そういうのは専門のお店で頼んで貰えると」
「ち、違います! これは実験なんです! そういうのじゃないです!」
がばっと顔を上げたカノッツがすがりついてきた。
落ちつかせながら話を聞けば妹に殴られて快感を得るのはカノッツも一緒らしく、それが単に性癖によるものなのか妹の魔法によるものなのかが重大な焦点だったらしい。
片や未知の魔法の被害者で、そうでなければマゾヒストの変態だから当人にとっては大きな問題だったようだ。ユーラの顔色が悪かったのも「私は同性愛の被虐趣味者なのか」と悩んで良く眠れなかったのが原因だそうだ。
そこへ降って沸いた元凶の姉の存在。顔も似ているし、この人に殴って貰えれば被虐趣味であるかどうか、分かるのではないかと思ってユーラが話しかけてきた、というのが先ほどの真相らしい。
「そういうことなら、はい」
ぺちん、と弱めにデコピンをしてみた。カノッツが叩かれたところに掌を当てながらこちらを見てきた。派手に殴られなかったことに驚いたのかもしれないが、妹と一緒にされては困る。
妹は漫画読んだ知識か何かで、拳を握る時に親指の上に中指を乗せている。拳を握りこむと中指の第二関節だけ飛び出てメリケンサックみたいになっているのだが、そんな拳骨で顔面を殴れるのは頭がどうかしている人間だけだ。
「済みません、良く分かりませんでした」
カノッツが顔を俯かせ、申し訳なさそうに言った。叩くのが弱過ぎて分からなかったのかもしれない。
「私にもお願いします」
カノッツが動かなくなってしまったのでユーラが出てきた。
女の子の顔を叩くのも気がひけたので腕を出して貰った。前に強い魔獣を倒したことがあると言っていた通り、体を鍛えているのだろう。女性らしさを失わない程度に筋肉がついているのが分かる。
左手でユーラの腕を支えて、そこに右手の人差指と中指だけ伸ばした状態で叩きつけた。指竹篦だ。ベチンッと勢いよく叩かれた手首に赤い二本の痕が残る。
「っつ!」
痛かったのかユーラが声を出した。
「ユーラ様、痛かったのですか?」
「……! ああ、そうだ! 痛かった!」
「気持ち良くなかったのですね!?」
「痛かった! 気持ち良くないぞ! やったぞ、私は変態じゃないんだ!」
よほど嬉しいのか二人して俺の腕に抱きついてくる有様だった。
二人して「痛いんだ」と喜んでいる姿は変態ではないにしろ変人のそれだ。今後も関わり合いはなるべく避けたいと思わせるには十分だった。
ひとしきり喜んだユーラが腕から離れてこちらに向き直る。
「お姉様、ありがとうございました」
「いや、これからも妹のことをよろしくね」
数少ない血縁以外で妹の知り合いだ。これを機に仲よくして貰いたい。
「あっ、そう言えば自己紹介もしていませんでした、私は」
カシャン、という音がした。
そちらを見れば、妹がイーズィさんと一緒に突っ立っていた。足元には飲み物が入っていたカップが転がっている。今のはこれが落ちた音だったようだ。
「まさか、こんなに早くおねショタに目覚めるなんて……」
妹の視線の先は腕に抱きついたままのカノッツに向いていた。わざとらしく口に手を当ててワナワナと震えている。意味は分からないが、ろくでもないことを言っているのは分かる。
「ミナセ・ミヅキ! 今日こそ決着をつけてくれる!」
慌てて腕から離れたカノッツを置いて、ユーラが妹へ向かって駆けて行った。
「前に決着はついたでしょう、記憶力ないんですか?」
「あんなものは無効だ! 貴様の力が未知の魔法だと言うことは先ほど解明された! 最早、何も恐れるものは無いのだ!」
踊りかかるユーラに対して、妹はゆっくりとしゃがみこんで落としたカップを拾っている。
いま先ほどのやりとりで分かったのは、ユーラとカノッツが被虐趣味者ではないという可能性についてだけなので妹に勝てるかと言うとそれはまた別の話だ。
案の定、妹のしゃがみこんでからジャンプしてアッパーカットという意表をついた動きについていけず、そのまま顎を撃ち抜かれていた。
「んぐっ……! こんな快感に負けない……!」
ビクンビクンと身体を震わせながらユーラが倒れた。カノッツが急いで駆け寄っている。
「あぁもう面倒くさい」
きっと顔を合わせるたびに同じようなやりとりをしているのだろう。殴った右手を振りながら忌々しげに呟いていた。
「シンタ兄さん、イーズィさんとのお話は終わりましたから”緑の風”に行くなら一緒に行きますよ。
放っておいたらフラフラどこに行くか分かったものではありませんから」
イーズィさんに別れを告げ、妹に引きずられるようにして学園を後にした。イーズィさんが「コイツ誰だ」という顔をしていたのは気にしないことにする。
学園を出てからも横に並んで歩きながら妹がクドクドと説教をしてくる。
「道草食うなと言ったでしょう、それに知らない人について行くなと何度言ったら分かるんですか。3歩動いたら忘れるんですか?」
「いや、それは」
「口答えしない!」
裏拳で顔を殴られた。とても痛い。
こんなものが気持ちいいと言うのは、やっぱりあの二人は変態なんじゃないかと思う。
◆
”緑の風”に到着するが、相変わらず窓口のお姉さん以外は誰もいない。妹が暇そうにしているお姉さんに話しかけた。
「そっちの、カズに似てるけど誰?」
「昔、兄だった姉です」
「……そう」
あまり動じていないように見える。学園で出会った二人に比べるまでもなくクールだ。
「イーズィから手紙を受け取ったの?」
「はい、仕事を手伝えと書いてありました」
「こっちも同じ内容で聞いてるから手続きは終わってるよ」
仕事を手伝わないと言う選択肢は無かったらしい。
お姉さんがカウンターの上に封のしてある手紙と皮袋を並べる。
「これが道中に必要な紹介状と身分証明書、それと手続きに必要な経費。
二人分しか預かって無いから、それよりも多くで行くなら自腹ね」
兄のことだから、妹がついてくることも予想しているのだろう。それぞれを受け取ってカバンにしまう。
必要なものは貰ったが、肝心の仕事内容が分からない。
「それで、どこに行けばいいんですか? 手紙に場所が書いてなくて」
「地図で言うと、このあたり」
カウンターのしたから取りだした地図は、地形が大分デフォルメされているような形だった。王国を中心にした周辺国までの地形が簡素に描かれている。
窓口のお姉さんの指し示すあたりは国の外れで山でも無く海でも無い。
「隣の国との境界線で、この辺りは昔から砂漠しかないんだけど最近妙な人の動きがある、らしい」
「それを調べる仕事ですね」
妹が頷きながら相槌を打つ。
「カズの請けた仕事はね。あんた達が何を手伝わされるのかは本人に聞いて頂戴」
いつも通り、第三者以上の立場にはならないようだ。このお姉さんが特別なのかは分からないが、プロっぽい仕事の仕方だ。
「すぐに出られる準備はしてあるけど、今日いくの?」
流石に王都に帰って来たばかりだ。今日くらいは休みたい。
準備をしてから明日出ると伝えると「移動手段は裏口に止めてある」と指差された。念のために確認しておくと、以前にも兄の仕事に引っ張られた時に活躍してくれた巨大トカゲがじっと佇んでいた。
イサナが嫌な顔をしそうだと思いながら「よろしくな」と言ってトカゲの身体を撫でた。性別が変わっていても分かるのか頭を擦り寄せてくる。
また明日来ます、と言って”緑の風”を出たところで丁度こちらに歩いてくるイサナを見つけた。横にモカさんもいる所をみると、溜まっていた話が終わって一緒に帰っている途中だろうか。
「あ、もう終わりましたか?」
「いま丁度終わったところだ」
「それはタイミングが良かった」
モカさんがニコニコしながら頷いている。何か用事でもあるのか、もしかするとご飯を御馳走してくれるのかもしれない。
「シンタ兄さん、顔どうにかした方が良いですよ。物欲しそうなのが出まくってます」
「マジか」
自分では全く気付いていなかった。顔に出やすいとは言われていたけど、そこまでのものだったとは思っていなかった。
妹は「昔からですよ」と言っているが、昔からそうだったのなら、もっと前に指摘して欲しかった。
「男のままだったら言いませんでしたよ。
今はご飯を餌にナンパされてお酒と薬を飲まされた挙句に安宿に連れ込まれて、ダブピー展開になるまでが容易に読めるから言っているんです」
意味は良く分からないが心配してくれたらしい。こんな妹の姿が見られるなら、女になっても悪いことばかりではない。
「そういうわけで、女の子だけで泊るのも不安だろうから今日は私の家に泊りなさい。ミヅキくんも一緒に来ると良い」
モカさんの家に泊めてくれるらしい。その為に、イサナと一緒にきてくれたようだ。ありがたい話である。モカさんの家に向けて、一緒に歩き出すとモカさんが色々と話し始める。
「イサナとシンタくんは、なんだったら王都での拠点にしてくれても構わない」
「さっきも聞きましたけど、本当に良いんですか?」
「可愛い教え子の為だ、一肌脱ぐとも。むしろこちらからお願いしたいくらいだ」
イサナは来る途中で話を聞いていたようだが、二人の仲が良いにしても好都合すぎる話にも思える。
前に家を新しく買ったと言っていたし、もしかすると掃除が行き届かなくて手伝って欲しいとか、そういう事情があるのかもしれない。勿論、掃除くらいなら喜んで手伝うつもりだが。
「そんなこと言って、家が散らかっているから掃除をして欲しいとかじゃないんですか?」
イサナも同じことを思ったのか、冗談めかしてモカさんに聞いていた。
「いや、掃除は出来ている。部屋の隅まで埃ひとつ落ちていないよ。ちゃんと調べたからね」
「……調べた?」
不穏な雰囲気だ。単純に教え子の為というだけではない。イサナと妹も何かを感じ取ったのか表情を引き締めた。
「なまじ家が大きいから、夜に一人だと寂しくてね」
気持ちは分からなくもないが、だからと言ってわざわざ人を住まわせるほどだろうか。
きっと、もっと違う理由があるに違いない。イサナが更に問い詰める。
「それだけですか?」
「大体そんなものだね。他の理由は無くは無いけど、まぁ大したことじゃないよ。
本当に小さな理由で気にする程も無いけど……聞きたいのか?
いや、そんなに大層なものじゃない。聞かなくても変わりは無いさ。じゃあ言うよ。
お化けが出る。
ほら全く大丈夫だ。何ら変わりなくウチに泊りに来て貰えれば良い。
さあ行こう。気が変わる前に行こう。晩御飯はごちそうにするから行こう。お願いだから行こう」
「……お化け?」
「出るんですか?」
イサナと妹が怪訝な顔でモカさんを見つめる。
「出ます、怖いので一緒に泊ってください」
120歳が泣いていた。
出るらしい。




