61.帰るまでの話は、また別の機会に。
この世界では大きな国に分類される”王国”の首都、王都。その王都の中で次代の魔法使いを育成する学園。
更にその中にある教員用の研究室で、学園の教員であるモカさんが眉根を寄せて考え込みながらグルグルと部屋の中を歩きまわっている。
呪いで身体が女性化したことを相談してから、ずっとこの調子だ。
黙って歩くモカさん視線で追いながら、そのへんにあった椅子に勝手に腰かけて街で買ってきた菓子を取り出した頬張った。
日本でいえばタイ焼きが近いだろう、鉄板で皮をカリカリに焼いた小判型の生地の中に煮詰めた牛乳とはちみつを混ぜたものが入っている。
皮に歯を立てるとカリッと心地良い音が響いた。歯型の付いた断面からはトロリと薄く黄身がかったクリームが垂れてくる。床に落ちそうになるそれを下から支えるように舌先に乗せて、唇についたクリームと一緒に舐めとった。
「無駄に仕草がエロいのがうざい」
妹が不穏な雰囲気をまき散らしながら呟く。
イサナがまぁまぁ、と言いながら妹を抑え込んでいる。王都に帰ってきてから妹はずっと不機嫌だ。そりゃあ兄が姉になって帰ってきたら不機嫌にもなるだろうとは思うが、思い出してみれば記憶の中の妹は常に不機嫌だった。つまり平常運行だ、何も心配はいらなかった。
デュラハンの謎液体をぶっかけられて女の身体になってしまってから一直線に王都へ戻ってきたが、それでも一月と半分の日数が掛かった。出発から数えれば実に2カ月も王都を出ていたことになる。
まずはシータを"白い一角獣"へと送り届けて、遅くなったことをシズキさんに詫びた。
怒られるかと思ったが「妊娠している可能性は考えていたが、まさか女性になってるとは思わなかった」と乾いた笑い声で言われただけだった。ついでに帰りに焼き菓子もくれた。良い人だ。
妹もさぞ心配しているだろうと街で食べ物を買いながら学園へと顔を出したのだが、にべもなく「姉に知り合いはいません」と言われた。
呪いで女の身体になってしまったと言うと、少しだけ興味を惹かれたようで「少し待っていてください」と言ってヤカンに入った熱湯をかけてきた。殺す気かと正気を疑ったが呪いで女になった人を戻す為の日本古来の方法だと言っていた。騙されるものか、そんな方法があるはずがない。
その足でモカさんの研究室に顔を出してこれまでの経緯を説明したところでモカさんが考え込んで今に至る。
女の身体になってから、妙に甘いものが食べたくなるのは味覚が変化しているんだろうか。芋とかホクホクしたものが食べたい。
むっつりと難しい顔をして口を閉じていたモカさんが口を開く。
「とりあえず、私を”姉さん”と呼んでみてくれないか」
「教授、何言ってるんですか!?」
イサナの突っ込みが入った。
「モカ姉さん」
「シンタさんも言わなくて良いんですよ!」
「おぉ。存外、良いものだな……」
「あぁ……話が進まない」
イサナが頭を抱えてしまったが、モカさんは口元をにやけさせて上の空だ。
甘味を食べ終わってクリームのついた指を舐める。まだ少し食べ足りない。
口の中の甘い残滓を、入れてもらったお茶で洗い流した。
「モカお姉ちゃん、お腹空いた」
「おねえ……っ!」
モカさんの瞳がカッと見開かれた。
表情が固まったのは一瞬、直後に口元がだらしなく開き、目じりが垂れ下がった。
「よーしよし。お姉ちゃんが何でも買ってあげるぞー」
「やったー、モカ先生 大好きー」
今まで居なかったはずなのに、どこからともなく湧いて出たイーズィさんがモカさんに抱きつく。
モカさんは流れるような動きで抱きついてきたイーズィさんを無言でいなして投げ飛ばした。女性としては背の高いイーズィさんの身体がふわっと宙に浮いて、大きな音を立てながら板張りの床を揺らす。
背中を強かに打ちつけたように見えたが、何事もなかったかのようにイーズィさんが起き上がった。
「ひどいなー、モカ先生は」
「何がひどいだ、年齢を考えろ」
口には出せないが、モカさんには言われたくない台詞だろう。
「今日はどうしたんですか?」
妹がイーズィさんに話しかける。意外なことに二人は仲が良いらしい。
「新しい武器を考えたんだけど、ミヅキに相談しようと思ってさー」
「そうですか、今はちょっと取り込んでいるので後でも良いですか」
「おっけー」
いつもの軽い調子で答えると部屋の隅に座り込んで、何か小さい機械をいじくり回し始めた。前にも似たようなもので遊んでいた記憶があるが手遊び用のおもちゃのようだ。
イーズィさんは俺とイサナの存在には全く触れなかった。可能性としては俺達の顔を見て何か言おうとしたけど、妹と話をしたからそのことを忘れた。というのが一番ありそうだ。そこには触れないのが無難だろう。
「すまん、何の話だったか」
「そうそう、モカ先生の男の趣味が悪くてさー」
「おいコラ。黙れイーズィ」
今日もイーズィさんは自由だった。
「弱ってる男の人をみると胸がキュンキュンするんだってさ」
「イーズィィイイイ! ちょっとこっちに来い」
イーズィさんが物凄い剣幕で怒られて、しょぼんとしてた。
「そういえば教授が前にシンタさんにときめいた、とか言ってましたね」
イサナがジトっとした目でモカさんを睨みつけると、目線を露骨に逸らしながら弁明を始めた。
「いや違う、最初だけだ。ミヅキくんが現れて立ち直ったからな」
「王都に一人で帰ってきて、もう立ち直っちゃった。って残念そうに言ってた」
「黙ってろと言ったばかりだぞ!」
イーズィさんから漏れてくる情報がどれもヒドい。
今の話を聞く限り、立ち直ってなかったら今でもモカさんの世話になっていたのかもしれない。どこまで甘やかされて自堕落になっていく姿が容易に想像できる。
「あと何だっけな、傷の舐めあいって痛痒い感じがして、すげぇエロいって」
「それは止めろよぉぉおおおお! 言うなよぉおおお!!」
モカさんが涙目で殴り始めたが、イーズィさんには全く効いている様子はない。前にもこんな光景を見た気がする。
散々、世話になっておいて言えた台詞ではないが、どこまでも残念な人だ。
「教授の特殊な性癖は分かりました」
「違うんだイサナ、全然特殊じゃない。極めて一般的な嗜好の」
「それでシンタさんを戻す方法はあるんですか?」
モカさんの弁明を無視してイサナが強引に話を進めた。その視線と同様にすっかり冷めたお茶をすする。
イサナとモカさんの呪いを解く話は難しくて分からなかった。
「つまり呪いとは発動条件になっているだけで実際には魔力を媒介にした……」
「しかし、それなら幻覚の強化されたものとして考えれば実際に変質しているのは認識だけで……」
「そうなると肉体が変質してしまっているという理由には弱くなってしまうから……」
ロードローラーのときと同じパターンだ。
横で聞いていた妹はどこまで話を理解できているのか分からないが、興味深そうに何度か頷いていた。
一区切りついたところでイサナに聞いてみたところ、大体の内容を要約すれば「ほとんど無理っぽい」という結論のようだ。
「ひとつ、TSモノで私の知っている話ですが」
妹が挙手をして話に入り込む。
「てぃーえす?」
「あぁ、性転換ですね。私の国では割とメジャーです」
しれっと解説する妹だったが、そんなものがメジャーであった記憶はない。誤謬を呼ぶような発言は控えてもらいたい。
「TSした場合の戻る方法の手段として」
「あるんですか」
「性行為によって元に戻るというのがあります」
イサナが飲んでいたお茶を噴出した。
「勿論、理論も理屈もない説の一つですから、あくまで参考までに」
「よし、シンタくん。ちょっとご飯を食べに行こうか」
モカさんが勢いよく立ち上がった。何故か手には謎の小瓶を持っている。
すぐさま小瓶はイサナの持った杖によって叩き落され、そのままモカさんの顔の前に杖を突きつけられる。
「じょ、冗談だよイサナ、冗談……ハハハ」
イサナの目が据わっていて怖かった。モカさんもどこまで冗談か分からないので、そういう意味では怖い。
「やりましたねシンタ兄さん、異世界百合ハーレムですよ」
妹は嬉しそうに不穏な台詞を囁く。耳慣れない言葉だが、ろくでもないことは分かる。
杖をしまったイサナが振り返って困惑した顔で見つめる。逡巡した後、意を決したように口を開いた。
「私、シンタさんなら女の子でも」
「何を言っているんだ」
妹の戯言を本気で受け取りすぎている。
さりとて元に戻る手段がないのは如何ともしがたい。こうなったら自然に元に戻るのを期待して、ひとまず諦めるしかないかと思い始めたところでイーズィさんが「あ、そうだ」と呟いた。
「これ、預かってたんだ」
腰につけたポーチから手紙を出してきた。
イーズィさんに手紙を託すなんて正気とは思えない。差出人を見てみると案の定、兄からだった。
「カズ兄さんからですか」
「シンタが戻ったら渡せって言われてたんだ」
イーズィさんの忘れることと覚えていることの境界線がよく分からない。
手紙を広げて中身を読む。日本語で書かれているが、紙質が悪いのとインクが滲んでいるので読みづらかった。
「何て書いてあったんですか?」
「今、請け負ってる仕事が思っていたよりも面倒だから手伝いに来い、と書いてある」
兄が請け負っている仕事と言えば、前に窓口のお姉さんに内容を聞いたものの、大きい仕事というだけで詳しく教えてもらえなかった仕事だろう。
手が足りないとかでセリアさんも増員として後から行ったはずだ。
「わざわシンタ兄さんを呼ぶということは、食べ物がらみですかね」
「だと良いな」
お菓子の家に閉じ込められた兄妹を助け出す仕事だったりすると嬉しい。
「え、あの。シンタさん」
イサナがオロオロしている。
「元に戻る方法は探さないんですか」
完全に諦めたわけではないが、探す当てもないし当面は仕方ないかと思っている。
「でも、困りますよね」
「私は別に女の子でも構わないが」
「教授には聞いてません」
勝手が違うから困ることは確かにあるが生き死にに関わるわけでもないので、あまり気にしていない。
「そこは気にしてくださいよ!」
「無駄ですよ、イサナさん。この兄には女装癖がありますから」
「……え」
それは違う。
妹の言い方には悪意がある。高校の学園祭のときに、安田君のイタズラで女子用の制服に着替えさせられただけだ。
代わりに自分の服を安田君が着ていってしまったので、仕方なくそのまま歩いていたら遊びに来ていていた妹に目撃された。
薄く笑う妹は完全にからかっている口調だが、反論しないと他の人に女装癖があると勘違いされてしまう。
「学園祭に遊びに行っていた学校のクラスメイトが、完全に私の姉だと勘違いしていました」
妹に友達が少ないことは知っていたので、妹の学校と同じ制服を着ていた生徒には模擬店の食べ物をサービスして「妹をよろしく」と言っておいたのだ。
「後日、わざわざ私のところにクラスメイトがきて、お姉さんと顔が似てるねって言われた私の気持ちが分かりますか。
話しかけてもらって嬉しいやら、男兄弟に似てるといわれて忌々しいやら複雑極まりない感情を覚えました」
妹が何ともいえない複雑な表情をしていたのでクラスメイトは二度と話しかけてこなかったらしいが、そこまでは責任が持てない。
「シンタさん、お兄さんのところに行くんですか?」
「そうだな」
他に目的も無いし、元に戻る方法を探しながらという名目で行くのも悪くない。
「じゃあ、私も行きます。カズ兄さんには用事もありますから」
妹が同行すると言い出した。せっかく入ったのに学園は放り出してもいいのか。
友達は……まぁ、いないにしても。
「日本みたいにカリキュラムが詰ってないんです。
ペーパーテストを終えたから、あとは自由なんですよ」
いつのまにか妹はこの世界の文字の読み書きが出来るようになっていたらしい。
「それで、どこに行くんですか?」
手紙を読み返して兄の居場所を探してみるが、どこにも書いてなかった。これでどこに行けと言うのだ。
「イーズィさん、カズ兄さんがどこにいるかご存知ですか?」
「いやー、わかんないな。私も”緑の風”で手紙受け取っただけだから」
ということは冒険者ギルドで聞けば分かるだろう。
それじゃあ行くかと妹を連れて部屋を出ようとすると、イサナに呼び止められる。
「私も一緒にお兄さんのところに行きますからね、勝手に出て行っちゃわないで下さいね」
人を風来坊のように言う。
イサナは溜まった用事を消化しないといけないそうなので一旦別れて学園を後にした。
冒険者ギルド”緑の風”へと向かう。




