60.「どうなんですかね」
デュラハンだった光球は両手に乗るサイズにまで圧縮された。地面にゆっくりと落ちようとするそれを両手で受け止めると光は次第に弱く淡くなって消えていくが、様子がおかしい。うどんのどんぶりにしては、随分と小さい。
「シンタさん、怪我してませんか」
デュラハンが消えたのを見てイサナが近寄ってきた。俺の手に乗っている紙片を見て「スクロールにしたんですね」と聞いてくる。
「いや、これはスクロールじゃない」
レシピ化したスクロールはA4くらいの大きさだが、今手の上にあるのは七夕の短冊を少し大きくしたくらいのサイズしかない。スクロールではないなら何なのか、イサナが首をかしげている。
首を傾けたことで視線が移動したのか、紙片を持った俺の手をみつめた。
「あれ、なんだか左手が変な方向に曲がってませんか?」
「あぁ、折れたっぽいな」
「折れたって……何でそんなに落ち着いているんですか!? シータさん呼んできますから、動かないで下さいね!」
イサナは言うだけ言って村長の家に向かって走り出した。
腕は、まあ魔法で治るだろう。それよりも手の中にある紙片だ。正確には紙片だけではなく、鉛筆もセットで添えてある。
紙片には表が書かれていた。項目は品名、料金、並、大盛の4つ。これは吉田のうどんの注文票だ。
吉田のうどんの店舗は普通の民家の一部を開放したような店が特徴だ。店員も普通の主婦が少数で切り盛りしていることが多いため、注文を忘れないように客に紙に書いてもらうスタイルが確立している。
迷わずに「肉うどん」の欄に3人前を記入した。2つが並盛で、自分の分は大盛にしてある。
鉛筆を離した瞬間、注文票が光に包まれた。オーダーが通ったらしい。
光は一抱えもある大きさまで広がり、まぶたの裏に残像を残してふっと消えた。
後に残されたのは3人分のうどんだ。お盆の上にどんぶり3つと浅漬け、小さい薬味壷が置いてある。
左腕が折れているので、自分で持っていくことが出来ない。イサナ達が来るのを待てばよかったかな、と思ってみたが後の祭りだ。麺が伸びないうちに戻ってくることを祈ろう。
イサナが走って行った方向を見ると、ちょうど村長の家からシータがひっぱり出されたところだった。つっかえづっかえ走り出しているのを、イサナが一生懸命に引っ張っているのが分かる。
駆け出した勢いを落とさないまま戻ってきたイサナと、息も絶え絶えのシータが到着して荒い息を吐きだした。
「はぁはぁ……シンタ、さん。腕を出してください」
「デュラハン、もういないよね?」
未だにデュラハンを気にしているシータに向かって折れている左腕を差しだした。
「あ、折れてるんだ。治すね」
間接の無い部分から腕が曲がっているのを見てシータがまた驚くのではないかと思ったが、意外なことに反応は薄かった。
ギルドでも治療担当当番をやっていたことを思い出して、怪我に対する対応は慣れているのかもしれないと思い直す。
シータが左腕の折れている部分に手をかざすと淡い光が掌から零れ出す。光の当たった左腕が温かい。妹の「瞬間接着剤でくっつけました」みたいな治療魔法と比べると雲泥の差だ。次第に腕の痛みが無くなって、赤みのあった怪我の痕すらも消えて行く。
「はい、終わり。目も赤いから治そうか」
そう言うと今度は片手で目を覆う。大きい怪我をしていたわけではないので、すぐに治療は終わって掌が除けられた。視界が開けると、聖女然としたシータがほほ笑んでいる。
「もう痛い所無いよね?」
月明かりに照らされた銀髪がキラキラと輝き、整った顔立ちが女神のように美しく輝いて見える。
何となく祭り上げられる理由が分かった気がするが、普段のアレなところを見ているからギャップが酷い。複雑な気分になったままシータを見ていると袖をくいくいと引っ張られた。
視線を向けるとイサナが頬を膨らませて俺を睨んでいる。
「ちょっとシータさんのこと見過ぎじゃないですか?」
見過ぎていたらしい。女の人をあまり見るのは失礼なのだろう、今まで近くにいる女性は妹か安田君くらいだったので、両極端しかサンプルが無くてそのあたりの基準が良く分からない。
ちなみにサンプル1の妹は目が合うとチョキで殴ってくる。二度と目が合うことが無いように目を潰そうと言う配慮だ。どうかしている。
サンプル2の安田君は礼儀にうるさいのか一緒にいるときに視線を逸らすと怒られる。「私と一緒にいる時は私のことだけを見て欲しいね」と言っていたので、恋人でもあるいまいしと笑ったら重いボディブローを貰った。
「何秒くらいなら良いんだ?」
「私のことは……ずっと見てても良いですよ」
こっちを見つめながらそんなことを言う。
個人により感想が異なります、というやつだ。やっぱり女性というのは良く分からない。
「とりあえず、うどん食べるか」
分からないことを考えていると麺が伸びてしまう。お盆を持ち上げて二人に差し出した。
「ウドー?」
「オドンですか?」
良く聞こえなかったのか二人して聞き返してくるが、どっちも間違っている。
「う・ど・ん」
「ウドン」
「ウドン」
英語の授業のように俺の続いて発音すると、ちゃんとウドンと言うことが出来た。箸を手にとって治療して貰った左腕でどんぶりを持ち上げる。見よう見まねで二人も箸を手にとってどんぶりを持ち上げた。
醤油と味噌ベースの汁に沈んでいる白くて長い麺を一本だけつまんで口へと運ぶ。先端に唇で挟んでチュルンと音を立てて吸い込んだ。初うどんの二人も箸を上手く使って麺をつまんで口へと運んでいる。
チュルッとすすって口に入った麺を咀嚼すると二人の目が見開かれた。
「生煮えですよ、この麺!?」
「うーん、ちょっと硬いね」
「違う、それで良いんだ」
吉田のうどんは標準で硬い。麺のコシとか、そんな生易しいものではない。噛み切ろうとするとヌチッとした歯ごたえが返ってくる。
「そう、なんですか?」
「どうして堅いの?」
「理由は知らない」
山梨に近い静岡の富士宮焼きそばも麺が硬いから、硬い麺が好きな地域性なのかもしれない。
しっかりと麺をかみしめてから、どんぶりの中の煮キャベツに箸を伸ばした。このキャベツもシャキシャキとした歯ごたえを残しているので良く噛んでから食べる必要がある。兎角、吉田のうどんは顎を良く使うようにできている。
キャベツを飲み込んで次は肉だ。この肉は牛でも豚でも無い、馬肉だ。甘辛く煮付けされた肉は牛肉と比べると、これも硬い。良く噛まなければ噛み切れない肉だが、良く味が染み込んでいるために噛みしめると味が出てきて美味い。
どんぶりを傾けて汁をすすると、あっさりとした醤油の味と深みのある味噌が合わさった懐かしい味わいが広がった。思わず飲み込んだ熱い息を吐いてしまう。
「何だか素朴な味ですね」
「この葉っぱが美味しいね」
二人の様子を見る限り、それほど不評ではないようだ。
ズゾゾっと麺をすする、ヌチッヌチッと硬い麺を噛み切る、馬肉を口に入れれば染み込んだ甘辛いタレが染み出る。ここでお盆に載せられた浅漬けを取って口に入れると、シャクシャクとした心地の良い瑞々しさを感じる。柚子の皮が刻んで入れてあって、ふわりと柑橘の爽やかな香りが鼻孔を通り抜けた。
口がさっぱりしたところで、同じくお盆に載せられた薬味壷を手に取る。ここに入っているのは吉田のうどん特有の薬味で、”すりだね”だ。
小さい匙でどんぶりに”すりだね”を入れていると、イサナがそれは何かと聞いてきた。
「薬味だ。唐辛子と山椒……まぁ、辛いものだな」
「私は辛いのはちょっと」
「あ、私辛いの好きだから入れたい」
坦々麺の時もイサナは辛いのはダメだと言っていたのを思い出しながらシータに薬味壷を渡した。
ソロソロと”すりだね”を入れるのを見ながら自分のうどんに手を付ける。”すりだね”が入ることで辛みが加わった汁は、唇にピリピリと刺激を伝えてきた。
カッと胃袋が熱くなる。エンジンがかかったように、うどんを啜るのにも勢いがつく。キャベツ、馬肉を区別なく口に押し込んで咀嚼する。硬い、顎に荷重がかかる、しかしだからこそ食べていると実感する。うどんの癖にハードな食べ物だ。
辛みの沈みこんだ汁を一滴まで残さないように飲んで、最後に浅漬けを食べて口の中を引き締める。
「ごちそうさまでした」
「本当に、シンタさんは美味しそうに食べますよね」
「うん、見てるだけでお腹空きそう」
「そうか?」
たまに人から言われるが自分では良く分からない。
安田君も最初はそう言って一緒に昼ごはんを食べ始めたのだから、きっとそうなのだろう。
美味しそうに食べると言われるが、実際に美味しいのだから不味そうに食べる理由も無い。
麺が硬いから女性は食べるのに時間がかかるかと思ったが、二人ともするすると食べ終わっていた。考えてみればこの世界の食べ物も大概が硬い。麺が硬いのが意外なだけで顎の力は強いのだろう。
シータが最後にどんぶりを持ち上げて汁を飲もうとしているところで急に動きが止まった。その視線が俺を通り越した背後へと向けられている。
何かあるのかと振り返るが、何も見えない。
シータに向き直って何を見たのかと聞こうと、口を開いたところでイサナが叫んだ。
「違います! シンタさん、上!」
イサナの声に反応して上を見る。そこには金タライが浮かんでいた。デュラハンが血をぶっかける為に使っていたタライだ。
宙に浮いたタライは徐々に傾いて中身をこちらに落とそうとしてくる。
「あのタライから魔力を感じます」
イサナがとっさに杖を振り上げて風の壁を造り出した。同時に火球を同時に2つ出すと、それぞれをタライへと向けて飛ばす。
立て続けに2発ともタライに命中するとガァンガァンと大きな音が鳴った。どのくらいの威力なのか分からないが今の攻撃が大分効いたようだ。浮く為の魔力が尽きたのかタライが次第に高度を下げて落ちてくる。
このまま地面に落ちれば、それで終わりだろう。
デュラハンの最後の悪あがきだったのか、大したことなくタライは失せようとしている。それならば最後は有効活用しても良いだろう。
金タライ……タライモ……明太子とマッシュポテトのタライモだな。落ちてくる食材に想いを馳せながら落下地点へと走り込む。
何とか地面につく前に間に合いそうだ、タライの真下に入り込んで腕を伸ばす。
「タラ……い?」
眼前でゆっくりと落下していたタライがひっくり返った。
中に入っていた白い液体が零れ落ちる。
「うぉっ」
「シンタさん!?」
ベトベトした何かを頭からぶっかけられた。白いどろりとしたゼリーのような液体が頭から垂れてくる。べとべとして気持ち悪い。
目と口についてたのを払い落して周囲を確認すると、タライはどこかに消えていた。中身が無くなったから消滅したのかもしれない。
この液体が何なのか分からないが、痛くなったりしないから急激に体調不良を呼び起こすものではないようだ。
服でぬぐいながら白いベトベトを除けているとイサナが「水の魔法で落としますよ」と言ってきました。洗濯機のようなものを想像してお願いするとイサナが杖を振って水の塊を作りだす。俺の首から下がすっぽり入るくらいの大きさだ。
じゃあ、頼んだ。と合図するといきなり頭から水をぶっかけられた。またかと思う。水を回転させて汚れを落とすと言う発想が無かったようだ。頭から大量の水をかけられたのでベトベトは落ちはしたが、全身がずぶ濡れになった。
身体から離れた白い粘液は光る粒子に変わって消えて行く。これも魔法的な性質を持ったものだったんだろう。あとには何も残らない。
「シンタさん、どこか身体に痛いところは無いですか」
「ああ、別に大丈夫だ」
「怪我なら何とかなるけど、呪いは無理だからおかしいと思ったらすぐに言ってね」
強力な魔物は散り際に呪いを残していくことがあるらしい。「末代まで祟ってやる」というやつだ。
「別におかしい所は無いと思う」
「シンタさん、風邪ひきました? 何か声がおかしいですよ」
「そうか?」
「うん、いつもより高いような声だね」
「村長さんの家で、早くお風呂借りましょう。私が体に異常が無いか調べますから。私が」
イサナが近づいてきて俺を見上げた。瞬間、ぽかんと口が開く。
その様子にシータも近くまでやってきたが、同様に口を大きく開けた。
またデュラハンの一部が生き残っているのかと思って振り返り、上まで見たが今度は何もいなかった。
「どうしたんだ、二人とも」
「シンタさん、本当に身体なんともないんですか」
「いや、さっきシータに治して貰ったし、別に」
二人の唇がわなわなと震えている。イサナが指先を持ち上げて、俺を指差した。
「じゃあ、それは何ですか」
指の差す先には俺の胸がある。いつもより大きい。腫れている、というか膨れている。
まるで女のようだ。
「何だこれ!?」
「こっちがききたいですよ!?」
「どうして胸があるの!?」
膨れている部分に手を当てて触ってみるが痛みは無い。以前からそうだったかのように自然に膨らんでいる。
「声、高くなってますし。胸があるって……」
イサナが素早い動きで手を伸ばしてきた。胸をまさぐられる。
「うわっ、柔らかい」
「イサナ、ちょっと痛い」
「どうして私よりも大きいんですか!?」
そんなことを言われても困る。
「まさか!?」
イサナの視線が一点に注がれている。下半身だ。
まさか、と思うが確証が無い。視線を外したイサナと目が合う。
「どう、ですか?」
「いや……分からない」
特に喪失感は無いが、胸も自然に膨らんでいたし分からない。
「失礼します!」
止める間もなくイサナが股間に手を伸ばしてきた。脚の付け根を掌で何度かさするように確認する。
「イサナさん、ど、どう?」
何故かシータが顔を赤くしてイサナに聞いている。
「触ったことが無いので、どうなればどうなのか、分かりません……」
ならば何故に手を伸ばした。
その場で後ろ向いて、自分でズボンの中身を確認する。月明かりでは良く見ないので、手を突っ込んで感触を確かめると、あるべきものが無くなっていた。ペタンと掌が触れるばかりである。
「……妹にバレたら殺されるかもしれない」
「最初の感想がそれってどうなんですかね」
どうやら女になってしまったらしい。
第三部 終
LOVE KOME(お米、大好き)




