50.「そういうのじゃないよ」
土で出来ている壁は脆く、それほど力を入れなくても叩けばポロポロと崩れた。
叩き続けていると5分も経たないうちに自分の身体が通れる大きさまで広がり、そこへ身体を押し込んで外へと足を踏み出す。
段々と広がる明るい景色は目に染みるようで、少しだけじんわりとした温かさを感じる。
光に目が慣れるのを待ってから全身を洞窟の外へと出した。
周囲を見渡すと、どこかの森の中のようだ。辺りには鬱蒼と木々が生い茂っている。
洞窟の中の湿ったかび臭い空気とは違い、太陽に照らされた土と木々の香りがする。
出てきた穴の方を振り返ると、そこは切り立った崖の麓になっていた。今出てきた穴からイサナが顔を出している。
「どうですか?」
「ああ、出てきても大丈夫だ」
今度はいきなり足元が崩れることも無さそうだ。
その返答を聞いてイサナとシータが洞窟の穴から姿を現す。
太陽の下で見ると二人とも土で大分汚れていた、きっと俺も同じくらい土まみれだろう。
「薬草はもういいから、一回街に戻ろうよ」
疲れた顔でシータが座り込んだ。迷宮に入るというのに相変わらずあざといミニスカートだったので、太股に挟まれた白い下履きが少し見えた。
「流石に一回出直しましょう」
当初から数日を迷宮内で過ごす予定だったが、落下する際に荷物を失ってしまっている。それに眠ったとはいえ土がむき出しの地面に寝転がっただけだだから、しっかり身体が休まっていないのだろう。
再度、薬草探しの為に迷宮に入るにしても、一度街に戻って準備を整えたほうが良い。
迷宮の入り口から遠く離れていなければ街までは歩いていける距離のはずだが、迷宮に入るときに見た限りでは近くには森なんて無かったように思う。
「イサナ、迷宮に入ったまま外に出ると、入り口からどのくらい離れるんだ?」
まさか世界の反対側にまでは行かないとは思うが気になったので聞いてみた。
「離れすぎて帰ってこられない人の話は分からないので、何とも言えないですね」
イサナの知っている限りでは大陸の端から端まで移動した人もいるらしいが、大体は入った迷宮の近くに出てくるそうだ。
ここでじっとしていても始まらないが森から出るにしても何のあても無い。どちらに歩いて良いのかを相談すると、シータが空を見上げながら口を開いた。
「イサナさんの魔法で飛び上がって、街を探せないかな」
足場がしっかりしてるなら海のときと同じように跳びあがれるはずだ。
普段のイメージからヘッポコな意見だと思って期待していなかったが案外と名案のように思える。
「分かりました、それではシンタさん。私を抱えてください」
神妙に頷いたイサナが両手を挙げて俺の方を向いた。抱きかかえろという意思表示だ。
わざわざ抱えたりしなくても一人ずつ跳ばせるはずだが、魔力が足りなくて一人分しか足場を作れないのかもしれない。
「俺だけ跳べばいいんじゃないか?」
「もし風で遠くへ流されたらどうするんですか。地面に墜落しますよ。
ベシャってなりますよ、ベシャって」
必死に両手を交差させて「ベシャッ」と擬音を出している。
イサナも一緒にいればゆっくりと着地できるだろうが、そうするとシータだけ残されることになってしまう。
「俺がイサナを抱きかかえるのは、残りの魔力が少ないからなのか?」
「いいえ? そっちの方が楽しそうじゃないですか」
何を当然なことを言っているのかと、呆れるような顔で否定された。俺がおかしいのか。
三人跳ばすだけの魔力には問題が無いようなので、再度両手を挙げたイサナの胴体に横から手を回して抱きかかえる。
「おぉ……これが伝説の……」
何やら感激しているイサナを前にして決して口には出せないが、思っていたよりも重い。
女性の体重の平均は知らないけれど、どれだけ少なくても40kgくらいはあるだろう。そんな重さを持ち上げて軽いはずが無い。
よく漫画でヒロインを抱きかかえて「軽すぎ」などと言うのは大嘘だ。意地を張っているだけに違いない。
そこで意地を張って女の子に「軽い」と言える様な奴だからモテるのかも知れないが、世の中の男性が現実を知ったときにショックを受けるから程ほどにして貰いたい。
「シータも、早く」
「え」
「私も?」
なるべく腕がプルプル震えそうなのを堪えてシータに呼びかける。
シータだけ置いていくわけには行かない。背中を向けて抱きつくように言うと、おずおずと首に腕を回してきた。
「シータさんは別に良かったんですけど……」
「よし、イサナいいぞ」
イサナがぶつくさ言っていたが気にする余裕は無い。杖を胸の前に抱えたイサナが何かを呟くと、足元に風が吹き付けた。
つま先で探ると、サッカーボル大の柔らかい球体のような感触がある。
それに体重をかけて一気に踏み抜くと、押し返して来る反発力が全身にかかった。
飛行機に乗ったときの何倍もある加速に襲われる。イサナの分まで重みが加わり腕が千切れそうだ。
首にまわされたシータの腕がきつく絞まる。背中から「んぐぅうう」という押し潰された悲鳴が聞こえた。
恐らくは数秒間の拷問じみた上昇に耐えると、パッと水平線が目に入った。
直後、今度は急激に落下を始める。イサナの身体が浮き上がりそうになったので服を掴んで離さないようにする。
シータの首を絞める力が更に強くなった。呼吸がままらならない。
バサバサと森の枝を折りながら落下した身体は、地面に接触する直前でピタリと止まった。
三人分の体重がドンっと地面に降り立つ。腕の力を緩めてイサナを下ろした。背中からの首を絞める力が弱まる。
もうあと数秒、首を絞められていたら意識が飛んでいたかもしれない。
「結構、よく見えましたね、街も近いみたいですし」
イサナが上機嫌で話しかけてきたが、こっちは二人と落とさないようにするのに必死で、街を探すどころでは無かった。
「大柱海が見えたね、大陸の端から端じゃないけど遠くまで着ちゃったみたい」
背中にくっ付いたままのシータが現在位置についての情報を提供するが、何故か未だ背中にくっ付いている。
力こそ抜けているが首に回した腕はそのままに、背中にピタリと胸を当てていた。弾力のある柔らかい感触を背中に感じて、何となく正面に立つイサナの胸を見た。
そのなだらかさは、実家で妹が使っていたパソコン(WindowsXP)の草原の壁紙を連想させる。
殴られた。
「とても失礼なことを考えていましたね。
それはそれとして、何でシータさんはいつまでもくっ付いているんですか」
「そ、それは……」
首を絞める腕に力が込められる。
背中に押し付けられる弾力が更に強くなると同時に、ふくらはぎの辺りに冷たさを感じた。足を持ち上げて見ると、その部分だけ濡れている。
「まさか」
首だけ回して横目でシータを見る。
「違うよ、これはそういうのじゃないよ。違うよ違うんだよ。
あ、そうだ。途中で雨が降ったんだよ。通り雨みたいな感じでね。
空を跳んでたんだから雨くらい振るのは当たり前だよね。
だから仕方ないと思うんだ。うん、そうだよ。これは雨で濡れてるんだよ」
忙しなく視線を泳がせながら適当な言い訳を口走っているがアレで間違いない。ここで責めても仕方ないし、もうそういうことにしておこう。
親戚の子供が寝小便をしたくらいの気持ちで笑いかけて「そうだな」と言うと、気まずかったのか顔を赤くして俯いてしまった。
「とりあえず街まで行こう」
背中のシータを引き剥がして歩き始めた。水の染みる冷たい感触が歩く度に伝わってくる。
その正体を考えないように気を紛らわせようとして、横を歩いているイサナに話しかけた。
「さっきシータが言ってた大柱海って何なんだ?」
それが見えたから現在地が分かったようなので星の位置に近いものだと思うが、今は昼間だし空を見上げても目印になるようなものは見えない。
「あれ? シンタさんの国で学園に通ってたんですよね。教わってないんですか」
横にいたイサナが首を傾けて疑問符を頭に浮かべた。
当然のことながら、日本の教育では異世界の地理は教えてくれない。
「もしかしてシンタさんの国では違う呼び方だったのかもしれませんね」
独り合点して何かを頷いていた。
未だに説明していないこともあって、イサナは俺がこの世界のどこかの国から迷い込んだのだと思っている。
交通や通信に難のあるこの世界では、海外旅行はおろか国外への行くことが一生のうちでも殆ど無いようだ。
隣り合った国のことは多少知っていても、海を挟んでしまえば全く知らないのが普通だ。
「ええっとですね、絵で描くと」
イサナが杖で地面に絵を描き始めた。
それは、勾玉の形に似た歪な円だ。アルファベットのeのように尻尾の部分が孤を描いている。
尻尾が長く伸びて、そのままeの上半分の穴の部分へと刺さっていた。
何だこれ。
「ココの部分です」
自分では上手く描けたと思っているのか、自信満々の顔で絵の一部分を指している。
「これは……?」
世界地図を描いているのかと思ったが、どう見てもそれ以外の図形だ。
後ろにいたシータが絵を見る為に前に出てきた。
「学園で”尾を噛む蛇”の形って教わったよ」
「私も、そのように聞いています」
王都の学園出身の二人が並んで説明してくれるが、それが何の話なのか分からない。
二人が教師のあだ名の話題で盛り上がり始めたので、再び足を動かし始めて街へと道を進む。
2時間ばかり歩いたところで話題が途切れたので、図形について質問した。
「さっきの地面のあれは、何の形なんだ」
改めて聞いてみると、今度は二人揃って不思議そうに首をかしげた。
「この世界の形ですよね?」
「知らないの?」
知らない。俺の知っている世界は、あんな形をしていない。
「こう……星は丸いだろ。ちょとだけ横長の楕円になってるらしいけど」
「ほし?」
「丸い?」
話が通じていない。
まだ「この世界は亀の上に乗った象が支えているんです」と言われば「さすがファンタジーだ」と納得できる気がするが、さっき地面に描かれた図はごちゃごちゃしていて良く分からない形だった。
だが二人は、あれがこの世界を現していると言う。これは、どっちだ。
測量や地理の知識が行き渡っていないからヘンテコな世界観を信じ込んでいるのか、ファンタジー補正で実際におかしな世界になっているのか。
「ほら、もうすぐ森が途切れるから大柱海が見えますよ」
イサナが森の木々が途切れる所を指差す。
三人揃って森から出ると遠くに海岸線が見えた。ここは山の上なのか海までには大分と高さがある。
「そっちじゃないよ」
シータが水平線と平行に指先を伸ばす。
指の指す方向を見ると、水平線がおかしな方向に仰け反っていた。
「……?」
目の錯覚か蜃気楼のような現象だと思った。
しかし、二人を見てもいつも通りの顔をしている。
地球の基準で言えば、水平線は360度の円を描いているはずだが、目の前の水平線は逆方向に丸みを帯びて天へと伸びていた。
遠すぎで霞んでしまっているが巨大な上り坂のように海が空へと続いている。
「なんだこりゃあ……」
口を大きく開けて空を見上げるが、視力の届く限りでは海の終わりが見えない。
「あそこから先が大柱海だよ」
「ファンタジーだな」
「そうですか?」
イサナ達からすれば現実なのだろうが、丸い地球に住んでいた身とすれば現実感なんて微塵も無い光景だ。
「あそこが、さっきの絵で言う”蛇の尻尾”のはじまる部分です」
空へ伸びているように見えるのが、eの下半分の始まる地点のようだ。
今いる場所は、イサナが描いていた絵を蛇に例えると”お腹”にあたる部分になる。
「王都は”蛇の背中”部分だから普段は見られない景色だね」
現地の人間からすれば、ちょっとした観光名所くらいの感覚らしい。
「まさか。こんな形をしているとは思わなかったな」
思わず独り言が出てしまう程のインパクトだ。
「どんな形だと思ってたんですか?」
「ボールみたいな丸い形だと思ってたよ」
ポツリと地球基準の世界を答えると、二人は妙におかしそうに薄笑いを浮かべている。
「あらら、そうなんですか」
「うひひ」
「そんなに変か?」
「ううん、変じゃないけど」
二人はニヤニヤと笑いながら、俺のことを見つめていた。
「世界が丸い御伽噺を信じているなんて、シンタさんも結構可愛いですね」
世界が丸いの言うのはサンタクロースを信じているのと同じくらいのメルヘンな話題のようだが、いまいち納得がいかない。
王都の学園に通い生徒は、自分の住む土地への理解を深める為に授業の一環としてこの光景を見に来るそうだ。
二人の話す学園の授業内容を聞きながら歩き続け、夕日が差すより前にイサナの見た街へと辿りついた。




