49.「まさか」
目蓋を開ければ薄らと明るい。ぼんやりと視界が回復していく。
「気がつきましたか?」
目の前からイサナの声が聞こえた。
身体を起こすと、どうやら今までイサナに膝枕をされていたらしい。
「無理しないでくださいね、まだ寝てても良いんですよ」
「いや、もう大丈夫だ」
アウラウネが一度に大量に消滅したことにより足元が崩れて落下したのを思い出した。
あたりを見渡すとシータもすぐ近くに座っている。
俺が一番最後に目を覚ましたようなので状況を聞いてみると、芳しくない答えが返ってきた。
「簡単に言うと、閉じ込められてます」
今いるフロアに落下したのは良かったのだが、そのフロアというのが6畳程度の密閉された部屋だった。
部屋の中をどれだけ探してみても、通路も無くどこのフロアにもつながっていない。
「そんなフロアがあるのか」
「ごく稀に、魔力だまりみたいな空間が出来てしまうそうです」
そんな話は今まで聞いたことが無い。
「本当に稀になんですよ。通常、魔力で出来た空間は地上に向かって浮上するんですけど、何かに引っかかって途中で留まってしまうんです」
本来の流れから外れた空間なので、他のフロアともつながっていないという理屈だそうだ。
どれだけ運が悪ければ、そんなところに落ちる羽目になるのだろう。
「そんなに心配しなくても平気です。
前にも説明しましたけど魔力で出来た空間は少しずつ上昇しますから、そのうち地上に出られますよ」
「どっかに引っかかってるから上昇しないのが原因じゃなかったのか」
「大抵、他の空間とつながった衝撃で上昇し始めます。
無事に帰れた人がいなければ、魔力だまりの話なんて誰も知りませんよ」
イサナの言う通りなんだろうが、その話の通りなら俺達の落ちてきた穴がどこかのフロアに繋がって無ければおかしい。
さっきから天井を探しているだが、それらしい穴は見つからない。
「他の空間に繋がってるって言うのは、この天井のどこの部分だ」
天井を見ながら聞いてみるとイサナも一緒に天井を見上げた。
「どこって、そこに大きい穴が空いて」
「無いな」
どこにも穴は無い。シータも一緒に見上げていたが、俺達の落ちてきた通路は見つけられないようだった。
二人とも疑問符を浮かべながら立ちあがって部屋の中を歩き回って探していたが、それほど大きい空間ではない。
すぐに戻ってきて悲愴的な表情を浮かべた。
「ど、どうしましょう」
「ど、どうしよう」
二人で仲良く戸惑っているが、俺に聞かれてもどうしようもない。
「俺達が落ちてきた衝撃で上昇し始めたのなら、それで位置がズレたんじゃないか」
「あ、それですよ。きっと」
「うんうん! 多分そう!」
何となく言っただけの言葉に食いついてきた。あまり当てにしない方が良さそうだ。
念のために壁を叩いたりしてみるが、隠し通路が出てきたりすることは無かった。
「魔法で天井を掘り進めることは出来ないのか」
「生き埋めになる可能性を無視するなら、出来なくもないですが」
「や、やめておこうよ」
シータが怯えながら却下した。言われるまでも無くそんな可能性を無視したくない。
この部屋が地上に向けて移動しているのなら寝て待っていれば解決する問題だが、そうでないなら一生このままだ。
ただ待つというのは良くない選択だと思う。
「とりあえず何か食べるか」
考えたら腹が減ってきた。朝飯を食べて以来だが、既に昼はとっくに過ぎているはずだ。
さっき拾ったカラアゲや野菜炒めがあるから、すぐには食べ物には困らないだろう。
「その事なんですけど」
言いづらそうにイサナが上目遣いで見上げてくる。言いづらいことがある時の仕草だ。
考えたくない事態だが、このタイミングで言いづらいことは一つしかない。
「まさか」
「落ちてる途中で引っかかったみたいでして」
千切れたカバンのヒモを前にぶら下げて示した。
引っかけた場所とはもう繋がっていないだろう、今から手元に戻す手段は無い。
「他に、食べ物は」
「……ありません」
無いものは仕方ない。腹は減るが食べるものが無いのだから仕方ない。
食べるものが無いのだから仕方ないが、しかし腹が減る。
腹が減っても食べるものが無い。無いものは無いのだから食べられない。
「本当に無い?」
「な、ないです」
「あはは、ちょっと目が怖い……かなぁ」
シータが渇いた笑い声を出しているが、何が面白いというのか。食べるものが無くなってしまったと言うのに。
食べるものが無いと言うことは空腹を満たすことができないと言うことだ。
つまり空腹が積み重なる一方だ。どんどんと空になっていく胃袋が反転してブラックホール化してしまうかもしれない。
空腹になるということは、即ち緩やかに死んで行っていると言い換えても良い。このままだと、死ぬ。
「そうだ、水はあるのか」
聞いた話では一週間くらいなら食べなくても死なないらしいが水は違う。
3日間、水を摂取しないと死ぬ可能性がある。
「水ならイサナさんが魔法で作れるよね」
シータがポンと両手を軽く合わせてイサナを見ながら言った。
そうだ、イサナなら魔法で水を作れる。魔法が使えるなら前に魔法から飴玉を作ったこともある。食べ物も手に入る。
死ななくて済む。なんだ、何も問題ないじゃないか。
「イサナ、魔法は使えるよな」
「ええ、お任せください。喉も渇いたので、ちょっと水を作りましょうか」
カバンを無くしても杖は手放していなかったことを褒める。流石イサナだ。
「じゃあ、出しますよ」
水の球を出すのだろうと、少しだけ下がってイサナから離れるのを待って杖を振るった。
どこに水の球が出来るのだろうと待つが、いくら待っても水の球が出現しない。
「あれ?」
「失敗か」
「おかしいですね、もう一回やります」
その後も何度か杖を振ってみたが水の球は出現しなかった。
「お腹が空いてるんじゃない?」
シータが空腹限界説を提唱するが、イサナは小さく首を振った。
「ちょっと空いてますけど、水の初級くらいなら使えるはずなんです」
最近、調子が良いと言っていたがその反動でも来たのだろうか、魔法の理屈を知らない身としては解決策も出せない。
そもそも空腹と魔法の関係がいまいちどういうものかわからない。元気が出るとか気合が入るとか、そういう理由ではないのは何となく分かるが。
「ちょっと休憩しようか。身体を休めたら使えるかもしれないし」
「そうですね、その間にフロアが地上まで上昇する可能性もありますから」
淡い期待を持たせた休憩は無言のままで過ぎ去った。何も言わないが段々と事態が悪化しているのを感じているのだろう。
イサナは壁を背に座ってじっとしたまま動かない。シータも座っているが、時折キョロキョロと首を動かしていた。
俺はと言えば、この際マニ菜でも良いから生えていないかと床に寝転がって隅から隅まで部屋の中を探したが、草一本虫一匹見つけられなかった。
1時間程経過したタイミングで、再びイサナが魔法を試してみるが成功しない。
今日のところはもう諦めた方が良いかもしれないという結論に達して、部屋の中で眠ることになった。
閉鎖された部屋の中で魔獣に襲われることは無いし、仮に魔獣が出てくるようなことがあれば大喜びで食料にしよう。むしろ出てこい。
相変わらずぼんやりと明るい空間にイサナとシータの寝息が聞こえる。
息苦しくなるようなことも無いが、空気の循環はどうなっているんだろう。目に見えないだけで、実はどこかに繋がっているのだろうかと考え始めたあたりで眠りに落ちた。
また安田君の夢を見た。
◆
口の中が粘つく不快感で目を覚ます。目を開けて周囲を見渡すが、室内を照らしていた明かりは弱まり、ほとんど真っ暗になっている。
夢の中で白飯の甘さとウィンナーの肉汁が広がっていたのに、現実は味もそっ毛もない。
「腹が減った……」
身体を起こして壁を背に座り、一人ごとを呟いた。
昨日の朝飯から食べていないから、今が朝であるなら何も食べずに1日を経過していることになる。
「お腹、すいたね……」
暗闇の向こうからシータの声が聞こえてきた。彼女も目を覚ましているようだ。声色からは疲れが読み取れる。
「済みません、私が魔法を使えればこんなことには」
シータとは違う場所からイサナの声が聞こえた。
魔法が使えなかったことにたする謝罪の言葉だが、目を覚ました後に試しても魔法を使うことは出来なかったらしい。
この空間が関わっていることが原因かもしれないということだったが、詳細は不明。
会話をしていると口の中の水分が無くなっていることが気になってきた。
イサナの魔法で水分補給出来ないのだから、違う手段で水を得る方法を考える必要がある。
「シータは、治療魔法の延長で無いのか。そういう水分を生み出すようなのは」
「無いかな……」
無いか。治療魔法とは結びつかないから期待はしていなかったが、魔法が無理なら物理でどうにかならないものか。
漫画で太陽の光と蒸発を使って水を得る方法を解説しているのを読んだことがある。しかしここには太陽が無い。
「喉、渇きましたね」
「うん……」
喋ると余計に喉が渇くのだが、黙っていると心が潰れそうになる。周りが暗くなっているのも精神的に追い詰める原因になっているのだろう。
腹が減ると心細くなる、空腹感特有の虚無感が心を食いつくそうとしてくるが、それを過ぎると気持ち悪くなってくる。
イサナの近くまで行って隣に腰かけた。誰かがそばにいれば多少なりとも安心感があるだろう。
シータもイサナを挟んで反対側に座ってボソボソと会話を続ける。
「パーリャ、食べたいなぁ」
「あれ、美味しかったですね」
暗闇に目が慣れたのか、近くにいる二人の顔が何とか見える。どこか遠くを見る視線でパーリャのことを思い出していた。
ふかふかのパンの中に、シャリシャリに凍った果実のシャーベットが納められていて、熱々のパンに噛みつくと冷たいソースが飛びてくる衝撃。
温度差を利用した食感が2重の喜びを感じさせてくれる。今思い出しても美味しかった。
しかし、過去の思い出をひっぱり出してきても唾液さえ出ない。これは意外と危険な状態かもしれない。
昨日は結構歩いて汗もかいているだろう、予想よりも身体から水分が失われる。
早めに水を補給しないと脱水症状で動けなくなる。しかし水は無い。八方ふさがりか。
「くしゅん…………あっ」
「……それだ」
「えっ」
水だ。あるじゃないか。
立ちあがってイサナの前を通り過ぎてシータのところまで歩いて移動する。
「シータ、水が必要なんだ」
「え……う、うん。分かってるけど」
「そうか、分かってくれるか」
同意が得られた。これで何も問題は無い。
「シンタさん、何を……」
「水が必要なんだ」
「水って……まさか」
殆どが水らしいから、飲んでも人体に影響は無いと聞いたことがある。
自分のはどうにも出る気配が無い。困った時こそ助け合いが必要なんだ。
「目は、閉じているから、頼む」
「いやぁ! 無理! 無理! 変態!」
「シンタさん、落ち着いてください!」
落ち着いている。
落ち着いて、考えて、早急に水分補給が必要だと判断した。
「人の命が掛かっているんだ、まずはイサナから飲ませて貰って」
「私ですか!?」
「ダメ! 無理なものは無理なの!」
必死に首を横に振っている。気持ちは分かるが事情が事情だ。ここはぐっとこらえて飲んで貰いたい。
「そこを何とか頼む」
「そ、そんな目で見ても……駄目……だめ」
「わがままを言っている場合じゃないんだぞ」
「あれ私が悪いのかな」
シータが涙目になっていた。
色々諦めた感じの表情になってきたシータだったが、あともうひと押しと言うところでイサナが間に入ってきた。
「そんなの飲んだらダメです! 止めてください!」
「そんなのって……私だって嫌なのに。そんなのだけどさ……」
「えり好みをしている場合じゃない。イサナも唾液が出にくくなってるだろ」
イサナが口をつぐんで口の中をモゴモゴと動かした。
今、俺に言われて確かめているのだろう。
「確かにそうですけど……」
「分かってくれ、イサナ」
前に立ちふさがるイサナの肩に手を置いた。
何かを考えているのかイサナは俯いていたが、ぐわっと顔を上げた。
「じゃ、じゃあ! わたしが。わ、私が出しますから! シンタさん飲んでくれますか!?」
誰のであっても変わりは無いし、人によって変えるつもりはないが、イサナは傍から見てちょっと引くくらい必死になっている。
水分に違いが無ければ誰のであっても関係は無いと言うと、後ろを向いて少しだけ離れた。
「ちょっと、待っててくださいね……」
見えにくくなるくらいの場所まで移動したところで、シータが声をかけた。
「あの……イサナさん?」
「何ですか、いくらシータさんでも譲りませんよ」
「そうじゃなくて。杖が光ってるけど、魔法使えるんじゃない?」
シータの指さす先では、イサナの持っている杖の先端についている宝石が淡く光っていた。
「えーっと……」
イサナが昨日と同じように杖を振るう。
光の軌跡を描くように目に残像が残り、宝石から光が飛びだした。
たちまち宙に浮かぶ水球が現れり。
バスケットボール大で、3人で飲んでも十分な量があるように見えた。
「や、やったー! お水だー!」
シータが水球に駆け寄って、水球に口を付けた。宙に浮いた水の球からゴクゴクと音を立てて水を飲み下している。
イサナもつま先立ちになって口を伸ばして喉を鳴らしていた。
それに従って俺も空いているところから水を飲む。
バスケットボールがハンドボールくらいの大きさになるまで、夢中になって3人で水を啜った。
「ふぅ……生き返りますね」
「助かったぁ……色んな意味で助かったぁ……」
2人が大きく息を吐いて座り込んだ。
強硬策に出ようとしたが、やらないで済むならそれに越したことは無かったので良かった。
一安心と胸をなでおろすと、合わせたように腹が鳴った。
「腹減ったな」
空腹の胃袋に流し込まれる水は、胃袋が空っぽであることを意識させてしまう。
喉の渇きは癒えたが、却って空腹が刺激されてきた。
イサナに魔法で何か出して貰って、それを食べ物にする方法もあるがセリアさんの作った巨大な水球でも飴玉一つだ。
ここで時間をかけても仕方がない。
「イサナ、可変迷宮は魔力の塊なんだよな」
「ええ、魔界の亀裂から噴出した魔力の塊だと言われていますけど」
それなら、試してみる価値はあるだろう。駄目で元々だ。
「あの。拳を握ってますけど、もしかして迷宮自体を……?」
「流石に無理じゃないかな」
座ったまま見上げるように俺のやることを見ているイサナとシータを背中に、壁に向かって思い切り腕を振り上げた。
怪我をしてもシータがいる。思い切り行こう。
「魔術書!!!」
拳をぶつけた先から光が溢れる。
「まさか!」
「え、本当に!?」
しかし、光はいつまでも消えずに室内を照らし続ける。紙片も出てこない。
壁を殴った右手は、壁を突き抜けて向こう側へと飛び出ていた。
「これは……」
壁に向かって何度か蹴りを入れると、ボロボロと壁が崩れた。壁の向こうには明るい緑が広がる。
「外、だな」




