31.ロケットドラゴン
俺が倒れたときは体力の回復薬として使ったようだが、これは万能の薬だ。石化の毒だって治る。手元に落ちてきた小さなビンのふたを開け、甲板に横になったイサナの口にあてた。
「ほら、飲むんだ。霊薬だぞ」
さっきまで荒かった呼吸が収まっている、まぶたは半開きで焦点が定まっていない。手で触れてみると既に腹の辺りまで石化で硬くなっている。
かろうじて息はしているが、もう薬を飲む体力も無いのか、唇は微動だにしない。
最早、一刻の猶予も無い。ビンをイサナの口元から離して自分の口に中身を流し込んだ。
イサナの背中を抱き上げて顔を自分の方に向かせる、力なく開いた唇の隙間に口移しで霊薬を注ぎ込む。
鼻もつまんでやると、振り絞った力でこくりと浅く嚥下する振動が腕に伝わった。
硬かった背中の感触が柔らかくなる。
本人が言っていた通り背中も石化していたのだろう、次第に全身から弛緩するようにくたりと力が抜けるのが分かった。
俺の時もそうだったがファンタジー世界の薬は即効性が高くて助かる。
「えあ……? え、石化が、っていうか、いま口を……え?」
何が起きたのか分からないうちに俺に召喚されたのと、諦めていたのに石化が解けたのと、あと俺が口移しで薬を飲ませたので三重の混乱に襲われているようだ。
身体が動くのが不思議なのか、手を足や背中に回しながら確認している。あまりにバタバタやるものだからスカートがまくれて下着が少し見えた。
無事に石化が解けたようだ。ほっと胸をなでおろしたところで、手元に残った霊薬のビンの中にまだ半分くらい薬が残っていることに気付いた。
石化は解けてるように見えるが、念のために全部飲ませておいた方がいいだろう。
「……イサナ」
「シンタさん、何がどうな……んぐっ」
先ほどと同じように自分の口に入れた霊薬を、口移しでイサナに飲ませる。
さっきは慌てていて分からなかったが、この霊薬は薬のくせに結構飲みやすい。常温のはずなのに妙に温かくて柔らかい舌触りと甘みを感じる。
しょうが湯に似ているかもしれない。
「ん?」
「ん……っ」
こくりとイサナが液体を飲み込む音が聞こえた。
いや、それよりも今自分が感じたことを思い出す。
温かくて、柔らかくて、甘い。確かにそう思った。
……甘い。
イサナの唇に口を付けたまま、自分の口に残った霊薬を舌で舐めとって再び味わう。
確かに甘みを感じる。間違いなく甘い。勘違いではない。絶対に甘い。
それはつまり、今までまるで仕事をしなかった味覚が、久しぶりに活動しているということだ。
俺に、味覚が戻っている。
舌を二度三度動かして自分の口中に残った液体を探すが、満遍なく舐めとってしまっていて何の味も感じられない。
ならばイサナの口に残った分をもらおう。
今飲ませた分も念のためだし、口に残っている分くらいは貰っても体調に影響は無いはずだ。
イサナの唇の隙間を割るように自分の舌先を送りこみ、まずは唇に付着した分から味わう。
自分以外の人の口の大きさを実感するのは初めてだが、俺のよりも小さいくて柔らかい気がする。
少しだけ残っていた薬を満遍なく舐めとるが範囲が小さいのですぐに終わってしまった。
「んん……っ」
イサナから鼻にかかった声が聞こえる、そこまで苦しくなさそうなので無視して続行だ。
舌を更に進ませると、やはり俺の物よりも小さい前歯に突きあたる。漏らさないように丹念に小さい歯の一つ一つに舌を這わせる。
頑張ってみたが奥歯までは舌が届かないので仕方ない。
「んーんーっ」
何か抗議の声をあげているが気にしない。もうちょっとだけ我慢してほしい。歯の表を舐め終わったので、次は裏面だ。
しっかりと歯茎まで舌を伸ばして薬の甘みを追い求める。
イサナの口の中に残っている薬は、俺の口に残った物よりも甘みが強いように思う。
不思議と中毒性があるような味だ。上あごも忘れずに舐める。
くすぐったそうな声が聞こえたので程ほどにして、総仕上げとしてイサナの舌を絡め取って自分の口へと導いた。
人間の口に入ったものは基本的に舌に触れるようにできている。
だから、薬も一番舌に残っているはずだ。
唇でイサナの舌が動かないように挟み込んで自分の舌で絡めて、吸って、こねくりまわす。
なぜかいくら味わって甘みが尽きることがないので幾らでも味わうことが出来る。イサナもいつのまにか声を出すのをやめて、たまに息が漏れるだけになっていた。
「ん……」
牛タンを切る前の状態を見たことがあるが、それだけで別の生き物のような大きさだった。
それと比べるまでも無くイサナの舌は小さくて短い。
俺の口にもギリギリとどくかどうかというところで、前歯に触れそうなところで一生懸命動いていた。
イサナも俺の口に残った霊薬の味を追い求めているのだろうが、残念なことに俺の分は舐めとってしまった。
久しぶりの味を感じたからと言って、少し焦りすぎてしまったかもしれない。イサナの分を残しておくべきだった。
名残惜しいが俺だけ甘みを味わうのも申し訳ない、ゆっくりと口を離すと「あっ……」とイサナから声が漏れた。
すまないが幾ら追い求めても俺の口の中に霊薬は残っていないのだ。だから、せめて約束を果たしに行こう。
美味い物を食べるのは誰かと一緒がいい。
「約束だったよな。甘いものを食べに行こう」
何の脈絡もないし、そんな約束はもう覚えてないかもしれない。そもそも、この状況について何の説明もしていない。
いきなりの俺の言葉に面食らった表情を浮かべていたが、すぐに柔らかくほほ笑む。俺の知っているイサナの笑顔だ。
「……もう、貰っちゃいましたよ」
イサナは唇に手を当てながら呟いた。
◆
「とりあえずぶん殴りますね」
振り返る間もなく後頭部を殴られた。
「良くもまぁ昼間から妹の前でイチャコラと。
私が治療魔法以外を使えていたら今頃シンタ兄さんは爆発してましたよ」
殴り飛ばされ甲板に額をぶつけて痛みにうずくまる俺に「だ、大丈夫ですか!?」とイサナが駆け寄って殴られたところを撫でてくる。
痛みをこらえて起き上がり殴られたところに手を当てるが、殴りながらしっかり治癒魔法をかけてあるようで傷は無い。
色んな要素のせいで涙目になりながらイサナに妹を紹介した。
「妹のミズキだ」
「シンタ兄さんの妹の水瀬海月です。兄がお世話になってます」
「あ、えーと、イサナです。シンタさんには良くして頂いて」
「サヴァです。祭司見習いです」
サヴァは妹の手に治療魔法をかけながら自己紹介をしていた。どことなく上司の出したタバコにライターを差し出す部下社員を彷彿とさせる。
「とにかく。そういうのは後で部屋の中でゆっくりやってください。その為にも、今はあれをどうにかしないと」
妹の指さす先をみると、上空に浮かぶ2つの影があった。ひとつは先ほどと同じゴールドドラゴン。もうひとつは今まで無かった白銀の輝き。
「ご、ゴールドゴラゴンとシルバードラゴン……?」
イナサは2匹とも知っているようで目を見開いて驚愕の表情を浮かべている。有名な魔獣なのかもしれないが、いつの間に増えたのだろうか。
「シンタ兄さんがフレンチを味わってる間に海から出てきましたよ。サヴァさんの夢からすると、"蒼い大魚"に封印されてたんじゃないですか」
フランス料理なんか食べてない。今までに食べたことも無いから召喚することもできない。言いがかりもいいところだ。
2体のドラゴンは旋回しながら船を追跡するように悠々と追いかけてくる。仲間の復活を喜んで遊んでいるようにも見える。
「シンタさん、短い間ですけど会えて嬉しかったです……」
イサナは空を見上げながら震えた声で呟いた、目には涙を浮かべている。そんなに絶望するほどのものだろうか。
「八竜の中でも、金と銀ですよっ!? 戦って勝てるわけ無いし、逃げられるはずもないし……ははは」
何だかわからないが空を飛んでる2体のドラゴンは大したものであるらしい。イサナは再び諦めた顔で笑っている。
それはそれとして上空からこちらを見下ろす金と銀のコントラストは、あれを彷彿とさせる。味覚が戻った今だからかもしれないが無暗に食欲を刺激してやまない。
盛大に腹が鳴る。
「シンタ兄さん、もしかして味覚が戻ってますか?」
腹の音を聞いて察したのか、妹が訪ねてきたので首肯する。
味覚の確認のために霊薬の甘みを舐めただけなので、腹の虫が散々飢えさせた味覚を満足させるものを求めてやまない。
こんなにも穏やかな心で空腹を意識したのは初めてだ。ただ暴れまわるだけだった自分の中の餓鬼が、強烈でいながらも理性的に空腹を訴える。
「じゃあ、お願いしますね。メニューはお任せします」
「任された」
多少なら距離があってもどうにかなるが、あそこまで離れていると右手の魔法陣も届かないだろう。そうなると向こうが下りてくるかこっちから近づくしかないが。
ドラゴンを見上げながら思案していると妹がイサナに声をかけた。
「イサナさん、魔法が使えるんですよね。シンタ兄さんをドラゴンのところまで飛ばせませんか」
「え、ちょ。何の話をしてるんですか!?」
イサナが放心状態から戻って慌てて食いかかってきた。何の話も何も、ドラゴンに食いかかる話だ。
「そんなことしたらシンタさんが死んじゃいますよ!」
「できるんですね、お願いします」
「嫌です! 私だけ死ぬのもシンタさんだけ死なすのもダメです!」
「ではご一緒に、どうぞ」
「どうぞって。シンタさんの妹さんは変ですよ!?」
妹が腰に手を当てて「失礼な」と怒っているポーズをとる。ポーズだけでそんなに怒っていないようだ。
「イサナさん、あれも嫌これもダメじゃあ何もできないでしょう。このままだと全滅必至ですよ。
シンタ兄さんは"蒼い大魚"に喧嘩売ってまでイサナさんを取り戻そうとしたんです。もっと信じてもいいじゃないですか」
「だって、ゴールドドラゴンですよ……? ミズキさんは、何でそんなにシンタさんを信じてるんですか」
「当然です、私の兄ですから」
妹の信頼が重い。
少し間うつむいて考えていたイサナだったが、キッと顔をあげて「わかりました」と言った。
「私も一緒に飛びます。シンタさん、絶対に離れないでくださいね」
「当たり前だ。絶対に離さない」
イサナが顔を赤くして、妹に「そういうのは後にしてください」とボディブローを一発貰った。治療魔法が同時に発動したのか胃腸の調子が良くなった気がして余計に腹が減る。
「風の魔法で一気に飛びます。飛行ではなくて跳躍ですから、飛びあがって落ちるだけです。注意してください」
「分かった」
サヴァから杖を借りた杖を持つイサナの空いている右手を握ってドラゴンを見上げる。見れば見るほど食欲が刺激される姿だ。また腹が鳴った。
少しして足元につむじ風が渦巻いた。ふわっと足元が浮いたかと思うと、一気に上空に向かって身体が飛びあがった。あっという間にドラゴンが目の前に迫る。
イサナが左手を強く握ってくるのを握り返した。
「イサナ、もう一回だ」
俺の言葉に合わせて再び風が渦巻き更に上空へと身体が浮き上がる。2体のドラゴンは翼をはためかせ、一列になって俺たちを追って上ってきた。いいポジションだ。
跳躍の勢いが無くなり、身体が落下し始める。自然落下に任せればちょうど口に入る位置でゴールドドラゴンが巨大な口を開いて待ち構え、俺たちを飲み込もうとする。違うだろう、お前は食べる側じゃない。
一瞬で右腕に魔法陣が出現する。今度の魔法陣は読める文字、だが大量の材料を必要とするために複雑な模様となって右腕全体を覆う。それを腕にまとったままゴールドドラゴンの口の中に飛びこんだ。
「カァレェエエエエエエエ!!!!」
ゴールドドラゴンの口中で魔法陣が広がり周囲が光に包まれる。ゴールドドラゴンの肉壁が消失し眼下の光景が見える。
そのまま頭を突き抜けて真下にいるシルバードラゴンに対峙した。ゴールドドラゴンを突き破って落下してきた俺たちに驚いたのか、その身を硬直させた。
「ラァアアア!! ィィイイイイス!!」
好機を逃すはずもなく、勢いそのままに右腕に魔法陣をまとってシルバードラゴンの身体の真ん中を貫いた。
落下しながらドラゴンを見上げれば、2体のドラゴン共に光に包まれて消えようとしていた。
「ギャォオオオオオオオ」
ゴールドドラゴンが怪獣映画で聞いたような咆哮を上げて大きく身体をのけ反らせると、口元に赤く輝く光球が生じた。頭に風穴を開けたのに元気な奴だ。
シルバードラゴンも同時に口元に白く輝く光球を発生させていた。どちらも俺たちを狙っているのは間違いない。最期のせめてもの抵抗だろうか。
「ブレスが来ます!」
轟と効果音の付きそうな音を立てて2つの光球が飛んでくるが、こんなものは腹の足しにならない。右手を握りしめて大きく2度振るう。
「福神漬け! らっきょう!」
飛んでくる光球に向かって、右腕を振るった勢いのまま魔法陣が打ち出される。魔法陣と光球が接触すると音も無く光球が消失し、後に残った白と赤い色の2つのビンが落下する。らっきょうと福神漬けに違いない。
ドラゴンは最期の抵抗も空しく光に包まれて、それぞれ巨大な鍋へと姿を変えた。即ち、カレーとライスだ。
「イサナ、俺のことはどうでもいい。あの鍋を絶対に海に落とさないでくれ。絶対にだ」
「わ、わかりました」
杖を振って風を操作したのか、2つの鍋はゆっくりと上下の位置を保ったまま降下していく。合わせて俺たちの身体も同じ速度で落下している。
俺たちの落下位置にくるようにサヴァが船を操作して待っていてくれた。トン、と音を立てて甲板に立つ。
それから程なく落ちてきた2つの鍋を、落とさないように大事に回収した。らっきょうと福神漬けは既に妹たちによって拾われていた。
さあ、カレーだ。




