30.ファンタスティックユー
船は全速力で"蒼い大魚"に突っ込む。果たして気づいていないのか気付いて無視しているのか小さな山ほどもある巨体は海にどっしりと浮いたまま動かない。どちらでも構わない、そのまま殴りつけてイサナを召喚するまでだ。
気合十分にぐいぐいと進む船が大魚に手の届く距離まで来たところで急に減速した。
「サヴァさん、私は全速前進と言いましたけど?」
船の先頭に立っていた妹が振り返りながらサヴァに強めの言葉をぶつけると、妙な震え方をしながら「うひ、違うんです」と気持ち悪い返答をした。真面目な青年だと思っていたのに、ここ数時間の変化ぶりは自分の記憶を疑いたくなる。
「何が違うっていうんですか、あなたが"蒼い大魚"で間違いないと言ったんでしょう」
「間違いはないんですけど、何というか……」
言葉を濁しながら速度を落とした船でゆっくりと"蒼い大魚"に近づいていく。巨大な身体は相変わらず動く気配がない。
「身体の色がもっと鮮やかに”蒼い”はずなのに妙に黒いというか、こんなに海上に姿を現すはずがないというか」
ぶつぶつと呟きながら船を動かして身体に沿うように移動していく。大きい黒い塊にしか見えなかったが、曲がるところで尻尾を確認できた。やはり見た目はクジラに似ているようだ。
尻尾の旋回して身体の反対側に回り込むと、その瞬間に息を飲む音が聞こえた。
海面が赤く染まっている。その色の元は"蒼い大魚"の身体だ。腹を向けて海に浮いているのだろうが、その真ん中をえぐるように肉が無くなっている。
ぽっかりというには大きすぎる穴からは、今も大量の血液が流れ続けていた。
「魔獣にも血が流れてるんですね」
ぽつりと妹が率直な感想を述べる。今、言うべきところはそこではないが言葉が出ない。
「そ、それよりも、ど、どうしましょう。夢で見た通りになっちゃいましたよ!?」
サヴァが慌てて"蒼い大魚"の身体をぐるりと回るように船を動かす。他に目立った傷はなく、腹の穴が死因と思って間違いないようだ。
学校の校舎ほどもある身体に直径3m以上はありそうな傷がつけられている。港でイーズィさんと待っているデロリアンが全速力で突っ込んでもこれだけの傷は付けられないだろう。
「死んでいるのは仕方ないとして、これをやった何かが近くにいるんでしょうね」
冷めた目で"蒼い大魚"を見ながら妹が呟く。確かに、自然現象でこんな風になることはないだろうから、もっと危険な何かがいることは間違いないだろう。
「い、いますぐ戻りましょう! 港の人たちに知らせないと!」
「放っておきなさい」
祭司の見習いとして街の港へ知らせに行こうとするサヴァだったが、妹は冷たくそれを止めた。
今、また急いで知らせに行っても変わらず誰も信じようとはしないだろう。それを証明する手段がないのだから。
逡巡したサヴァだったが「わかりました」と頷いて船をゆっくりと動かし続ける。
「今さきほど死んだばかりのようですし、召喚が出来るか試してみてください。
瀕死か仮死状態とかでまだ生きてるかもしれませんし」
以前にイサナから魔獣は魔力の塊だと聞いたことがある。迷宮内で魔獣を倒すと魔力に分解されて云々という話だった気がする。今、この巨大な魔獣は分解されずに身体が残っているという事は完全に死んではいないということなのかもしれない。
わずかでも生きているのであれば召喚に使える可能性はある。ダメでもともと、やってみる価値はある。
「危険な何かが近くにいるはずですから、手早くお願いしますね」
相変わらず無茶を言ってくれる。人間を召喚するなんて初めてなのに、それを急いでやれなんて言うのは無謀に近い。
「何言ってるんですか、私を呼んだのはシンタ兄さんでしょう?」
「は?」
何を言っているんだ、この妹は。
「シンタ兄さんの危機に、ちょうど良く私が異世界転移するなんて偶然があるわけないじゃないですか。
オークキングに襲われてきっと死ぬかもしれないという強い思いが、元の世界にいる可愛い妹を強い思い描いたんでしょう」
「ええ、気持ちはわかりますとも」と得意げに語る妹だが、確かあのときは「強い武器」が欲しいと思っていたはずだ。その結果、妹が召喚されたとすれば……まぁ、分からないでもない。
どうやら俺は人間を召喚した経験が既にあったらしい。それも異世界からの時間を超えた召喚だ。それを考えれば同じ世界の間で時間だけを超えるのなんて難しくはないだろう。無いはずだ。
拳を握りしめてイサナのことを考える。思い出す。
この世界に落とされて初めて出会った少女。妹と同い年なのに身長も胸も足りてないちんちくりん。料理はあまりしない。食べ方が少し変。乗り物酔いが酷い。すぐに怒って叩いてくる。王都の学士。
どういうわけか俺の顔を見るだけで考えてることを読み取る。ブラウンの髪の毛を三つ編みにしている。目がくりくりしている。眉毛は少し太い。民族衣装のワンピースみたいな服を良く着てる。
色んな魔法が使える。体力は無い。誰にでも敬語で話す。甘いものを食べに行く約束をしている。多分だけど、俺のことが好き。そして、俺を守るために、恐ろしい化け物に立ち向かって、石にされた。
そう言えば、その前にも一回イサナに助けられてたな。俺が食欲に負けて暴走して迷宮の魔獣部屋に突っ込んで倒れた時に助けて貰っていた。あんなか弱い女の子に助けられてばかりだな。
思い出してみると殆どイサナのことを何も知らないんだと分かる。ほんの数週間いただけで何を知れるのかと思うが、まだもっと知りたい。イサナと一緒にいたい。
食欲に似た何かが胸のあたりから抜け出て右腕へと伝わる。
クラーケンの時のように手首に光の輪が広がる。
今度は読める文字で書かれていないが、イカリングとは比べ物にならない量の文字が記述されて、それが今も広がり続けている。
魔法陣が広がり切るのを待ちながらイサナに強い思いを馳せていると足元が揺れた。俺の魔法陣の影響かと思ったが、そうではない。
船の上に影が差している。上空から風が送られてくる。その影響で波が立ち、船が大きく揺れている。
「ご、ご、ご」
見上げれば、金色の生き物が宙に浮いていた。"蒼い大魚"には及ばないが巨大な身体を持つ、ファンタジーでおなじみの生き物。
サヴァも知っていたのか宙に浮くそれを凝視して固まっている。口をパクパクと動かして「ごごごご」と言い続けている。
「ゴールドドラゴン……」
確かに金色のドラゴン、見たままの名前だ。
「あれが、"蒼い大魚"を殺した犯人ですかね」
妹が上空を睨みつけると同時にゴールドドラゴンが身体を急降下させてきた。慌ててしがみつくと同時に船が大きく揺れる。大きく波が立ちすぎて船から放り出されそうになるのを堪えて何が起きたのかを確認すると、"蒼い大魚"から船から離れた場所に移動していた。恐らく、上空からの衝撃で吹っ飛んだのだろう。遠目にも分かる程に身体の穴が一つ増えていた。ファンタジー世界では体重差はあまり関係ないらしい。
俺たちが見つけた時には既に腹に穴が開いていたのを考えると、こうやって上空から"蒼い大魚"の身体をえぐり取って殺したので間違いないようだ。まだ息があるとみてとどめを刺しに来たのだろう。
「これ以上やられると本当に死ぬかもしれませんよ!」
「わかってる!」
ゴールドドラゴンは上空へと飛びあがりホバリングしている。俺たちの船のことは気にしていないのか攻撃してくる様子はないが、全く気にされていなくても攻撃の影響で船がふっとばされるかもしれない。
急いで船を"蒼い大魚"に近づけようとするが波が高くうねって思うように勧めない。そうこうしているうちにゴールドドラゴンは再び急降下してきた。
今度は俺たちの船の正面から、鷹が獲物を獲るときのような爪を突き立てる格好で落ちてくる。
巨大な脚を"蒼い大魚"の身体に叩きつけて、海上に浮かんだ"蒼い大魚"の身体を蹴り飛ばした。その身体が、水きりのように一瞬宙に浮く。その進路は、俺たちの船だ。
「わぁぁぁああああああああああああああ!!!!!!」
サヴァが絶叫する。
「やるなら今だっ!」
妹が敬語でない言葉で叫ぶ。
凄まじい勢いで迫りくる黒い巨体に向かって、召喚対象の名前を呼びながら拳を振りぬいた。
「イサナッ!」
右腕全体を覆うほどに複雑に広がっていた魔法陣が射出されるように、拳の先から抜けて眼前へと飛び出す。
光の輪は"蒼い大魚"に触れた瞬間にその身体を覆い尽くした。巨大な身体が一瞬で魔法陣で覆い尽される。
ゴールドドラゴンに蹴飛ばされ、宙を飛んだままの身体が一気に収縮していく。見上げるほどもあった山が瞬きする間もなく人間サイズに凝縮された。
光に包まれた人間サイズの物体は、当初の軌道のまま船に向かって飛んできた。
「シンタ兄さん、受け止めてください!」
言われるまでも無く飛んでくる方向へ駆けだして腕を伸ばした。届かないなんてことはない。絶対に受け止める。根拠はないが、その自信がある。
身体の真正面から飛んできた光の塊を受け止めた。勢いが殺しきれずに一緒に体が吹っ飛ばされて船から落ちかけたが、後ろに回り込んだサヴァが身体を支えてくれたおかげで落ちずに済んだ。
「サヴァさん、よくやりましたね。褒めてあげます」
「あ、ありがとうございますぅ」
いつの間にか靴を脱いだのか、妹が素足でサヴァの顔を踏みつけながら労っている。もう何も言うまい。
そんなことよりも、俺の腕の中にある温かい、懐かしい存在の方が大事だ。
「イサナ……」
「え、あれ? シンタさん? 何で?」
いつも結んでいる髪を解いて普段見ないかわいらしい服を着た、あの日石像として見たままのイサナが、大きめの目をぱちくりとさせて、少しだけ呼吸を荒くして、生きて、目の前にいる。
「良かった……」
「な、何ですか!? 一体何がどうなって、あの金髪の女の子と化け物は!?」
イサナは混乱しているようだが、無理もない。今の発言からしてアイツと対面した直後のイサナを呼び出すことが出来たようだ。ギリギリのところだった。
説明は追々すればいいだろう、今はさっさと港に帰ろう。目的は達した。
「シンタ兄さん!」
「ああ、わかってる。さっさと帰ろう」
今は興味ないようだが、上空にいるゴールドドラゴンが船に目を付けて襲いかかってくるかもしれないのに長居する理由などない。
「違います、足が!」
妹の叫びにイサナの足を見ると、サンダルを履いたつま先が変色していた。見たことのある色だ、石化の毒にやられたときの変色。宿で見た石になったイサナと同じ色だ。
「早く、回復を!」
サヴァと妹に回復魔法の指示をするが回復魔法では石化は治らない。モカさんが言っていた、石化は傷ではなくて毒だから解毒薬でないと治らない、と。
「あはははは」
焦る俺をしり目に、急にイサナが笑い出した。
「何だかわからないですけど最期にシンタさんに会えてよかったです。私のこと食べてもいいですよって言いたいけど、石になっちゃったら食べられないですね」
そんなふざけたことを言うイサナの顔は全てを諦めたように笑っていた。こんなのはイサナの笑顔じゃない。頼むから、そんな顔をしないでくれ。
「こうなったら、イサナさんの足を切り落として、代わりに魔法で私の足をくっつけます!」
「いいんです。足だけじゃなくて背中とか、もう石になっちゃってますから」
あくまでイサナは穏やかに「大丈夫です。ありがとうございます」と言う。何も大丈夫じゃないのに。
息が荒いのは、突然投げ出されたのだけが原因ではなく、石化で呼吸もままならないのが理由のようだ。何てことだ。呼ぶ瞬間が、遅すぎた。
アイツに石化される直前を狙って読んだつもりだったのに、召喚されたのは石化をかけられた直後だ。いくらも時間の余裕はない。
コカトリスにやられて俺が石化した時には、セリアさんのエルフの秘薬を付けて貰った。今はそんなものは無い。
何か代わりになるものは無いのか。何でもいい、元の世界の物でも良い。俺が口にしたことさえあれば召喚して呼び出すことが出来るはずだ。何かないのか、石化を直すことが出来るものは。思い出せ、石化を直すには何が必要だ。モカさんが何か無いか言ってなかったか、俺が石化された時だ。イサナに何か無いか聞いて、それに「使ってしまって無い」と答えていたはずだ。何だ、思い出せ。何を使ったんだ。
そう、さっきも思い出していただろう。俺は、それを口にしたことがある。
「う、うわあああああああ!」
「上から何か落ちてきます!」
見上げると、上空のゴールドラゴンから何かが落ちてくるところだった。この船に目を付けたのか、獲物だった"蒼い大魚"を横から奪った敵だと気付いたのか。落ちてくるのは肉片に見える。恐らくは爪でえぐり取った"蒼い大魚"の一部だろう。一部とはいえ、こんな船に直撃すればただでは済まない。最低でも大破する。
だが、そんなことはどうでもいい。このタイミングで、"蒼い大魚"の一部があることが重要だ。拳を握りしめて記憶を探る。その時は気絶していたが、一度口にしたなら覚えているはずだ。温かい水、やわらかく甘い水。
落下する肉片に向かって、天に向けて拳を突き上げる。
「霊薬!!!!!」
少しなら離れていても魔法は発動すようだが、ギリギリ手の届く距離でその名前を呼ぶ。魔獣部屋で倒れた俺を助けるために、イサナが使ってくれた高価で貴重な薬の名を。




