29.シーデビル
船の移動は思いのほか快適だった。魔法の力で制御してるのか波に大きく揺れることも無く海上を進む。
少し時間があったのでサヴァに気になったことを聞いてみた。魔獣は迷宮を出て港まで来ていたが、そういう話は今まで聞いたことがなかったからだ。
「水辺の魔獣だけはそういうことがあるんですよ。魔力が海水に溶け込んでいるので、潮の流れ次第で活動領域を広げるんです」
今回に限らずたまたま魔獣が港に現れることはあったらしい。普段であれば冒険者ギルドに依頼したり小さいものなら漁師たちが退治したりしていたそうだが、今回のサメは特別大きいサイズだったので騒ぎになったとのことだった。
「そういえば、あの魔獣を消していましたけど、どうやったんですか? 魔法だとは思うんですけど、魔封具も無いようですし」
説明に困って口ごもっていると、妹が肩に手を置いて視線を合わせてきた。自分に任せろと言うことだろう。
「シンタ兄さんは、召喚魔法使いです」
「またまた御冗談を」
話の枕だと思ったのかサヴァが軽く受け流した。前にモカさんが召喚魔法はおとぎ話にしか存在しないと言っていたのを思い出す。急に召喚と言われても冗談だと思うのは当然だった。
しかし、妹はそんなことを知らないので不機嫌そうにサヴァを睨みつける。条件反射でビクッと身を固くするサヴァだったが、何故か顔はほんのりと赤く染まっていた。
少し目を離していた間に二人に何があったのか全くもって謎だが、不思議と知りたいとは思わない。
結局、面倒くさくなったのか「四の五の言わずに受け入れなさい」という妹の言葉にサヴァは首を縦に振るのだった。
「ところでまだ着かないんですか?」
港を出てから既に半日は経過していると思う。船が小さいのを考えてもそれなりの距離を進んでいるはずだ。
サヴァがコンパスを大きくしたような機材と地図のような紙を見比べながら「そろそろだと思います」と告げる。
南海の迷宮と呼ばれる海域は、たまに冒険者がくる程度で漁師たちは普段は全く近寄らない。魔力の発生源が近いので魔獣が出る可能性が高いからだ。
魔獣は魔力を栄養補給限としているそうだが、ナワバリに入ってきたら魚でも襲う。漁師からすれば魚は少ないし危険だしで全くいいことがない。
もう近いということは、魔獣が出てきてもおかしくないということだろう。
港でサメを眺めていたこを考えればサヴァも攻撃手段をもっていないだろうし、何かあったら俺が殴りつけて食べ物に変える必要がある。
近づくものがあれば見逃さないように周囲に気を払うが、波は穏やかで船は大して傾きもしない。
「もう、迷宮内のはずです」
サヴァが不安げに周囲を見渡しながら言うが何も起こらない。
洞窟や森の中の迷宮と同じように、そもそも魔力の濃い海中こそが迷宮であるという位置づけなので海上はどちらかというと迷宮外だ。
「血とかバラまけばやってきますかね?」
妹が俺とサヴァを見比べながら物騒なことを言う。
冗談じゃなくやりかねないのが恐ろしいところだが、サヴァもそれを分かっているのか身を震わせている。なぜか頬は紅色だったが。
恐怖と歓喜に染まる複雑な色をしていたサヴァの眼が見開かれ、驚愕一色に染まった。
「あ! ああ、いあああ!」
「ニンジャでもいたんですか?」
突如、何かを叫ぶサヴァに妹が振り返りながら意味のわからないことを言う。
魔獣が出たのかと思い一緒に振り返るが何もいなかった。
「何もいないじゃないですか?」
人騒がせな奴だと言わんばかりに呆れながら妹はサヴァに向き直るが、サヴァは大きく口を開いて明らかに”何か”に気づいている様子だ。
「います! 下に!」
下と言われて船の床板を見るが違いは分からない。しかし、次の瞬間に違和感を気付いた。船の床と海面の高さが同じだ。本来なら、船の底は海中に沈んでいなければならないのに。
「持ち上げられています!」
叫ぶ声を合図に船の縁から頭を出すと、巨大な触手が船体に絡みついているのが見えた。
船のB級映画でおなじみのシーンだ。まさか実体験するとは思わなかった。
「シンタ兄さん! クラーケンですよ!」
「ああ!」
ジュルジュルと船体をつかむ足が増えてきて、最後ににゅうっと巨大な頭が現れた。なんとなく海坊主と呼びたくなる登場シーンだった。
元の世界のダイオウイカだったら船ごと深海に引きずり込まれていたのだろうが、こっちの世界では行動パターンが違うようだ。
姿が見えて手が届くならどうとでもなる。船の縁を蹴りつけて、クラーケン目がけて大きく跳んだ。
「あ、ちょっと!?」
「イカリングでお願いします!」
妹のリクエストに応えるべく、落下地点にある巨大な以下の頭を目がけて拳を振りぬく。
「イカリング!」
パァッと光が広がり、確かな手ごたえを感じる。でも魚肉ソーセージと違うからイカリングが海に落ちるかもしれないな、と思ったところで光が消えた。
そこにあるのはイカリング……ではなく、そのままの姿で存在するクラーケンだった。失敗したのか……光ったし手ごたえは確かにあったのに。
「ああ、もう! 何遊んでるんですか!」
遊んでいるように見えるなら是非変わって欲しい。クラーケンの頭を殴っただけの体は触手に捕まり、海上に吊るしあげられた。
「そういうのは女子の役目でしょう! 何で私を差し置いて触手に捕まってるんですか!? 誰得なんですか!?」
妹が何に対して怒っているのか分からないが船の縁をバンバン叩いて何事かを訴えているが大した内容じゃないのは分かる。余裕があるなら助けて欲しい。
「銛しか無いですけど、これで何とか……!」
サヴァが船の中から魚を突く銛を持ってきた。それで突いて怯んだ隙に逃げ出げだせということだろう。銛を受け取った妹は、当然のようにそれを船から捨てた。
「な、何してるんですか!?」
「こんなものに頼るから弱くなるんです」
鬼がいた。
船からの助けが期待できない以上、自力で何とかするしかない。素手で何度か身体をつかんでいる触手を殴ってみるが人間の力で殴っても何のダメージも与えていないようだ。
「何してるんですか、イカリングです!」
「イカリング!」
船上からの妹の声に従ってイカリングと叫びながら殴りつけてみても先ほどと同じように光っておしまいだった。手ごたえもあったのに足の一本も減っていない。
「早すぎるんですよ! 溜めてから使うんです!」
妹が何を言っているのか分からない、溜めるって何をだ。
クラーケンの方は俺が暴れたのがお気に召さなかったのか締め付ける力を強くしてきた。腕は自由だが代わりに肋骨と内臓がかなりまずい。
「出てるでしょう、魔法陣が!」
妹にもやばいのが伝わったのか、必死になって何かを伝えようとしてくる。出てる魔法陣って何だ。今までそんなの見たことがない。
だが、妹が言うことは大体間違いがないはずだ。溜めろというなら溜めてからやってやる。
拳を改めて握り締める。思い浮かべるのはイカリング。輪切りになったイカをからりとあげたフライだ。
サクっと歯ごたえの軽い衣の中にコリコリのイカの身が隠れている。これにレモンを絞ってもいい。
揚げたてのフライから滴る油とイカの組み合わせがたまらない。
食欲が胃の中を渦巻いているのを感じる。イカフライが食べたい。今までならこの食欲をぶつけていたが、まだ殴らない。
滾る食欲を更に溜めこむ。
ぐるぐると行き場のない食欲が臓腑を駆け巡る。
そして、体内に留まらない飢餓感がスパンと勢いそのままに右腕へと抜けた。
「な……?」
光の輪が手首を中心に周る。
光の輪はゲームや漫画で見るような魔法陣に酷似しているが、中身は図形や異国の文字ではない。
30cm程度の大きさに書かれた内容を俺は読むことが出来る。
「用意するものはイカに小麦粉に塩と胡椒と油……」
イカリングのレシピだ。材料、作り方、ワンポイントアドバイスまで項目別に3重の輪となってイカリングの作り方を示している。
この内容は、”魔術書”を使った時と同じ内容だろう。それが視覚化された光になって手首へと展開されている。
「何ぼさっとしてるんですか、出来たならさっさと殴りなさい!」
「イカリング!」
こうなることを知っていたかのように催促する妹の声に従って、魔法陣の展開する拳を俺の体を拘束するクラーケンの足へと叩きつけた。
手首を中心に周っていた光の輪は、腕の振りに合わせるようにクラーケンへと発射される。
足へと到達した魔法陣は大きさを変え、その体表をなぞるように広がって光を一段と強くして輝く。
その光がクラーケンの全身を覆い尽くし、見えなくなったかと思ったところで光は収縮した。
光は次第に小さくなり海の中の体から光の粒子となって消えていく、空中に吊るされていた俺の体は海へと投げ出される。
俺の体を締め付けていた触手が最後に残り、一皿のイカリングとなって海上に浮かんだ。どういう材質の皿なんだろう。
「シンタ兄さん、絶対に濡らさないで下さいよ!」
そんなことをするはずがないだろう。もったいない。
服を着たまま海で泳ぐのは大変困難であることを実感しながらも、何とか船から降ろされた梯子へとたどり着いた。もちろんイカリングは無傷だ。
片手で梯子を上がり皿を妹に渡すと、以前と同じように「ご苦労様でした」とそれを受け取った。
船みたいな所で油ものを食べると酔いそうなものだが、そんなことは気にせずに妹はイカリングを食べ始めた。
美味そうに頬張る姿見ながら、何故魔法陣のことを知っているのか聞いてみる。
何度か見た程度の魔法なのに俺よりも詳しいのは何か理由があるのではないか。
「今まで知らなかったシンタ兄さんの方が不思議ですよ。本当に今まで気づいてなかったんですか?」
妹が言うには、前から一瞬光ったときに拳のところに魔法陣が浮かんでいるのが見えていたらしい。
今までの魔獣が雑魚だったから、溜めずに直接ぶつけているのだと思っていたそうだ。その溜めて当然という発想はどこからきたのだろうか。
「漫画で読みました。ほら、手から丸い球を出して同じ体積を異世界に送る能力の。シンタ兄さんも読んだことあるでしょう」
能力を使いすぎると異世界人みたいな姿に変わる漫画だ。確かに読んだことはあったが、そんな程度の確信で銛を海に捨てていたのかと今になって身震いしてくる。
会話の内容が分からないサヴァがそれを見て怪我が痛むのかと思ったのか、治療魔法をかけてくれた。
「一応、祭司も神に仕えるものですから、骨折くらいまでなら治せます」
骨は折れていないと思うが、念のために腹周りに魔法をかけて貰う。妹に頼むと拳骨がもれなくセットになるので非常にありがたい。
「二人とも、男同士でイチャイチャするのはそこまでにしてください」
そういう言い方は止めて欲しい。その台詞が妹の冗談であれば抗議の一つも口にしたかったが、その口調はいつになく真剣なもので視線は船外へと向けられていた。
「正直、予想外の大きさですよ。これは」
それでもイカフライの皿を抱えているあたり、まだ余裕があると信じたい。自分以外の誰かに余裕があると思っていないと挫けそうだ。
妹の視線の先にあるものはそれだけ常軌を逸していた。最初は黒い山に見えたがすぐに違うと分かった。その山頂から水を噴出していたからだ。
「”蒼い大魚”だ……」
もしかしたら違うかもという淡い期待を砕いてサヴァが呟いた。
俺の知っているクジラは、せいぜい博物館で見た骨格標本程度の大きさだ。もっと大きいものでも20m程度と聞いたことがある。電車1両分の大きさだ。
それが遠目に見える黒くて巨大な壁は、学校の校舎かと思うほどの高さと横幅を持っていた。そう言えば商船を飲み込んだとかいう話を聞いた気がする。この大きさなら納得だ。
「サヴァさん。全速前進です」
「本気です……よね」
我が妹の辞書に退却の文字はない。
「シンタ兄さん、出来るだけ魔法陣を溜めておいてください」
向こうが少しでも動いたら、その余波だけで船が沈みそうだ。
「奇襲の一撃に賭けます。死んでなければ何とかしますから、頑張ってきてください」
ああ頑張るよ。ここで頑張らないと一生頑張る機会はなさそうだ。
「あの……蒼い大魚の確認だけじゃあ……?」
サヴァには何の説明もしていないことを忘れていた。
「サヴァさん、ごめんなさい。黙ってましたけど、蒼い大魚は私たちが消滅させます」
「ええええええええ!?」
「無事に帰れたら素足で踏んであげますから許してください」
何を言っているのかと思ったが、サヴァが「絶対ですよ!?」と言いながら船を更に加速させる。そんなやり取りは聞こえないふりをして魔法に集中することにした。
出来るかどうかわからない時間を超えての人間の召喚、その上相手は山ほどもある巨大なクジラ。勝ち目とかそれ以前の問題だ。
だが、相手こそ違えど、そんなことを考えずにイサナは俺を守ってくれた。だから、俺も少しはイサナに近づけるように、そんな細かいことは考えずにやってやる。
大丈夫、何とかなる。イサナのことだけを考える。俺の中でグルグルと渦巻く思いが加速していく。出会ってからの全てに想いを馳せる。
全く悪役の台詞だが、今ここで言っておこう。”蒼い大魚”、恨みはないが消えてくれ。




