25.ピス・リーキー
「まずは何よりも、包丁無しで呼び出せるかどうかです」
という妹の言葉に従い、翌日に迷宮へ行くことを決めた。
暫くしてモカさんが人を連れて戻ってきたが、連れてきた相手は医者ではなく良く見知った相手だった。
さっきまで風呂掃除をしていたであろう銀髪の美少女、液体的にちょろい人、ギルド”白い一角獣”のマスター、シータだ。
「うわっ、何したらこんなに怪我するの」
妹の手を見て驚きながらもそっと怪我した所を両手で挟む。祈りをささげるように目を閉じると、その手がぼぅっと白く光り出した。純白の光が二人の手を包み込むのをじっと眺めていると、モカさんが横に立って説明をしてくれる。
「”白い一角獣”のメンバーは、全員が治療魔法を使えるんだ。特にギルドマスターのシータは実力もトップクラスという話だったから、急いで来て貰った」
次第に光が収まりシータが手を離すと、妹の手は綺麗に治っていた。正直、お飾りでギルドマスターになっているだけだと思っていたので、その実力に目を見張る。
「何だか暖かくてくすぐったい感じですね、これが魔法ですか」
「治療魔法だよ。肉体にとっての異常を排除して正常な状態に戻すの。反対側の手も治すね」
こうして見ていると、外見も相まって奇跡をもたらす聖女のように見えるから不思議だ。さっきまで啜り泣きながら風呂場掃除してたと言っても誰も信じないだろう。
「シータさんて仰るんですね」
「うん、”白い一角獣”のマスターなの」
「シンタ兄さんと名前が似てますね」
反対側の手も治して貰いながらどうでもいいことを気にしていた。妹が自己紹介をしていると程なく治療が終わり、俺を殴る前の傷一つ無い手に戻った。どういう理由か、手に付着した血液までなくなっている。
「ありがとうございました。ちょっと手を握ってもいいですか」
「どうぞ?」
シータの手をとり、重ね合わせるようにして体の前へ突き出して呪文を唱える。
「バルス……!」
しばらく沈黙が流れるが何も起こらない。多分、名前を聞いて言ってみたくなっただけだろう。何をしたのか理解できなかったろうが、何かが不発に終わった空気を読み取ってシータが話を逸らした。
「随分と酷い怪我だったけど、ミズキさんは何をしたの?」
「たいしたことは無いですよ。ちょっとシンタ兄さんを殴っただけです」
誰が見たってちょっとではない殴られ方をしていたと思うが、シータは俺を見て首をかしげ妹に向き直る。
「シンタさんは、鎧でも着てたの? どこにも怪我が無いように見えるけど」
妹は、いま気づいたように俺を見てしれっと言う。
「面の皮が厚いとは思ってましたけど、とんだ鉄面皮ですね」
どっちか鉄面皮か分かったものではない。しかし、二人の目から見ても俺に怪我は無いらしい。ボコボコに殴られた割には普通に喋れるし、おかしいとは思っていた。
「うん、確かに返り血が付いてはいるが、どこからも出血はしていないな」
モカさんがハンカチで顔を拭いてくれる。やはり傷はどこにも無いらしい。確かに殴られている間は、確かに皮が破れたり骨の折れたりする感触があったのに。
「シンタ兄さん、超回復能力があるんじゃないですか」
目を輝かせて妹が聞いてくる。包丁を使いすぎて倒れたことがあるし、石になりかけたこともあるので、そんな能力は無いと伝えると、目の輝きが急速に曇った。
「そろそろチート能力に覚醒するのが異世界人としての礼儀でしょうに」
そんなマナーは知らない。
「確かに骨の折れた感触はしましたけどね」
何が怖いと言って、自分の拳が傷つき俺の顔の骨が折れたとわかった上でそれでも更に殴り続ける妹が何より怖い。当の妹は治して貰った自分の手を見つめて、何やら考え込んでいるように見える。
「まだ、どこか痛むの?」
シータが妹に声をかけると、「いいえ」と首を振った。
「もしかすると、私が無意識のうちに魔法を使っていた可能性があるのかもしれないと思いまして」
どういう理屈でその答えに至ったのか是非とも聞いてみたい。
「私の溢れ出る慈愛が、痛めつけた上で怪我をさせないという奇跡を起こしたんじゃないかと」
どの口が言うのか。と思ったが凶悪な慈愛が牙を剥く可能性があるので黙っている。
妹の言う通りだとすると、その能力はかなり性質が悪い。つまり自分の拳が怪我をしなければ、無限に相手を殴り続けられるということだ。決してやりすぎることなく痛みだけを何時までも与え続けることが出来る能力。そう考えると非常に妹らしい気がしてきた。
「とりあえず、警備が来る前に宿に戻ろうか」
騒いだせいで大分人の目が集まっているようだ。モカさんの言うとおり、早めに退散したほうがいいだろう。イーズィさんはどこかに行ったまま帰ってこなかった。この場にいる全員が同じ宿のようなので、揃って宿まで戻り部屋の中で話し合いを再開する。議題は妹が何か魔法的な力を持っているのか。
「シンタ兄さん、どこかに怪我はありませんか?」
別に怪我はないが、あると言ったら殴る気だろう。例え実際にあったとしても、それを妹に告げる気にはならない。しかし妹の凶暴性を知らないシータは、親切心からか名乗りを上げてしまった。
「私さっき浴場で転んで、お尻を打っちゃったんだけど治せるかな」
シータの言葉を聞いて、それは都合がいいと妹が立ち上がる。がっちりと肩を押さえ込んで、床に座った状態から前傾姿勢を無理やり取らせた。
「え、あの。なんでこんな恰好を?」
まさか叩いて治すと思っていないシータは、四つん這いの格好をさせられて困惑している。
「ちょっと痛いかもしれませんけど、我慢してくださいね」
「もし治らなければ手持ちの薬草を使うから心配しないでくれ」
モカさんも妹の魔法使用疑惑に好奇心を刺激されたのかシータを押さえつける手伝いをしている。この後の惨状が何となく予想できたので、風呂に行くと言って部屋を抜け出した。
宿の温泉は清掃が終わり開放されていた。温泉の湧いている場所を囲むように宿を建てたのか、中庭のようになっている青空天井の風呂場だ。地面から湧き出てた温泉が岩で囲まれた天然の湯船となって湯を湛えている。
体を流してから湯船につかった。かなり熱い湯だが入れないほどではないので、肩まで浸かって星空を見上げる。夜風が気持ち良い。しばらく体を休めていると、どこかで見たような人が入ってきた。ちょっと神経質そうな中世的な顔立ちの優男、"白い一角獣"の裏のマスターのシズキさんだ。
「久しぶりだね。覚えてるかな」
「ええ、お久しぶりです」
以前に"緑の風"の建物の中で少しだけ顔を合わせただけだが、あちらも俺のことを覚えていたようだ。
「シータが君たちの部屋に行っているそうだね、迷惑をかける」
「とんでもないです。妹の怪我を治してもらって助かりました」
「いいや、迷惑をかけるのは、多分これからだよ」
どういうことかと聞こうとしたが、その時風に乗ってシータの悲鳴が聞こえてきた気がした。あぁ、そういうことか。
「……」
「……」
シズキさんにも聞こえたのだろう。沈黙の中、湯が流れる音だけが聞こえる。
「いい湯ですね」
「ああ、全く」
お互い、聞こえなかったということで意見が一致した。
「この間一緒にいた女の子の件は、シータから聞いたよ。お悔やみ申し上げる」
「いえ、そんな」
一度、顔を合わせた程度の関係しかないのに律儀な人だ。年齢は20歳くらいだろうか、兄とそう変わらないように見える。何となく黙ってしまいお互いに沈黙する時間が出来たが、シズキさんがそれを破った。
「シータは、僕の妹なんだ」
衝撃の事実だった。どちらも美形の顔立ちではあるが、あまり似ているようには見えない。
「ははは、あんまり似てないと思っているだろう。シータは妾の子でね、腹違いってやつさ」
そんなことをホイホイと口に出して良いものなんだろうか。こんな初対面に近い人間に。
「公然の秘密って奴だよ、珍しい話ではないしね」
あまりあっぴろげに口外するような話題でもないだろうが、必死に隠すほどの話でもないようだ。
「僕はギルドのマスター補佐なんてのをやってるけど、中身はしがない貴族の三男坊だよ」
前に"緑の風"で会ったときとは、大分印象が違うように感じる。以前は冷徹なキツさが出ているように思ったが、今は優しげなシータの兄という雰囲気しかない。それからシータをマスターに祀り上げた経緯や、冒険者ギルドの派閥争いの話を聞かせて貰った。シズキさんは話も上手くて聞いていて飽きない。特に接点のない人だったが何となく続く会話が嫌でない。シータが胸を張って自慢していたのも分かる。
それから程々に温まって、先に湯を上がった。持参したタオルで体を拭いていて何か物足りない感じがしたが、服を着なおしたところで良く冷えた牛乳が無いのだと気付いた。そんなものは用意されていないだろうし、もしあったとしても味が分からないだろうから水だけ貰ってのどを潤して部屋へ戻る。
部屋に入ると、シータが泣きながら床を掃除していた。温泉が思いの外よかったので、途中で聞こえた悲鳴についてはすっかり忘れていた。状況から察するに、多分また漏らしたんだろう。ここまでくると何かの病気を疑った方がいいのかもしれない。医者を勧めるべきだろうか。
「シンタ兄さん、おかえりなさい。ちょうどいいタイミングですね」
何がどう丁度いいのだろうか。
「ちょっと強く叩きすぎて、アレな感じなってしまったのでフォローしてください」
珍しく妹が困っていた。兄として頼られた以上、何かしてやりたい気持ちはあるが、事情が事情だけに口出しし辛い。何と言うべきか考え込んでしまうが、その間もシータは鼻を啜りながら床を掃除している。
「……床は、もう奇麗になったんじゃないか?」
どうせなら、もう少しマシなことを言えれば良かったんだろうが、他に思いつかなかった。
「ご、ごめんなさい……お姉さんなのに……ごべんなざい」
「いえ、シータさん、もう大丈夫ですから」
「あぁ、大分奇麗になったと思う」
すかさず妹とモカさんがフォローに入る。その後も謝り通すシータを宥め賺して、何とか泣き止むまで持って行った。さっきのことを、言わなきゃいけないだろう。言いづらいがシータのためでもある。
「もしかしたら病気かもしれないから、一回医者に見てもらったらどうだ?」
そういう症状に効く薬の広告を元の世界のドラッグストアで見たことがあるから、そういう病気に罹っているのかもしれない。
「もう見て貰ってて、病気じゃないって言われました。人より緩いだけだって」
何と言うか、申し訳ないという言葉以外が出てこない。
「あの、シータさん。済みませんでした、お尻の傷は治ったみたいですけど、逆に心の傷を増やしてしまったようで」
転んだ時の怪我は治ったらしい。ということは妹は魔法を使うことが出来たということだ。
「叩いたときに妙に甘い声を出すので、力が弱かったのかと思って思い切り叩いたんですが、まさかそんなに痛いとは思わなくて」
人の骨を折る力で叩かれたら、肉の厚い尻だとしても痛いだけでは済まないだろう。妹には自分の腕力を自覚させなければいけない。
「いいえ、いいんです。痛いのは痛かったんですけど……」
「けど?」
シータは何故か敬語になって頬を赤らめていた。白い肌と銀髪にピンク色の肌が映える。この瞬間だけ切り取って写真にでも収めたら何かの賞を貰えるだろう。タイトルが「尻を叩かれた直後」という名前でなければだが。
その乙女らしい表情を見た妹は珍しく、非常に嫌そうな顔をしていた。こういうちょっと変な人は妹が興味を持つ範疇だと思っていたが、後で聞いたら「リアルだと引きます」とのことだった。
モカさんが空気呼んで話題を誘導して、妹の魔法についてシータの見解を聞かせてもらう。
「確かにミズキ様は治療魔法が使えます。ただ、恐らく感情が高ぶったときにだけ使えるのだと思います」
「感情が……高ぶる?」
反応するところはそこでいいんだろうか。妹の名前の後ろに敬称が付いてた気がするが、聞き違えだと思っておいたほうがいいんだろう。
「なるほど、思春期の少女の感情が膨大なエネルギーを持つのはお約束ですよね」
妹は合点するものがあったようだ。多分、アニメの設定か何かだろう。
以前に、魔法は使うのにカロリーを消費するという仮説を立てていたが、別にそれに限らないでも使えるんだろうか。モカさんを見てみると「聞いたことがないな」と首を振っていた。
その後、前に俺を調べたのと同じようにモカさんが両手を持って魔力が通るかを調べると、魔力は一応通るのだが、魔力の通りは余り良くないので普通ならば魔法は使えないだろうということだった。
「さっきの感情が関係あるのかもしれませんね、穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた伝説の戦士みたいな感じで」
前にアニメを見ていないことで発想が貧困だと妹に言われたが、何でもかんでもアニメに結び付けて発想が無駄に柔軟なのもどうかと思う。
「さあ、今度はシンタ兄さんの番ですよ。明日、可変迷宮とやらで召還魔法を見せてください」
自分が魔法を使えると分かって妹は上機嫌だ。俺にも魔法を使うことを期待しているんだろう。だが、そんなに簡単に使えるんだろうか。妹と違って俺は魔力も通らないし、魔法を使うことに関して自信は無い。
「何も勇者になれって言ってるわけじゃないんですよ。私も使えるし、他の人も使える一般的な能力です。
大丈夫ですよ、私と血の繋がった兄なんですから」
そこが一番自信がない。
それに比べれば、まだ魔法はどうにかなる気がしてきた。




