26.グルトニー
翌朝、街の近くにあるという可変迷宮へと向かう準備をする。
俺と妹、モカさんと何故かシータも一緒に行くことになった。イーズィさんはどこかに行ったまま帰ってきていない。
もそもそと朝食のパンとサラダを口に詰め込んで水で流し込む。
味を感じなくなってから食べる量も減ってきていて、最低限の量を摂取していまえば後は食べる気にならなかった。
包丁を持っていたときは、空腹の度合いに比例してスクロールの成功率が上がっていたので、今の状態で成功するか不安ではある。
それでもやってみないことには分からない。妹の言う「イサナを助ける方法」の為には、やれることを何でもやってるつもりだ。
と、意気込んで迷宮へ行ったのは良いのだが、そう簡単には上手く行かなかった。
妹に倣って、拳を握りこみ「スクロール」と叫びながら殴りかかってみたが、スライムのぼよんとした身体にはじき返されて無様に尻餅をついてしまう。
俺を雑魚とみたのかスライムが襲い掛かってくるが、危なげなくモカさんが魔法で退治してくれた。
その後めげずに何度か繰り返してみたが、包丁を持っていたときの眩いばかりの閃光はおろか豆電球ほどにも光らずに、ぼよんとスライムをマッサージするだけに終わって何の成果も得ることが出来なかった。
転んでぶつけたところをシータに魔法で治療してもらっていると、妹が蔑んだ目で見下しながら罵倒してきた。
「無能ですね。本当に私の兄ですか」
昨日も言ったが、そこだけは自信が無い。
「何か……理由というか、上手くいかない原因に思い当たる所は無いんですか」
包丁が無くても魔法が使えるという前提で考えると足りないのは空腹感だろう。包丁があった頃は、空腹になるほど"魔術書"の成功率が上がっていたから、今の何を食べても味を感じない状態ではその成功率はほぼ0%となっていてもおかしくは無い。
「精神的なものですからね。シータさんに治して貰えるわけではないですが……」
妹はチラリとシータを見て何かを考え込んでいる。イサナを助けることが出来るかもしれないと言っていたが、その為に召喚魔法が必要だという。
まさかイサナを召喚するわけでないだろうが、兄程ではないにせよ妹の言うことはまず外れない。
山で道が分からなくなっても迷いことなく下山できるような、道に迷わない力があるんだと思う。
しかし、その妹が必要だというものを俺が用意できないくて歯がゆい。
「何か、食べたいものは無いんですか」
空腹感が必要ということで食べたいものを聞いてきたんだろうが、そもそも腹が減らないのだから俺に食べたいものも無い。
「じゃあ、食べさせたいものでもいいですよ。
そのイサナさんに、食べさせたい物、一緒に食べたい物は何ですか」
イサナに食べさせたいもの。イサナと一緒に食べたいもの。少しだけ宙を見つめて考え、思いついたのはホットドッグだった。
最初にイサナと一緒に食べたのがホットドッグだったはずだ。1つのホットドッグを半分にして2人で食べた。
もし、今ここにイサナがいるなら一緒にホットドッグを食べたい。変な食べ方で、それでも美味そうに一生懸命パンにかぶりつくイサナを思い出す。
「じゃあ、それですね。ホットドッグにしましょう」
あっさりと決めて迷宮の奥へ進む。事前に聞いていた温泉街の近くの可変迷宮は弱い魔獣しか出ないということだった。
1階層がスライムで、その次がコボルト。更に奥へ行けばオークなどもいるそうだが、今はそこまでは必要ない。
最近、浅い階層に強力な魔獣が出ていることで、街でも見かけた制服の自警団がこまめに各階層を見て回っているらしい。
低階層なら、とりあえずは安心して進むことが出来るだろう。
階層を下ってしばらく進むと二足歩行の犬のような生物が現れる、ホットドッグの原材料となるコボルトだ。
以前は包丁を握りこむと力が湧いてきて増強された脚力でゴリ押しできたが、今は自分だけの力で何とかしないといけない。
胃袋に手を当てて腹具合を意識するが、腹が減っているのか分からない。
満腹ではないだろうが空腹でもない微妙な所だ。
警戒しているのかコボルトは俺を見たまま動かない。
何かあればモカさんが退治してくれるだろうと、コボルとは気にせずにホットドッグのことだけを考え始めた。
ふかふかのパンにパリンと割れるウィンナー。
トマトケチャップの酸味とマスタードの辛味。
脳内のイメージに従って、胃袋が縮動する。
次第に胃酸が出てくる。同時に気持ち悪くなる。
キリキリと締め付けてくる胃のムカつきを我慢する。
目を閉じて、美味しそうに口に運ぶ女の子を思いだす。
そうだ、イサナに食べさせたい。
そして、そうやって食べるところ見ていられるのなら、それならば、食べたい。
一緒に食べたい。
胃袋に手を当てながらそう考えると、胃の締め付けられる痛みが無くなった気がした。
胃酸過多だった消化器官が正常に戻り、収縮していた胃袋がじんわりと広がる。
食道の奥で、ぽっかりと口を開けた胃袋がキュウと短く鳴いた。
こちらを見ているコボルトに向かって駆け出す。
一瞬遅れてコボルトも手に持った木の棒を振り上げて迎撃体勢を取った。
無手の拳を握りこんで勢い任せに殴りかかる。
コボルトは木の棒を振り下ろした。俺の拳と正面からぶつかる、その瞬間。
久しぶりの食欲が、たまらず口から突いて出た。
「ホットドッグ!」
閃光が走る。
久しぶりの眩さに目がチカチカする。手ごたえは確かにあった。魔獣を紙片にするときの、紙片から食物を呼び出すときの感触。
光が収まると、後には紙袋に入ったホットドッグが地面に落ちていた。紙片ではない、ホットドッグそのものだ。思わず口から出た食欲が、紙片を経由せずに食料を呼び出す一撃となったらしい。
「聞いてたのとは違いますが、出来たみたいですね」
後ろに控えていた妹達が歩み寄ってくる。地面に直接落ちているホットドッグを拾って軽く土を払った。紙袋に包まれているから中身は大丈夫だろう。ホカホカと熱を発するそれを妹に手渡すと、何も言わずに受け取った。
「これ、昔近所にあった屋台のですね」
紙袋を見ながらそんなことを言う。
白い紙にイラストっぽく朱色のインクで「HOT SNACK」と書いてある、確かに見覚えのある袋だ。
実家の近所の公園で週末になると販売車でホットドッグを売りに来ていたのを思い出す。
味が良く評判も上々だったが、数年で見なくなってしまった。
この紙袋はその店で買ったときと同じものだ。紙袋なんて大量販売品なんだろうが、それでも久しぶりに見たデザインだ。
今までそこの店以外で見たことは無い。妹は戸惑うことなく紙袋を開けて中身を取り出して口に運んだ。
もふもふと口を動かしてたっぷりと味わってから飲み込む。
口の横についたケチャップを指でぬぐい、ペロリと舐めてから改めて口を開いた。
「ホットドッグなんて味の違いに大差ないんでしょうけど、味も同じ物の様に感じますね」
今までに食べたホットドッグの味を思いだすが、そう言われると同じ味であることは間違いないように思える。
妹にケチャップとマスタードの配分、ウィンナーの肉感から焼き加減、ピクルスの刻み方まで含めておよそ間違いないことを伝えると、若干引きながら「そこまで詳細に覚えてるのは気味悪いですね」と言われた。
「しかし、私の想像通りであったと断言できます。シンタ兄さんは、今までに自分で食べたものを召喚してますね」
妹の声が迷宮内に響く。
今しがた流れた音の意味を脳が処理し切れていない、一体どういうことだろう。
彷徨わせていた視線を地面から妹に移すと、人差し指をピンと立てて得意げに解説をしはじめる。
その内容を簡単にまとめると、俺の食べた食物の記憶をキーにして元の世界から時と空間を越えて食べ物を呼び出しているのだろう。
ということだった。一度、口にしたものであれば呼び出すことの出来る魔法。それが俺の召喚の正体だと。
「まぁ、食い意地の張ったシンタ兄さんらしいですね」
多少、気になるところはあるが納得できるような気もする。
だが、これがイサナと助けるのとどう繋がるのだろうか。
カツ丼やホットドッグを呼び出してイサナの墓前に供えても誰も救われない。妹に限って「遺された人の心を食べ物で癒すんです」とは言わないだろう。
「何言ってるんですか、シンタ兄さんがイサナさんを召喚するんですよ」
少し前に「それはないだろう」と思っていたことをやると言い出した。
俺が食べたものを召喚するのが間違いないと言って、舌の根も乾かぬ内に人を召喚しろと言う。
どういうことなのかきっちり説明して欲しい。
「え? だって、シンタ兄さんなら親しい女の子の体の一部くらい、当然食べてますよね?」
さも当然の事の如く、「何をいまさら」と言わんばかりの態度でとんでもないことを言ってのけてくれる。
以前、クラスメイトの安田君が嬉々として女子生徒の靴下を集めるテレビゲームの話をしていたことを思い出すが、そんな人と同列かそれ以下に思われていたことに少なからずショックを受けた。
そんな訳がないだろう、どんな変態だ。血の繋がった実の兄を何だと思っているんだろうか、そんな特異な文化を持った覚えは無い。
「まさか、そんな……想定外ですよ、これは」
こっちで妹と再開してから珍しい所ばかり見ている気がする。
今、目の前にいるのは狼狽する妹だ。
しかし、その原因が自分に関する認識の誤りだというのが非常に釈然としない。
「シンタ兄さん、イサナさんとは恋人では無かったんですよね?」
カズ兄さんに「お前は、そこの女の子の物か」と聞かれたことがあったなと思いだすが、その時と答えは変わらない。
どちらもお互いの所有物ではないし、恋人のような関係でもない。
「そうですよね。万が一にもと思って、花も団子も食べるような男に色気を期待した私が愚かでした」
花もちゃんと処理すれば美味いのだが、それを言うと妹の噴き出る慈愛で殴られそうな気がするので黙っておく。
何事かを考えていたようだが「指の一本とは言いませんから、爪の一片でも無いんですか」と食い下がってきた。
「例えば、空腹を紛らわせるのに相手の爪を噛んだり、とか」
何故、空腹を紛らわせるのに他人の爪を噛む必要があるのか。
大体、腹が減っていても爪は噛まない。空腹だったら、もっと塩気があるようなものを口にするだろう。そう、例えば。
「……あっ」
「ありますか!」
とても不本意だが、イサナと迷宮に行ったときに腹が減ってイサナのうなじに口をつけて味わったことがある。
そのことを言うと「さすがシンタ兄さんです」と鷹揚に頷いていたが、何が流石なんだろうか。
人をどんな目で見ているんだと問い詰めたいが、実際妹の言うとおりだったので何も言うことが出来ない。多分、妹の言うとおりの人間なんだろう。
ホットドッグなどと違って、食べて飲み込んだわけではないが大丈夫なんだろうか。妹は「多分平気です」と言っているが、その根拠はどこから来るのだろう。
様々な疑問は尽きないが、兎にも角にも「これで準備が出来ました」と宣言する。
「モカさん、鯨とかいませんか?」
少し離れていたところで周囲を警戒していたモカさんに妹が尋ねる。
モカさんは「クジラ?」と首をかしげていたが「船よりも大きい魚です」と言い直して説明すると理解してくれたようだった。
実際には魚ではないが、細かいことだ。
「私は見たことがないが、南海の迷宮に”蒼い大魚”が今も生息しているらしい商船を飲み込むほどの大きさと聞いたことがある」
”蒼い大魚”という名前は、どこかで聞いたことがある。少しだけ思い出そうと記憶を探ったが、思い出すよりも前にシータが説明を引き継いだ。
「”蒼い大魚”は、御伽噺の中で勇者の仲間だったとされています。私の”白い一角獣”と同じですね」
そうだ。前に言葉を覚えるために読んだ絵本の中で出てきていたんだ。
絵本の中では海を渡るのに助けを借りていたが、鯨の背中にでも乗ったんだろうか。御伽噺だし余り気にしても仕方が無いのだが。
妹は”蒼い大魚”と南海の迷宮について根掘り葉掘り聞いている。
どうやったら行けるのか、”蒼い大魚”には簡単に会えるのか、どのくらい凶暴なのか。
「南海の迷宮は海上の迷宮だ。魔力が海上に浮き出て迷宮を造っているらしい。
”蒼い大魚”は運が良ければ会える。見つければ大漁になるとかで漁師の信仰の対象になっているそうだ。
但し、商船を飲み込む話があるように近づくと危険だ」
立て続けに質問に答えるモカさん。学校の先生だけあって大抵のことは知っているようで頼もしい。
尊敬する眼差しで見つめると「イサナを召喚できるなんて、興味深いな」と言って笑う。
前はもっと子供っぽい感じの人だと思ったが、今は立派な大人の態度だ。
教師としてイサナが助けられるという話に思うところがあるのかもしれない。
イサナの先生なのだから立派なのも当然だと重ねて尊敬していると、「あれ? もうフラれたんだ」という声が聞こえた。
緊張感の無いこの声には聞き覚えがある。
「案外早かったね、一緒に居るのは生徒さん?」
昨日、妹の怪我の治療のために医者を探しに行ったまま行方知れずだったイーズィさんが、すっかり俺たちのことを忘れて現れた。




