24.ブラッドプール
謎の円盤を動かす為にロードローラーを思いついたのは良かったが、そもそも円盤を直しても良いものだろうか。正体が分からない物である以上危険がある気がする。
ロードローラーに組み込んだ挙句、いきなり襲いかかってきたりしたら目も当てられない。
「円盤の中の仕組みを見てみたけどさ、小さくて細かいだけで仕組みは普通のゴーレムとそんなに変わらないよ。だから大丈夫じゃないかな」
他のことについては何も信用できないような人だが、ことゴーレム関係についてなら有能なのは間違いないそうだし、中の仕組みを見た上での発言だから信用しても大丈夫だろうか。
円盤の中に入っているなら、あの石も円盤を動かすための部品だろう。事実、何をする為ものか分からないが内部に組み込まれて動作していた。ということは、それ単体で動くものではない。
だからと言って大丈夫というわけでもないし、と一人で色々と考えてみたがどうにまとまりそうにない。
ひとまず問題を棚上げにして気分転換に温泉に入ることにした。どうせ今日はもう暗くなっているから、ロードローラーを回収するにしても明日だ。
町中に公衆浴場もあるのだが、この宿には専用の温泉がついている。宿に一つしかなく男女別で時間を分けて使用する仕組みだが、夕方までが女性の時間で夜は男の使う時間だ。もうそろそろ男湯の時間になっているだろう、と風呂道具をもって湯場まで行くと、入口には清掃中の看板が立っていた。
その場に看板を立てたらしい宿の人がいたので声をかけて聞いてみる。
「今は清掃の時間ですか」
「いや、さっき洗い場で粗相をした客がいたらしくね。今は清掃中なんだよ」
看板の奥、水の流れる音とブラシで床を擦るような音に混じって、どこか覚えのあるすすり泣く声が聞こえる。あの人か。
イーズィさんが一緒に来たと言っていたし、またやらかしたに違いない。粗相をした本人が宿の人と掃除をしているから、それが終わってから使用再開となるそうだ。
温泉に入ってから夕食を食べれば、少しは味がマシになるかもしれないという淡い期待は水に流された。
意気消沈して部屋に戻り、揃い立って近くの食堂へ向かう。湧き出た温水を料理に使っているのが売りらしく、特にやらわかな肉の味が絶品だとウェイトレスが太鼓判を押していた。
「期待しないで聞きますけど、猫耳の人とか獣人はいますか?」
妹は相変わらず自分の異世界感との齟齬が気になるのか、意味の分からないことを聞いてくる。
そういう人は見たことない、と伝えると「やっぱり」と肩を落としていた。
理由は分からないが落ち込んでいる妹を見て、モカさんが声をかける。
「ミズキ君、鶏と豚と牛ならどれがいいかな。何でも食べたいものを言ってくれれば、作ってもらえるようだ」
「私よりも、シンタ兄さんに聞いたほうがいいんじゃないですか。食欲の権化みたいな人ですから」
俺の事情を知らない妹が薄く笑いながらそんなことを言う。気持ちはありがたいが、今は何を食べても無味に感じるのでどれを選んでも一緒だ。
気にせず好きなものを選ぶように言うと、今までに見たことが無いような変な顔をした。
今まで鳩だと思っていた物が実は豆鉄砲だったと言われたような表情だ。言外に「お前は誰だ」というのが伝わってくる。
空恐ろしいものを見る目で見つめられるが、勤めて気にしないようにしてウェイトレスにお勧めを聞いて注文した。
程なく出てきた料理を口に運んでモサモサと咀嚼して飲み込む。肉の柔らかさは分かるが、やはり味がしない。
一通り口に運んで味がしないことを確かめると、あとはひたすら水を飲んで過ごすしかない。ここ暫くはこうやって食事の時間を過ごしていた。
味のしないものを口に入れるのは、不味いものを食べるよりも苦痛を伴う。得体の知れない何かが体内に入っている気分だ。
妹はパクパクと豚肉の煮込んだものを食べている。余程美味しいのか、口の横にソースがついているがそれも気にしていない。
同じ年齢だったイサナのことを思い出して、太りたいといっていた彼女にこの料理を食べさせれば等と詮無いことを考える。
「本当にどうしたんですか。全然、食べてないじゃないですか」
さっさと手を止めて水ばかり飲んでいた俺に、料理から顔を上げた妹が驚きの声を上げる。
苦笑いで誤魔化そうとするが、妹の追及は止まらない。
「おかしいですよ、あのシンタ兄さんが、これだけのご馳走を前にしてちょっとしか食べないなんて」
少し体調が優れないだけだと言うが「熱が39度あってもご飯3杯食べる人でしょう」と言い返された。昔の話を持ち出されると言葉がない。
「後で説明するから」と会話を濁すと、事情を知っているモカさんが「食後に甘いものはどうかな」と話をそらしてくれた。
妹の注文した濃厚な甘みのナントカというデザートが届く前に、席を立って外の空気を吸いに行く。甘いものは本当に駄目だ。匂いだけで気持ちが悪くなる。
甘いものがとりわけ酷いだけで、普通の食べ物も意識すると胃が気持ち悪くなる。今も胃の中にある肉のことを考えると、嘔吐感がせりあがってきそうだ。
硫黄のにおいが混じる空気を吸って気分を紛らわせながら、異世界の温泉街を眺める。浴衣こそ着ている人はいないが、頭から湯気の出ていそうな程ゆだった顔で歩く人をよく見かけた。
きっと、どこかの公衆浴場で温まってきたのだろう。ぬるま湯のような空気が街全体に流れている。定期的に揃いの制服で歩く人達は町の警備員だろう。怪しい者がいないかを注意深く見渡しながら歩いている。
職務質問にいい思い出はないので、湯冷まししている風を装って空を見上げて時間をつぶしていると、暫くして店から出てきた妹が声をかけてきた。
「シンタ兄さん、事情は聞きました」
妹の後ろにいるモカさんが、すまなそうな顔で佇んでいる。きっと妹が無理やり聞き出したんだろう。
「一つ聞きたいんですが、イサナさんでしたっけ、その石像にされた。部屋の内側の、ドアの前に立ってたんですよね」
ドアの前で間違いない。ドアを開けようとしたら、ドアにぶつかったんだ。
「どっちに背を向けていたか、分かりますか」
妹が何を聞きたいのか分からない。意味を聞こうとするが、その目が真剣だったので真面目に考えて答えを探す。
ドアが当たって開かないから、思い切りドアを押した。そして、石像のイサナは倒れて壊れてしまった。
すぐにイサナだとは分からなかった。うつ伏せで倒れてたからだ。ということは、つまりドアに背を向けていたのだろう。
「なるほど、分かりました。歯を食いしばれ」
疑問の声を出す前に殴り飛ばされた。
呆気にとられた動けない俺の顎先を、妹の拳が打ち抜く。ぐらぐらと揺さぶられる視界の中で、更に走りよってくる妹が見えた。
あっという間に押し倒され、妹がマウントポジションをとっていた。その顔には一辺の感情もないように見えるが、俺はそれが違うことを知っている。
昔、バスジャックの指を噛み切った時と同じ顔だ。社交性を身につける前の妹の本性。それを表現する余裕もない、身を焦がすほどの怒りに燃えている時の顔だ。
「ま、て」
「またない」
制止しようと手を伸ばすが、払いのけて続けて顔面を拳で打ち付けてくる。左右の拳で交互に俺の顔を殴るたびに、頭が右に左にと揺れる。
脳が振られて動くと何も考えられなくなる。ただ痛い。頬骨の折れた感触がする。何度も何度も骨の折れる音が聞こえる。
薄い顔の肉を突き破って骨が呼び出す感触がするが、妹は構わずに殴り続ける。一切の容赦なく全力の一撃を打ち下ろし続ける。
ふわっと意識が飛びそうになるのを、拳が呼び止める。痛みが意識を押し留める。
感覚が麻痺しても良さそうなのに、何度殴られても変わらずに痛い。変わらずに毎回、新鮮な痛みを頭に与える。
何十回か殴られた後にようやく拳が止まったと思ったが、モカさんとイーズィさんが妹を左右で挟んで腕を抑えているだけだった。
妹は拳を振り上げたまま、次の一撃を与えようとしている。
「まて、待つんだ、理由は分からないが殴るのは待て」
「何だこれ、すげぇ強い。二人掛かりだぞ」
モカさんは兎に角、力の強そうなイーズィさんでも抑えるのに苦労しているようだ。
押さえられた拳は血に染まり、右手の甲からは肉が削げて骨が見え、左手の小指はあらぬ方向に曲がっていた。
「この愚脳が、理由を考えろ、意図を汲み取れ」
拳が押さえられると代わりに言葉が飛んでくる。意図して使っていた敬語ではなく、意味だけを並べた直接的な言葉だ。
お前の頭は飾りだ、ねずみ以下だ、と俺が無能であることを責め立てる言葉が繰り返される。
「何の話だ、イサナのことか」
顔面の骨は余さず粉々になっているかと思ったが、不思議なことに普通に喋ることが出来た。
妹はそれに答えず腹の上で抑えられた腕を解こうとジタバタ暴れながら罵詈雑言を繰り返す。
「恥ずかしくないのか、情けない、無駄にするな」
妹の言わんとすることが分からない、直前の質問からしてイサナに関係あることに間違いないが、それが何故怒りに繋がるのか。
ドアに背を向けていた。理由を考えろって言うのは、そのことか。その意図を汲み取らないのが恥ずかしく情けないのか。
何でドアに背を向けていたのか。
ドアの前にいた理由、それは何だ。
逃げようとしたからか。
いや、あのドアは内開きだから、逃げるために開けようとしたならドアが当たるような位置には立たないはずだ。
だから逃げるためではない。そんなところに立っていたらドアが自分の体で塞がって開かなくなる。
「あっ」
ドアの前に立っていたのは、あえて立ち塞がっていたのは。ようやく気づいた声を出す俺に、見下した妹の声が届く。
「おまえを、守るためだろうが」
アイツが部屋に現れ、危険なものだと思ったイサナは、逃げなかった。
俺がもうすぐ帰ってくる時間だということを知っていたから、俺がアイツと出会ってしまうかも知れなかったから、ドアの前に立ちふさがってアイツが部屋から出られないように、俺が部屋に入れないようにした。
だから、背をドアに向けていた。
「まもってもらって、そのことにも気づかないなんて」
妹の言う通りだ。恥知らずで情けない。今の今まで、こんなことに気づかないで飯が食えないだなんて、そもそも食べる資格がない。
いつまでも埋まらなかった暗闇に勢いよく水が注ぎ込まれる感覚を覚える。胸の奥にある空虚な穴に水が流れ込む。
だんだんと水かさを増して、それでも勢いは衰えることを知らない。口を開けば流れ出してしまいそうで、懸命に歯を食いしばって水が漏れないようにする。
喉の奥から嘔吐感とは違うものが込み上げてくる。せり上がったそれは口を通り過ぎて、鼻を伝って眼球まで届く。視界が潤む。
「泣いて悲しむ資格があるのか。今更、涙を流して悔しがるのか。何様だ」
そんな資格は無い、かと言って悔しいのでもない。
あまりにも突然イサナがいなくなってしまったから、今まで心のどこかでそのことから逃げていたんだ。
代わりに味覚を手放して、大事なことから目を逸らして、それで有耶無耶にして受け入れることを拒んでいた。
この世界に来てからずっと一緒にいてくれた人が、俺の傍から消えてしまった。今、やっとそのことを実感した。零れているのは、今更ながら届いた喪失感だ。
「もう大丈夫です、離してください」
敬語に戻った妹が落ち着いた声を出す。二人が困惑した視線を俺に向けてくるので、頷いて妹に同意した。
腕を放されても殴りかかることはなく、マウントポジションを解いてゆっくりと立ち上がる。
「さっき聞いた話ですが、シンタ兄さんは魔法が使えるんですね」
手首をぶらぶらさせながら呟くように聞いてきた。皮膚が破れて結構な量の血が流れているので、振るたびに血が顔まで飛んでくる。
妹を抑えていた二人が「凄い怪我だな」「すぐに医者を呼ぶんだ」と慌てて駆け出していった。周囲のそんな喧騒を気にせずに妹は話を続ける。
「何でも、食べ物を呼び出すとか」
地面に寝転がったまま、今までのことを思い出しながら話す。
包丁を拾ったこと、握ると力が湧き出て腹が減ること、掛け声と共に突き立てると紙片に変わること、紙片から食べ物が出てくること。
今までに呼び出して食べた料理、その数と種類、今手も元に残っている物。覚えている限りを全て話した。
「包丁が無くなってから、”スクロール”は試したんですか?」
そんなことはしていない。何かを食べる気力が無かったから、魔獣から食べ物を作ろうという気にもならなかった。
食欲があったとしても、包丁も無いのにそんなことは出来るはずが無いと試さなかっただろう。
「じゃあ、その召喚魔法が包丁の力かどうかは分からないんですね」
それは無いだろう。杖が無いと魔法が使えないというのは大前提だ。
前に聞いた「弓が無いと矢を飛ばせない」話をすると、妹はつまらなそうな顔で「そんなもの、矢を持って物理で殴ればいいんです」と答えた。実に妹らしい意見だ。
続けてとんでもないことを言う。
「シンタ兄さんが、包丁に関係なく召喚魔法を使えるのでしたら、イサナさんを救い出せるかもしれません」
どういうことなのか、寝転がった状態から一気に身を起こして妹に問い詰める。
「いい年してアニメも碌に見ないから、発想が貧困になるんですよ」
どういう関係があるのか分からないが、突っ込むと話が長くなりそうなので黙って続きを促す。
「自分を騙しなさい、世界を騙しなさい。それが、運命の石の選択です」
何かの決め台詞らしいが、元ネタが分からないので困惑するしかなかった。




