閑話 雪降る地下#1
どこまでも変わらぬ景色と薄暗さに浸食され、どれほどの時間が経っただろうか。
目的地へ向かうため何度も大穴を避けて迂回を続けるうちに、地図を睨む眼もおかしくなってきた。
地図データを写すスマートフォンとカノンの記憶を頼りに何度も行き来しているが、如何せん道自体が多い。
抜け道を使ったロックは果たして目的地にたどり着けているのだろうか。
「見た目だけはめちゃくちゃ近いんですけどねぇ」
「海魔に侵入されないように入り組んでて、地図も正確に地上と位置が合ってるわけじゃないんだ」
「というと?」
「当時……アビスがかけた葬術だよ」
アビスが保有していた葬術は炎だと聞いていた。その中に蜃気楼と呼ばれる技があるらしい。
人間の扱う葬術は大抵できることが決まっているというのにアビスは熱を放出するという法則を悪用して別の効果を生み出せるらしい。
とはいえ些細なものだ。迷路のように入り組んだ地形を造らせ、前後を錯覚させる嘘をばらまいて初めて成立する。
大がかりなで手間のかかる工程が必要な割に効果が薄い。
「地下だからこその葬術ですね。抜け道はそのために?」
「陽炎を避けるためだよ。でもお兄様だって簡単に移動できているとは考えにくいかな」
ロックと別れてからスマートフォンの電池は見る見るうちに減っている。
予備のバッテリーと深水を電池に変換する装置がなければとっくに遭難していた。
穴を発見し探索を初めてから既に6時間以上が経過している。
朝に探索をはじめ、今は昼頃。そこそこ長い時間地下にいると目がおかしくなってくる。
アビス出現という非常時に神2人が不在というのはなかなか具合が悪い話だ。
できれば今すぐ目的の調査を切り上げて地上へ一直線に帰りたいぐらいなのだが。
「探索が正しければそろそろ部屋についてもおかしくないのですが……」
「あ、あれじゃない?」
光差し込まぬ場所に透明な触手がすっと前に出ていく。吸盤たちが指し示した先は比較的新しいように見える小奇麗な扉に閉ざされており、他とは少しばかり印象が違う。
鉄扉らしきそれにはいくつもの傷があり、床には何度も開閉したような跡がある。
床が削れているのを見るに扉自体がかなり重い素材でできているのやもしれない。
「ロック様はまだいらっしゃっていませんね」
「寄り道してるんだと思う。お兄様を待つ?」
「調査できるのなら先にしてしまいたいですが……カノン様に護衛を頼むのは忍びないです……俺がおまもりするならまだしも」
「そ、そこはほら!役割分担だから!私じゃパソコンがあっても触れないし……」
彼女の触手達がザワザワとせわしなく動き回る。目元からパチパチと上がっていく泡が不安を表していた。
カノンはその触手を手足のように扱うと同時に、彼女の肉体にある手足もまた触手と同様の力を発揮する。
つまるところ力加減がすこぶる苦手なのだ。
生命に対してはかなり加減を覚えてきたが、無機物となると弱い。
機械類全般が苦手なのは操作に繊細さが求められると同時に、普段は行わない力加減を求められるから。
代わりに書類整理など普段行っている業務は得意で、触手さえしまって両手を隠せばただの女の子とそう変りはない。
「そうですね……承知いたしました。ロック様とカノン様のお手を煩わせる前に終わらせてしまいましょう」
この先にイデアがまだ潜んでいることを警戒していたが、扉の前で悠長に会話をしていても出てこないところを見るに今すぐ危険とは言い難いだろう。
索敵を何度も行い、周辺をわざと強めに浄化していても反応がない。
誰もいないなどと楽観視はできないが少なくとも今すぐ身の危険はない。
ロックが寄り道をしている間にイデアについて調査が終わってしまえば早く帰れる。
空気が悪く薄暗い場所が主人の故郷だとしても長居はなるべく避けて欲しい。
この短時間で麗しの御髪が湿気に乱れ始めている。早急にケアをしなければ。
「扉は私が開けるよ。下がっててね」
カノンの触手が眼前に差し出される。盾として扱えと言われているのは分かっているが、自然と手が触手を撫で愛でてしまう。
主人から少しばかり呆れたような視線を送られてしまったとしてもこれは性なので仕方がない。
手は止められなくともちゃんと盾として扱っていますよというアピールで一歩下がれば、やっとカノンは重苦しい扉に手をかけた。
鉄でできた扉は蝶番がさび付き、ぎぎぎ!と音を立てる。
開いた扉を盾にし、じっと薄暗い中を見つめる。
生物の気配は一切感じられない代わりに中はぎっしりとガラスの巨大な筒に覆いつくされており、その悉くが割れて飛散していた。
辛うじて形を保っているものたちの残骸が散らばり、一歩でも足を踏み入れるとガラスの割れる音がする。
奥までは暗くて観察できない。だが少なくとも入口付近にはイデアらしき存在は確認できない。
置かれているものからして人間大の何かが補完されていたのは間違いないだろう。
情報端末が残っていないか歩いて探し回ろうと床を踏み、パキッと足元で割れる音が響き渡った。
部屋の広さから推察するにこの場所だけで全てのイデアを管理していたわけではないらしい。
最奥まで進めば電気が通ったままの情報端末が見つかった。
随分古い型でシャーレが造られる前に使われていたOSが内臓している。
軍だった頃の古いものだ。シャーレでも軍時代から転用したものには数十年前までではあるがこのOSが使われていた。
剱が総帥に就いてからこのOSの脆弱性を懸念して刷新したはずだ。
つまりこれはシャーレとは無関係かつ300年前から生き残っている端末になる。
「扱いは慎重にした方が良いかもしれません。配線は新しく繋ぎ直した痕がありますが、中身は古いままですね」
キーボードをたたく手をやや慎重に動かし、中に仕組まれたファイル名を確認していく。
どれもイデアに関する記述がされているが補完記録ばかりで新しい記録は探らねばすぐに出てきそうにはなかった。
「少なくともここに移送されたイデアは300体。全て成体になっていたわけではないらしいですが……」
「小さいポットも何個かあったよ……でも、大人用のポットも随分多いね」
「パッと見た記録では50体ほどが移送時点で成体だったそうです」
破壊されているとはいえポットの土台も残っている。全て正確に数えれば数が一致しているかどうか分かるかもしれない。
土台部分には番号が書かれており、記録にも同様にそれぞれ番号が振られている。
300全てを確認するのは相当骨が折れる作業だ。
だが少なくとも数える作業は必須だろう。この端末にイデアが何らかの理由で死亡した場合に記録が残る。
死亡したイデアと連れ出されたイデアの数を割り出し、本来なかったはずのポットが増えていないか確認しなければ。
ロックが到着する前に終わればいいのだが。
「いやぁ日付が変わる前に終わればいい、の方が正しいですかね」
「や、役割分担、しようか……私が番号を触手で見て回るから、秋仁は記録と照らし合わせて……」
「りょーかいです。それが一番早いでしょう」
カノンは足元から伸ばした触手を長く細く部屋中に伸ばしていく。
彼女の触手は彼女が保有する深水によって本数も太さも自由自在だ。理論上、深水さえあれば無限に触手を増やせる。
触手は彼女の手足であると同時に彼女の五感。目を生成できれば視界を確保することもできる。
あとは秋仁が記録を確認し、死亡記録のないポット番号をリストアップすればいい。
「古い端末だからか知りませんが検索機能がクソ雑魚です。何ですか検索件数20って。しかも次のページに進めないし!もしかして数十件の中からしか探し出せないんですか!?」
が、そんな簡単な作業もできないのが古いOSというものだ。
300年前の技術力は今とあまり大差ないはずなのだが電子機器に関しては当時の物資不足を鑑みると少々雑な部分が多い。
特に頭に当たる部分の性能が脆弱で一度に大規模な処理をするのに向いていない。
性能がどうというよりそもそも大きなことを成すシステムを組んでいないのだ。
今から書き込んで追加してやることもできなくはないが、そんなことをしてイデアとアビスを便利にしてしまっても困る。
地道ではあるが1つ1つの番号を確認し、生存確認が取れているポットの前に1本の触手を立ててもらうことにした。
単純な作業だが数の多さゆえに凡そ1時間の時を要した。その間誰も部屋に近づかなかったのは幸運か、それとも不幸か。
ロックがやってくる気配もないまま作業を終え、少なくとも端末に記録されている限りのイデア生存数を割り出した。
「300年間培養ポットで生きていたイデアは全部で1体。ここにあるのは300体ですから生存率は0.33%……」
「1体でもいれば御の字だと思うよ」
「同様の部屋が他に複数個あるとして、全滅していてもおかしくありませんから全体的なイデアの数はかなり少ないとみてよいでしょう」
仮に肉体が生きていたとしてもイデア単体ではパグロやアストロのような自我は生まれないと書かれていた。
容姿と齟齬を生まない人格を選ぶ方法をアビスは確立していたのだろうか。それとも貴重な数体を用いて実験を重ねたか。
残念なことに生存していた1体は50年ほど前に記録が紛失している。
観測できなくなった時点で死亡と判断しないシステムで助かった。
「あの2体以外の存在を危惧していましたが、現実的にこれ以上数は増えそうにありませんね」
「イデアを新しく造るなら別だけど……」
「設備が足りないでしょう。それに、既にシャーレを敵に回している状態で新しく何かを生成するのはリスキーでは」
これだけヒントをばらまいた状態で悠長に新しいイデアを生成しているとは考えにくい。
別の手段を確立したか、イデア自体に生産性を見出さなかったか。
いや、アビスに関して深く考察するのはやめよう。
どちらにせよ判断材料が足りないし、目的は敵を正確に知ることであってその過程を考察することではない。
「考えても仕方ありません。ここに確かにイデアが保管されていた痕跡があって、1体が持ち去られたあと。この部屋ではそれが分かれば十分です」
「そっか……」
「ところでロック様遅くありません?」
もうこの部屋の位置情報を地図上にマーキングさえすれば他の調査に回ってもいいころ合いだ。
それほどまでに時間が経過しているのにロックがやってくる気配がなく、道中抜け道すら見当たらなかった。
何かトラブルがあったのだろうか。
「探しに……い、行ってみよう……か?」
「カノン様がそれを望まれるのであれば。俺は2人っきりで居られるので今のままでも問題ありません」
「じゃあなんで言及したの……」
「お義兄様がいらっしゃらないとカノン様が不安になってしまわれるでしょう。俺、カノン様の幸せのためならどれだけ気にくわない相手の靴でも舐める覚悟がありますので」
「何の話……?」
首を傾げてしまったカノンの表情は困惑と一緒に一抹の不安が浮かんでいる。
やはり兄が全く姿を現さないことに引っかかりを覚えているようだ。
2人で地上に戻っても仕方がない。調査の言い出しっぺを置いて帰るにはここは謎に包まれすぎている。
さらに冬仕にロックの監視をしろと強く言いつけられている秋仁にとって、このまま放置して帰るのは気が引ける。
多分すっごく怒られる。
それはかなり嫌だ。大人になって上司の兄にしこたま怒られたくない。結構怒られている気はするが。
「抜け道の場所は分かりますか?さっさと探しに行きましょう」
「うん……そう……だね……」
横一文字の瞳孔を細めた金が触手を一本秋仁に巻き付ける。
不安感からか、秋仁を守るための命綱のようなそれは僅かながらに冷たい。
決してこれが慰めになることはないと分かっていても、秋仁は腹に巻き付いた触手を優しく撫でる。
深水が暖まることは決してない。けれどほんの少しだけ、生ぬるいような感触が帰ってきた。




