刃へ写る#2
刃夜のあとを、正確にはスノードームの指し示す方向に向かうと何の変哲もない茂みが現れた。
つい最近人が通ったかのようにかき分けられており、その奥にはマンホールのようなものが見えていた。
光は真下を指し示し、刃夜は気難しい顔で眉根を寄せた。
彼の目的ははっきりしていないが目的はこの下にあるのかもしれない。
「おい、後輩。手伝え」
「え!?は、はい!!?」
説明もないまま促され言われるがままにマンホールに手をかける。
茂みと同様に誰かが最近動かしたのか、マンホールは留め具もされないまますぐに開き、深い穴が出現した。
この地では水は海魔が湧きやすく上下水道共に浄化施設が設置されている。
浄化施設は下水であれど浄化してしまうため、海に流されることなく更なる浄化施設を経由しながら循環し続けていた。
地下を通っている水は殆どが綺麗なもの。施設も最大限薄暗くはあれど清掃がこまめにされている。
人間が通っても人体に害はなく地上より清涼な空気が漂うこともあると聞く。
だがこの穴はあまりにも深く水の流れる音が一切しない。
蓋もさび付いていて交換された跡がない。かなり古いものだ。
「俺は任務に戻る。あとはお前だけで何とかしろ」
刃夜はそれだけを言い残し、躊躇うことなく穴の中へと身を投じた。
一瞬にして消えて行った姿に呆然としていると、横でリリーが穴の奥深くを覗き込む。
落ちて行ったにもかかわらず落下音がほとんど聞こえない。
穴自体に仕掛けがあるのか、はたまたそれほどまでに深いのか。
刃夜が潜っている以上不用意に穴を塞いでいいものか分からず、されど放置することもできず。
腕を組んで総真が頭を捻っていると、ふいに縁に手をついて穴を覗き込んでいたリリーがさらに大きく身を乗り出した。
「わわ!危ないですよ!」
「心配性だな」
「中の様子が分からないのに覗き込んじゃだめですから!」
穴の大きさは1人分あればいいほうだ。リリーが落ちてしまえば助け出すころには無残な姿になってしまう。
手を掴んで上体を起こし、絶対に穴に近づかないでくれと懇願すると、彼女は口元に手を当て考え込んでしまった。
リリーの行動の意味を測り兼ねて首を傾げるが、いたずらに時間が過ぎるばかりで進展はない。
刃夜は他人に心配されるほど弱くはないのだ。誰かが落ちる前に軽く蓋をしておくべきだろう。
重い鉄を軽々持ち上げて縁に近づけていく間、リリーはちらちらと穴を見つめ続けていた。
「……私の好奇心が下におりろと言っているんだけれど、降りてはだめかい?」
「だ、だめですよ!任務だっていうならどんな危険がこの先にあるか分かりませんよ!」
任務内容を頑なに話さない刃夜から情報は聞き出せなかったが、葬務官の任務と言えば主に1つだ。
仮に地下水道に海魔が出現したのだとしたらリリーはこの先に行かせられない。
そもそも地下水道自体が一般人立ち入り禁止の区域だ。
つい先日まで一般人の枠に収まっていた総真でさえ構造を把握していない。
それにこの先はパグロの逃走先に繋がっている可能性もある。
もしかしたら刃夜はイデア捜索の任に出ていたのかもしれない。ますますリリーを近づけるわけにはいかない。
「そうかい。なら、仕方がないね」
絶対にダメだと首を横に振り続けると、彼女はなおも穴を覗き込みながら聞き分けよく頷いた。
その姿にほっと胸を撫でおろし、重い蓋を入口の近くへもっていく。
これで軽く蓋をして一般人が近づかないように皇の誰かに言えば事足りるだろうか。
念のため刃夜に出会ったことは伝えておいた方がいいかと、考えを巡らせていると目の前で縁に手をかけ穴を覗き込んでいたリリーが上体を起こしている姿が目に入る。
ゆっくりと身を起こして徐々に穴から下がろうとした彼女の手が、一瞬縁からズルッ!と音を立てて離れていく。
深く身を乗り出していたためか、体重は前方へ偏り彼女が頭から穴へ吸い込まれていく姿を見止めた。
「リリーさん!」
両手に抱えていたマンホールを投げ捨てる。
どれほど高い身体能力があろうとも緊急の現場対応ではどうしても焦りが出る。
自由落下に移行しようという彼女の足をなんとかつかみ取り、穴へ吸い込まれる寸前彼女と同じように身を乗り出して支えた。
だが身を半分乗り出して足首だけを片方つかめた状態ではどうしようもない。
両手を使って掴んでいても引き上げるには位置取りが悪く力が全く入らない。
更に縁は何故だかすごく滑り、気を抜けば総真も穴に吸い込まれてしまいそうだった。
「り、りー、さんっ!今、引き上げ、ます!」
逆さまになっている彼女から返事はない。意識があるのかないのか、滑った時にどこかを打ってしまったら目も当てられない。
すぐさま引き上げようと躍起になるが、動けば動くほど体が滑り落ち、ものの数秒で総真も身体の7割が地下へ導かれていた。
「あ、くっそ……耐えられ、あっ!」
身を起こしながら掴んだ足首を離さぬよう、慎重に下がろうとしたその刹那。
足首を掴んでいた手が汗で滑る。緊張感からかいた汗によって落下していくリリーを追って、総真は勢いよく穴に飛び込んでいった。
狭い穴の中を頭から落ちていくリリーを抱え込み、真っ直ぐに堕ちていく。
2人で通るには狭すぎる中で背を壁に擦り付け、ほんの数秒の浮遊感に目を瞑った。
身を丸め衝突寸前で深水を集中させた背を丸め、リリーを抱え込む。
ドォオオン!!と響き渡った轟音は壁を揺らし、土埃の中で痛みにうめき声を上げた。
「う、ぐっ……いっで……」
強かに背を打ったせいか、すぐに起き上がる事ができない。
腕の中にいるリリーがもぞもぞと動いているのを確認し、痺れる腕をゆっくりと解放していく。
「総真!怪我は!?」
「い、いたいだけで……怪我はしてない……と思います……」
しゃがみ込んで総真の心配をする余裕があるならリリーは大丈夫だろう。
咄嗟に深水で身体を強化したことが功を奏したようだ。
反して総真は身動きが取れないまま薄暗い通路に倒れ伏す。
幸い薄暗いだけで何も見えない訳では無い。
水路というよりはなにかの通路に見える地下通路の中で、総真はじっと身を丸めた。
丁度顔を上げようとしたとき、前方から足音が響いてきたからだ。
「お前達……何をしているんだ……」
頭上に呆れたような声が届く。つい先ほど先行して飛び降りた刃夜が物音に気付いて立ち止まってくれたようだ。
彼は蹲る総真と彼を心配するリリーを眺め、額に片手を当てた。
ほんの少しばかり聞き取れる程度の声音で、頭が痛い、と言っているような気がした。
「これで一般人が死んでいれば重罪だぞ。貴様、何を考えて飛び降りた」
刃夜の表情は粗相をした葬務官を処罰する上司のソレだ。
1等葬務官にはその権限があり、訓練官かつ4等葬務官の総真では立場があまりにも弱い。
ましてやリリーをかなり深いこの通路に引き込み、イデアが跋扈しているのを承知で落下した罪は重い。
背筋に激痛が走ったまま視線だけを刃夜に向けようとし嗚咽が漏れる。
もしかしたらどこか骨が折れているかもしれない。あの衝撃ならおかしくない。
深水操作は未熟であり葬術もない。リリーを護れただけ奇跡だ。
「答えぬのならここで能無しの頭を切り刻んでも良いのだ」
刃夜は何かに怒っているようだった。任務を邪魔されたことにか、総真の無謀な行いにかは分からない。
ただ一つ分かることは、彼が剣に手をかけているという事実だけだった。
「違うんだ。私が不用意に覗き込んで落ちてしまったところを彼に助けてもらっただけなんだ」
すぐにでも斬られてしまいそうな一触即発の中。
総真と刃夜の間に体を割り込ませたのは第三者たるリリー。
彼女は事のあらましを詳細に説明し、決して総真は意図してリリーを穴に落としたのではないと訴えた。
「すぐに地上に戻る。だから彼を叱るのはやめておくれ」
「戻れるのなら僕とて処罰する前にそう命じている」
苛立ちを隠そうともしない刃夜の視線が落ちてきた穴へと向かう。
そこには上るためのとっかかりが一切なく、地上に見えるはずの外の光すら視認できない。
覗き込んだ際にはちゃんと入口に梯子らしきとっかかりがあったというのに、いつからなくなっていたのか。
さらに落ちてきた高さからそう簡単に戻れない深さだと察せられる。
刃夜からすれば総真の行動は無力な一般市民を連れ自らも足手まといでありながら怪我を負って任務を妨害しに来た以外のなにものでもない。
ただでさえ脱出ルートの確保や任務続行のための判断で頭を使っているというのに。
「無駄な仕事を増やしやがって……」
「ご、ごめ、んなさ……」
「チッ!貴様を殺すと僕が多方面からぐちぐち言われる。面倒極まりない」
リリーを守ったことに後悔はない。だが飛び降りたのは早計だったかもしれない。
耐えようと思えば縦穴の中で落下を止められたはずだ。それをしなかったのは総真の甘えでもある。
摩擦で背中に穴が空いた制服を引っ張られ、その場に立たされる。
前かがみにならねば痛む背をばしんっ!とひっぱたかれ、激痛に耐えながら背筋をまっすぐに伸ばした。
「死んでいなければ治療はできる。せめて僕の荷物にならんようさっさと歩け」
「歩くって、ど、どこに……」
「出口を探す。お前を放置してイデアに遭遇しようものなら目も当てられん」
本当に面倒なことをしてくれた。
あとから付け加えられた言葉に痛む背が丸くなる。
好奇心に釣られて危険地帯に近づいたリリーを止められなかったのは総真の落ち度だ。
先輩に多大なるご迷惑をおかけしている自覚を持ち、すっかり意気消沈してしまう。
「ごめんなさい……もしか、して……パグロの……」
「違う。任務の話はするな」
せめて刃夜の任務が何なのかを把握し、彼の目的を一緒に果たせたらと思っていたが一蹴されてしまう。
一般人の前で任務の話はできないと繰り返し注意され、痛みと共に押し黙る。
指輪を探しに下層まで来ただけなのにどうしてこんなことに。
薄暗く水音が響く地下の中、刃夜を先頭に激痛と戦いながら歩く道。
隣を歩くリリーの表情が伺えず、先の見えない通路の暗闇を呆然と見つめていた。




