鈍色の輪#5
中層は昨日訪れたときと変わらず活気に満ち溢れていた。
街中を注意深く観察してみれば彩春の言っていた稲妻の入った藍色の着物がちらほらと視界に入る。
彼らは葬務官の制服を見かけると軽く会釈をし、自らの仕事に戻っていった。
「知り合いかい」
「ええっと……まあそんな感じで……」
「葬務官は顔が広いんだね」
「リリーさんはこの区に住んでいるんじゃ?」
「最近来たばかりなもので詳しくはないんだ」
皇がこの街を巡回し始めたのは自治区ができてすぐのことだ。
長く住んでいれば見かけない日はないだろう。
お互いに自治区に詳しくないことが分かり、捜査が難航しそうな気配を感じる。
だが彼女はそれでもかまわないと言いたげにふらふらと街並みを観察し、あちこちに顔をのぞかせた。
「物価が高いとは聞いていたが、本当に無茶苦茶だ」
「俺も昨日きてびっくりしました」
「上層の方が高額だったけれど中層もまあまあするよね」
彼女のいう通り上層のカフェで紅茶代を聞いたときは耳を疑った。
1杯7000円と言われたのだ。高級ティールームなのは承知していたが、あまりにも馬鹿げた金額過ぎる。
泡を吹いて白目をむきそうな総真の横で、自分が注文したからとリリーが支払ってくれなければ早々にリュードの小遣いに手がでるところだった。
ただ紅茶をたしなんで雑談をするのに7000円なんて。
ほかの区なら10分の1で小一時間は下らない話に花を咲かせられる。
ここでは1日居座ったって割に合わない。
「リリーさんは元々どこの区に住んでいたんですか?」
「ああ……どこというわけではないかな。一番長くいたのは南区だよ」
「転々としていたんですか?」
「そうさ。一所に留まるのは性に合わなくてね」
大抵の人はどこかの区に終の棲家を作って、その区に貢献して散っていく。
どこの区も専門的な分野に特化しており、互いに干渉していない。
唯一あちこちふらふらとしているのはシャーレに所属している人間だ。
浄化装置や海魔の対処は突発的かつ全ての区で起こりうる。一所に留まっていては仕事が進まない。
似たような仕事は何個かあるが、その中のどれかだったのだろうか。
それともシャーレの職員だったのか。
「実はこの指輪は私お手製なんだ」
「え!?ご自分で造ったんですか!?」
「彫金の心得があってね」
彼女の左手に輝くリングは何でできているのかさっぱり分からない深い蒼をしている。
砂浜から深海までを一挙に彩る様は見ていて飽きず、丸く太陽の光を反射する円は職人技を感じる。
「素材を選んで、手伝ってもらいながら作ってね。それをなくしたんだから酷いものさ」
結婚指輪は誰にとっても思い入れの深いものだ。生涯添い遂げる相手に贈ったもの、贈られたものなのだから。
なくしただけで一生小言を言われても仕方がないと母に教わった。
ましてや自らの手で努力してプレゼントしたのなら悲しみも人一倍だ。
今日1日で探すのを打ち切るだなんてきっと本心ではない。
中層を当てもなく探して歩き続けているが、目に映る品々を眺めてウインドウショッピングと雑談を愉しむばかりで本題は影も形もない。
長いようで短い午前の時間を既に捨て去っていきそうな時間に眉を顰め、総真は店を眺めるリリーの肩を叩いた。
「聞き込みとか、落とし物の届け出とか、できうる限りのことをしてみましょう」
「そうだね……まずは聞き込みからしようか」
道を歩き回って地面を眺めていてもあのサイズの指輪は早々見つからない。
人の足にさらわれてどこに飛ばされていてもおかしくないし、誰かに拾われるか、売りに出されている可能性もある。
リリーの指にはめられた輪をそのままに、2人は道行く人々に話を聞いて回った。
最初は声をかけても無視され、誰も返事すらしてくれなかった。
だがリリーが突然、聞き込みをしていた男性に金を握らせてから態度が急変した。
「これ、少ないけど取っておくといい。ただこの指輪と同じものを探しているんだ」
「へぇ。ソイツと同じ指輪ね」
ここは自治区。金でなんでも買える場所。それは当然情報も。
チップさえはずめば気前よく口を割る通行人もいた。
だが誰もが知らないと答え、知っていると口にした人は大抵が嘘っぱちだ。
真贋が定かではなく金目当てで話をしているだけだ。
その中に1つ、有力そうな話を持ってきた女性がいた。
「この前、下層の質屋で見かけたかもしれないわ」
「下層の?どのあたりにある?」
「中央の公園近く。下層に質屋なんかいっぱいあるから大体しか分からないね」
道行く女性の証言を整理すると、下層には公園が何個かあるらしい。
1つ、中央に遥か昔からこじんまりとした公園があり、その周辺には複数の質屋がある。
自治区では質屋に出入りする人間はそう珍しくなく、彼女も来店した折に見たのだとか。
全く同じかはさておき、リリーの指にあるアクアブルーに近い色をしていた。
「見に行ってみる価値はあるね」
「では下層に行ってみましょうか」
中層は午前中を使いつぶして歩き回って影も形もなかった。
2人は一縷の望みを賭け、下層の質屋へと向かった。
中層から下層の質屋へ向かう際、スマートフォンで地図を確認したところあちこちに質屋が点在していることが分かった。
その店舗でも指輪らしきものの取り扱いをしており写真を載せている場所もある。
パッと調べた中にリリーの指輪は見つからず、聞き込みを続けながら徒歩で探すことと相成った。
「中層もそこそこ暗かったけど、ここは完全に日陰だ」
「吹き抜けに行かない限りは人口の明かりしかありませんね」
北区を訪れる際に通り道として活用した下層はあまり見て回れていない。
店に置いてあるものは他の区とそう変わらない品物か、多少劣っているものが多い。
値段自体は他所と変わらず、劣化品が通常よりぼったくりな程度か。
中層から上層に比べれば幾分か良心的だ。
だが2枚のプレートに阻まれた土地は地下と変わらず、土があるというのに薄暗い。
街灯ばかりに頼って生活をしており、吹き抜けから差し込む太陽がまぶしい。
「地図によるとこの辺りの質屋だけでも数十店舗ありますね……」
本命の店舗は中央の公園周辺にある。
そのあたりも何店舗か質屋があるが、指輪の取り合柄いがあるのは3店舗だけだ。
その3つを優先的に調査しようと提案し、2人は下層を歩き始めた。
「なんだか誰かに見られているような気がする」
「そう、ですね……」
ふと、周囲からどことなく視線を感じ視線だけを動かす。
はっきりとした姿は見えない中で誰かの視線を感じ続けている。
薄汚れた地下街に女性と子供2人でやってきたのは失策だったかもしれない。
治安が悪いのを失念していた。弱そうな外見では周囲から付け狙われる。
総真は葬務官の制服を身に着け、リリーは値段こそ分からないが小奇麗な服を着ていた。
力ある葬務官に怯えて考え直してくれればよいのだが。
「しかし質屋か。仮に売られていたとして買い戻せるだろうか」
「どうでしょう……盗品扱いで返してもらえないのかな……」
「個人的に制作したものだから盗品かどうかもまず分からないだろうな。全く同じものを持っているからって言うのは証明にならないし」
もし本当に質屋に売られていたら拾い主が誰であれ、元の持ち主がなんであれ買い直さねばならない。
自治区では取得物の法律がほかの区と若干違う。
他の区では葬務官や参列官に届け出を出すように法律が決まっている。
届け出が必要な物品のルールや窃盗扱いになる行動の明確な棲み分けがあった。
だがこの自治区では拾得物に関する法律が一切ない。
自身で保有してしまってもいいし、売りに出されても文句が言えない。
実際に葬務官の制服が売られていた事件があったと、調べればすぐに出てくる情報だ。
その際はシャーレが買い戻したそうだが、権力ある組織でも自治区のルールには逆らえない。
「その時は予算と相談するしかないですね」
「あることを祈ればいいのか、ないことを願えばいいのか」
複雑な心境になりながら道なりを進んでいくと、北区の中央付近へとたどり着く。
中央と言っても区自体の中心ではなく、北区で栄えている街の中心地という意味だ。
その真ん中には不思議なことに手入れの行き届いた公園があり、様々な人が点在していた。
目的地は周辺。公園の周りには一般の住宅も多少あったが、いくつかは店舗のようだ。
質屋は目に見える形で店を構えており、2人は目の前にあった1店舗目から探りを入れた。
店舗では実物であるリリーの指輪を見せ、見覚えがないかと問うことから始まる。
1店舗めは店員は首を傾げ、今ある指輪を見ても似ているものは1つもなかった。ここは外れ。
2店舗めはなんとなく心当たりがあると言い、色味の近い指輪を差し出してきた。
しかしこれは違うとリリーが否定。カラーリングが近くても作りや素材が違うと。
そちらも候補から除外し、残るは公園から少しばかり離れた位置にある質屋だけとなった。
「ここはレビューが悪いですね。周辺の治安環境が良くないって」
「気を付けていこうか」
制服の襟を正して向かった場所は案内の通りゴミが多く人通りも少ない細道だった。
この通りにあると言われると入りにくいが、探し物のため。
リリーの傍から離れないようにゆったりとした足取りで道を進む。
海魔相手に戦うことに迷いはないが、人間の相手をするとなると総真は弱い。
喧嘩は生まれてこのかた手が出たことがないし、深水の扱いになれていない。
仮に深水操作を行って相手を退けたとして怪我を負わせるかも。
考えれば考えるほど恐ろしく誰にも目を付けられないように祈りながら前へと足を進める。
すると不意に、物陰からガサゴソと音が響き渡った。
「何故こんな任務が……」
「あっ」
「ん?」
音の方向に目を向けると真っ黒な髪が視界にはいる。同時に認識したのはすがすがしい程に晴れやかな制服だ。
雲よりも白い制服に身を包んだ黒髪の男。横顔から覗く青い瞳に見覚えがあり、その声音はつい昨日聞いたばかり。
何かの袋を引き摺って横道から現れたのは皇刃夜その人であった。
「貴様、リュード様の……」
「刃夜先輩!?」
下層での予期せぬ出会いに大声を上げた総真に、刃夜は目を細めた。




