鈍色の輪#4
彼女からの同意を得てから、もう夜遅く数時間で朝日が昇ることに気が付き、家に帰るよう促された。
「もし家がないのであれば私の自宅に案内するけど」
「いえ!ちゃんと帰る場所はありますから!」
「そう?じゃあもう帰りなさいな。また明日、時間はいつでもいいからこの場所で会おう」
本当に迷子なのかと心配させてしまったらしく、総真は急いで立ち上がりその場を後にした。
暗い中小さな指輪を探すのは無謀だ。彼女のいう通り家に帰った方がいい。
大して短くもない帰り道。そういえば彼女の名を聞いていなかったことを思い出す。
更に言えば家の場所も、どこに住んでいる人物なのかも知らない。
上層に入れているということはおそらくこの辺りの人間なのだろう。
またあの広場で会うのであればその時尋ねればいいか。
「海を見たら気分が落ち着いたし、急に眠くなってきた……」
外に出て夜風を浴び、すっかりせわしなく暴れていた気分がしぼんでいく。
疲労による眠気がどっと押し寄せ、戻る足取りはぎこちない。
駆け込むように滑り込んだ家の中はすっかり灯りが落とされており、足音を立てないよう細心の注意を払って廊下を歩いた。
すっかり冷え込んだ木の板を踏みしめ、いつの間にやら敷かれた布団に身を滑らせる。
横になれば身は指先1つ動かせないほど沈み込み、瞼が重力に逆らえない。
微睡みに流されるままに訪れた暗闇は夜風に紛れて少しばかり寒気を感じていた。
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翌朝。ぐっすり眠った体は多少の疲れだけを残してほぼ全快。
朝食に出された滋養強壮に良い漢方と薬膳料理に舌鼓を打ち、食後のほうじ茶を啜っている間、総真はそわそわと肩を揺らした。
まるで昨晩の再放送を見せられている気分になった白狼から怪訝な目を向けられる。
「テメェ、じっとしてられねぇのか」
「ご、ごめん。今日の予定を昨日のうちに聞いてなかったと思って……」
「今日ね……私と白狼は治剣先輩からまだ出かけないように言われているのよね」
「え?そうなん?」
昨晩総真が出て行ってから、治剣は再び2人を診察していたそうだ。
体に大きな異常は出ていないが連日の戦闘による傷を無理やり葬術で治療して何度も戦っている影響が出ているらしい。
体調は芳しくなく、できれば数日、無理ならせめて1日様子を見る時間を確保することを勧められた。
特に常に冷気を放っている白狼は息をするだけで凍傷になりかける可能性が高い。
高い割合で深水を保有する患者によくみられる症状らしい。
皇家ではこの症状を発現する者が多く、気を静める漢方も詳しいのだとか。
「白狼は明確に休んだ方がいいわ。かといって貴方の性格なら私が動いていたらついてきてしまうでしょ?2人そろってちゃんと休むっていうのが今日の大事な任務だと思うの」
「チッ……んな甘っちょろいこと言ってる場合かよ」
「甘っちょろくなんかないわ!怪我や病気は悪化する前に治す!常識でしょ!」
言い返そうとしても頭が回らず言葉が出てこないのか、唸り声だけが残される。
狼の唸り声にしては覇気がなく、万全の状態でないのは明らかだった。
南区で無茶をしてから、カジキと戦闘、イデアとの遭遇。連日休めていない。
深水や葬術は潜伏している病気と同じだ。元気な時に扱えばなんてことはないが、不調の際には症状として現れる。
葬務官にとって体が資本というのは命に直結する話なのだ。
「総真は休んでもいいし、出歩いてもいいわ。昼は皇の人たちが出歩いているから危ないことはまずないって」
「皇家の人って見分けつく?」
「黒髪で目ぇ青いやつは全部そうだ」
「それじゃわかんないって!目はまだしも黒髪は多いって!」
「みんな着物を着ているそうよ」
全員、柄のどこかに雷のようなマークの入った藍色の着物を身に着けているらしい。
上層には数人いるかいないかだが、中層から下層にはそれなりの数が巡回している。
困ったら声をかけるか、大声で叫べば目立つ制服を探して走ってきてくれるだろうとのこと。
そのために必ず出かけるときは葬務官の制服を着用するように言い含められた。
「制服って目立たない?」
「いないわけじゃないから。遠巻きにされるくらいよ」
「上層に入れる葬務官がすくねぇから警戒されるだけだ。下はちょっと見られるだけでおわんだろ」
説明になるほど、と納得した総真は制服で外出することを約束した。
2人はそれに安心したのか、湯呑を飲み干すと直ぐに部屋にもどってしまった。
何もなくてよかった。今日は休日、と考えてよいだろう。
これで心置きなく彼女の指輪を探しに行ける。
部屋に戻った2人とは反対に玄関へと飛び出していく。
食事を用意してから一度本家に戻ると出かけて行った治剣のために中層から下層に出かけると置手紙を残して、約束の広場へと駆けだした。
進む道は昨晩と打って変わって人通りが多く、活気に満ち溢れている。
道端にはコーヒーの香りが潮の香に混ざって漂っており、進む足が徐々に速くなっていった。
煌びやかな街並みとは反対に静寂と高級感を売りにしている上層では、潮風が吹き込むテラス席が人気だった。
がやがやと騒がしい人々の席が広場のすぐ近くまで広がっており、コーヒーの香りと甘いお菓子に釣られていく。
店が開いたばかりの時間帯だというのに客入りが多く人を探すのには向いていない。
先に広場の方を見たほうが良いかと海へ視線を滑らすと、長い黒髪が視界をかすめた。
テラス席で最も海に近い側。パラソルの下で優雅に紅茶を愉しむ女性が映りこむ。
人混みの中でも家族だけは見つかるように、何故か視界に大きく映り込んだ女性はあの夜のように星空の瞳を海へ向けていた。
人波を避け、広場側からぐるりと遠回りをして女性の視界に入り込むとあちらも気づいたのか微笑みを浮かべる。
手招きのままに彼女の席へ座ると、手早い動きで店員を呼んだ。
「同じものをもう1つ」
彼女が飲んでいるのは紅茶のようだ。暖かなティーポットから爽やかな柑橘の香がする。
「私の家族が普段飲んでいるものでね。ベルガモットは好きかな」
「もしかしてアールグレイですか?」
「ああ。ここのは一般的なアールグレイより柑橘類の香りが濃いね。爽やかさが一段違う」
アールグレイはロックが好んで購入する茶葉だ。
店をよく見ると店内に並んでいる茶葉たちのパッケージに見覚えがある。
ここはティールームとして有名な店の系列店らしい。まさか自治区にも展開しているとは。
桃色のパッケージはロックの私室に常備されていたものと同じだ。確かあれは店一押しの茶葉。
好む割に値段が高く、最も近い店舗は中央区だけだという理由でお土産によく選んでいた。
羊羹と一緒に紅茶を飲むものだから、母と一緒によく笑っていたものだ。
「お待たせいたしました」
ものの数分で出された紅茶は非常に覚えのある香りだ。
淹れたてであるほど良く分かる。ロックが好んで買うあのパッケージと同じもの。
人気商品だとポップに書かれている。爽やかな香りと頭がすっきりと冴えわたる感覚は確かに万人に好まれるだろう。
かくいう総真も子供のころから慣れ親しんできたこの茶葉は好ましく感じていた。
「俺、この茶葉好きなんです。ご家族とは気が合うかも」
「それはよかった」
最初の一杯。紅に染まる茶を香りと共に楽しみ、潮風を肴にほのかに抜ける甘味を感じる。
普段と違う場所で飲むいつもの紅茶とは何とも乙なもので、強張っていた肩から力が抜けていく。
すっかり気の抜けてしまった総真をくすくすとわらった女性は、ミルクの沈んだカップを揺すった。
「本当に来てくれるとは思わなかった。素性の知れない女の話をよく信じたね。危ないからお人よしはこれきりにした方がいい」
「それはお互いさまですって」
軽率だったのは真実だ。だがどうにも総真はこの女性が放っておけなかった。
同じ顔をしているからだろうか。なんとなく、気になって仕方がなかった。
「名前を聞くのを忘れちゃったし名乗るのも忘れちゃいました。俺、日野総真です」
「ご丁寧にどうも。葬務官だったなんて気づかなかった」
「昨日は私服でしたから……」
今日は新品の制服に身を包んでいる。支給されたばかりで皺ひとつない。
訓練官を示す腕章と真っ白な制服はやはり目立つのか、視線が先程から突き刺さっている。
目の前の女性は総真が葬務官であったことに驚きはしたものの気にした様子はなく、自身の胸に手を当てた。
「私はリリー。海原リリーだ」
「海原さん?」
「リリーでいいよ。あまり苗字で呼ばれたことがなくてね」
女性改めリリーはにこやかに笑って少なくなった紅茶を飲み込んだ。
互いの自己紹介を終えたあと、彼女は左手を机の上に置く。その指にはまった指輪が太陽にてらされて眩い程輝いていた。
「さて、もう1つの指輪を探すわけだけど。流石に2人で探すには分が悪いからね。ある程度捜索個所は絞ったよ」
「旦那さん、落とした場所に心当たりがあったんですか?」
「大方ね。でもここで注意が1つ。見つからなくても必ず今日で捜索を打ち切って欲しいんだ」
「え……今日だけで?」
「そう。今日だけで」
彼女曰く、指輪をなくしてからかなり長い時間が経っている。
そもそも見つかると思っておらず、ぶらぶらと自治区を歩き回りながらゆったり捜索するつもりだったと。
だからたとえ見つからなくても構わない。総真の貴重な時間を長く奪うわけにもいかない。
だから1日。今日1日自分に付き合って欲しいと、彼女はそう告げた。
「そんな……何日かかっても見つけたほうが……」
「いいんだ。兎に角今日1日。私と自治区を回ってくれればいい」
彼女の眼光は鋭く、決意は硬そうだ。
探し主であるリリーが良いのであれば異論はない。彼女には彼女の事情がある。
深く頷いて同意を示せば彼女は微笑み返してくれ、小さな間が生まれた。
生暖かい海風が頬をさらい、金色が瞬いていく。
どことなく、雰囲気の似た誰かを知っている気がしてじっと見つめていると、彼女は広場の方を指さした。
「まずは中層を探そうか。彼曰く、下の方にあるかもしれないってさ」
指をさされた広場のはるか下。上層に太陽を阻まれながらも天より眩い街並み。
中層へと向かうため差し出された手を、茶によって火照った手でつかみ取った。




