鈍色の輪#3
向かった居間は広々としていて、出された食事も豪華なものばかりだった。
肉料理を中心に汁物と白米、15歳が飢えぬように量がとても多い。
シャーレの食堂もおいしかったがここで出される料理は高級という言葉でしか表せない複雑さがあった。
食後のアイスまで出され、腹も膨れて大満足の状態で部屋に戻って休むよう促された。
心身ともに綺麗になって腹も膨れれば人間誰も眠くなるものだ。
極度の疲労から白狼と彩春は暖かな緑茶を片手にすぐに部屋に戻ると告げた。
「俺は少し散歩してこようかな……」
同じように湯呑に口を付けた総真からため息と一緒に小さく音が零れる。
すぐさま眠りにつきたいのは同じ気持ちだったが、どうにも居心地が悪く歩き出したい気分になっていた。
なんとなく、脚が勝手に外に出ていきたいとうずいているようだった。
自分の頭とは反対に体がそわそわと落ち着かず、落ち着かせる手段は気分に従うしかない気がする。
「上層つっても夜に雑魚1人じゃあぶねぇだろ」
「イデアは……まともな判断ができればもう北区にいないだろうけど、それでもちょっと……」
「私が同行しようか?って、私じゃあんまり戦力にならないか」
満場一致で1人での外出に苦言を呈され苦笑いが零れる。
確かに相手の狙いが自分である以上、誰も供を付けずに他所をほっつき歩くのはリスキーだ。
だが彩春と白狼には早く休んで欲しいし、治剣に戦う能力はほとんどない。
「1人で行くよ。屋敷が見える範囲で散歩するからさ」
「それなら少し北に見晴らしがいいところがあるよ。吹き抜けになってて下層まで見えるんだ」
「あの壁と同じ高さのところっすか?」
「そうそう。よく知ってるね」
上層のどの位置に屋敷があるのか分からないが、北の壁に随分近い位置に立っているらしい。
壁と同じ高さに地べたが造られており、海が見渡せる広場があるのだとか。
何故かそれを白狼も知っており、思わず怪訝な顔をしてしまう。
「名所の近くにカフェがあったような……この時間はやってねぇとは思うが」
「マジでほんとに白狼詳しすぎないか?」
「どうでもいいだろンなこと」
カフェってなんだと尋ねても彼は不機嫌そうにそっぽを向くだけで教えてはくれなかった。
上層は一般人ならどうあがいても立ち入りできない場所だと説明された気がするのだが。
内部事情に詳しいということは少なくとも以前に訪れたことがあると白状しているものだ。
だがこれ以上尋ねても余計に不機嫌にしてしまうだけな気がして、総真は一歩下がった。
「んじゃ、その広場まで行ってすぐ帰ってくるよ」
「気を付けてね」
「なんかあったらすぐ逃げろよ。テメェ逃げ足しか取り柄ねぇんだから」
「酷いな!」
心配してくれているのはよく分かるが言い方が悪い。事実だけれども。
絶対に広場より先にも後ろにも進んではいけないことを言い含められ、何とか玄関から飛び出した。
上層の夜は思ったよりも人気がなく、道は街灯でほんのりと照らされている。
綺麗に整備されている街並みばかりを見てきた身からすると、人々が好き勝手に拡張してごちゃごちゃとした街並みは見目新しい。
ところどころ違う色のレンガが敷かれた道を歩き、教わった広場を目指す。
潮の香が強いほうへふらふらと歩みを進め肌寒い風に腕をさする。
広場への距離はそう遠くはなく、数分と立たずに言われていた開けた場所に出る。
壁と同じ高さに敷かれた地面と見渡す限りの海。
下を覗けば遥か下層まで大穴が空いており、吹き抜けとはこれのことかと感心する。
すぐ近くには白狼が言っていたカフェらしき建物が見つかり、広場のベンチにそっと腰を下ろした。
「眩しいなぁ……」
真っ直ぐ見た先にある海は真っ暗な凪で静かなものだが、変わって下はネオンサインと喧騒に包まれている。
賑やかと表現するには喧しく、うるさいと罵るには魅力的すぎる。
誘蛾灯に群がる羽虫の気分が良く分かるというものだ。
あれほど魅力的な光は早々ありはしないだろう。
北に見える海もそれは同じだ。遥か遠くにあるというのに耳元にさざ波に音が聞こえている。
海を見たのは南区がはじめてで、北区では視界の端にあった程度だったというのにどうしてこうも郷愁を感じるのだろう。
神たる父と母の影響か。それとも自分自身、赤子のころに思い出でもあるのか。
視線の先にある彼方の月を見上げ、水平線に落ちて行く星々を見つめ続ける。
不意に、星の影に緩やかな糸のようなものが混じり始めた。
段々と束になって折り重なっていく影が髪のようなものだと気付き、次第に衣服や人の姿が目に入り始める。
不思議に思って広場から視線を少しずらすと、柵になった手すりに身を預けて同じように海と空を眺める女性が立っていた。
女性は夜空のように黒い髪を靡かせ、夜に溶け込む真っ黒なワンピースを身に着けている。
空を眺める瞳は金色に輝いており、1等星の如く輝いていた。
忖度なく綺麗だと言える女性に目を奪われていると、視線に気が付いたのか女性がこちらを振り返る。
彼女は総真の姿を眺めてしばし驚いたような表情を浮かべ、ゆっくりと口端を緩めた。
「こんばんは、少年。迷子かな」
小鳥のさえずりとまごうほど心地よい声音は鼓膜を揺らし、夜の空に溶けて行った。
「迷子、ではない……と思います……」
帰るべき家と迎えてくれる家族は少なくとも複数人いる。
どれほど恵まれた環境なのかは痛いほど分かっているというのに、声音は自信がなく虚ろだ。
女性は返答に何を思ったのか眉を八の字に下げ哀れむ視線を総真へと送った。
迷子を認められない子供に事実を突きつけるのを躊躇っているかのようだ。
「あなたがそれでいいならいいさ」
暗がりの中、輪郭があやふやな女性はただそう言って再び海を眺め始めた。
ベンチと柵の手前。僅かな距離感の間に沈黙が落ちる。
遠いさざ波と高所に吹く冷たい風が肌を扇ぎ体温を奪っていく。
どれほどそうしていただろうか。女性は満足したのかやっと暗がりから真っ直ぐ総真へと振り返り、明るい街灯の下に現れた。
不思議のも女性の容姿にはとても既視感があり、鏡の前に立っている感覚に陥る。
長い髪と金の瞳がなければドッペルゲンガーと見紛うほどだ。
古い言葉に自分に似た人間は3人いるという話があったが、まさしくその1人に出会った気分だった。
「あの……どこかで会いましたか……?」
「おや。ナンパかい?」
「あ、いや!そういうつもりでは!」
確か女性を引っ掛ける文句の代表例に以前であったことをほのめかす文言があった。
歴史の教科書に載っていた1000年前のこの地に関する俗っぽい話として若人の間ではそこそこ話題になる。
総真も例にもれず話には聞いたことがあった。
まさか自分が意図せず口にしてしまうとは思わず、慌てて両手で軽薄な紅を覆う。
「ごめんなさい……夜更けに男からこんなこと言われたら怖いですよね……」
「ふふ、あなたはどう見ても子供だからね。可愛らしいとは思っても怖いとまでは思わないかな」
「それはちょっと危機感がなさすぎでは」
「お互い様だろう」
日が暮れてしばらくたつ広場で男女が互いに1人きり。
片方は子供で、片方は細腕の女性だ。どちらも危機感がないと言われて反論できはしない。
指摘に肩を窄めると女性は声を上げて笑った。
「ははっ!ごめんね。意地悪を言った。お詫びにどうして私がここにいるのか教えてあげよう」
それは果たして詫びになるのか分からなかったが、彼女が何故この広場にいるのかは気になる。
容姿の似ている人間にこんなことを言うのは恥だが、女性はとても整った顔立ちをしていると思う。
美人に分類される彼女が夜に広場にいるのは少々浅はかだ。
だがこれには列記とした理由があるのだと彼女は肩を落とした。
「結婚指輪を探している。私のではなく、夫のね」
「旦那さんの?」
「夫は私が選んで渡した指輪をいつも落としてしまうんだ。ひどいよね。私はこの通り自分のがあるんだけどね」
彼女が見せてくれた左手の薬指には半透明でいびつな輪が収まっている。
金属には見えないその輪は何か特殊な素材でできているのか、明るいところは水色に、深く色づいたところは藍色から漆黒へと濁っている。
現実味のないおもちゃのような見た目だが、確かに彼女の左手に収まっていた。
これと対になる指輪を彼女の夫が北区で落としてしまったらしい。
「これと同じものがどこかにあるはずなんだ」
「広場だけじゃなくて、北区全体ですか?」
「そうさ。1人で探すのに手こずっていてね。こんな夜更けまで出歩いているわけだ」
女性は迷子を捜していると冗談交じりに言っていた。
確かに指輪が迷子になっているのだ。しかも夫の。
彼女の主張が正しければ何度も落としてしまう困った夫のために。
愛想を尽かしてしまってもおかしくない話だが、彼女は根気強く指輪を探しているという。
「探し始めて2日くらいになるかな」
「じゃあなくしたのは最近?」
「いや、随分前だと思う。彼ってばなくしたことを隠していたから」
いずれバレるというのに夫は指輪をなくしたことを言わず、ずっと放置していたらしい。
最近捨てられていることに気が付いた女性はこうして北区を探し回っていた。
「この地区は広すぎる。手がかりがあったとしても見つかるのはいつになるか」
北区であるという情報だけではこの地での探し物はほぼ不可能だ。
彼女は無理難題だったとしても1人で2日間歩き回り、この広場にたどり着いたばかりだという。
女性が物憂げに指輪を擦る。ほんの少し見えた肌には傷跡が残っており、ぐるりとリングの形に一周していた。
そこから先が千切れ、縫って付けたような痕だ。
自分には想像できない彼女にとって過酷な人生があったのだろう。
そのうえで結ばれた夫に指輪をなくされている彼女が不憫で仕方がなかった。
「あの……宜しければ俺も迷子探しに加わっていいですか?」
「あなたも?」
「これだけ広い北区なら人手があった方がいいですよ」
「それはそうだけれど……」
彼女の表情は険しい。渋るのも無理はない。素性も知れない子供に捜索を頼むような代物ではない。
だが1人では無謀なのも確かだ。
顎に手を当てて考えるそぶりを見せた女性は指輪を見つめ、眉を八の字にしたまま控えめに頷いた。
「うん、そうだね。お願いしようかな」
不安そうに指輪を爪でひっかく姿は痛々しく、総真は心が締め付けられる。
必ず見つけ出そう。薄情な夫を想う彼女のためにも。




