鈍色の輪#2
疲労感が拭えない3人は治剣の案内の元、上層へと足を踏み入れた。
自治区内部は複雑に絡み合っており、道1つ探るだけで体力を削られる。
その中でも上層へ向かうための道は太くのびやかでとても目立っていた。
まるで天国へ向かうための階段は人通りが明らかに少なく、上に向かうほど人々の服装に明確な差が出てくる。
葬務官の制服を着ている者たちは全くおらず、シャーレに所縁ある者は皆無だ。
むしろ珍しいと言いたげにじろじろと見られ総真は居心地悪く肩を揺らす。
先を歩く治剣は慣れたものなのか全く意に介していない。
本当の意味で済む世界が違う場所が上層だ。肌で感じられるほど外とは空気が明らかに違う。
「今日は直ぐ家で休んでね。気絶してた彩春ちゃんと白狼くんは特に。葬務官は体が資本だからね」
「はい、先輩」
「りょーかいっす」
そわそわと落ち着かない総真とは違い、彩春は堂々としており、白狼は他人の視線を意に介していない。
葬務官はどうしても目立ってしまう職業なのは承知しているが名家の出である彩春はともかく白狼まで慣れているのは解せない。
仲間じゃなかったのかと半分裏切られた気持ちで白狼を見ると、彼は苛立ちを露わにした。
言いたいことがあるならはっきりと口にしろと表情が物語っている。
「いや……俺落ち着かなくて……白狼だってこの感じ慣れてないだろ?」
「あ?……ああ、まあじろじろ見られんのは腹立つけど上層ならこんなもんだろ」
「なにそれどういうこと?」
「ここじゃ葬務官の方が珍しいんだ。見られてもしゃーねぇ」
「白狼がなんでそんなこと知ってんのさ」
「チッ、どうでもいいだろそんなこと」
まるで上層のことを良く分かっているかのような発言を問い詰めると、白狼は面倒くさそうに舌打ちを落とす。
それ以上はどれだけ尋ねても答えてもらえず、渋々追及の手を止めた。
しばし居心地の悪い視線を感じながら綺麗に整えられた道を進んでいくと、一軒家が立ち並ぶ住宅街に差し掛かる。
あちこちに洗練された建物が立ち並び、そのひとつひとつの土地がとても広い。
豪邸と呼ぶ以外に表現しようのない煌びやかな家屋ばかりがあり、どこも暖かな明かりがついている。
庭先は広く取られている家が多く、塀がとても高い。
集合住宅が多い他の区とは大違いだ。
西区の田舎に住んでやっと一軒家に住めるかどうかというほどしか住宅用の土地はないというのに。
ここでは金さえ積めば広々とした自らのテリトリーを確保できるのだ。
自由を買えるとは何といい響きか。
「ここが伯父さんの家だよ」
広く取られた角地。道路に面している部分はほとんどが木に覆われ、離れた位置に母屋が見える。
明るく派手で、古くから洋風と呼ばれる家が立ち並んでいた一角とは場違いに瓦屋根と薄暗い木でできた重厚な日本家屋が目につく。
この土地に根差した伝統的の形だが、昨今では非常に珍しく見かけることは殆どない。
これほど立派な日本家屋はそうそうないかもしれない。
個人宅だというのに門構え1つで周囲を威嚇できる風格だ。
「数日ここに滞在しながら自治区を見て回ると良いよ。その間は私が様子を見に来るからさ」
「数日って……任務は?」
「訓練官に振れるような仕事が今すぐはないんだって。それに総真君は特殊な立場にあるから」
シャーレにやってきてから総真の日々は目まぐるしい。まだ1週間も経っていないことが信じられないほどだ。
その間に怪我を何度もし、人生がひっくり返るような経験をしてきた。
ここで一度整理する時間と休憩を挟みつつ静養してはどうか、というのが剱の提案であった。
なんとなく伯父のリュードの顔が透けて見える。
だが怒涛の展開で疲れていたのも事実だ。休めるのならそうしたい。
時間が空くと余計なことばかり考えて頭がパンクしてしまう故、何かすることがあるのもありがたかった。
見て回るだけでも新鮮な自治区の中ならおかしなことを考えずに済む。
アビスのこと、自分自身のこと、イデアのこと、家族のこと。
全てを考えるにはあまりにも総真の脳は小さい。
落ち着くための時間は必要だろう。
「そういうことならお言葉に甘えて……」
「はしゃいで迷惑をかけないことだけは気を付けないと」
「大丈夫!ここは皇の縄張りだから何かあれば伯父さんの命令1つでどうとでもなるし、自由に過ごせばいいよ!」
「すんごい怖い」
いまさらっと恐ろしい話が聞こえた。命令1つでこの区で起こったことをチャラにできる力が剱にあると言わなかっただろうか。
権力がたった1人に集約されている事実が非常に怖い。皇家はそれでいいのか。
「神崎の私も一緒ではご迷惑なんじゃ……」
「伯父さんが命令している限り問題ないよ。むしろ神崎の家に弁明しておいてほしいくらいかな」
「正確に説明しておきます!」
皇と仲の悪い神崎はこの地にいるだけでそれぞれの家に迷惑がかかるかもしれないと危惧していたが、幸い側仕え同士で剱と冬仕は顔見知りだ。
神崎側に誤解さえなければ快適な生活を約束すると、彼女は胸を張った。
治剣がまず用意したのは綺麗な寝床と美味しい夕食だった。
それぞれに個室が与えられ、新しいイグサのいい匂いが漂っている。
着替えすらない3人にはなぜか新品の制服と街に溶け込むような私服らしきものが置かれ、シャーレからの支給品だとそのままもらうように言われた。
生活用品と制服の支給は確かにシャーレの義務として書かれていたが、これは職権乱用ではなかろうか。
だが走り回って汗だくになった総真にとって着替えは素直に有難い。
言われるがままに風呂を進められ、大人が数人余裕で入れるような浴室に白狼と共に案内された。
「彩春ちゃんと私はもう1つのお風呂に行ってくるからごゆっくり!」
「え?もう1個?」
尋ねる前に治剣は彩春を連れてそそくさと長い廊下を去ってしまい、聞くに聞けないまま風呂場に男2人。
「しゃーねぇ。さっさと入るぞ。浄化も必要だろうが」
「まあ……そうだな……」
立ち尽くしていてもしょうがない。どちらにせよ女性陣がいると風呂には入れないのだ。
お言葉に甘えて広い風呂を2人で使うことにした。
実家の風呂はそこそこの大きさだったが、銭湯にも負けない浴室を個人で所有しているのは初めて見た。
剱は殆ど家に帰らないと聞くが、一体誰が管理しているのやら。
湯気立つ浴室にて遠慮なく汗を流し、さっぱりとした心地で湯船に浸かる。
足先がぴりぴりと痛み、全身から疲れが抜けていくようだ。
隣に同じように湯船に浸かろうとした白狼が少しばかり眉根を寄せているのが気になるが、最高の気分だった。
「あ~……つっかれた……」
「雑魚の癖に全力疾走するからだろうが」
「あ!俺のおかげで怪我しなかったのに!ちょっとは褒めろよ!」
「ああん?」
口をへの字に曲げ、ごみを見るような視線を向けられ肩をすぼめる。
白狼からすれば雑魚で戦闘にまるで貢献できていないのは分かるが、逃走手段として立派に役目を果たしたと思う。多分。
ジロリと睨まれ非常に居心地悪くもぞもぞと居住まいを正す。
雑魚のくせに調子に乗ってしまったと深く反省していると、意外にも白狼から控えめな声が届いた。
「……あんがとよ」
「え?」
「あ?」
「……今お礼言った?」
「聞き間違いだ」
「ええ!?そこは肯定してよ!」
相当恥ずかしかったのか、白狼は何も言わずに立ち上がり浴室を出ていく。
暑さゆえか恥ずかしさゆえかそれとも霜焼けか。
真っ赤になったその背にぎゃあぎゃあと文句を言っても全て無視され、文字通り撃沈した。
ぶくぶくと泡立って身をぬるま湯にゆだねると彼の態度にも寛大な気持ちが芽生える。
お礼など口にしたら死んでしまいそうな白狼が小さいながらも感謝を口にしたのだ。
短い付き合いだが、なんだか奇跡的な場面に出くわしたような気がしてとても嬉しくなる。
「そういや、白狼のこと何も知らないな……」
ふと思い浮かべる彼の姿は葬務官としての制服姿だけだ。
彩春とて同じことだが、彼女は誠実に色々なことを話してくれた。
神崎家の父と叔父に出会っているからか、短い付き合いでも親近感がわいている。古くからの友人のような頼もしさだ。
一方白狼とは南区の防衛線で出会い、そこから2つの任務を共にしたばかり。
どちらもイデアに邪魔をされててんやわんやしていた。
帰ってからも忙しく、彼自身の話を聞いたことは殆どない。
糸居白狼という名で葬務官になるための学園では彩春と同期。
2人に接点はほとんどなく、皇の推薦と後ろ盾を持っている。
そして、氷の葬術を扱える。棒術も巧みだ。先端に氷の刃を付ける関係上、延び縮みする不思議な棒をメイン武器に据えている。
だがどれもこれも葬務官としての白狼の情報だ。
糸居白狼その人の話はやはり一度もしていない。
いや、それは彩春も同じか。彼女の家に関して知っていても歩んできた人生までは知らない。
2人に踏み込むにはまだあまりにも出会ってからの時間が短い。
総真だって彼らに全てを話したわけではないのだ。
「おい!雑魚!夕飯ができたらしいぞ!」
考え事をしていると脱衣所から白狼の声が響く。
いつの間にかずいぶん時間が経っていたらしい。慌てて湯船から上がり、乾いたタオルをひっつかんだ。
脱衣所に踏み込む頃には白狼の姿はなく、支給された私服に袖を通す。
ほかほかと全身から湯気を立ち昇らせて廊下に出ると、白狼が腕を組んで廊下に立っていた。
風呂上りとは思えないほど冷気に塗れた彼の傍は肌寒く、一歩だけ距離をとる。
「なんでそんな冷えてんの……」
「体質だ。深水を多く持ってる奴なら大抵こうなる。剱特務葬務官もそうだろ」
「あ~……確かにずっとバチバチしてるかも……」
言われてみれば剱もずっと紫電を纏っている。彼の周囲はいつもぴりぴりしているイメージがあった。
白狼も常にひんやりとしていて、抱えているとき常に冷たかったような気がする。
戦闘中で葬術も発動していた所為だと思っていたが元からの体質だったとは。
それに深水を多く持っているとは。
「白狼って深水の割合?だっけ?それが高いのか?」
「俺は3割だ」
「おお……そりゃ凄いな」
「テメェは?」
「2割だって言われた」
「ハッ!雑魚」
「言うと思った」
3割というとかなり多いほうに分類されるだろう。
彩春とて2割に留まっている。深水の量だけで見れば彼女よりも上だ。
一緒に戦っていたのにそんなことも知らなかった事実に恥を覚えたが、今知れたのだから良しとしよう。
「白狼って凄かったんだね」
「どういう意味だコラァ!」
純粋に褒めたつもりで、教えてくれたことに感謝を示したはずだった。
なんだか煽るような口調になってしまい、総真は怒る白狼に慌てて頭を下げた。




