鈍色の輪#1
紫電が去っていった屋上で残された総真はぬるくなった茶と共に呆然としていた。
一瞬で片が付いた戦闘は全く何が起こったのか分からず、映像は土煙に塗れていた。
映像作品でも見ているかのような現実味のない闘いに意味もなく身体に力が入ってしまった。
自分達では逃げ惑う判断しかできなかった相手を追い詰めるとは。
もしパグロの一撃を真面に受けていたら刃夜と同じ結果にはならなかった。
確実に殺されている。そんな確信のある攻撃だった。
「ありがとうございます、先輩」
「あざっす」
「任務だから気にしないで」
背後で治療を受けていた2人が立ち上がる音が聞こえる。
脳の処理が追い付かない間にすっかり診察も終わってしまったようだ。
「総真、大丈夫?」
「姿勢が変わってねぇぞ」
「……うん……大丈夫……2人こそ無事?」
「軽い感電と深水にやられただけだって。幸い後遺症はないみたい」
意識が戻った2人は外傷もなく自分の足でしっかりと立っている。
剱が手加減してくれたのもそうだろうが、治剣の腕が良いのだろう。
もはや冷めてしまった茶を一息に飲み干し、震える膝を突いて立ち上がった。
「戦況はどうなったの?」
「刃夜先輩がパグロを追い詰めて、パグロはマンホールの下に逃げた!俺達はドンパチ始まる前に剱さんに回収されたんだ」
「戦闘中まるまる寝てたわけね……」
「さすがに特務葬務官の葬術を間近で食らったら気絶もすんだろ」
深水の密度の差は階級の差が大きければ大きい程影響を受ける。
訓練官1年生と最年長の特務葬務官ではコップの水と海ほどの差がある。気絶もやむなしだ。
戦闘の記録は皇が責任もってシャーレに提出するということで、後で内容を確認するように伝えた。
これは剱が離脱する前に言っていたことだ。
「救援を呼んでおいてなんだけどもうリュード様の元へ帰ってしまわれたのね」
「伯父さん、リュード様のことになると数舜でも待てないから」
「治剣先輩」
治療道具を片付けていた治剣が大きなケースをもって近づいてくる。
様々な道具を入れているらしいそれは重そうで、彼女の細腕には似合わない。
訓練官2年生であり、皇家出身の4等葬務官。皇治剣は皇家では非常に珍しい治療系葬術の持ち主だ。
治療系と言ってもその内容や効果は多岐に渡るものだが、彼女はその中でも浄化に秀でている。
他人に自身の深水を譲渡し治療を行う秋仁に非常に似通った葬術を手にしており、訓練官でありながら医務室にも所属していた。
「私の治療は秋仁先生のご指導の賜物だから。姪の彩春ちゃんを診るのは当然だよ」
「そんな!むしろご迷惑をおかけしているでしょう!?先輩のような人格者にモノを教えられるような叔父ではありません!一挙手一投足に殺意を覚えたらぜひ私か父の冬仕にクレームをいれてください!」
「彩春の中で先生の評価悪すぎだろ」
「あの人、性格に関しての評判は最悪なんだよ。姪からすりゃいい迷惑だろ」
シャーレ内部のことはまだ良く分かっていないが、秋仁の評判が悪い様子は想像に難くない。
余計なことを言って総スカンを食らっていそうだ。
葬務官としての実力も医務官としての腕も確かであるが故に無下にできないのがいやらしい。
側仕えという立場も鑑みれば厄介なことこの上ないだろう。
葬術を扱うためとはいえ秋仁に教わっているらしい治剣には少しばかり同情する。
「クレームなら先に私の方に入りそうだよ。刃夜が迷惑をかけたね」
「命を助けていただいただけです!」
「同じ葬務官だ……です、から。雑魚はともかく刃夜パイセンの言わんとしてるこたぁ分かります」
「そういってくれるとありがたいよ」
戦闘中に総真以外を護る気がなく、本気で巻き込みかけたことを謝っているらしい。
確かに無責任で酷い発言だったが有言実行でもあった。本当に総真以外は眼中になかったとは。
逃げている最中は散々刃夜に暴言を吐いていたくせに、身内を前にすると余所行きの顔をする白狼に胡乱な目を向ける。
皇家に支援してもらっている彼は余計な軋轢を生みたくないのだろう。
「当たっても皮一枚ぐらいは残ったとは思うけれど、痛いからね」
「いやいてぇで済むレベルじゃねぇっす」
「そう?皇では訓練でそれぐらい行くけど……」
「どんな訓練なの……」
「そこまで行ったら実戦なんじゃね」
刃夜に対するフォローの発言だったのだろうが、ただ不安な要素が増えただけだ。
殺さないイコール優しいと思っているのだろうか。皇家恐るべし。
「みんな軽い擦り傷と疲労がまだあるから、ちゃんと休むんだよ」
確かに治剣のいう通り、体の疲労は抜けていない。
一日中走り回っていた総真は言わずもがな、揺すられていた彩春も葬術で撃退を試みていた白狼も消耗が激しい。
既に日もくれ始めている。これ以上任務がふられることはないと彼女は断言し、帰り支度をするように勧められた。
海魔を殆ど弔っていないはずなのにどっと疲れた。
「くっそーパグロめ。戦闘中に言ってたのは全部真実じゃないだろ!ほんとに何しに来たんだよぉ」
「さぁ……イデアの目的は良く分かっていないから」
「考えたって無駄だろ。今はテメェが攫われなかったことだけ喜びやがれ」
パグロに訓練官だけで遭遇して奪われることなく生き残れたことは幸運だ。
だが目的が分からない以上、再びこうして巡り合うこともあるだろう。
再び相まみえるときはせめて逃げる以外の選択肢をとれるように。
そう強く願って、総真は崩れ落ち瓦礫と化した北区の端を眺めた。
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想定より大規模な損害を出した北区では修繕に入るため、一時的に封鎖を余儀なくされた。
まだ各所に泡は残っていたが、戦力にならない訓練官は全員撤退。シャーレ本部にて指令を待てと通達された。
総真、彩春、白狼も例にもれずシャーレへと帰還命令が正式に出され、治剣を伴って帰還することになった。
最初は3人だけでシャーレへ向かうつもりだったのだが、治剣がある提案をしたことで僅かに予定に狂いが生じた。
「彩春ちゃんが伯父さんに自治区を上層を見学したいって言ったの覚えてる?」
治剣から告げられた言葉に一斉に彩春へ視線が集まる。
確かに自治区の見学をしようと彼女は言っていた。任務が終われば行くとも。
だがそのあと連絡を取る素振りはなく、任務後にでも連絡を入れて後日予定を入れてもらうのだとばかり思っていた。
「え?マジで言ったの?いつ?」
「壁を超えるちょっとまえ……メ、メールだけ……」
「おい……連絡先聞いたからって友達になったわけじゃねぇんだぞ。弁えろよ。主席だろお前」
「そ、総真のことだから!総真の社会勉強のためだから!」
壁を超える少し前。確かに彼女はスマートフォンを握っていた。
壁を通過するための手続きなど諸々の事情により持っていたはずなのだが、まさか連絡まで入れていたとは。
そのあとやり取りをする余裕はなかったので、一方的に要望だけ伝えて終わってしまっていたはずだ。
それを剱が拾い上げ、治剣はこの件に関して一任されているという。
「伯父さんが自治区の都市部に構えている個人宅を自由に使っていいって許可が出たんだ。それに伴って上層への入場許可証も。有効期限付きだけどね」
彼女がスマートフォンをかざして見せてくれた画面には3人の名前が書かれている。
上層に入るための門を通過する許可証らしく、これを持っていれば有効期限内であればいつでも上層に入れるらしい。
だが上層に入ったところで今日はもう遅い。
見学する時間を設けるのであれば宿が必要であろうと、剱が自身の個人宅を明け渡した。
シャーレの地下に籠りきりの彼からすれば持て余しているだけの建物。
主人の甥が使うのであれば喜んで差し出すという。
「ええ!?上層に個人宅があるんですか!?」
「入場許可証って……いくら積んだんだよ……」
事の重大さが理解できていない総真を置いて、彩春と白狼が頭を抱えている。
2人の発言から推測するにとんでもない金額が動いたようだ。皇家当主の財力恐るべし。
だがただの見学に個人の、ましてや葬務官としては上司の金を勝手に使わせて良いものかと真っ青になっていると、治剣は軽く笑い飛ばした。
そのような気遣いは無用でありむしろ喜んで差し出すのだという。
「皇家は神の、正確にはリュード様のご命令に忠実だから。リュード様直々に伯父さんへお願いしたそうだよ」
「リュード伯父さんが?」
「メールを一緒に確認した、とかで……ウチの伯父さんはウッキウキで準備してたし、60年貯め込んだ個人資産だから誰も文句はないよ」
皇家の当主は代々稼業とは別に北区での収入を個人的に得る方法を持っているらしい。
それは当主だけが引き継ぐ方法で、合法か非合法かさえ分からないのだとか。
莫大な資金を活用してリュードのサポートを全面的に行って来た彼からすれば、北区の見学程度の資金援助は造作もない。
「伯父さんは本当の意味でなんでもありの人だから、あの人が助けるというのなら何にも考えずに甘受した方がいいよ。姪の私が言うんだから間違いない!」
「そうはいっても」
「ほら、自治区で存分に静養したいだろうからって総真君にお小遣いも出てるよ」
現金で用意する時間がなかったから電子マネーでごめんね。
そう付け加えた彼女が見せてきたプリペイドアプリの画面には見たこともない数のゼロが並んでいる。
友達と遊びに行くのならお金を持っていきなさいと五桁のゼロを平気で渡してくる父の金銭感覚を思い出した。
多すぎるから十分の一にしてくれと懇願したのは記憶に新しい。
特務葬務官や神のようなシャーレの偉い人は皆金銭感覚がおかしいのではなかろうか。
他人に贈与するような金額では到底ない。末端の総真が一生を葬務官として捧げても返せない数が並んでいる。
「もらえない!もらえないって!」
「これはリュード様がシャーレに正当な給与を請求してやっと一年分ほど換算して出た分だから、甥の君にも使う権利はあると思うな」
「伯父さんの一年分!?」
どこかの結婚指輪のような話を思い出した。給与三か月分の金額相当の結婚指輪を贈るという1000年前の先人たちが残した文化だ。
実際のところは一か月分が妥当だったとかいう残念な話もあったが、それにしたって一年分はおかしい。
そもそもリュードの働きに対する報酬が並の人間には考えられない金額になっている。
これが正しいのかどうかすら総真には分からない。
だが後ろで一緒に画面をのぞき込んでいた彩春と白狼は不快そうに眉根を寄せていた。
「リュード様への報酬としては少なすぎませんか?人類全員の命を背負って海魔を毎秒数十体単位で弔ってくださっているんですよ?」
「このもう三倍ぐらいはもらっていいんじゃねぇの」
「シャーレではこの金額が精一杯って言われちゃって。経理も担ってる物流部門の芹沢さんにすんごい顔されちゃった」
「これで足りないってドユコト……」
もはや理解が追い付かない。リュードが居なければ人類は滅亡していると考えれば確かに少ないのか?
いやもう分からない。基準にできるものがない。それだけ伯父は替えの効かない存在で、唯一無二だ。
もともと金銭を活用できる余裕のない神達は物品支給という形で給与に似たものをもらっていたはずだ。
伯父はそれを曲げて甥にお小遣いを渡したかったようだ。
「最初芹沢さんに説明もなしにリュード様の給与を請求したから地下にまで突撃されちゃったの!シャーレどころかこの世の金全てをかき集めて地上をはげ山にして全員が奴隷として命を捧げても足らない!とかで」
「こわいこわいこわい」
そこまでの財産は欲していないと、眠っていて実体のないリュードに代わり剱が事情を説明し、それならばと算出したのが先のお小遣い。
総真が受け取らなければこの莫大な金は用意だけされ、経済を回すことなく仕舞われてしまうだろうと言われ、総真はぎゅっと目を瞑った。
「その……生活費として健全に活用します……」
「うん、その方がいいよ」
自分が自治区の上層に行きたいなどと軽率に彩春の言葉に同意した所為でこんなことに。
数時間前の自分をぶん殴りたい衝動に駆られながら、自分の口座に振り込まれていく意味の分からない資金に慄いていた。




