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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
あなたの為のアクアリウム

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古びた楽譜#2

「ぶはっ!!待って待って!お腹、お腹痛い!!うはははは!マジかあの人!!なんで今までこれでバレなかったわけ!?無理無理!浮いてる!マジで浮いてる!!うわはははは!!」


 ダムの上。月を背にして水面に立たされ、岸で笑い転げている秋仁を見やる。彼はジタバタとその場に転げ回り、水面に浮かぶ総真を見ては地面を叩いた。


 隣に立つ彩春はそれを軽蔑の目で見降ろし、遠い目をしている総真と交互に眺めてはため息。

 この場は混沌を極めていた。


 彩春の叫び声のあと、どこからともなく秋仁がひょっこりと顔を出した。彩春曰くタバコ臭かったとのことなので吸い終わって戻ってきたのだろう。

 大声出して何?と彩春をからかい、震える指で示された先。水面に佇む総真を秋仁が認識し、彼は大真面目にこう口にした。


「何これめっちゃおもろ」


 写真を1枚撮られ、最初はまじめに水面歩行について尋ねられた。何故か岸に上がることは許してもらえず、どうやってやっているとか、誰に教わったとか根掘り葉掘り聞きだされた。


 やり方は正直分かっていない。歩こうと思えば歩けると母に言われ、試しにやってみたところできてしまっただけだ。


 父は彩春と同じように頭を抱えていた気がする。母は嬉しそうに控えめな拍手を贈ってくれた。滅多に家に帰らない母との数少ない思い出である。

 

 それ以来、定期的に水面を歩くことがある。単純に楽しく、下に言えない秘密は子供の心を躍らせた。人にバレないように深夜に、父が指定したエリアでしか使ってはいけないと言われ、普段はダムの最奥で行っている。

 人が寄り付かず、設備が全くないただ水だけがある端だ。


「監視カメラを避けてたんだね。狡いことする」


 しばし考え込むように米神をこぶしで軽く叩き、彼はふぅ、と息をついた。そのまま流れるように地に倒れ伏し、冒頭に戻る。


「はー!!あの人やっぱすげぇわ!!俺一生ついてく!!嘘だろ!?よりにもよって水面歩行教えるかよ!!他にもっとあったじゃんか!ぶは、あははははは!!」


 彼は純白の制服が汚れるのも気にせず、ゴロゴロと地面に転がっている。涙を浮かべ咽るほど笑い、子供2人に冷めた目を向けられていた。

 笑われている本人は、ちゃぷちゃぷと音を立てて岸へと上がる。夜風の中、水面に立つのは思いの他冷える。


「ごめんなさい。うちの馬鹿が」

「ちょっと傷ついた」

「殴っていいよ。おすすめは鳩尾。海魔の触手を吹き飛ばした一撃なら仕留められるはず」

「流石に殺したいほどじゃないかなぁ」


 そこまで短気じゃない、と首を横に振ると彩春は笑って秋仁を足蹴にした。やらないなら私がやるスタイルらしい。秋仁の日頃の行いの悪さが垣間見える。


 姪に足蹴にされながらなおも七転八倒の大笑いを繰り広げ、落ち着く頃には声が少し荒んでいた。

 片手間に青白く光る葬術で枯れた喉を治す叔父を、再び彩春が蹴り上げる。ゴッ!と結構な音が響き、鳩尾に入った。あれは痛い。


「お゙お゙……いいどごはいっだ……」

「それは良かった。次くだらないことに葬術使ったら顔いきますからね」

「顔はやめて!!お婿に行けなくなっちゃう!」

「こんな公害誰も引き取ってくれませんし一緒ですよ」


 鳩尾を摩り、ノロノロと立ち上がった秋仁が咳払いを1つ。今度は葬術を使わなかった。顔はそんなに嫌なのか。


「これ、俺の知り合いに送っていい?多分ちょうど面白い事になると思うから」

「無闇に拡散しないなら……」

「だいじょーぶ!誰も友達いない引きこもりの寂しんぼクソジジイに送る」

 

 彼はスマートフォンを取り出し、先程の写真を誰かのトーク画面に送っている。すぐさま既読が付き、それ以降何の反応も示さなかった。


 よく見ると前のトーク内容も秋仁が一方的に送りつけているだけで返信は一切ない。やれ庭木の花だとかやれ新しく買ったペンだとかくだらない内容ばかり送り付けているようだ。


 唯一の返信内容は1週間ほど前に送られた「祈りを欠かさず、神の御手を煩わせぬように」という一言だけ。喧しいほど送られた返信スタンプには既読だけ付けてノーコメントだ。

 

「相変わらず何もリアクションねー」

「嫌われてるんじゃないですか?」

「70代の仕事馬鹿じじいだから業務報告と祈りの言葉しか返信しないの!俺が嫌われてる所為じゃないから!」


 嫌われてはいるんだ、とは声に出して言わなかった。秋仁が食いついてきて余計に面倒くさくなる未来が見える。

 こういった言動が嫌われる原因なのではないだろうか。


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる秋仁を放って彩春とそっと距離を取ろうとした刹那。ぴこん、と間抜けな音が耳に入る。音の出どころは秋仁のスマートフォンだ。

 そろそろと近づいて3人顔を突き合わせて覗き込むと、先ほどのトーク画面に返信が1つ。


「大層お怒りである。其方に苦痛多き天罰があらんことを……だって」

「物凄い不幸を願われてる」


 誰がお怒りなのかは分からないが、何故か知人側でこの写真は不評のようだ。天罰に苦痛多きなんて酷い願いが付随するとは恐ろしい。


 不幸を願われた秋仁は全く気にしていない様子でピースをしている犬のスタンプを送り付けていた。


「いやーまさか古の水面歩行を見られるとは!」

「いにしえ?」

「現代の葬務官で、できる人はもう今写真を送ったじじいぐらいなんじゃないかな。必要がなくなって久しい技術だし」


 秋仁が総真を真似て水面に足を下したが、水は抵抗を生むことなく靴底が沈んでいく。全く浮力を得る気配がない。

 濡れた靴を引き上げ、彼は水面に浮かぶ落葉を1枚突いた。


「歴史のお勉強をしようか。1000年前から続く海魔との話を」


 水面を滑る落葉が月の上に乗り上げる。波紋を浮かべる対の空が眩く輝いていた。


 海魔と人類の争いは凡そ1000年前に遡る。突如として海面が上昇し地球と呼ばれるこの惑星の地、その殆どが海に飲み込まれてしまった時代の話だ。


 当時は大陸と呼ばれる広大な土地と数十億人の人類が居たと伝えられている。1000年以上経った今では伝え聞く以上の情報は全て海に沈んだ。


 今地上で生きる人々は1000年前に生きていた人間達のことを()()()と呼んでいる。


「先人類の言い伝えは1つだけ。水底で今尚眠り続けているって御伽噺だね」

「海魔が跋扈する海で呑気に眠っているなんて信じられませんけどね」

「誰も確かめようがないから御伽噺なんでしょ」


 海面上昇に抗うことのできなかった先人類たちは問題を先延ばしにした。いつか再び地上が現れ、人類の生存圏が確立されたとき目覚めが訪れるのだという。


 一方で眠りを拒否し、船で旅立つ人類や最後まで地上に残った人類もいる。その生き残りが今を生きる人類の祖である。


 先人類時代に日本と呼ばれていたこの地。関東と呼ばれる一部地域は真っ先に水没したにもかかわらず、1000年前人類が船旅に出て数年の間に再び浮上した。


 関東は潤沢な資源を伴って浮上し、近海を彷徨っていた人類たちはこぞってこの地を目指したという。


 その頃から少量の深水と海魔という存在が出現し始めた。最初は些細な違和感から始まり、段々とそれは脅威を増していく。

 同時に多くの恩恵をもたらした。


「この小さな土地で人類が資源を枯渇させずに生活できているのは全て深水のおかげ。はい、日野くん!なぜなのでしょうか!」

「深水はしばらく放っておくと海魔を発生させるけど、それと同時にランダムに人間が活用できる資源を生成するから?」

「そのとーり!深水は危険物であると同時に有用な資源でもある!」


 深水は特別なものだ。海魔の苗床であると同時に謎の仕組みで資源を生成する。銀や鉄といった鉱物から、種、石油、その他諸々と多岐に渡る。

 海魔という脅威に怯えねばならないのは深水の所為だが、人類が豊かな生活を送れている理由もまた深水にある。


 深水操作とは人類が発展する上で身に着けた浄化の力だ。深水を利用する上で浄化作業は必須になってくる。

 生きるために必要な技術をこの狭い世界で手に入れて行ったのだ。


「緩やかに時間が進み、文明が先人類と遜色ないほど復興した時代。豊かになると同時に海魔にも活発な動きがみられた。具体的に言うと数の増加」

 

 人類が関東という最後の陸に生存圏を確立してから700年経ったころ、その存在は無視できないほど大きく膨れ上がっていた。


 海魔は主に海からやってきた肉体を持たない不定形の存在。先人類達の書物にあった海の生き物に類似した姿を取ることが多く、その身は100%の深水で構成されている。

 脅威に関する研究は長らく続いているが彼らの目的は未だにはっきりしていない。


 分かっていることは人間を無差別に攻撃するということだけである。捕食を目的としていないことは早々に判明している。

 単純な殺戮や暴力衝動によるものなのか。そもそも思考する能力があるのか。簡単なことも分かっていない。


 そうして不明な存在と小さな小競り合いを続けていた折、彼らは突如として集団行動とも取れる大進行を行った。

 300年前。海魔と人類の全面戦争が勃発したのである。


 当時は葬務官という役職もなかった。葬術もなく、ただ蹂躙されるのを待つばかりだった、と人魔大戦の冒頭に書かれている。

 それが一転したのは神の出現から。彼らは人々に葬術を授け、人魔大戦を共に戦い抜いてくれた。


 神は大戦にて多くの同胞を失ったが、今尚生き残る3人が人類を見守っている。柱、と呼ばないのは彼らが人と何ら変わらない存在だと主張しているからだとか。


「これが人魔大戦だね」

「旧千葉と旧東京、今でいう東区と南区が大規模な侵攻に遭ったやつ?」

「そう!水面歩行はこのころ神の手によって開発された深水操作の1種。当時は重宝したそうだよ。はい!彩春くん!なんで水面歩行が必要なのでしょうか!」


 ビシッ!と指をさされ、彩春は片手で無礼な叔父の手をはらう。逡巡したのち、ダムの水面に向かって深水の泡を飛ばした。


「海魔は主に海からくる。海は全てが深水に置き換わっているから。陸を護る為の防衛線となると、海上で戦う術が必要になる」

「そーです!攻めに出るにも防衛するにも人間が生きられない海上戦を強いられることになる。船のような目立つ上に鈍足で当たり判定の大きい代物、海魔に速攻で壊される上資源と時間の無駄!生身の人間が海に立った方が断然よかったってわけ」

「今の葬務官は……」


 彩春が空を見上げる。その先に浮かんだ月と共に虹に輝く泡が天を覆っている。深水を防ぎ、恵みの雨を落とし、海魔を弾く巨大な泡。神が作る防壁である。

 この防壁の主な役割は海魔を陸に上げないことだ。海中に至るまで関東をすっぽりと覆い隠すこの泡は300年間一度も途切れたことはない。


「海上で戦う必要がないから廃れたのか……」


 人類は物心つく頃から神への感謝を教わる。信仰を強要するものではないが、日々の暮らしが豊であるのは神のおかげだ。頭上の泡が安寧の象徴であり神が実在する証左。

 祈りを捧げ、感謝を示し、神には対処できない内側を葬務官が打ち払う。世界はそうして回っている。

 

「300年前、大戦が終結してからシャーレ内では葬術と深水操作の切り分けが行われた。水面歩行もその時に必要ない技術に割り振られてそれっきり」


 だから今の葬務官は誰も水の上を歩くような奇跡は起こせないと締めくくり、秋仁は折れ曲がったタバコを1本取りだす。

 火をつけることなく、水面にわざと漬けるとびしゃびしゃになって水が滴るタバコを振り上げた。


「水面歩行が今尚教えられる人は……それこそ神じゃないと無理かなぁ」


 ふやけたタバコが折れた先で重力に負け、あらぬ方向に頭をもたげる。地面に染み付いたあざが瞳孔に残り、秋仁の言葉が脳に響く。

 背筋に走った悪寒を夜風のせいにして総真は薄暗い染みから目を反らした。

 

 

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