古びた楽譜#3
――――中央区、シャーレ施設内。
数多ある扉を潜り抜けセキュリティシステムを難なく突破していく。身に着けた装飾が身分証となり、唖然とした人々が自然と道をあけた。
ある者は驚いて固まり、ある者は首を傾げる。ある者はその制服に驚き、ある者は慌てて駆けだした。
しかしロックはそのこと如くを無視し、足早に歩を進める。
彼が一直線に向かうはシャーレの最奥。長いエレベーターを降り、重厚な扉の前で上着に縫い付けられた腕章をかざす。
監視カメラがジジジ、と音を立てて凝視し彼の動向を探っている。
「特務葬務官ロック・ジョー。ただいま帰還した。兄貴に会いに来た」
言葉を発した直後、重苦しい音を立てて扉が開かれる。薄暗く長い廊下が永遠と続く通路が現れ、彼を出迎える。
底冷えする鉄は歩みを進めるたびにカツン、カツン、と甲高い音を立て来客を知らせていた。
足元を照らす青白い非常灯以外にここには何もない。ただ真っ直ぐとした道を進み続ける。
代り映えしない景色の中に肌を刺す寒さは人が住まうにはあまりにも厳しい。
凍り付く肺と、深海に迷い込んだかのような浮遊感と先の定まらない道程に確かな足音を響かせ、ロックは漸く見えた扉に手をかけた。
「兄貴!起きてるか!弟が帰ったぞー」
鉄でできた両開きの扉。人間であれば押してもビクともしない金属を片手で跳ねのけ、バコンッ!と轟音が鳴り響く。
吹き飛んでひしゃげた扉には目もくれず、急激に差し込んだ灯りに目を細めた。
「うぉ……眩し」
シャーレの最奥は直前の廊下とは全く違う、真っ白な壁に覆われていた。周囲には人が生活しているような家具が並んでおり、あちこちに布が散乱している。
古ぼけた本や薄汚れた楽譜、何も書かれていないCD-ROM。そして、壁に刻まれた大きな亀裂。
巨大な獣がひっかき傷でも残したのか疑うほどの裂傷。剥がれ落ちた壁が落ち、ぱらぱらと音を立てている。
「こりゃ相当だな」
あれだけ大きな亀裂が生まれているにもかかわらず、削り取られた一部は大人しく壁の隅に鎮座している。
家具やものには一切被害はでていない。
足の踏み場もない荒らされた室内を慎重に歩き、亀裂近くのひしゃげた扉へ手をかける。自動ドアの開閉機能が壊れており、隙間から手を入れ、強く引きはがした。
手形のついた鉄扉を壁に立て掛け打って変わって薄暗い室内に呼びかける。
「剱!皇 剱!いるなら明かりをつけてくれ!」
呼びかけに返事はない。シン、と静まり返った室内はすぐ傍と違って荒らされた形跡はない。
仕方がないと近場のスイッチを探しに1歩踏み出すと、パッと室内に明かりが灯る。
明かりと同時に現れたのは真っ白な葬務官の制服を着こんだ男。その顔には整えられた髭と鬱々とした重苦しい黒髪を携えている。
釣り上がった目じりと落ち窪んだ青い眼。深々と刻まれた隈が人間味を失わせ、その眼光は剱のように鋭い。
男はロックに深々と頭を垂れ、迷いなく膝をつく。
「剱。いるなら返事をしろ」
「申し訳ございません。今し方お眠りになられたところございます故」
「ああ……なるほど」
剱と呼ばれた男の言葉に室内を見渡すと、真っ白な室内には見合わない灰色の塊が視界を占領する。
薄汚れた灰は人間がすっぽりと収まる大きさで、ところどころから純白の布が飛び出している。
導かれるようにその灰を覗き込めば、望んでいた人が現れる。
「兄貴……」
ロック・ジョーの兄にして、シャーレの最奥に住まう神。その人が石棺で穏やかな寝息を立てていた。
「どれくらい起きていた」
「34時間28分56秒にございます。次の起床予定時刻は明後日午前5時14分48秒を予定しております。ロック様がお望みであれば起こすようにと仰せつかっておりますがいかがいたしましょう」
「いい。兄貴が目覚める前に明かりを落とせ」
淡々と紡がれる剱の報告に後ろ手で払い、先ほどつけさせたばかりの明かりを消す。一瞬にして戻った暗闇の中、石棺が怪しく蠢く。まろびでる光は虹色の光彩を放っており、時折周囲に大小さまざまな泡が現れる。
その1つ1つを手で弾き、浅い呼吸を繰り返す兄の青白い顔を覗き込んだ。
「症状の進行は」
「ロック様がお出かけなさってから進行が早く、肉体の6割が形を保てなくなっておられます」
「……そうか」
ぱしゃり、と音を立てて布地に大きな染みが広がっていく。確かに形のあった脚が音と共に消え去り、失われた先が戻らない。
薄黒い瘴気を放つ布地を取り払い、ロックは力ない兄の腕を拾い上げた。触れた指が3本零れ落ち、腕の半分が深水となって消えていく。
露出した骨も溶け出ており、再びぱしゃりと音を立てて腕そのものが消え去った。
同時に無数の泡が様々な色に瞬いては消えていく。兄の激痛に喘ぐ音が破裂音と共に訪れ、脳髄を焦がす。
この現象にはロックの治療も意味をなさない。元ある形に導く治療の葬術はすでにないものを治すことはできない。
彼はあとどれほどの時間、形ある姿を保っていられるのだろう。あとどれほど、身を削って生きねばならないのだろうか。
「人間なぞ……いなければ……」
深水の滴る手が力なく項垂れる。そんなことを今更口にしたって仕方がないのに言葉にせずにはいられない。
この光景を見ていられずロックは25年前、全てを投げ捨ててシャーレを飛び出した。それが兄の時を縮める愚行だと分かっていても耐えられなかった。
兄は現存する世界を覆っている。天から人々を見降ろし、大規模な葬術で外から押し寄せる海魔をたった1人で弔い続けている。
どれほどの負荷が彼にかかっているのか想像に難くない。
身を焦がす憎悪。のうのうと生きる人類への侮蔑と嫌悪。溢れ出る負の感情のままに拳を握りこんだ。
背後で石棺に膝をつき、粛々と祈りを捧げる男を見る。瞳孔が開き切り、手が殺意に骨を鳴らす。
降り注ぐ殺気に男は逃げも怯えもせず、頭を垂れ続け断頭台を受け入れている。
一触即発。次の瞬きには男の首が落ちているかもしれない。幾度となく訪れる刹那の時を繰り返し、ロックは大きくため息を吐いた。
「すまん。お前に当たっても仕方がない」
「いえ。ご心中のほどお察しいたします」
「察す?お前が?」
心底意外です、と胡乱な目を向けると男はぴくりとも動かない表情で深々と頷いた。馬鹿にされていても全く気にならないらしい。
彼は徐に立ち上がり、取り払われた布の代わりに新しい布を敷いてく。消えた手足のあった個所を妨げないように慣れた手つきで寝床を整える。
そうしてまた傅き、頭を垂れて兄に祈りを捧げた。例外がなければ彼は明後日までここで祈りを捧げ続ける。神からの命がなければ寝食もないがしろにする。
側仕えに手を焼くのは兄妹皆同じだ。
「はぁ……お前も飽きないな」
「信仰に飽くことは」
ございません、と続くはずの言葉が機械音に遮られる。甲高い音と共に男は不快そうに眉根を寄せた。
酷く緩慢な動きで胸元からスマートフォンを取り出し、目を細めて内容を探る。眉間に深く寄った皺と共に彼は目頭を押さえた。
「神崎秋仁からロック様宛にメッセージでございます」
「あ?アイツ、俺がここに来る時間を予想してやがった……な……」
差し出された画面をのぞき込み、メッセージに添えられた写真に目を見開く。そこには目が死んだままダムの水面と思われる箇所に立つ、総真の姿が写っていた。
「なぁにしてンだあの野郎!!」
「ロック様。お静かにお願いいたします」
「俺のことナメやがって!!カノンへの侮辱でもあるぞ!!ぜってぇぶっ殺してやる!!!」
「どうぞお控えください。御方が見ておいでです」
ピタリ、と動きが止まる。兄の目覚めを妨げることだけは何があっても許容できない。例えそれがクソムカつくメッセージだったとしても。
荒ぶる息を整え、振り上げた拳をゆっくりと下す。踏みそうになった地団駄を引っ込め、ゆっくりと画面に向かって親指を下した。そのまま、ビッ!と空を切り裂き首を切る動作。
「こう返信しろ」
「大層お怒りである。其方に苦痛多き天罰があらんことを、としたためます」
「……まあいい」
大分オブラートに包まれた内容は一旦目を瞑る。大丈夫、天罰は自分の手で下せばよいのだ。




