海魔対策特務機関シャーレ#1
眩い朝日が昇る早朝。しつこい程鳴らされたインターホンに総真は目を覚ました。
気だるい体を抱えて寝巻のままとぼとぼと玄関へと向かう。
昨晩はダムの上でそこそこ騒いだ挙句良い子は寝る時間だと0時を過ぎる前に追い返された。
色々と頭の中を巡るどうしようもないことに苛まれ、頭と身体の疲れからすぐに寝落ちてしまったところまでは覚えている。
こんな早朝に尋ね人なんて珍しい。否、この家に尋ね人自体が珍しい。郵便物ですら1年に1回あるかないかの頻度だ。
しかし寝起きで思考が鈍った頭では判断が付かず無警戒に戸を開く。
昨夜からおかしな音を立てる鍵を捻り、はい、と軽い返事と共に外を覗き込むと数時間前によく見た顔が笑顔を讃えて立っていた。
「おはよーございまーす!葬務官の朝はぁ!はやぁい!」
「おはよう、総真。朝からごめんね」
「あー……おはょ」
案の定、というか他に訪ねてくる人など思い付かず、間抜けな声と共に挨拶を返す。言葉尻が小さくなってしまったのはご愛敬だ。
ごろごろと鳴る喉を押さえ、玄関を広く開放する。どうぞ自由に上がってくれとリビングに促すと、今度はちゃんと靴を脱いで秋仁は悠々と家へ上がった。
「声が小さいぞ少年!そんなんじゃ葬務官はやっていけないぜ!」
「朝からこんなおじさんに付き合わなきゃいけない総真の気持ちを考えてください」
「今のおじさんは続柄のことを指してるんだよね。ごく一般的に使われる若人が年上の男性に放つ非常にデリケートな単語ではないよね?俺まだおじさんじゃないからね?そもそもおじさんって言葉は概ね40代からだって認識が多くて三十路の俺は当てはまらないはずなん、もがっ」
「うるさいです」
彩春の容赦ないおじさん発言に長々と弁明と訂正を求める秋仁の口を強制的に閉じる。なおもモゴモゴと抗議を紡いでいるようだが幸いなことに意味のある音にはなっていない。
今度は身振り手振りを加えてさらに喧しさを倍増する前に、彩春が紙袋を1つ差し出した。
「準備期間って言ったくせに1日もないなんてびっくりよ。もうあなたの制服はあるってこれを渡されたわ」
中を見ろと促され、紙袋を開く。そこにはビニールに包まれた新品の葬務官の制服が入っており、腕章も縫い付けられていた。
唖然として口を封じられた秋仁を見る。彼は目元だけキリッと構えて華麗なサムズアップを送ってきた。仕事できるでしょうと言いたげである。
「それを着たら山を下りてシャーレの本部、中央区に向かうわ。えっと、お父様はどちらに?」
「父さんなら昨日のうちにシャーレの本部に行ったよ」
「あの人は特殊ルート持ってるからシャーレ本部まで数分とかからず行けるんだよ。とっくに向こうで待ってるよ」
中央区と西区は電車でも2時間はかかる道のり、しかし昨夜の時点ですでに終電は過ぎていた。車で行くにしてもさらに数時間がかかる。それを数分で中央区のへ向かう方法があるのだと秋仁は宣った。
「特定の人物に貸与されてる葬術で……まあこの辺はいいか。兎に角それを着てさっさとシャーレに戻ろう。俺もあんまり本来の職務放って遊んでると怒られるし」
「職務放棄して来てるんだ……」
「認められてる放棄の範囲だよ?」
職務放棄が認められる範囲とはこれ如何に。
早く着替えてこいと促され、致し方なく制服をもって自室に駆け込んだ。
最低限の家具と教材、子供のころに遊んだおもちゃが片付けられた室内で純白の装束に身を包む。腕に縫い付けられた深い蒼を携えた腕章。動きやすいようにカスタマイズされているのか、彩春の全身を覆うスカートとは構造が違う。
足首で細められたボトムスは動きを阻害せず、上着は腕を振っても邪魔にならない。いつ採寸されたのかさっぱり分からないが、総真のために誂えられた制服だ。
紙袋には靴も入っている。真っ白なスニーカーは玄関に下し、リビングで待つ二人の元へ早足に戻った。
「着た……けどこれでいいの?」
「似合う似合う!うんうん、寸法はバッチりみたいだね」
総真の周りをぐるぐると見渡し、満足そうに秋仁が頷く。皺ひとつない綺麗な制服に着慣れず、そわそわと身を揺らしていると彩春が軽く肩を叩いた。
落ち着け、という意味だろう。
「早速シャーレに向かおうか!車を手配したから俺の運転でいこうね!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!色々ほかにも準備があるって!」
突然葬務官として中央区に行くと言われても準備は何もできていない。高校のこともあるし、家もどうすればいいのか。そもそも持っていけるものがあるのかどうか。
慌てふためく総真を横目に、秋仁はすたすたと家を出てしまう。全く話を聞いてくれそうにない。
「総真。シャーレについたらあなたのものは全てこちらで用意するわ。家に帰れなくなるわけではないし、大丈夫よ」
「それは……そうだけど……」
「学校も心配しないで。秋仁がシャーレから正式に退学届を出したから」
知らないうちに入った高校を強制退学させられている方が驚きである。
マジか、と固まる総真を彼女はずいずいと引っ張り、甲斐甲斐しく新しい靴を履かせて外に放り出した。意外と強引なところがある。これ血筋なんじゃないだろうか。
「行きましょう。日野総真4等葬務官」
「うっそぉ」
制服を着ただけで4等葬務官になどなれようはずもなく。大きな肩書だけを服と共に着てしまった少年の悲痛な声が山に零れた。
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山を下りて詰め込まれた道中の車内。後部座席の窓から田園風景が遠ざかる様を眺め、現実味のない時間の流れに途方に暮れていた。
人生の全てを西区で過ごしていた身が運び出され、山々を越えて平地へと流されていく。
整備された道路を行く数時間。運転手の秋仁はからからと笑ってスマートフォンを投げ寄越した。
「シャーレから支給される葬務官用のスマホね」
「俺専用?」
「そう!あらかじめ俺と彩春の連絡先は入れてあるから他の人のはあとで入れておきな。私用で使ってもオッケーだから」
「緩いなぁ」
彩春からの突っ込みがないので嘘ではないようだ。念のため自身のスマートフォンから一部連絡先を移し、中に入っているアプリを確認した。
新たにアプリを入れる項目はない。代わりに見たことのない地図アプリとメッセージアプリのようなもの、ほかにも様々なものが入れられている。
どれも見たことのないものだ。きっと独自で開発したものだろう。
「彩春。教科書だして」
「総真、ちょっと借りるね」
すいすいと画面がスワイプしていき、電子書籍が表示される。挿絵の多く入った書籍には「シャーレの歴史」と書かれていた。
何やら小難しいことが小さな字で書かれている。
「本部につくまでに時間があるからシャーレの歴史ぐらいは知っておこうね」
「シャーレってたしか300年前の大戦後に神様によって設立された組織、だっけ?」
「そ。3人の神様が大戦で荒れ果てた世界の中海魔に対抗するために作った人間培養機関。それがシャーレ」
「培養ってのは育成って意味ね」
300年前の大戦から伸びた年表には設立に関わった3人の神の名前が書かれている。
ロック・ジョー。カノン・クラーケン。リュード・オルカ。この3名が現在も生存している神達である。
最初は全部で8名の神がいたそうだが、300年前の大戦で命を落としてしまった。
「さて問題です。海と陸を隔て天を覆う泡を生成し、海魔が出現したらバブルで覆ってくれる素晴らしき我らが神は3人のうち誰でしょーか!」
「リュード様だろ?神に祈るって言ったらリュード様じゃん」
「ぴんぽーん!我々をお守りくださるリュード様に祈りを捧げるのは当然だよね。義務教育の賜物」
一般的に神と呼ばれる存在は3人いるが、その中でも神と言えばリュード・オルカを指す。ロックやカノンは様を付けて呼ばれる程度で祈りを捧げられることは少ない。
偏にリュードの功績に依るものが大きい。何せ300年も人類を海魔から安全に守っている。
「あの泡はリュード様の葬術。300年も葬術を使い続けるなんて凄いよねぇ」
「そんなにヤバいことなの?」
「葬術が何なのかって話がまだだから……そうだなぁ。自分の体を想像してみて」
言われた通り自身の肉体を頭の中で思い浮かべる。至って健康的かつ毎日鏡で見ている体だ。容易に想像できる。
「まずその体を火で炙ります」
「え」
「次に四肢を捥いで、体を刃で切り付けて細切れにします。あ、細切れ肉は火で炙り続けてね。ちなみにこれ深水の中で行われてるから水に触れた部分から徐々に血液が流出して失血死の可能性も非常に高く……」
「ちょ、ちょちょちょ!ちょっと待って!グロい!急にスプラッタが始まった!」
言われた通りに四肢を捥ぎそうになって慌てて止めた。軽い気持ちで想像していい内容ではない。
青ざめた総真の顔をバックミラー越しに眺め、秋仁はほんの少しだけ苦しそうに顔を歪めた。
「スプラッタは自己再生能力を持ってて、徐々に自力で戻っていく。当然痛みも。それをリュード様は300年続けて居られるんだ」
「死なないまま……?」
「今も泡が空を覆ってるっているのが御方が苦しんでいる証左に他ならない。だから凄いんだよ」
窓越しに見上げた虹色の泡。いつも空を見上げるとそこにある風景が1人の犠牲によって生まれている事実。
学校では決して習わない真実に総真は狼狽える。何故そんな大事なことを世間には公表していないのか。
「シャーレと神がこれを秘匿しているのはね。単純に神が人類に慈悲を与えてくださっているからさ。だよね、彩春」
「はい。皆様がお決めになったこととはいえ、リュード様の現状はあまりにも……ロック様、カノン様は300年前から人類に対して否定的な姿勢を示しておられました。リュード様の意に背くことはしないお方達でも、その感情はどうしようもありません」
たった1人の死よりも重い苦しみの上に成り立つ人類の営みに他の神が何を思うのか。答えは明白だ。
人類への憎悪。神が居なければ生きることもできない家畜への侮蔑と神に縋って延命する愚か者への嫌悪。
彼らはリュードの意志を尊重し、シャーレの設立に助力した。言いたいことは山ほどあったろうに。
果てしない苦しみの中で心身ともに痛みに身を窶す同胞を、彼らは嘆きと共に静観している。
人類がこの真実を知れば、混乱は避けられない。人類は皆が皆道徳に溢れた良き思想ではないのだ。扇動し利用しようとする輩が現れてもおかしくない。
故にこの秘匿は神々が怒りを飲み込んでくれている間の慈悲だ。
「神様は何故人間を助けてくれるんだ?」
「うーん。目的の一致って言ってたかな」
「本人達に聞いたことあんの?」
神達は3人ともシャーレに所属している。一般人は顔を見ることすらできず、いるという事実しか知らない。
しかし、シャーレ内部で神は人間と同じように施設を歩き、ひと目見る程度ならいくらでも可能だという。
「俺の本分はカノン様の側仕えでね。気になって本人に聞いたらそう返されたんだ」
「側仕え?」
「それぞれ葬務官1人が側仕えとしてお傍に侍るの。基本的に特務葬務官っていうとっても偉い人じゃないとなれないけど叔父さんは特別」
「へっへーん!俺実は超偉いの!」
自慢げに胸を張った秋仁に冷めた視線を送る。偉いのはその権力の横柄ぶりになんとなく察しはついていた。しかし神の側仕えとは。
「おいたわしやカノン様。こんな馬鹿を傍に置かなけらばならないなんて」
「ひっどい!有能なのに!怪我しても死んでなけりゃ治せる治療系葬術なんてレア中のレアなのに!」
「中身がコレじゃあ救いようがないと思います」
「うるさそう」
「日野くんまで!?あーもういいもん!お勉強を続けます!」
勢いよく曲げたハンドルに身を取られ、手の中のスマートフォンが遠くに跳ねた。




