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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
あなたの為のアクアリウム

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古びた楽譜#1

 煤けた地に人の焼ける臭い。身を焦がす黎明。彼は半身を炭とし、零れ落ちた臓腑を引き摺る音。吐き出した息が雨に触れ、濡れ烏が肉となった腕を引き千切る。

 空色の落ちた灰の瞳は曇天に頽れ(くずお)水を落とす。


 泡が世界を覆い隠していく。雨を嫌うように、全てから目を背けるために、薄暗い空に虹のヴェールが重なっていく。

 失意に身を削る者の名を叫ぶ声が聞こえる。声を発しているのは自分だ。


 水底に全てを沈めよう。もう二度と上がってこられないように。水面に蓋をしよう。愚かな子達が誤って覗き込まないように。

 長い時を待とう。永い眠りに身を堕とす前に。


 そんなのはだめだと、視界が揺れる。駆けだした脚と突き出た手に影が差した。

 倒れこんでくる柔らかな感触。開いた口から無数の紅が落ちて行く。落ちる滝を止められぬように止め処なく。


 滲む視界の中、深々と突き刺さった刃に手を翳す。

 血の滴る柄を持つのは継ぎ接いだ己の手だった。




 ――――――――――――――――



 

「……さん、父さん!」


 揺れる視界の中、息子の呼び声に遠のいていた意識が浮上する。歪んだ視界の中で煩い心臓を掴み、皺の寄った服が無残にも爪に引き裂かれていた。強張って外れない爪に皮膚が入り込み赤く染まっている。


 耳の裏にこびり付いた雨音が遠い昔の後悔を連れてやってきた。


 懺悔し、自責し、生を受けたことに万感の想いを抱いて、命ある限り心からの謝罪を。今なおのうのうと鼓動に酔う愚か者である私に慈悲深き罰を与えたまえ。

 

 25年前に一方的に離別を告げた同胞からの言葉を反芻する。彼はロックの離反ではなく自身の不甲斐なさと罪深さを嘆いている。なんと傲慢な言葉だろう。


 罰が欲しいのはこちらだ。いつまでも消化できない罪が長々とついて回る。

 同胞の背後を貫くは2度。だというのに今尚肉を貫く感触が手の内にあるような気がした。


「大丈夫?」

「……ああ」


 周囲には総真しかいない。不遜で珍妙な侵入者達はとっくに辞した後のようだ。血の滴る指を1つ1つ解き、反対の手で息子の目を覆い隠そうとして宙を彷徨う。これ以上の隠し事はもう不可能だ。

 雨が降り始めた。もう結論を先延ばしにすることはできないのだ。


「話は聞いてた。お前が葬務官になるって」

「強制だけど……」

「いつか、いつかこういう日が来ると思っていたンだ」


 リビングの棚の上。飾られた家族写真を1つなぞる。赤子のころから沢山の思い出を残してきた。妹に苦しいことを押し付けて、総真の幸せに心血を注いだ。愛おしくも苛まれる日々だった。


 分厚いアルバムが並ぶ棚。総真とロック、時折妹が写る思い出。目を瞑ってきた時間の数だけ遠い昔に置いてきた同胞の顔が浮かぶ。


「沈黙はそう長続きしない。分かっていたはず、なンだがなぁ」


 元葬務官だと嘘を吐いて自分の正体をひた隠してきた。

 学校で祈りの作法を学んできた総真に「祈るな」と家ではその作法をやめさせた。祈られたって、人間を救ってなぞやれないからだ。


 神に日頃の感謝を込めて泡を見上げる時間があると。友人に教わって空を見上げたその背を見つめることしかできなかった。

 何を感謝するっていうんだ。身勝手に生かし、苦しめ続けている元凶だ。


 とっくのとうに滅んでいた人類を遊び感覚で救い上げた誰かのせいで。

 倒れ伏した兄妹達を見捨てられず、馬鹿みたいに過去に縋り続ける後ろ向きな存在に。


 どうして()などという呼び名を付けてしまったんだ。


「総真。お前はあの秋仁とかいうクズと一緒にシャーレの本部に行け。どうせ明日にでも勝手に迎えにくんだろ」

「明日!?あ、いや、待って!父さんは?」

「一足先にシャーレへ行く。さっきの動画は呼び出しだ」

「あの意味不明な内容で!?」

「暗号みたいなモン」


 納得しているのかしていないのか。微妙な顔でこちらを見る総真の頭を軽く撫で、リビングを出る。一直線に書斎へと入り、ずっと仕舞い込んでいた白い外套を引っ手繰った。


 埃を被って皺がよっている外套を手で軽く払い、背に羽織る。一切変化のない身に馴染み、何もかもが成長しない自身が腹立たしい。


「行ってくる」


 迷いなく玄関へと向かう背を雛鳥のように追いかける小さな命。15年なんてものは瞬きよりも一瞬だ。時の流れは残酷で、どれだけ長生きしても時間は差し迫っている。


 あと少し。まだ共に居られる時間を得るためには現実に目を向けなければならない。逃げ続けた25年。人間にとって半生にも迫る時間。神にとってほんの短い逃避行だった。


 手にかけた外へのノブは嫌に簡単に回った。ガチャッ、と嫌な音がしてため息が1つ漏れる。

 

 開け放った玄関の先。薄暗い山の中を進んでいく。崩れた木々を避けて進む道のりで、嫌な臭いが鼻につく。

 眉間に深いしわを刻み込み、殊更大きな木の後ろ。静かに佇む存在に言葉を投げかけた。

 

「どうせいるとは思っていたが、もう少し隠す努力をしてくれ」

「たはー、悉くバレちゃいますねぇ。何で判断してるんだかさっぱりですよ」

 

 顔を出したのは予想取り厚顔無恥な男、秋仁であった。大方逃走しないか見張っていたのだろう。お生憎様。もはや逃げるつもりは毛頭ない。


「それが特務葬務官の制服ですか。初めて見ました」

「下らん。雑談したいのならもう行くぞ」

「あー!待って待って!聞きたいことがあったんです!」


 投げかけられたどうでもいい言葉を無視して足に力を入れる直前、待った声がかかる。無視しても良かったが、致し方なく立ち止まった。


 早く言えと顎で促すと、不遜な態度には目もくれずにこやかに鍵を取り出した。タコ型海魔のキーホルダーが付いた妹の鍵だ。


「これ、家の鍵じゃありません。彼女はこのキーホルダーのついた鍵を2つ持っています」

「知っている。コレだろう」


 秋仁の目の前に取り出したるは同じキーホルダーのついた別の鍵。銀色に輝くそれとは違い、金色に鈍く光っている。あの家の鍵は万が一にも詮索されないために常にロックが管理している。例え妹でも、安易に玄関を開けられない。

 

「あー……じゃあ最初から鍵を壊した不法侵入なのバレてたんですね」

「俺にカマをかけただろう。妹と兄が裏切ったと。鍵は後で弁償しろ」


 動揺を誘いたかったのか、諦めさせたかったのかは分からない。人間のことなどこれっぽっちも知りたくない。だが、死を厭わない蛮勇は評価に値する。舌打ちはそういう意味だった。

 

「動画の声はお兄様ご本人のものですよ。直接お願いしたんじゃなくてお付きの人がくれたものですけど」

「言葉の意味までは分からなかったようだがな。で?聞きたいことはそれだけか」

「まだありますよ」


 もう一度掲げられる鍵。どうせ妹の懐から盗んできたものだろう。不用心だから側近はちゃんと御せと再三忠告していたのに。

 秋仁はどういうわけか彼女に信頼されている。兄には全く理解できない。


「どやって俺に気づいたんです?」


 はあ、と重々しくため息が零れた。こんなので本当に妹の側近などやっているのだろうか。交代させろと強く提言した方がいいかもしれない。ムカつくし。

 ヒントを与えるのも癪だが、情報も取ってこられないような愚図を妹の傍に置くのは心配だ。致し方なく、コツコツと軽く鼻を叩いた。


「お前、くさい」


 煙の消えたタバコ。ひしゃげた箱を見て、秋仁は苦笑いを浮かべた。



―――――――――――――――――――――――――――



 父が出て行ってしまった玄関を眺め、肩を落とす。この混乱の最中、頼れる大人は父しかいなかったのに。

 意気消沈したまま玄関に座り込む。どっと疲れが押し寄せ、立ち上がる気力もなかった。


 一昨日から様々なことが一度に押し寄せてきた。元来学校の成績も芳しくない足りない頭では混乱ばかりが先行し、知らぬうちに何もかもが決まってしまった。


 この地は国という体系を持たない。シャーレが実質的な人類の指導者だ。あの組織の決定は妨げられず、必要とされるのは名誉なことだと重々分かっている。

 

「俺は西区から出たことねぇのに……」


 問題は自分の無知さだ。西区を離れたことのない15歳の高校生には世界のことなど一般教養が精々。戦いなんてやったことがない。


 生まれながらにして特別な力も持っていないし、人より運動神経がいいだけだ。

 父が葬務官だと知ると大抵の人はその身のこなしにも疑問を抱かなかった。


 大半の人は深水がなんなのか。海魔とはどんな存在なのか。どうして葬務官が必要なのか。そういった物事に関心がない。営みに直接関係のない世界の裏側のように認識している。総真とて例外ではない。


 それが突然目の前に降って湧いた。泡に覆われたこの地で、泡の向こう側を知りなさいと無理やり押し付けられた。少年が途方に暮れるのは無理からぬことだ。


 扉が開いたままの父の書斎へ這い寄る。子供の頃はよくここで夜遅くまで本を読んでいる父を好んで眺め、床に寝落ちていた。壁に飾られたギターは綺麗に手入れされており、楽譜が机の上に並んでいる。


 父は事あるごとに音を奏でた。疲れたとき、むしゃくしゃしたとき、なんとなし。理由に一貫性はないが手慰みになると良く弦を弾いた。


「あーもう!走ろう!」


 立ち上がれなかった体を無理やり起こし、玄関まで一足飛び。薄汚れたスニーカーの紐をきつく結ぶ。

 思い悩んで立ち止まるぐらいなら体を動かした方が何倍もマシとは父の言だ。山を走り回って泥だらけで帰った時は親子だな、なんて涙を流すほど笑われた。

 

 玄関を抜け、広場を通り過ぎ、山を下っていく。いつもの道ではなくダムへの道をぐるぐると遠回りして進んでいく。

 月明りすら差し込まない暗闇でも不思議と目は正確に周囲を感知できる。慣れた道を踏むならし、数分とかからずダムへと飛び出した。


 田園風景に包まれた村を一望できるダムは静寂に包まれていた。放流時期から外れている上、雨季は少し先だ。作物も今は植えつけの準備中で、ところどころちかちかと輝く街頭が目に入る。

 晴れ晴れとした空は月明りと星々を讃え、虹色に瞬く泡と共に空を彩っている。


 一歩、ダムへと足を踏み出す。設置された鉄柵を乗り越え、月を映す水面に身を乗り出した。

 途端、強く腕を引かれ後ろに大きく仰け反る。乗り越えた鉄柵に上半身を反らし、逆さまになった視界で見知った顔にぱちくりと瞬きを数度。


「神崎さん?」

「あなた、何してるの」

「えーっと、気分転換?」

「こんな夜中に気分転換で水深100メートルは下らないダムに飛び込むって?」


 鉄柵に手をかけ、逸れた上体を戻す。振り返った彼女は呆れたように目を半分伏せ、同じように鉄柵を乗り越えた。

 腰をかけろと隣を叩かれ、仕方なく冷たい棒に寄り掛かる。


「暖かくなってきたとはいえまだ5月よ。夜にダムで着衣水泳なんてよしなさい」

「ち、ちがうから!それだけ聞くと俺不審者じゃん!」

「私から見れば自殺志願者兼不審者ね」

「そう言う神崎さんはなんでこんなところに?」


 彼女は離れた場所にあるダムの管理事務所を指さす。明かりが灯っており、よく見ると扉が薄く開いていた。


「ダムはシャーレが管理する場所で、葬務官が使える宿舎が併設されていることが多いの」

「今夜の寝床ってわけか。先生は?」

「タバコを吸いに行くって出て行ったきり」


 管理事務所の鍵を持たずに出かけた秋仁を待って、休みたくても休めずぼうっと外を眺めていたらしい。

 締め出してやろうと鍵をかけに扉に寄ったところで総真が柵を乗り越える姿が見えたと。


「……彩春でいいわ」

「え?」

「呼び方。神崎さん、のままじゃあ秋仁か私か区別つかないじゃない」

「なんでまた突然?」

「嫌でも葬務官になるんでしょう?なら私の同期として配属されるはず。さんもいらない。仲間によそよそしくされたくないもの」


 葬務官はその実力にって等級が分かれている。等級がそのまま身分になるシャーレでは一番下の4等葬務官は下っ端だ。

 最初は訓練官として上位の等級に師事し、一人前と認められる3等葬務官を目指すらしい。

 

「あれ?彩春って3等葬務官だろ?なんで秋仁と一緒にいるんだ?」

「訓練官の期間は3年。高校と同じカリキュラムの教養も並行して行われるわ。私はまだ訓練官になって1か月だから、3等葬務官でもあと3年丸々秋仁の指導を受けることになる」

「それ意味あるの?」

「なくはないわよ?」


 彩春は4等葬務官として任命されてからたった1か月で3等葬務官になってしまったという。上の階級に上がるにはある程度の弔いの実績が必要だというが、彼女には何の障害にもならなかった。


「神崎家は葬務官を多く輩出する家系。私は幸いなことに葬術にいち早く目覚めた。子供のころから秋仁について回ってたし、実務経験は十分。訓練官をしているのは教養のためだけね」

「彩春って超エリートだったんだ……」

「ふふ、そうなの。意外でしょ」


 茶目っ気たっぷりに笑う少女に一瞬跳ねた心臓を押さえ、気恥ずかしさに頬を掻く。職務に忠実な彩春とは違い、素の彼女は良く笑っている。

 月明りに照らされた横顔が風に揺られて波打つ水面を眺めている。


「俺も総真でいいよ」

「分かったわ。で?着衣水泳は思い留まってくれたの?総真」

「だから違うってば!」


 必死に否定する姿をくすくすと笑う彩春が可愛らしく毒気を抜かれる。思わず同じように笑って、寄り掛かっていた鉄柵から身を離した。


「俺、深水操作はできないって言ったじゃん」

「ええ。実際、総真は誰にも学んでいないのでしょう?」

「そうなんだけど……1個だけ俺には説明できない特技があるんだ」


 ダムの縁。水の底は暗く、自分の顔を鏡のように映している。風に吹かれて浮いた落ち葉が流れていき、縁の数センチ下に揺蕩う寒さに足を下した。


 ちゃぷ、と柔らかな音を立てた水が総真のスニーカーを濡らす。そこを数ミリ沈めた先にもう片方が水に浸かる。


 しかし、その足は一向に沈んでいかない。1歩、また1歩と進んでいく姿を、彩春は唖然として見つめる。

 最初は顔だけだった鏡が段々と全身を映し出し、ついには逆さになって振り返る。


 総真は水面を歩いていた。なんてことない道を歩くように弊害なく、優雅に。地を歩くのと何ら変わらない足並みで水の上に躍り出た。


「子供のころに母さんに教わったんだ。これ……多分、深水操作……だよな?」


 実際の深水操作を見るまで考えもしなかった事実。遥か昔に遊び半分で母に教わった水面歩行。誰にも見せてはいけないときつく言い聞かされていた理由が今ならよく分かる。

 

 口を開いたまま固まった彩春がしばしフリーズし、わなわなと震えだす。

 もしや夜風に冷えたのかと声をかける前に、彼女の悲痛な叫びが響き渡った。


「水の上を歩く人間がいてたまるかー!!!!」


 ごもっともな言葉に、総真はそっと耳を塞いだ。

 

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