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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
あなたの為のアクアリウム

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休符から始まる#4

 総真は全く状況が分かっていなかった。海魔との遭遇から1日。圧倒的な情報量にただ翻弄されていた。辛うじて理解できたのは、自分が葬務官にならなければ死刑になってしまうということだけだ。


 先ほどの意味不明な動画から父は放心してしまった。いつも優しく三日月に細められる瞳が動揺に揺れている。散大した瞳孔が虚空を彷徨っていた。


 彩春は秋仁の言葉を一切否定しなかった。強引だと非難することはあっても嘘だとも、事実無根だとも言わなかった。即ち、命を賭す以外に拒否権はないのだ。


 深水の危険性は重々理解している。幼子の時分から言って聞かせるのが世の常だ。そこにあるだけで悪とされる液体。操れることで利を生むと共に、操れぬことで害となる表裏一体の神秘。


 人間が宿すには過ぎたる力。扱えぬのなら、管理できぬのなら、いっそのこと。そういうことなのだろう。


「俺、どうなんの……?」

「葬務官になってくれるなら何の問題もない。生活は保障するし、中央区の寮で豊かな暮らしができる。君のお母様とも近くで暮らせるよ。そこのお父様もきっと一緒に来てくれる」

「父さん……」


 父から返事はない。総真は忘我の底にある父の姿を一度たりとも見たことがない。あの動画に一体どんな意味があったのか。知りたくとも総真は父の過去を一切知らない。親子から始まった15年の歳月はあまりにも無力だった。


 秋仁の言葉も、彩春の言葉も、総真には理解できない。どうして理解できないのだろうか。同じ世界で生きてきて、同じように何かを学んだはずなのに。同じ年月を同じだけ歩んできた彩春とさえこうも違うのは何故なのだろうか。


「日野総真くん。泡で包まれた監獄はさぞ居心地が良いだろう」

「は?」

「自分のことも親のことも君は何も知らない。この山で、この村で、全てを覆われて育てばそうもなる。惨いことだ」


 目の前に立つ男から向けられているのは哀れみだ。幸せに生きてきたと、そう信じて疑わない15年を彼は酷い人生だったと哀れんでいる。何故そんなことが言えるのか。他人の家を土足で踏み荒らす彼は、その心までも土で汚していく。外から訪れる暗く湿った、現実を名乗る土で。


 彼の言う通り、総真は何も知らない。この小さな西区の端で与えられるがままに生を謳歌してきた。15年という人生において短くも、当人にとって全てである時間。その間に得た知識は限られたものだ。


 人より優れた身体能力。数人の友人がいる小さな学校。葬務官を引退したと告げる傷だらけの父。中央区に勤めていると言ってあまり帰ってこない母。総真の世界はたったこれだけだ。


 初めて海魔と相対したとき、得も言われぬ恐怖と世界の外側に触れた事実を味わった。それは紛れもない泡の奥に隠された現実だ。


「泡の向こうに何があるのか、ちゃんと見て。君が昨日体験したことは俺たちの日常で現実。生きていれば必ず隣り合うものだ。そこに踏み込む意味を考えて欲しい」

「無理やり葬務官にしてくるあんたの言葉を信用しろって?」

「不信感が強いのは分かるよ。唐突だし強引だ。俺も自分にやられたら疑うし拒否もするかも。どう考えたって何かに巻き込まれてるよね、これ」

「じゃあなんで……」

「でもね。君に人を救う力があるのは、確かだよ」


 秋仁の手が彩春の肩を叩く。眉を下げ、混乱の最中にいる総真を心の底から心配している彼女は、昨日この手で拾い上げた存在。

 血に濡れた彼女を背負った手は未だ生暖かく、山の葉にこびり付いた血痕があったかもしれない未来を思わせる。


「さて、今日はここまでにしようか。拒否権はなくても準備期間はあるんだよね!」


 パンッ!と小気味よく手を叩いた秋仁が彩春の手を取る。無理やりその場から立たされた彼女がよろける。思わずその背を支え、意図せず波打つ鼓動に触れた。


「あ、ありがとう」


 柔らかな言葉が鼓膜を揺らす。混沌に喘ぐ頭へ差し込まれた感謝の言葉に総真は小さく頷いた。彼女は手を惑わせ、結局何もせずに強張った肩を落とした。


「……ごめんなさい。私があなたを巻き込んだからこんなことに。私が、私があの時、あなたに頼らず1人で……」


 その続きは彼女の口に手を当てることで押し留めた。あの時死ねばよかったなどと間違っても言って欲しくなかった。


「俺、なにも分かってないし、何に巻き込まれているのかも理解できないけどさ。これだけははっきりしてる」


 一定の速度で鼓動を刻む脈。伸びた血管は粛々と身に収まり役目を全うしている。昨日見た青白い顔はどこにもない。目の前に立っている彩春は五体満足で、自分もぐちゃぐちゃだが生きている。

 こうして感謝の言葉をくれて、自分のせいだと嘆いてくれる優しい彩春が血の海に伏すことはない。少なくとも今は。


「神崎さんが生きててよかった」


 自分に何の力もなければ、昨日の時点で2人とも死んでいたかもしれない。今こうして話をして、昨日のことを悔いて、分からないと頭を抱えていられるのは生きているからだ。だから、今はそれでいい。

 頼りなく重ねられる彩春の手を総真は強く握り返した。

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