剣と刃
すぐさま後を追って深く暗い穴に飛び込もうとした刃夜は、突如として首筋に走ったびりびりとした感触に動きを止める。
全身に走っていく僅かな電流が先へ進むことを拒み、離れた位置にいるはずの伯父から警告を受けていた。
これ以上の追撃は不要であると判断し、刃夜はゆっくりと剣を鞘に納める。
周囲に散っていた深水たちも霧散していきその場には静寂が訪れていた。
無残にも両断された建物や道についての修繕と報告を考えると少しばかり憂鬱な気分になる。
だがこれも海魔を残滅するため。同じ道を目指す同志たちに迷惑をかけるが、理解して欲しいものだ。
周囲に展開していた皇家の者たちも気配や音こそ感じないものの順次撤退している最中だろう。
制服の内側を探り、使用した深水のボトルが1つもないことを確認し、刃夜は高く地面を蹴った。
剱のいる地点へはさほど遠くはない。この足で進めば数秒とかからないだろう。
報告と次の任務の指示を受けるためすり減った靴で壁を蹴り上げると、目的地より僅かに手前の道に葬務官が立ち尽くしている。
黒い髪と真っ白な制服、短く整えられた髪と1人で立ち尽くして背を丸めている姿に誰なのか考えるまでもなかった。
降り立って話をするのも嫌気がさす。だがわざわざこんな場所に立たせているということは伝言か何かを持たされているのだろう。
無視して剱の元に行けば何も言われず目の前の存在が再び来た道を戻って顔を合わせるだけ。
余計な手間をかけるぐらいなら掻きむしりたくなるような嫌悪を抑える方が楽だ。
「治剣4等葬務官。そこで何をしている」
「ひゃっ!?」
全身飛び上がって驚く治剣に、刃夜は眉根を寄せる。
1つ違いの妹と呼ぶにも憚られる存在は眉を八の字に曲げ、今にも泣きだしそうな顔で小鹿のように震えていた。
「じ、刃夜にぃ」
「は?」
「あ、ちがっ!刃夜1等葬務官……!」
職務に私情を挟むような呼び名に思わず地を這うような低い声が漏れる。
威圧的な態度で剣に手をかけると彼女は慌てて両手を振り、小さな声で訂正した。
「伯父……剱特務葬務官より伝言を預かってお、おり、おります!」
「……チッ」
報告すらまともにできないのかと思わず出た舌打ちに再び治剣の肩が揺れる。
カタカタと音がするほど震えている肩を睨みつけ、わざとらしく剣の柄を指先で叩いた。
音がなるほど叩かれた所為かさらに強く震えだし、呂律もおぼつかなくなっていく。
「ほ、報告は、えいぞ、映像記録をかくにんしたの……ち、その……後日、直接……」
「あ?」
「つ、次の任務地に!至急向かわれたし!との、こと、です!」
やっとのことで絞り出した答えに眉根が寄り、差し出されたスマートフォンを引っ手繰る。
直接任務地を指定してこないことに不信感を抱くが、当主がやることに口を挟めるのは当主に勝てる者だけだ。
そうでなければ大人しく指示に従うのが皇の習わし。
強い者が正義であり、弱きものはこうして縮こまって生活する羽目になる。なんと滑稽な話か。
「任務了解。早急に簡易的な報告書を剱特務葬務官にお渡ししろ」
「え、あ、は、ぃ……」
後日直接話にこいとすらまともに伝えられない無能にかける時間はない。
次の任務へ向かうために戦闘中に残した音声記録と簡易的な短文の報告書のデータを記憶媒体ごと手渡すと、治剣は手に収める前に指先から取り落とす。
がちゃんっ、と小さな音を立てアスファルトに打ち付けられたプラスチックと金属の固まりに彼女はサッと顔を青くし、急いで記憶媒体をひっつかんだ。
この程度のことで壊れたりはしないが、他の皇に同じ粗相をすれば拳なり蹴りなりが飛んでくるだろう。
拾った姿勢のまま身をかがめて瞳孔を揺るがす姿は見るに堪えず、刃夜は再び舌打ちを落として踵を返した。
使えない人間に割く時間はない。一々咎め怒鳴り散らしてなんの益になるというのか。
「じんやにぃ……」
背後からか細い蚊の鳴くような声で名を呼ばれる。
振り返ることを期待した甲高い声が耳障りで、柄を握っていた手に力が入る。
いつまでも幼心を出だして兄に頼るような情けない存在は皇家には存在しないことになっている。
そう遠くない未来に殉職としてこの家から抹消されたとしても何ら不思議ではない。
「貴様にそう呼ばれる筋合いはない」
振り返ることなく彼女へ吐き捨てるように言い放つ。
皇家に生まれた以上、例え兄妹であっても力の差で立場が決まり、動かなくなった無能を見下ろす覚悟がいる。
信念も持たずただ虐げられて生きてきた血の繋がりしかない存在など知ったことか。
「わ、私……刃夜にぃのことを心配して……」
「貴様が?僕を?」
意味が分からない。まず自分の心配をするべきだ。明日には死体になって上がるかもしれない能のなさを自覚していないのか。
伯父の庇護がなければシャーレに足を踏み入れることすら許されなかったくせに。
つくづく反吐が出る。
どうしてこうもこの女は僕を苛立たせるのだ。
「貴様に構っている時間はない。用がないなら話しかけるな」
真っ直ぐと前を向き、次の目的地へと歩き始める。
治剣がじっと見ていた左の腕を僅かにさすり、ずきずきと痛む手首を握りしめた。
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去っていく兄の背を見ていることしかできず、治剣は地面を睨みつける。
自身の影で薄暗いアスファルトが今の気分を表しているようで余計に気持ちが落ち込みそうだ。
緩やかな足取りでとぼとぼともと来た道を戻っていく。
海風の強い浜辺で街路樹が揺れ動き、葉がざわめきを生んでいた。
兄が出来損ないの妹を毛嫌いしていることは知っている。皇家とはそういう家だ。
だが、兄は利き手である左手に僅かに痛みを抱えていた。
記録媒体をとり落としたの刃夜が受け渡す途中でほんの少しばかり腕を上側に向けていたのが原因だ。
自身がドジばかりするものだから確証はない。だがきっと先ほどの戦いで痛めたのだろう。
剣で何度もパグロ・イデアの体を斬り付けていた。
白兵戦を得意とする刃夜の戦いに疑問はなかったが相手の深水濃度は1等葬務官の刃夜でさえそう簡単に貫けそうにはなかった。
1体の海魔に対して普段より多く深水を使用していたし、剣も1本折られていた。
彼が剣を折る頻度は通常の葬務官よりも多い。製造部門の華園家から名指しでクレームが入るほどだ。
絶対に折らせまいと彼専用にカスタマイズされた剣は通常のペースであれば1か月は使っている。
だが先程折った剣は今朝交換したばかりの新品だったはず。今朝、新しい剣を製造部門から受け取って皇に収めたので間違いない。
それがたった数度の攻撃で折れたのだ。あまりのことに白狼と彩春の治療の手が止まるほどだ。
刃夜が常に数本の剣を持ち歩く人間でなければあの時点で殺されていた。
「想像以上に厄介かも……」
パグロに関する報告はかつて研究されていたイデア研究に関するものが主だった。
人間の肉体に海魔が入っているなど眉唾ものの話だが、あの知能と見た目は完全に人間、だが力は間違いなく海魔だ。それもかなり上位の。
刃夜の戦闘中の発言通り、パグロの動きは肉体に不慣れとみられる動きが多かった。
同時に人間にはなせない動きも簡単に引き出せている。足が1本なくなれば人間は継戦能力能力が著しく下がるというのに。
「もう1体も出てきていたら伯父さんが出張ってたのかな」
パグロが逃走する瞬間。皇家の者が撮影していたカメラにはその深い穴の奥底が僅かに見えていた。
暗くてほとんど映っていなかったが、何かが動く姿を一瞬だけ捉えていた。
わざわざ目の前で逃走したこと、海魔対策がされている地下水道を逃走経路に選んだこと。
逃げ切れる自信がなければ逃走経路として選ぶにはいささか心もとない場所だ。
あれはおそらくもう1体のイデア、アストロ・イデアの姿だったのかもしれない。
追いかければ狭い空間で2体のイデアを相手取ることになる。2体とも葬術が分かっていないのに1等葬務官1人で相手どるのは愚策だ。
追跡を許可しなかった伯父の判断は英断だ。
刃夜は皇家の次期当主。不慮の事故で失えるような人間ではない。
「——治剣」
ふと、インカムから名を呼ぶ声が聞こえる。伯父の声だ。
用件を伝えてこないときは至急袂までやってくるようにという合図だ。
やる気を失っていた脚をしっ咤し、急いで4人のいる屋上へ向かう。
もしや倒れている誰かの容体が急変したか、あるいは総真の身に変化が起こったのか。
まさかとは思うが剱の身に何か起こったのではないかと嫌な予感ばかりが過っていく。
伯父だってもう70を超える年齢だ。身体こそ深水の影響で50代に留まっているものの、もしものことがあったら。
身体強化の深水操作はおざなりでビルの屋上に行くのだって階段を駆け上がってやっと。
それでも自身が出せる最高速度で伯父の元へ走った。
「お、おそ、遅くなりました!」
ぜえぜえと肩で息をしながら戻った先では驚いた顔で固まる総真と相変わらず何を考えているのかさっぱり分からない伯父。
2人に異常はない。であれば倒れている2人に何かあったのか。
視線をそちらに向けると、横になっていた2人がいつの間にか起き上がり戸惑ったように周辺を見渡している。
刃夜に伝言を伝えるために離れた数分の間に彼らが目を覚ましたようだ。
「後のことはお前に託す。私はリュード様の元へ戻らねばならない」
治剣が戻るやいなや立ち上がって周辺にばちばちと雷を飛ばす伯父に力が抜ける。
なんだ、リュード様の元へ戻りたくて急かしただけか。
「承知いたしました。行ってらっしゃいませ!」
伯父にとって一大事であることは理解している。早ければ早い程いいことも。
故に治剣は何も言わずゆっくりと頭を下げ、光と共に紫電を走らせ一瞬で消えていく伯父を見送った。
兄も伯父も居なくなる時は一瞬だ。どちらも眩い輝きを放つ葬術故に、力なきものは目が潰れそうだ。
残されたのは置いて行かれた治剣と起き抜けで混乱している後輩2人。暖かな茶をもって固まっている後輩1人。
「ごめんね、騒々しくて。ひとまず起きたばかりの2人を診察させてもらえる?」
任されたからには職務を全うしなくては。
顔を見合わせた後輩たちに肩を竦め、制服の襟を正した。




