閑話 君達の幸せを願っている#2
ただ事実だけを見る。
何も考えずに書面上の言葉だけを飲み込むのは人間にはとてつもなく難しいことだ。
論理だって考える秋仁には特に、文字だけを追う作業は脱線ばかりして遅々として作業が進まない。
背後で同様にパソコン内部を調べているロックと、散らばった実験道具を見分しているカノンが羨ましいくらいだ。
彼らは目の閉じ方を知っている。考えない方法を良く学んでいる。
思考停止と揶揄するにはカノンの発言はあまりにも真に迫っていた。
実際に資料を目にしてみれば彼女の発言の深さが良く分かる。
どれもこれも矛盾する研究ばかり。海原リリーの名が小さくでも記されている研究ははっきり言って数千を超えている。
数百人の部下を引き連れ入れ替わり立ち代わり様々な研究に顔を出していたにしては、海原の名が記された資料は重要なモノばかり。
相当優秀な研究員だったことが伺える。
だというのに、同じ名前、同じ日付の研究だというのに片や海魔を完膚なきまでに溶かす実験、片や海魔をあえて強化し制御下に置く実験に手を貸している。
海魔や人間という生命に対する研究だけではない。
深水操作に関する論文や人間達が物資を抽出する際の効率化に関する論文など、とにかくあらゆるものに顔を出している。
海魔対抗のための武器製造と人間同士の戦争を促すような、老若男女問わず扱える銃の生産研究まである。
どれもこれも短期間で多大な成果を発揮し、どれもが海原の名は協力者止まりだ。
決して主導で研究には参加していないのが不気味だ。
様々な分野に造詣が深いとしてもこれは異常だ。
戦時中物資も限られる時代、海魔との戦争にくう者にも困っていたと記述されていた時代にこれほどまでに多くの発展を成しえたのはアビスの助力あってこそとも言える。
これだけの傑物、必ず意図があるはずだと考えてしまうのはもはや人間の性だ。
何も考えずただひたすらに食指が動いたから手を出したと断言するには広く深く掘りすぎている。
「イデア研究も主導者は別の研究員の名前ですね。海原の論文は存在しないから書き方の癖が多岐に渡りすぎて目が回りそうです」
「お母様は研究発表するぐらいなら実験していたって言っていたから」
「働き者なんだか自由人なんだか……おっと」
ふと口にした疑問にカノンの眉根が下がる。八の字になってしまった眉間に途轍もない罪悪感が降り注ぎ、すぐさま思考を中断した。
人となりを考察するのもしてはいけないと言い含められたのはつい数分前だ。
イデアの研究は数人が様々な分野に渡って携わっていた重要案件だったようで、複数人が全く違う報告を上げている。
内容に矛盾があるというより様々なアプローチを試みた結果のようだ。
これがさらに解読の難易度を上げている。数人のチームが十数個あるような状態だ。とてもではないが全ては見切れない。
イデアとは何かの理解をする前にそもそもなぜこれだけの人数が携わるようなプロジェクトにしたのか小一時間問いただしたい。
「イデアは海魔を入れて兵器として活用するための器ってのが軍への研究報告みたいですけど、実際のところは分かりかねますね」
「十中八九建前だ。目的は事実から読み解きやがれ」
上に求められる答えを研究資金の打ち切りを阻止しつつあわよくば増額してもらおうというのが研究者の定めだ。
戦時中など相当の理由がなければ研究自体が続けられないだろう。
成果が挙げられているのは軍部に気に入られていたか、大きな成果を既に挙げていたからか。
イデアの研究は長いこと肉体に宿した海魔による拒絶反応で肉体が生命活動を止めてしまう失敗を繰り返し二の足を踏んでいたようだ。
半魔研究の応用でありながら低コストで量産できると報告書に書いてあったが、半魔はかなりコストのかかる生産方法がとられていたようだ。
肉体を作れればなんでもいいイデアとは違い、半魔は特別な力をここに宿しつつランニングコストがかかる。
成長するまで多大なる栄養を求めると記述があった。海魔を器にし、中身を人間にしたことで起こりえた不測の事態だとされている。
一方イデアは完全に人間の肉体を体外受精で造り、一度も目覚めさせないことで人格を剥奪した器として生成している。
記述にホムンクルスと記されていた。これに海魔を注入することで肉体の主導権及び人格者は海魔となる。
状況的にアビスと同じだ。
「性別の認知や肉体との乖離による精神崩壊が破損のきっかけになりうると判断し、肉体年齢に見合う海魔を選別する新たな技術の確立が近道とされる……え?海魔って性別とか年齢の判断できるんですか?」
「できる分けねぇだろアホ」
「無理だよ……ぱっと見判断材料がないもん」
つまり不可能、ということだ。
この研究報告では海魔が元人間であるという前提で話が進んでいる。
300年前は当たりまえの常識だったのか、はたまたアビスが仮定として研究者たちに刷り込んだのか。
どちらにせよ、ここで研究は頓挫している。
海魔の性別や年齢判断などできようはずもない。
以降は研究自体が永久凍結され、数百体に及ぶホムンクルスだけが残されたと記されていた。
「状況的にパグロとアストロはこの残されたホムンクルスに宿ったと考えるべきですね」
「だろうな。問題はそのホムンクルスの保管場所だ」
爆心地となって崩落した研究所。一体どこに人間の肉体を数百体も隠す場所があったのか。
ロックの言葉に、秋仁は再び画面へと向き直り、周辺地図の欄に手をかけた。
複雑な地図の合間にカノンより情報提供を受けながら、秋仁は数千体の人体が補完できる場所など確保しえないのではないかという結論に至った。
この地下施設はいくつもの袋小路とアリの巣より厄介な数々の細道があるが、意識のない人間を大量に保管できるただ広い部屋は存在しない。
製造した過程では類する部屋があったそうだが、記録によれば海魔による度重なる戦争の結果崩落してしまった。
儀式による崩落前にも何か所も壊されたという記載がある通り、封鎖されて長いようだ。
「こんな地下に作っていても海魔の攻撃で崩れることがあるんですね」
「地下に作ってるからだ。海魔から隠れるために穴倉に潜ったつーのに真上で戦われると振動で崩落するボロ家」
「何回か侵入されたこともあるよ……そのときかな……」
海魔侵入対策のためにいくつもの防壁があり、一区画隔離したまま二度と開かなかったことも多いという。
研究者たちも命がけで、特に神達が居住区にしていた区画は出撃の関係で最も地上に近い位置に設置されていた。
地図上でも現在の壁を越えた海側、北区側の崖にあるらしい。
今も現存しているかは定かではないが、海に直結した入口故に既に塞がれているかもしれない。
「見に行った方が早いと思います。大穴が開いていた箇所は上を塞いだだけで下は底なしのままなんですよね。迂回ルートを探します」
「んで住んでた俺達よりテメェの方が詳しくなってンだよ」
「お、お兄様……」
幸いいくつかの通路が大穴を避けた位置にある。崩落していなければ通れるはずだ。
こればかりは実際に行って確かめる他なく、2本の道を指さした。
「西から行くルートと南から迂回するルートがあります。どっちが崩れているかわかりませんし、二手に別れましょう」
「カノンと俺、テメェは1人で行け」
「だ、だめだよお兄様!この中で1番か弱いのは秋仁なんだよ!」
「カノン様?俺を心配してくださっている気持ちは伝わりますが暴言とも取れますよ?」
刀も持てない秋仁を1人にしようとする兄から守るべく、カノンはすかさず秋仁の前に立つ。
あわよくば死んでくれと言い出しかねないロックは軽く舌打ちをし、ズカズカと出口に行ってしまった。
「俺が南!カノンが西だ!テメェはどっちかについてきやがれ!」
「どっちかって言うと絶対にカノン様の方に行きますよ」
「勝手にしろ!」
意外にもロックは言い返さずさっさと南側に歩いて行ってしまった。
一緒に行きたくないという嫌悪感とカノンと2人きりになったら殺すという殺意が拮抗した結果相打ちになったのかもしれない。
さてどちらの方がカノンにとってより良い結果になるかと逡巡していると、裾に僅かな力を感じた。
「秋仁、一緒にいこ」
「はい!喜んで!」
すみません、ロック様。カノン様の頼みを断る等言語道断なので御1人で向かってください。
心の中で手を合わせておきながら顔は満面の笑みだ。
女性をこんな暗い所で1人にできないだとか、戦力にならない秋仁を護れるのは腕の多いカノン様だとか適当な理由を並べて自衛の手段だけは確立しておく。
決してカノンに裾を掴まれたのが嬉しくて二つ返事で了承したわけではない。
「しっかしあの人も分かりやすいですね。わざわざ南を選ぶなんて」
「なにかあるの……?」
「南側は遠回りなのもありますが、大穴に近い位置を通ることになるのです。十中八九崩落個所が多く通行が困難かあるいは不可能だと推測できます」
対岸が見える距離で穴が空いただけなら飛び越えることも可能だ。
しかしもし道が瓦礫で塞がれていたり、強力な隔離壁があったりしたら話は変わってくる。
力を加えて破壊せねば進めない通路はたとえ壊せたとしても迂回するべきだ。
300年も時が経ち放置されたままのこの施設では腐食や劣化が激しいだろう。
良ければ破壊した地点で一部が壊れ、通行止めになるか。
悪ければそこから再び二次災害のように地面が抜けていき、地下に閉じ込められる危険性もある。
最悪の場合、天井が落ちてくることも考えねば。
南のルートは特に天井の崩落の危険性が高いルートだ。
乱暴な態度をとってさっさと行ってしまったが、カノンを南を近づけないためにわざわざああやって出て行ったのだろう。
怒っているのは本当っぽいが。
「乱暴者ですけど視野が広い人ですよね」
「たぶん、それだけじゃないと思う……」
「というと?」
人差し指を重ね合わせ、もじもじと恥ずかしがる姿が大変愛らしい。
じっと言葉が出てくるのを待ちながら目にその姿を焼きつけていると、彼女は控えめに地図に記されていない空白を指さした。
「ここね、地図には書いてないけどお兄様が作った抜け道があるの」
「抜け道?なんでこんなところに……」
「こっそり末弟に会いに行くためだよ」
ただ黒いばかりの箇所を指でなぞっていく彼女の手は複雑にいくつもおり曲がる。
大して舗装されていない抜け道は今や使うことすら困難だろう。
だがその道を辿っていくと、目的にのほど近い場所に飛び出すことが分かった。
場所はラボとだけ書かれたごく小さな部屋だ。
「行けばわかるよ」
目的地にほど近い場所にあるラボ。
彼女の言う通り行けば分かる。
西に向かって歩いていく主人の背を追い、秋仁は真っ暗な廊下を小走りに進んだ。




