閑話 君達の幸せを願っている#1
北区遥か地下深く。神、別名人造神器半魔である彼らの実験記録を閲覧していた秋仁は強烈な頭痛と眩暈に襲われていた。
それもそのはず。実験記録には人を人とも思わない悍ましい事実がつらつらと並べられている。
今の時代にこんなことを行えば即刻死刑だ。その場で銃殺か葬術による殺害が認められることだろう。
だが海魔と戦争をしていた当時は皆頭がおかしくなっていたに違いない。生きるために祖先たちも必死だったのだ。
「これ……海底から人間の女性を引き上げたって書いてありますけど、これが母体……アビスですか?」
「そうだ。海魔が何なのかにも直結してくる」
「どうしてこんな資料残してあるんでしょう……データベースのは消していたのに」
「……さぁな」
返事に妙な間があった。何か知っているのかもしれないが、本当に心当たりがない可能性もある。
深く追求しても理解できるとは到底思えず、秋仁はそれ以上は言及しなかった。
資料が残っていることは素直に有難いことだ。
今まで失われていた歴史をこうして閲覧できているのだから。
「海魔が何なのかは一旦置いておいて、その母体は今どこに」
「どこにもない」
「ない?この研究施設にもですか?」
「母体はお兄様が殺してしまったの。だからアビスには実体がないのよ」
ここでいうお兄様はリュードのことだろう。
殺してしまったというと、事実上母親をその手にかけたことになる。
そのあと埋葬したのか燃やしたのかは記録もなくロックもカノンも知らないと首を振った。
つまり遺体の行方は知れていないと。
「父親は?」
「父親の名は海原リリー。俺達の主任研究員だった」
「うーん。分かりませんね。母体だったアビスが突然起きて暴れた、というのが300年前の真相なんですか?その儀式とやらに関わっていたとか?」
「……この辺りの話はややこしいの」
「説明がだりぃンだよ、マジで」
2人そろって話したくないというときは大抵確信に迫っているときだ。
もとより神達は複雑な生まれで面倒な性格をしている。
今更情報がこんがらがったところで動じたりしない。
「とりあえず話してみてください」
「うーん……っとね……お父様が、お母様なの」
「……ん?もう一度お願いできますか?この秋仁、カノン様の小鳥のさえずりのように清廉潔白で耳心地の良い声に全身全霊を込めて視神経を活発にしておりますが、今聞き違いをしてしまったようです。お父様がお母様であると誤った言葉を拾ってしまいました」
「前口上がなげぇよ。合ってんだよそれで」
「……はい?」
理解が全く追いつかない。父親が母親?父親でありながら母親の役割を持っていたということか?
否、それでは生まれという生物学的質問に説明がつかない。
人間と同じ生まれ方ではないのだろうか。だが彼らは末弟は父親が違うと言っていた。
胎生とは言わずともかなり近い方法で生まれてきているはずだ。
「ええっと、つまり?」
「だからめんどくせぇつっただろ!アビスは!他人の肉体を乗っ取って十何年も俺達の研究をしてたんだよ!」
「乗っ取って……乗っ取って!?そんなことが可能なんですか!?」
「普通は無理だと思う……人間側の肉体が耐えられないのと、海魔側のアイデンティティの崩壊につながるから……」
「そもそも元の性別もちげぇ状況で狂わないアイツがおかしいんだよ。しょっぱなから頭飛んでる奴のことを理解しようとしたって無駄だ」
彼らの話を統合すると、時系列が明確になってきた。
まず、アビスは海原リリーという軍所属の研究者の男を乗っ取った。
この時点で既に他の海魔には不可能な事象が発生している。仮にそのような葬術があったとしても十数年肉体を生きたまま運用するなど不可能だ。
アビスに限ってはそれが可能だった。そう考えるほかない。事実だというのだから。
そうして乗っ取った肉体を使って彼女は半魔を作り始めた。
目的は不明だ。誰も作った目的など海原に尋ねはしなかった。戦時中に軍所属の研究員が軍事兵器を作るのは当たり前のことだったからだ。
その際、アビスたる海原の研究理論では海魔と人間を混ぜることで海魔でありながら人間の理性を持ち、海魔のように強靭な肉体と能力を手に入れられると発表した。
そうして危険な海から自らの肉体を引き上げさせたのだ。母体として運用するために。
「交配の方法は概ね人間と同じだ。俺達は不定形で生まれてくるから外枠の卵が作られ孵卵器である程度の時間を過ごすことが違う点か」
「おぇ……つまり自分で自分を……?」
「体外受精だ!それ以上カノンの前で言ったら口をぶった切って縫い付ける!」
父親が母親という謎の言葉にも納得だ。
最初から親は1人なのだ。肉体が分離しているだけで、遺伝的に別人だったとしても中身は同一人物。
アビスの頭のねじが外れているとしか思えない。
常人なら思い付いてもやろうなどと口が裂けても言えないだろう。ましてや自分の体で。
「イデアもアビスが制作を?」
「いや。イデア研究は複数の人間達からサンプルを採取して行っていた。知らねぇ誰かの肉体だろ」
「私たちの研究を応用したものって話だよ。お母様への負担が大きかったんだと思う……」
「となると……一体何を目指してイデアを作っていたのか……」
アビスは最初から半魔の研究を殆ど1人で行っていた。
成果が出てチームができてからも主任の地位からずっと彼らと共にあったという。
一体何が目的で造られた存在なのか。
資料を読み解いても海原の名は一切出てこず、その人となりを観察する手掛かりすら紙切れには記されていなかった。
イデアシリーズに関する研究資料は神達の資料に比べて多く残っているものの、難解な内容に解読するのに非常に時間がかかった。
過去の研究資料を閲覧している秋仁でさえ、全てを理解することは不可能だ。
人間の手で化け物を作る実験など医学を修めている身からすれば禁忌に触れる行為。
神をモノともしない、恐怖を失った気狂いの発想だ。
「1000年前の信仰に母親が神を父親なしで生んだという記述があったらしいですが、まさにソレですね。事実上1人しかいないワケだし」
「聖母マリアの話か。アビスもその話をしていた」
「神話や歴史に造詣が深い印象……だった、かも」
まだ世界が海に沈む前。大陸と呼ばれる巨大な陸地があり、この地が小さな島国だったころ。
様々な文明が形成されていたころは各所でおとぎ話のような神話が受け継がれていたという。
今では形骸化して久しい娯楽のようなものだ。今の人類にとって神は目の前にいる存在。おとぎ話ではない。
アビスは遥か昔の話をまるで見てきたかのように語るときがあったと、カノンは遠い昔を思い出していた。
「海魔が何なのかの話は……最後の最後までお母様は言わなかった……」
「カノン様達も海魔が何なのか知らないまま戦っていたのですか?」
「ぶっ殺す相手のことをわざわざ兵器共に説明するほど優しくねぇよ。バケモンを木端微塵にして戻って来い。命令はそんだけだ」
相手が一体何者なのか。その真実に触れたのは儀式に触れて気がおかしくなってしまった兄が戻ってきた後だった。
彼は瞳孔の開き切った瞳で虚空を見つめ、爆心地で頽れた末弟を残った片手の手の平にかき集め、三日三晩呆然としていた。
本当はそれ以上の時間を空虚な身のまま過ごすはずだったが、周囲がそれを許さなかった。
頭の整理がつかないまま、兄は軍の再編と人類の主導を期待され、未だ残る海魔との闘いに身をやつすことになった。
波乱万丈の日々の中、兄妹達を失った悲しみを感じることもできないつかの間。
3人がやっと邂逅できたのはそれから5年という長い歳月が経った後だった。
「5年の間、兄貴はずっと考えてくれていた。真実を話そうか、話すまいか。結局、真実の半分を預けると言って海魔の真実を話してくれた」
海魔は1000年前、人類が深水から逃げた成れの果て。
突如現れた深水に狼狽え、深水から逃れるために人々が争い続けた結果。
「海魔は1000年前に深水から逃げるため、肉体を凍結させた人類たちの深水適応体。50億人弱が今も肉体だけ海底に沈んだまま、海魔として地上を蹂躙してやがる」
海魔達はもとの肉体とは違い脳がない。考える力がなく、本能のままに行動する。
思ったこと、感じたこと、その全てがありのまま行動へと現れる。
彼らは皆、人を辞めたことを後悔している。
誰だって自分自身を殺すような行動は嫌だ。それが1000年の苦しみともなればその想いは計り知れない。
生きたい、助かりたい。その想いの果てに死んでいるような不定形の身をもって本能のまま行動する化け物となる。
どれほどの屈辱か想像だにできない。
「この身体を凍結させる方法を提案したのはアビスだ」
「海魔を産みだしたのも、あなたたちを生み出したのもアビス……そんなばかな」
「地上の人間達は、お母様の甘言に惑わされて……」
「最初は眠っているだけ。いずれ深水が世界から消え去ったら自然と皆眠りから覚め、地上を再び人類の手で復興させる。そう嘯いていた」
当然そんなものは嘘だった。実際に、人類は何故か肉体だけ眠りにつき、意識を海魔という形で出力されている。
海魔の身になった時、彼らはアビスを探して回った。まだその時は思考能力が残っていたから。
だがアビスは何処にも表れなかった。彼女もまた眠っていたはずなのにその体がどこにもなかったのだという。
そうして徐々に思考能力を失い、深水に適応して肉体が退化している様を感じながら人類は怨嗟となって海底に沈んだ。
「その時、アビスの甘言にのらなかったのが今の人類の祖だよ」
「人間のまま潔い死を選んだ、ともいう」
「残念ながら死ぬことはなく、地上で文明を築けた、と。またなんとも……」
アビスという存在がとことん悪に見えてきた。実際に大悪党だ。同情の余地は一切ない。
だが不審な点がいくつもある。アビスの考えは理解したくないと神達が言っていた理由がなんとなく分かってきた。
彼女の行動には一切の一貫性がない。
人類を救いたいなら海魔にする必要はないのだ。ただ眠っていれば意識もなく長い年月を過ごし、永久に海底にいるだけ。誰も苦しむことはない。
地上に残った人間も海魔が居なければ細々と暮らしていけた。
浄化の技術は地上に残った人類が自らの手法で深水と共に生きる術を身に着けた結果だ。
300年より前の時点で既に技術が確立されていた。アビスが介入した痕跡はない。
だとすると、彼女は海魔を作ったにも関わらず地上の人間に手を貸して海魔を殺す兵器を作ったことになる。
これでは何が目的なのか全く分からない。
ただ人類同士を違う見た目にして争わせただけ。これで一体何が得られるというのか。
「どうしてアビスは……」
「秋仁。お母様のことを考えちゃだめだよ」
「カノン様……」
「理解しようとしたらおかしくなっちゃう。お兄様のように。今は必要な情報だけ見よう」
彼女の悲しそうな顔が後悔の念を滲ませている。
握りこんだ手が震え、触手達が騒めき立っていた。




