雷は遥か遠く#1
挑発に乗ったパグロが刃夜へと向き直り、両手に深水を宿した刹那。
ぱちん!と泡の弾ける音が響き、一瞬空が光り輝く。
その場にいた全員が顔を上げ、空を覆っていた泡が溶けていく様を呆然と眺めていた。
いつの間にかイワシは一匹もその場にはおらず、逃げ惑っていたものも全てがその場で溶けるように深水へと戻っていた。
「どういうこと……」
不可解な現象にパグロは瞬時に争うのをやめ、刃夜から距離をとる。
煽り合いによる数舜の間、確かに刃夜も総真達もパグロの目の前にいたはずなのだ。
だというのに隠れるように言いつけたイワシでさえ今は全く反応がない。
弔われたとすぐさま理解したが、その手段は皆目見当もつかない。
「え?え?なんで泡が割れてんの!?」
「いつの間にかイワシが居なくなってやがる!」
「う……いったい……だれ、が……」
逃走していた総真達3人組に心当たりはないらしい。
彼らも戸惑って走るのをやめ、辺りを見渡している。
一方、目の前で暴言を吐いていた男は泡が弾けた瞬間は同じように顔をあげたものの、そのあとはパグロへの警戒ばかりで周囲を確認する素振りがない。
「これはお前の仕業なの?」
「さぁ。貴様に教える義理はないと思うが」
「つまり心当たりがあるのね」
曖昧な返事を返す余裕があるのは泡が弾けたことで援軍が見込めるからか。
泡が弾ければ葬務官達とパグロの条件は互角。数の暴力を振るえる彼らの方が有利かもしれない。
このままこの男と対峙し続ければ弔われはしなくとも大怪我を負う羽目になる。
パグロはじわじわと後ろに下がり、わざとらしく微笑みを浮かべた。
「泡があろうがなかろうがお前が私に叶わない事実は変わらないの」
「それはどうだろう」
「1級葬務官なんて肩書に大した価値がないことはお前を見れば分かるわ」
青い瞳は凪いており、何が彼の琴線に触れるか分からない。
安い挑発に乗るはずもないことは百も承知だが、この場をやり過ごすためには言葉巧みに意識を逸らすしかない。
「攻撃は全ておざなりなものばかり。ありきたりな葬術だから使い方もありきたりね」
「ほう」
意外にも刃夜は先程とは打って変わって相槌を打ってくる。
無視ばかりだったというのにどういう心境の変化か分からないが、これはチャンスだ。
じわじわと背後に下がり刃夜が半歩前に出れば1歩下がってく。
徐々に壁際に追い詰められていく感覚に表情が険しくなり、ついに背についた壁が氷のように冷たかった。
「負け犬の遠吠えにしか聞こえないな」
「それはどうかしら」
再びぴかっ!と上空で光が全く。
3秒後にはゴロゴロと音が鳴り、空が徐々に黒く影を落としていく。
にじり寄ってくる刃夜が剣を構え、逃げ場のない一閃を放とうとした瞬間。
パグロは一瞬の隙に振り払われる直前の件へと手刀をかまし、軌道を大幅に逸らす。
体制を崩した刃夜の横をすり抜け、丁度正面で混乱の最中にいる総真達をとらえた。
「貴様ッ!」
「ごめんあそばせ!」
すぐさま追ってくる刃夜に俊足を見せつけたパグロは、先ほどの追いかけっこよりもはるかに速い。
ほんの数秒で総真の元へと駆けた彼女は手を目標へと伸ばす。
人間2人を抱えて俊敏に動けない総真は反応がおくれ、鼻先までその手が迫るまで動くことができなかった。
「な!パグロ!?」
「うちに帰る時間よ!クリノ!」
身を捩ってパグロの手から逃れようとするが、些細な動きではもう止められない。
背後から迫りくる刃夜が閃光を飛ばして阻止しようとしたが、軌道が直線的で総真に当たることを考えると水月刃は撃てない。
抱えられた白狼が氷を振りまき、照準の合わない彩春がパグロへと銃口を向ける。
あと数ミリ。その手が総真の肩にかかろうというコンマ数秒。
ドンッ!
「うわっ!?!?」
「きゃあ!!!」
「う、ぐっ!」
再び空が光り、その輝きが不規則な軌道を描き地上目掛けて落ちてきた。
「え、え!?」
「うぅ」
「ぐぇっ!」
光に目を瞑ったパグロの前で3人の情けない悲鳴が聞こえてくる。
手を伸ばして掴み取ろうとした目標は忽然と消え去り、目を開けるころにはその場は黒焦げた痕だけが残っていた。
どこを見渡しても3人は何処にもおらず、パグロと刃夜だけがその場に残される。
まさか目の前で人間3人が突然消えるとは思っておらず、パグロはギロリと刃夜を睨みつけた。
「お前、何をしたの」
「さぁ」
相変わらず曖昧な返答を続ける刃夜はゆったりと立ったまま剣を構えもしていないことに気づく。
まだパグロがこの場にいるというのに随分舐めた態度だ。
「……いいわ。総真は諦めてお前の首を土産にするの」
「ほう。海魔にそんな風習が?」
「さらし首って言うの。素敵な慣習でしょう」
戦利品がないのであればもうこの場に留まる理由はない。
だがこの状況では逃げても刃夜に追われ、しつこい程付きまとわられるのが目に見えている。
援軍が来る前に消耗させ、さっさとこの場を離脱せねば。
「朝日が拝める一番高い場所においてあげる」
「貴様の首を飾る場所の嘆願か?」
「口の減らない子」
先ほどとは構えの違う姿に拳を握りこむ。
真っ直ぐと突き刺さる青い瞳が、空よりも明るく輝いていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
ところ変わって北区の公道ど真ん中。
突然誰かに3人同時に掴まれ、気が付いたときには先ほどいた地点から後方に位置する場所まで移動しており、総真は酷く戸惑っていた。
全身がぴりぴりと軽く感電しているかのように動かしにくく、毛が僅かに逆立っている。
未だに胴に回された太く固い腕は退くことがなく、腕を辿って空を見上げると無精ひげが頭に刺さった。
「いでっ」
「総真様。お顔を上げると私の顎に刺さります」
「もうちょっと早く教えて欲しかった……ん?」
聞き覚えのある声が上から響き、もう一度頭を上げる。
今度は髭が刺さっても気にすることなく上向き、鬱蒼とした黒髪の奥に潜むラピスラズリと目があった。
「剱さん!?」
「救助が遅れてしまい申し訳ございません。お怪我はございませんか」
「え、あ、う、うん……けがはない……けど……」
状況が飲み込めずあたふたとする総真は剱の顔から再び彼の腕へと視線が戻る。
相変わらず抱えられたままの状態で、左右には白狼と彩春の気配がある。
2人とも黙ったままなのが心配だが、首を横に動かすためのスペースがない。
両手を広げ15歳の子供3人を正面から抱えているのだ。とてもではないが広いとは言い難い。
「おろしてもらっても……?」
問いかけとほぼ同時に腕からふっと力が抜けていく。
ぽすん、とその場に着地した総真は窮屈な場所から解放されゆっくりと背筋を伸ばす。
足がとても痛い上に走り続けたせいで汗だくだ。今すぐ帰りたいほど疲労困憊な身には立っているのも辛い。
しかし、一緒に抱えられていた2人は未だ沈黙を保ったまま。
どうしたのかと抱えられたまま俯いている白狼と彩春の顔を覗き込むと、2人とも蒼い顔をして目を瞑り続けていた。
「彩春?白狼?」
呼びかけても反応はない。ぺちぺちと腕を叩いても全く動くことはなく、なるべく強く肩を揺すっても起きない。
どうしたのかと白狼の頭を掴んでみると、ぐったりと全身に力が入っていないことに気が付いた。
「き、気絶しとる!」
「はい」
「はいじゃないです!!だ、大丈夫なんですかこれ!?いや気絶の時点で大丈夫じゃないか!!」
「問題ございません」
「問題ないの!?!?」
どう見てもしっかり2人とも気絶しているが、剱はまるで気にしていない。
気絶しているのが正常と言いたげだ。
「私の葬術で場を離れたため、感電したのかと」
「感電!?」
「深水で保護してお運びしましたので、少ししびれたのでしょう。深水も電気も総真様ほど耐性のない2人には耐えられなかったと推測いたします」
「俺も電気は慣れてないです……」
葬術を扱っている剱はともかく、総真だけ無事だったのは不思議だ。
深水に強い耐性があるのが原因ではないかと剱は言っているが、ともかく2人は今再起不能状態。
特務葬務官の剱が居ても安心できる状態ではない。
総真は先ほどまでいた場所を見つめ、不安そうに振り返った。
「1等葬務官の人、置いて行って大丈夫だったんですか……?」
「問題ございません。パグロ・イデアとの実戦による戦闘データ収集を命じております」
「さっきまで戦ってたのにまだ戦うんですか?逃げたほうが……」
「先ほどまでは護衛対象がおりましたので彼も実力が十二分に発揮できておりませんでした。枷がなくなった今、死ぬことはないかと」
総真に傷1つつけずパグロに奪われないことが刃夜の最優先任務。
パグロを弔うことは命令されていない。
手を抜きながら万が一、総真に被弾したとしても死なない程度に手を緩めて戦い続けていた。
あの場に枷となる人間が1人もいなくなれば、もはや彼の独壇場。
何人たりともあの場に近づくことはできず、剱でさえ必要がなければ刃夜の戦闘区域には近づかない。
「あの者は1等葬務官の中でも上位に位置する実力を持っております。ご安心ください」
「でも……」
「ご不満であれば射程範囲外での観戦をご提案いたします。どうぞこちらに」
最初から総真が渋るのを分かっていたかのように、彼は道からすぐ近くのビルへとその身を抱え上げて乗り上げる。
屋上には誰か人影があり、近場にはいくつかのコンテナがおかれていた。
「治剣。この2人の治療を。総真様の診察も頼む」
「かしこまりました!」
治剣と呼ばれた女性はつい先日どこかで見た記憶がある。
彼女は既に敷かれたシートの上に2人を下ろしてもらい、周囲に深水の玉を浮かべている。
白い葬務官の制服を着ているのにやっていることは医務官と同じだ。
その姿が今は療養中の秋仁と重なり、同時に自分の部屋が割り当てられたときに案内をしてくれた女性と顔が被る。
「あ!あの時の!」
「久しぶり!日野くん!お友達は責任もって私が見るね。あなたもちょっとだけ診せて」
いうが早いか、ぐるぐると深水が周囲をくまなく回り、ものの数分で彼女の元へ帰っていく。
診察の速度は秋仁には劣るが、十分早い。
「治剣……先輩?2人は大丈夫なんですか?」
「ええ。当主様がきちんと保護してくれたおかげで皮膚に少し傷があるくらいで済んでるよ。これぐらいなら痕も残らないから安心してね。意識は……もうちょっとかかるかな」
「そっか……無事ならいいです!」
幸い気絶しているだけで苦しそうな顔はしていない。
何もできることはないと悟り、2人を治剣に預け、総真は膝をついて頭を垂れている剱の元へと向かった。




