閑話 3 seconds
ドンッ!
泡から数メートルほど離れたアスファルトの上。
黒焦げた地面の上に稲妻を伴って立つ男が、逆立った髪を振り払う。
鬱蒼とした暗く重い髪から静電気が散り、蒼い瞳が薄く輝いていた。
「治剣。現状は」
誰もいない空間に向かって小さく言葉を落とすと、ビルの影からひょっこりとよく似た顔が現れる。
黒髪がぽさぽさと逆立った少女は小走りに伯父へ近づくと、緑色の腕章のついた白い制服を正した。
「ご報告申し上げます!泡内部にて先日報告に上がった人型海魔イデアと思われる存在を確認。個体名パグロ・イデアであると推測いたします。周辺にはイワシ型海魔が数百匹回遊中。うち9割は残滅に成功いたしましたが数匹潜伏しております。現在護衛対象の日野総真様、同任務遂行中の糸居白狼4等葬務官及び神崎彩春3等葬務官が海魔から逃亡中。パグロ・イデアはおに……皇刃夜1等葬務官と交戦中であります」
「ではまだ泡が弾けることはないと」
「パグロ・イデアとイワシ型海魔数匹が意思疎通するような素振りを確認した参列官がおりました。恐らく数匹を潜伏させているのかと……周辺の参列官は既に避難させておりますが目撃者をお呼びいたしますか?」
「無用だ。刃夜の戦闘記録は撮れているか」
「滞りなく!」
剱は直立する姪をしばし眺め、すぐに興味を失ったかのように泡へと目線を移す。
疑問点や指摘がないことにほっとし、姪はゆっくりと肩の力を抜いた。
彼女は皇治剣。剱の姪であり、刃夜の1つ下の妹だ。
年子たる彼らは訓練官としても1つ違いだが、彼女の緑色の腕章から実力の差は歴然であることが伺える。
2年目の訓練官でありながら彼女は4等葬務官に収まっている。
2年目の時点で3等葬務官に上がっていないこと自体は珍しくないのだが、皇家に限って話は別だ。
既に2等葬務官に上がっていなければならないところを、彼女は未だに昇進試験さえ受けるに値しない。
家の中では後ろ指をさされ、他の葬務官達からは白い眼を向けられている。
葬務官として皇家の中では落ちこぼれ。
しかし剱はよく姪を目にかけており、任務へ派遣しない代わりに自分の雑用を命じることが多々あった。
「イデアとの意思疎通は」
「パグロ・イデアは対話に重きを置いている様子です。刃夜1等葬務官があしらっても数度試みる様子が確認できます」
「挑発には乗ったか」
「はい……その……精神性は人間にとても近いと思います。身体能力こそレッド級海魔かそれ以上ですが……」
「それは君の主観か」
「も、申し訳ございません!」
しかられたと思い、勢いよく頭を下げたがしっ責の言葉は降ってこない。
僅かに頭を上げて剱を見るとどこか遠くを見つめたまま止まり、流れるように恭しく礼をした。
それが何の合図なのかを知らないほど小間使いとしての期間は短くない。
慌ててその場に膝をつき、礼をしている方向に土下座の勢いで頭を低く保った。
「はい。傷1つなくご無事でございます」
何もない虚空と言葉を交わす当主を視界に入れることも叶わず、声だけで様子を図る。
しばしそうして待ち続けていると、剱がゆっくりと再び礼をする。
それが目の前の存在がどこかへと消えてしまった合図で、治剣はおずおずと頭だけを上げた。
「リュード様がお見えに……?」
「総真様のご無事をお伝えした」
簡潔に事実だけを述べた伯父には先ほどまでリュードの姿が見えていたのだろう。
今は何処にもいないと首を横に振り、膝をついたままの治剣を立たせた。
「リュード様は海魔を閉じ込める機構内部の状況が確認できない……泡が2重になると葬術が相反して認識ができなくなる……」
「そうだ」
「では日野く……様のご無事も?」
「確認できず戸惑っていたそうだ。お可哀そうに」
総真から剱の電話がかかってきたとき、リュードは剱の近くにいた。
彼は大抵の場合眠っている間にあちこちを散策していると伯父は言っていたが、今日に限ってはすぐ傍に立っていたのだ。
そこから彼は瞬時に泡の前に移動し、うろうろと中の様子が伺えないか歩き回っていたらしい。
2重の泡の向こう側は音すら聞こえず、彼からは透明の泡が真っ黒な帳のドームに見えている。
確認したくとも中にも入れずうろうろするしかなく、認識できる剱が現場にくるまでただひたすら待ち続けていた。
「申し訳ございません……私がリュード様を認識できないばかりに……」
「リュード様を認識するには条件がいる。お前が気を落とすようなことではない」
無条件に姿の見える剱とは異なり、人間は大抵どれだけ深水に身を浸しても意識体のリュードを認識することはできない。
本人の意志で姿を現していても見えない者が大半なのだ。治剣もその1人であり、剱がくるまでいることすら気づけなかった。
「私がもっと早く現場に来ていれば良かったのだ。のちに3日ほど祈りを捧げる時間を頂戴する」
「食事はお運びしますね」
つい先ほども剱はリュードに祈りを捧げていた。
日に1度訓練に数時間を費やすようにとリュードの言いつけられている彼は訓練と称して特殊な方法で祈りを捧げることが多い。
その際に傍で控えているのが治剣の仕事の1つだ。
人間らしい生活を放棄しがちな伯父の面倒を見るのもまた大切なことである。
「戦闘記録の一部を見たい」
「は、はい!準備いたします!」
泡のすぐ傍。激闘を繰り広げている最中、剱はじっとどこかを見つめている。
未だ救出に動かないことを疑問に思いながら、先ほどから記録している戦闘データの一部を見直した。
数十分前、剱から直々に刃夜に下った指令は2つ。日野総真の死守とイデアの調査だ。
総真の護衛には傷1つ付けずに生還させねばならないと条件を付け、イデアの調査内容は相手の実力差を考慮し、現場判断とした。
実力が推し量れない新たな海魔の出現に1等葬務官が敵わないなどあれば、大きな混乱を招くことになる。
身内であれば処理が容易で捨て駒にしても惜しくはない。
無情にも冷徹に下した判断によって指名を受けた刃夜は、接敵したうえでなるべく戦闘データを中心にとるように命じられている。
その所為かおかげか、刃夜は接敵してから一度も攻撃の手を緩めていない。
しかし残念なことに入れられた攻撃は最初の1撃だけ。
無数に降り注ぐ斬撃のほとんどは意味もなく地面を抉るばかりでパグロへのダメージには至っていない。
攻撃をかわし続けるだけの実力があると同時に、打って出ないのは本来の力を隠すためか。
「葬術を扱う様子がない。そも、葬術を見たことがないような言動もあった」
「海魔であれば葬術はもってしかるべき力だと思うのですが……パグロ・イデアは他者の葬術を観察する行動が多々見受けられます」
映し出された黒髪の少女は刃夜の葬術をよくよく観察する様子が何度も見て取れる。
じっと通り過ぎていく閃光を眺め、ひょいっと軽い身のこなしで軌道から逸れる。
躱すために観察しているとは少々言い難い。何せ後ろを見ずとも攻撃をかわす瞬間が何度かある。
葬術そのものを見ていると捉えるのが適切だろう。
「他者の葬術を初めて見たという意味合いかもしれません」
「身体能力は非常に高い。だが人間の肉体の動きとしてはややぎこちない」
映像の中のパグロはところどころ隙が生まれるような躓きが見て取れる。
些細な行動にラグが発生したり、距離感を見誤るような動きだ。
報告にあった説明を鵜呑みにするのであればイデアは新たにつくった器に海魔を宿す研究だという話だ。
パグロ本来の肉体とイデアに齟齬が生まれ、行動に矛盾が発生しているのやもしれない。
「客観的に見てイデアと一等葬務官は渡り合えていると考えるか」
今尚交戦中の映像を眺めながら剱は姪へ質問とも言えない言葉を投げかける。
治剣はぎくりと肩を揺らし、おびえた様子で肩を震わせた。
「せ、僭越ながら……その……遊ばれている、かと……」
びくびくと震えながら告げたのは皇家であれば睨まれ殴られ罵倒される意見を口にしたからだ。
剱からの命令とはいえ、4等葬務官が1等葬務官の戦いに言及するなど皇家ではあってはならない。
しかし、剱は治剣の返答に小さく頷くだけで再び映像に視線を戻してしまった。
「あの……出過ぎた意見を……」
「よい。事実だ」
気に障るような返答だったのかもしれないと謝罪を口にしたが、すぐに止められる。
剱はただ姪に意見を求めただけであり、その内容が何であれ彼の中の結論が揺らぐことはなかった。
何故聞いたのかは簡単だ。誰から見ても、刃夜はパグロに遊ばれているように見えた故だ。
第三者の意見も交えて再び映像を眺め、やはり差は歴然かと眉根を寄せる。
逃げ回るパグロは未だ葬術を発動する素振りすらない。
海魔は深水に浸され、その身に触れるだけで人間を侵す劇物だ。
同時に深水操作と葬術を生まれながらに備えている生物であり、深水との関係性は人間と大きな格差がある。
人間が近代兵器を扱い、葬術をおざなりに行使するのに対し、海魔は深水操作を当然とし葬術を技術とする。
パグロは現状深水操作以外は使用が確認できない。
葬術も扱っていない海魔に一撃も見舞えないのであれば、それは徒手空拳の相手に刀を振るい続ける愚か者であると証明しているようなものだ。
刃夜もそれが分かっているのか、何発も水月刃を放っているが不意打ちの初撃以外はなしのつぶて。
総真を巻き込まないように力をセーブしているとはいえ大きな差があるようにしか見えない。
「総帥へ送る報告書を任せる。イデアへの対峙は必ず特務葬務官以上を派遣されたし、と一筆添える」
「はい!」
これ以上の調査はリスクを跳ね上げ時間を浪費するばかりだ。
パグロも痺れを切らしたのか、いつの間にか刃夜と向か会って対峙している。
一触即発と言わんばかりの雰囲気に肩眉を上げ、皮膚の上を走る紫電がぱちぱちと鳴った。
「治剣。1ブロック後ろに下がって待機。治療の準備をしておけ」
「はい……?承知いたしました……?」
報告書を書くべく画面から目を話していた治剣は疑問符を浮かべながらも言われた通り荷物をまとめて1ブロック後ろのエリアへと撤退し始める。
その間周辺に誰もいないことを確認する。全身に纏っていた紫電がバチンッ!とひと際大きく弾けた。
「総真様救出へ向かう。のち全速離脱。あとのことは刃夜に一任する」
「それは……総真様を連れてイデアからお逃げになると……?」
「ああ」
凝り固まった全身を解し、逆立った毛が揺れ動く。
イデアと交戦する気のない剱に驚いて固まった治剣を横目に、剱は何を言うでもなくその場からフッと光りと共に消え去っていった。




