濁流に生まれた子#3
走り回っている間、北側での逃げ道を失う前に南側へと方向転換する。
遠くにいるイワシは小石を弾丸の如き速さで蹴り出して弔い、あちこちに潜む海魔は発見次第全て踏みつけた。
両手が塞がっている状態で行えること全てを満遍なくやっているつもりだが、追手の数は減るどころか増えている。
依然として姿の見えないパグロが不気味で、1分がとてつもなく長く感じる。
「あと何秒!?」
「まだ10秒しか経ってねぇ!」
「うっそでしょ!」
追手の数は既に手に負えないほどの数になってきている。包囲されるのも時間の問題だ。
触れただけで弔える柔らかさとはいえ数が数だ。総真は良くても他の2人は大量の深水を一気に浴びれば浸食症状が出る。
直前に長時間の逃走を強いられた所為で体力もない。
人間2人を抱えて既に全速力で15分は走っている。人間ならあり得ない速度を出し続けるのも限界だ。
「足が、もつれそ……っ」
「変なこと考えず走れ!」
「うっ、はし、って……」
死にかけの彩春と無駄に元気な白狼にせっつかれ、無駄口を叩く余裕が失われかけてもなお足は動かし続ける。
多少速度が落ちても多く飛び上がって遮蔽物に隠れ続けることで移動距離をカバーする。
時速にして60キロ以上を出しながら走り続けているのだ。支給品の靴でなければ靴底が剥げていた。
ランニング用に誂えたサポーター付属のトレンカを装備していなければもっと短い時間でバテていたはずだ。
残り50秒。されど50秒。
既に処理能力を上回ったイワシに射程範囲外から追われ続けている。
踵を返した南側。
狭い通路では危うく彩春や白狼が壁やイワシに無防備なままぶつかってしまうことを悟り、なるべく広いルートを選ぶ。
どこかに広場はないかと探していると、先ほどパグロを発見した公園が見えてきた。
あそこなら誰もぶつからず、周囲が開けているから追手の全容を把握できる。
発見されるリスクは高まるが数十匹に付きまとわれている時点でどうにもならない。
救援が望める今はとにかく生存が優先だ。
「公園に飛び込む!入ったら1回下すからどうにか立て直してくれ!」
「俺はいいが主席はいけんのかよ!」
「いく、しか、ない……」
揺すられるままの彩春だが彼女も葬務官だ。どれだけ具合が悪くても泡の中で出来ないとは口にしない。
無理だと決めた途端それは自身の死に直結する。絶対に出来ないとは言わない。
「行くぞ!」
物陰から駆け込んだ先。
開けた公園は明るく、影に隠れて走っていた眼には眩しく感じる。
公園の中央を陣取って素早く2人を地面へ下すと、白狼はこん棒をすぐさま取り出し、彩春はふら付きながらもハンドガンを構えた。
辺り一面にイワシが現れ、天へと上りながらぐるぐると周囲を回っている。
その姿はさながら巨大な魚が泳いでいるかのようで、明るいはずの公園が薄暗がりに落ちて行く。
しかし、一か所のみ隙間が生まれており、人1人が通るには狭くしかしてその向こうから見える顔に3人は驚愕を浮かべた。
「パグロ!?」
「なんでもういやがんだ!」
「お、おかし、いわ!」
彼女は驚く姿をひとしきり眺めるだけ眺め、ブランコの上でゆらゆらと揺れている。
眠たげな表情は一切崩さず、彼女はなんてことないように声をかけてきた。
「ランニングは終わったのかしら。最も、2人はお荷物になっていただけのようだけれど」
「テメェが追ってくるからだろうが!」
「あら。お前たちを追ってなんかいないの。お前たちが勝手に走り出したのだわ」
信じられず彼女を見ると確かに屋上から見た位置から動いていないようにも見える。
肩が大きく揺れ、息を切らす総真とは違い、パグロは悠々と足を組んでいる。
体力の消耗は全く見えない。いう通り走って追いかけていないかのようだ。
だがすぐ様戻ってそのまま同じ位置に座っただけなら何とでも言えることだ。
パグロの言葉は一言一句信用できない。
嘘を吐かれても確かめるすべはないのだから。
「どっちにしろ目的が雑魚なのは分かってんだ!呑気にテメェと鉢合わせるほど馬鹿じゃねぇんだよ!」
「私はお前たちに用があってきたわけじゃないの。遊びたいなら他の子と遊んでらっしゃい」
「はぁ!?」
パグロはまるで興味がないというように手で追い払うようなしぐさをしてくる。
総真が目的だと先日遭遇したときは言っていたのに、何故今は興味を失っているのか。
全く思考が読めない。そもそも、なぜ彼女はこの泡を訪れたのだろうか。
泡は葬務官が必ず弔いにやってくる場所だ。葬務官と鉢合わせれば彼女も都合が悪いはずなのに。
「……でもまあ、今は兵器たちも傍にいないようだし、絶好の機会なのは確か。できれば荷物を作りたくないのだけれど逃したら後でアビスがうるさいの」
周囲に神がいないことは散々やった追いかけっこの中で確認済みだろう。
これだけ大騒ぎして総真を助けに来ない時点で察しはついていたはずだ。
わざわざイワシを使って追いかけまわしたのはここに誘い込むためか、それとも単純に体力を削りたかったのか。
彼女が近づくにつれて自然とイワシたちは巨大な分厚い壁を形成し、深水による毒の壁が出来上がる。
「神妙にして。お友達はなるべく痛くないように殺してあげる」
徐々に近づいてくる彼女の手には武器らしきものは握られていない。
だが明らかに青白く発行しているその手刀は武器足りえる気配を感じ、背筋に寒気が走った。
「白狼……彩春……」
「どうする……1分は経ったが……」
秒針は既に1周回りきっている。だが誰もくる気配がない。
やはり1分で合流など無理だったのでは。そう考えている間に、青い顔をした彩春がゆっくりとしゃがみこんだ。
「皇は、決して……当主様の命令を違えないから……、それに、これだけ目立ってれば……ふせ……」
うっ、と口元を抑えた彼女と同じようにしゃがみこみ、背中をさする。
白狼がこん棒を構えて周囲を凍結させている間にできることはなく、ただ迫りくるパグロを見つめた。
ふと、背後のイワシの穴から何やら眩いものが見えてくる。
きらりと太陽の光を受けて反射した光が、目の前にいるパグロと同じ青白さだと気付き、総真は咄嗟に隣に立っていた白狼を地面へと引き倒した。
降り注いだ青い光は閃光となって周囲を一閃し、一文字に頭上を薙ぎ払う。
イワシの群れは横に真っ二つに割れ、全てのイワシに切れ込みのような青い光が差し込んでいる。
瞬時に深水となって散っていった群れから飛び散った深水は、白狼が広げた氷に触れてその場で霜となって落ちて行く。
眼前に立っていたパグロは一閃を食らう前に同じように屈んで回避していたが、僅かに毛先が触れたのかその場に黒い毛が何本も散っていた。
「ご挨拶ね。武器を持ち出すのが握手の変わりなの?」
「握手がしたいのであれば望み通り僕の剣を差し出してやろうか」
「まあ素晴らしいわ。ぜひ握らせて欲しいわね。へし折ってしまっても安心だもの」
パグロの背後。彼女の前に立っていたのは長い黒髪を高く結んだ青年。
青い瞳が冷たく見降ろし、両刃の剣を1本その手に握っている。
剣は青白く輝いており、僅かにブレて見えている。
何かが刃先に纏わりつき、先ほどの閃光はそれを打ち出した攻撃だったようだ。
彼の白い制服は模範的な葬務官のように皺ひとつなく、大量の海魔を一度に切り捨てたにも関わらず一切深水に濡れていない。
その姿はどこかで見覚えがあり、誰かの面影が色濃く出ている。
「あれって……」
「大物が出てきやがった」
「大物って、あの人……あ!あれだ!この前会議にいた!」
「皇刃夜。俺達の2つ上の先輩訓練官で1等葬務官になった天才だ」
リュードに呼ばれ、両親と彩春と共に参加した会議。
その中で剱の代理として皇代表の席についていた人物だ。
確かに訓練官だと説明は聞いたが、名前は今初めて知った。
まさか皇の代表を代理とはいえ名乗れるような人物を派遣してくるとは。
「そこの総真とかいう奴!貴様は隠れていろ!」
「え!?あ!は、はい!」
パグロとにらみ合いを続けていた刃夜から怒鳴りつけられ、反射的に屈んだままの身を震わせる。
続いて左右に伏せていた2人を睨みつけ彼は冷徹な声音で剣のように言葉を切り捨てた。
「僕は日野総真を傷1つ負わせず護り抜けと命令されたが、他の者は知ったことではない!葬務官たるもの自分の身は自分で守れ!」
あまりのことにあんぐり口を開けている間に、刃夜は素早くパグロへと切りかかる。
両刃の剣を下向きに構え、容赦も慈悲もなくその身を切り捨てようと振るった。
「直線的でつまらないわ」
見え透いた動きにパグロが反応できないはずもなく。
彼女はひらりと身をかわし、切っ先から逃れるために後ろに引く。
しかし、剣からは刃を離れて何かが吹き出し、先ほど見た閃光と同じものが放たれる。
直線的かつ鋭利な閃光は瞬く間にパグロの体を切りつけ、彼女は衝撃によろめいた。
「きゃぁ!」
「クッソっ!」
「白狼!彩春!」
同時にパグロから逸れた閃光が彩春と白狼の足元に直撃する。
あと1歩前に出ていれば体が真っ2つに割かれていた。本当に2人を護る気が微塵もない。
「が、は……へぇ……これが、葬術、ね」
「海魔と本当に会話ができるとは驚きだ。無駄な努力ご苦労」
噴き出した深水が血のように赤黒く、びちゃびちゃと不快な水音を立てて広がる。
深水に交じって薄青く発行しているそれは氷に触れると結晶と化し、人ならざる不気味さを放っていた。
「2人とも!俺と離れよう!また抱えるから!」
「馬鹿!抱えたらお前の逃げ足が遅くなんだろうが!」
「そ、そうよ!これ以上負担を……うっ」
「巻き添え上等でも俺だけは無傷だって言ってただろ!抱えてれば少なくとも手足が千切れたりはしないから!」
「千切れても……あ、秋仁が……治してくれるわ……」
「そういう問題じゃない!」
ガキンッ!と凡そ素手と剣がぶつかり合っているとは思えない音を背に、2人を再び抱え直す。
今度はなるべく密着するように2人を片手ずつ横抱きにし、頭を低くしてもらう。
脱兎の如くその場を駆け抜け、ミサイルのように捨て身で突撃してくるイワシから逃げ回った。
「おい!皇代理!イワシもなんとかしやがれ!」
「総真とやらは深水に当たっても浸食されないのだろう!ただ濡れただけなら僕の管轄外だ!」
「ふっざけんなコラァ!!」
確かに刃夜の言う通り深水に触れても総真はなかなか浸食されないが、他の2人にはもっと早い段階で致死量がある。
深水がかからないように白狼が直前で凍らせ続け、彩春がよろよろと銃を撃っているがあまり効果はない。
「私の獲物が逃げちゃうじゃない。お前はお呼びじゃないの」
「獲物が喋るなんて面白い狩りだ。同情でも惹きたいのか」
「……話の通じない坊やね」
吐く息が白く片側が霜で張り付いたまま、背後から響く破壊音から逃げ惑い続ける。
総真を追うパグロを背後から追い続ける刃夜。
幾重にも重なった閃光が脇をすり抜けていき、そのたびに短く悲鳴が漏れる。
総真には絶対に当たらないように器用に調節されていても、隣でコンクリートに爪痕が残るのだ。恐ろしいなんてものではない。
「やばいやばいやばい!剱さんなんて人寄越したんだ!」
「クッソ!なんで皇の野郎は自分勝手な奴ばっかなんだ!実力がありゃなんでもいいのかよ!頭かち割ってやる!」
「うっ、あさごはん出そう……」
「彩春ーー!!!肩で吐くのだけはやめてくれー!!」
剱さん早く来て―!
万感の想いを込めて叫んだ声は残念なことに泡に阻まれ、はるか遠くにいる剱に届きはしなかった。




