濁流に生まれた子#1
市街地を歩きながら泡の大きさを測り、なるべく中心に寄ったほうが良いだろうと結論付け3人で泡の天井が最も高い位置にやってきた。
なるべく高所をとり、白狼は近接戦に備えてこん棒を構える。
彩春はスナイパーライフルを構え、真下にイワシが見えれば狙撃することを繰り返した。
その間残された総真は2人の要望で自身の記憶を探っていた。
「確認が取れるのは学校や自治体ね。誰かがあなたを見ている状況での記憶改竄は足が残る。余程のことがない限り起こり得なかったはずよ」
「うーん……時々ぼーっとしてるとは言われた気がするけど確かに誰かにおかしくね?とか言われたことはないかも」
彩春の指摘通り他人が絡む事柄は裏がとりやすい。西区では幼稚園から中学校まで通っていた。
きちんと友人がおり電車に乗って田舎の家から西区では大きな街に繰り出した記憶もある。
家のある場所は畑と田んぼの管理を任された人たちの村が管理してた山だったため、麓の村とは交流があった。
まだ幼いときは数キロ離れている隣の家のおばあちゃんが父と母の不在時に面倒を見てくれていた。
ロックは村では有名で、元葬務官と名乗って自身のつぎはぎ痕を偽っていた。
見た目に非常にインパクトがあるためか隣村まで話が行き、かなりヒソヒソと噂話を立てられていたように思う。
あれだけ騒がれて誰も葬務官に言いつけに行かなかったのは元葬務官という肩書と定期的に中央区へ向かう姿が目撃されていたからだろう。
「西区で暮らしていた。学校に通っていた。周囲と交流があった。ここまでは齟齬のねぇ部分だろうな」
「となるとやはり家庭内……山から家の中にかけては信憑性が一気に落ちるわ」
「家庭内……」
パシュンッ!と葬術が打ち出される音と共に遠くのイワシが弾け飛ぶ。
記憶の泡がぱちぱちと弾け、総真の目元から些細な泡が飛ぶ。
深水操作に慣れてきた影響か、感情的になるとしばしば泡が目元辺りに浮いてしまうようだ。
父と母も同じ癖があった。不思議なことに親子とは血がつながっていなくても似るものだ。
「全部嘘、ってことは……ない……よな?」
ざわざわと心が揺れ動くのは、家庭で起こったことの全てが嘘だと決めつけられるのが恐ろしいからだ。
もし本当に何もかもが嘘だとしたら、父も母も総真にとってなんであるのか本当の意味で分からなくなってしまう。
優しく微笑む母も、少し大雑把でからりと笑う父も、全て記憶の中の幻なのだといたら。
2人から注がれる愛そのものに疑いを持たなければならないのか。
「ンなワケねぇだろ」
「それはない」
しかし、彩春と白狼は即座に否定した。間髪入れず、一呼吸すら挟まずに投げつけられた否定に、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
「傍から見て溺愛してるのはすぐわかるわ。あなたの親って部分は間違いない」
「あんだけ分かりやすく親バカやってる奴は昨今稀だ」
彩春が真剣なのは理解できるのだが、白狼も真面目な顔で頷いている。
それほどまでに分かりやすいのかとシャーレでの出来事を思い返し、少し遠い目をしてしまった。
確かに息子が突然自分の職場に呼び出されてそのまま住み込みで働き始めたからと朝食を作りに一番偉い立場の父が現れたりしない。
まともな親なら送り出すか、多少心配して連絡を入れるか。その程度のことだろう。
「つーか、親の愛を疑うな。クズのやることだ」
「うっ……ゴメン……」
「ちょっと白狼!状況的に仕方のないことでしょう!」
「育ての親なら余計疑うんじゃねぇよ!」
白狼の最もな説教にぐうの音も出ず、庇ってくれている彩春に力なく首を横に振る。
部屋に飾られていた家族写真、沢山のアルバム、家にあるものは全てお前のものだとギターだって好きに触らせてくれた。
これは紛れもなく子供への愛情だ。形として確かに残り、家に残してきたものだ。
「そこだけは嘘じゃないよな。俺が一番信じなきゃだめだ」
「分かってんならいい」
「でも意外だな。白狼から愛を説かれるなんて」
「キショイこというな!」
意外なのは事実だ。白狼は家族への頓着など全くなさそうだ。
指摘された彼は心底嫌そうな表情を浮かべ、ふいっと視線をそらしてしまった。
そうしてぼそっと、小さな声ではるか遠くに見える海へ言葉を濁す。
「俺の家族は3つの時に全員死んだ。記憶は曖昧だが、それまでもらった愛を一度だって疑ったことはねぇ」
ハッとして彩春を見ると、彼女も驚いたような顔をしていた。彼女も知らなかったようだ。
白狼はそれ以上何を言うでもなく遠くを見つめ、沈黙が場を満たす。
何かを言わなければと海魔のように口をぱくぱくと意味もなく開けては音が出ず、彩春にヘルプの視線を送る。
だが彼女にも解決策はない。2人であたふたとしている間に、白狼が再び小さくつぶやいた。
「1人だろうが、家族が居ようが、俺達は15年生きてンだ。それは変わんねぇだろ」
たった1つの事実。15年の人生を歩んできたことに変わりはない。
その言葉が重く、深く、総真の心臓に突き刺さっていた。
「つーか、葬務官やってんなら家族が居ねぇのなんか当たり前だろ」
「まあ……そうね。私もお母様はいないし」
「そうだったの?」
「葬務官は命懸けだから。所帯を持てる年齢になれるのだって奇跡だわ」
葬務官の命は蠟燭の火よりも儚い。
正式に葬務官として勤める前に訓練官のまま命を落とした者も数多くいる。
片親も両親が両方いないのも、兄妹が亡くなっている者も大勢いる。
それでもなお葬務官を引退せず続けている者が多いのは同じ苦しみを戦う術のない者に経験させたくないからだ。
「戦って死ぬのは自分の意志。私たちも割り切るための理由を探せる。でも、力のない一般の人はそうじゃない」
「海魔と遭遇して死ぬのは交通事故と同じだ。早々受け入れられるもんじゃねぇ」
シャーレが運営している孤児院もある。泡が発生したときに逃げられなかった者も時にはいるのだ。
そういった意味では総真も孤児と同じだ。両親が不明で生きているのか死んでいるのかも分からない。
「俺の両親も戦って死んだのかな……」
「神のいうことが正しいならな」
白狼の投げやりな返答に視線が下がる。彼の言う通り今はロックとカノンの発言に信憑性がない。
真実を言ったのか、それとも嘘を混ぜていたのか。
「そこは私も引っかかってる。15年前特務葬務官だった人ってお父様と剱さんの2人だけでしょう?」
「総帥はなんか知らないの?」
「知ってたらロック様は山奥に家を建てていないわ」
久々の再開で真っ先に神を殴りに行くような人だ。居場所が分かった時点で殴り合いに発展しているはず。
放置して子育てを許すはずもなく、ロックも冬仕にバレないように懸命に居所を隠していた様子が見てとれる。
シャーレについてからは時間の許す限りロックについて回っていたという話もある。
となると残りは剱だが、皇家の子だなんて信じられない。
「剱さんって結婚してんの?」
「葬務官としてのキャリアは史上初と言っていい程長いけれど、奥様はいないそうよ。妹さんの子を次の当主として育てているの」
「隠し子とか……」
「お忙しい人だからそんな暇ないと思うけれど……」
剱の肩書は無限に存在すると言っていい程多い。その全てが人類の存続にかかわるようなものだからなおのこと。
とてもではないがどこかで愛おしい人と逢引するような時間はなかっただろうと彩春は首を振った。
となるとロックの話がでたらめで、どこか別に真実があるのだろうか。
やはり秋仁の調査結果を待つしかないらしい。
「テメェはなんか覚えてねぇのかよ」
「なんかって……俺赤ん坊だぞ」
「最初の記憶は?子供のころの思い出ぐらいはあんだろ」
「最初の……」
胡坐をかいて腕を組み、うんうんと唸り声をあげる。
学校時代の記憶を追い抜いて家庭内の日常を思い出し、小さな手足で育ての両親に抱えられている記憶がいくつも蘇る。
幼少期は家の少し先辺りまでしか出歩くことができず、常にロックの目があった。
短い手足で山の中を滑落しないように見守ってくれていたのはよく覚えている。
あの家に誰かが訪れてきた記憶はない。
招かねば誰もあの家には近づけなかった。家の場所を知っている村の村長や隣の家のおばあさんだって容易には近づけなかった。
それよりもずっと、ずっと前の記憶。
朧げに思い浮かぶのはぷかぷかと何かに浮かんで揺蕩っている記憶だ。
誰のものかさっぱり分からないが、薄い膜が全てを覆いつくし視界が霞んでいる。
何も見えない空間で声が反響して聞こえ、誰かがしゃべっている。そんな記憶だ。
「胎内記憶って奴なのかな……」
「母親のおなかの中にいるときの記憶?」
「うん……多分……でも暖かくて浮いてるってこと以外は曖昧だ……」
「ヒントになんねぇな」
もっと何かないのかと棒でせっつかれる間、うんうんと唸って記憶を探る。
声だけの記憶はもっと鮮明に見えていたはずなのだが、時間が経つにつれて薄れゆき記憶の彼方に追いやられていく。
誰かが優しく抱え上げてくれていたような気がするのに誰だったのか全く思い出せない。
必死に頭を捻って思い出そうと体がぱたりとコンクリートに倒れ込む。
やけに冷たく固いブロックの上で眉間にしわを寄せていると、スナイパーライフルを構えている彩春が僅かに前かがみに身を乗り出した。
短いスカートが風にあおられて持ち上がり、総真は慌てて両手で目を覆い隠す。
「総真!」
「み、見てない!見てないよ!すぐ隠したからなんも見てない!」
「しっかり目を開けないさい!なんで隠してるのよ!」
「ええ!?開けたら見えちゃうんだけど!?」
「見なきゃダメでしょ!」
ちんぷんかんぷんな答えに疑問符を大量に浮かべ、指の間からこっそり彩春をうかがう。
幸い身を低くしてスコープを覗き込んでいるため、きわどい部分は見えていない。
ほっと胸を撫でおろしてゆっくりと彩春の方へ近づくと、真剣な顔の彼女が双眼鏡を手渡してきた。
背後には同じように背を低くしてこん棒を構える白狼が周囲を警戒し始める。
「何が見えた」
「えっと……」
「あそこ。高いビルの近くに公園が見える?緑色の滑り台があるわ」
「見えた……ん?」
彩春の指し示す方を双眼鏡で覗き込むと、確かに緑の滑り台がある。
しかしそのすぐ傍に動く物体を視界に納め眉を顰める。
公園のある場所は泡に囲われておりイワシが回遊しているエリアだ。
だがそこには人影らしきものが見え、よくよく見ているとその姿に見覚えがあることに気づいた。
黒い髪と小さな体。周囲を泳ぐイワシを怖がらない歩み。
拡大した顔は眠そうに目が半開きになっており、きょろきょろと辺りを見渡している。
あれは。
「パグロ・イデア……?」
ここにいないはずの存在。パグロ・イデアが泡の内部に出現していた。




