閑話 不協和音でも構わないから#2
飛び降りた地下は恐ろしい程長く、人間である秋仁が地面に着地した時点でお釈迦になるほどの高度があった。
高層ビルから地上へ飛び降りるが如き浮遊感に触手が自然と秋仁の身を掴み、6秒に渡る一瞬の暗闇はトンッと軽い着地音で終わりを告げた。
50階から地上へ飛び降りるほどの高さを下りて些細な物音で済むのはロックとカノンの着地音だけ。
触手に抱き留められたままの秋仁はぼさぼさになった髪を撫でつけ、胃がひっくり返りそうな衝撃を堪えた。
全身を支えてもらっていなければ着地時の衝撃で鞭打ちになっていた。
びりびりと走る衝撃は抑えることはできておらず、震えながらも地に足を付けて立つ。
冷気を帯びた地下はあちこちがひび割れており、一部は地下水が水漏れしている。
排水機構がまだ生きているようで、幸い水没して終わりということはなさそうだ。
水音と轟々と響く地下の音以外は物静かで生命の息吹は全く感じられない。
老朽化した部分は幾ばくか汚れているが、誰かが定期的に手を入れているような清潔さが保たれている。
入り込んできた入口に対して非常に広い廊下は大人が3人横に並んでも余裕があり、天井は4メートル以上ある。
かなり大きな施設だったことが伺える。
扉は殆どが機能しなくなっており、部屋の中も崩落している箇所が多数ある。
明らかに崩壊した扉を避け、3人は地下を進んでいった。
突如、廊下の右端に暗黒が広がる。興味本位に覗き込むと、足元にぱらぱらと土埃が舞う。
えぐり取られたような巨大な大穴のような箇所はテープで封鎖されており、奥が見えないほど真っ暗な闇で覆われていた。
「かなり崩落してますね。まるで爆心地だったみたい」
「爆心地だ」
「はい?」
「ここで本当に爆発が起きたの」
「それはまた……随分危険な実験をしていたんですね」
「まぁな」
何を実験していたのか秋仁には教えていない。尋ねても答える気はない。
彼もそれは重々承知しており、余計な詮索をせず後ろをついてくる。
崩落個所付近はあちこちの床が抜けており、カノンの触手が秋仁の胴に巻き付いている。
気にくわない事態ではあるが、秋仁に死なれては困るのでロックは舌打ちを飲み込んだ。
「やっぱりほとんど生きてないね」
「俺達の部屋も残ってるかどうかわかんねぇな」
「カノン様のお部屋があるのですか?」
「うん。8人分あるよ。300年前の部屋だからすごいことになってそうだけ……ど……」
ふと、秋仁からカノンへきらきらとした視線が贈られる。
何を言いたいのかは大方想像できる。きっと部屋を見たいと言い出すのだろう。
この地下は記憶通りであれば恐ろしく広い。
爆心地は職員達の居住区画から外れており、恐らく個室も生きている。
だが施設に途方もない大穴があくほどの衝撃があったのだ。
無事とは言い難いのは目に見えている。
「わざわざ崩れた部屋を見に行く意味ねぇだろ」
「でも300年ぶりに来たんですよね?忘れ物とかないんですか?」
「ンなもんあったとしても残ってねぇ。ぜってぇ行かねぇ」
カノンの部屋が見たいと主張する秋仁を触手で簀巻きにし、余計な場所を探索しないように手足を奪う。
逃れるために足掻くかと思っていたが存外大人しく捕縛された秋仁はマグロのようにまっすぐした姿勢でおとなしい。
若干顔が赤くなっているのは触手に包まれて喜んでいるからだと察しがついてしまい、とてつもなく嫌な気分になる。
今解放すると余計やかましくなるのも想像に難くない。癪だがそのままでいてもらおう。
「目的はラボだけだ。長居して生き埋めになってもしらねぇぞ」
300年間兄が研究のために出入りしていたとはいえいつ崩れるとしれない場所であることに代わりはない。
周囲は綺麗に整頓されており、少なくとも定期的に訪れていることは伺えた。
ラボは崩落しておらず掃除の行き届いている部屋にあるはず。
いくつもの扉を通り過ぎ、暗がりの奥へと歩いていく。
見知った景色もひび割れて色褪せ、曖昧な記憶の輪郭をなぞる。
一度足を踏み入れればはるか遠い兄妹たちの記憶が蘇り、鮮明にその姿を思い描ける。
「ラボにするなら元の研究設備付近だろ。行くぞ」
「カノン様ぁ~俺簀巻きにされたまま運ばれるんですか?」
「ごめんね秋仁。ちょっと我慢してて」
ぐちぐちと煩い秋仁の声がノイズにしかならなかったが、同時に遠い昔の光景が脳裏に映る。
こうして歩いていると兄妹の誰かが親しげに話していて同じ空間にいるだけでも幸福だった。
今はただの薄暗がり。生物は存在せず、過去ばかりがこびり着いている。
決して現実から目を背けないよう過去には意図的に視線を向けず、先ばかりを急ぐ。
どれほどの時間が立っただろうか。暗がりで時間感覚がおかしくなりそうな地下を進み、暗がりに目がなれてきたところできれいな扉が目に入る。
他の扉に比べて明らかに年季が経っていない上に傷が少ない。
誰かが取り替えでもしたかのような真新しさは違和感を覚え、ロックは遠慮なく扉を開け放った。
扉の中は最新の機材がそろった研究所になっていた。
シャーレに勝るとも劣らない機材は金にものを言わせて皇家が運び入れたものだろう。
最近足を踏み入れたらしき者は2名ほど。入口に入室を確認する機械が設置されていた。
あの機械自体は300年前から存在しているものだが、今も稼働しているとは驚きだ。
ラボの中には人1人が容易には入れる巨大なガラスケースが何台も設置されており、中は空っぽだ。
実験自体は既に終了しており、経過観察を行っているような風体だった。
「これ、実験記録ですかね?」
「どれだ」
勝手にパソコンをつけて中身を漁っていた秋仁が長々と綴られた文書を見つけた。
幾枚も写真が貼られた実験記録には人らしき見た目の生物の成長記録が主だ。
何人もの肉体が作られており、脳が正常に動いていない意識のない存在に末弟のコピーを移す映像もあった。
実験の実行者はリュード。記録者には歴代の皇家の側仕えの名。近年の記録は全て剱の名が記されていた。
「人間の協力者といったらこの人しかいませんよねぇ」
「予想できたことだ。咎める意味も理由もねぇ」
「でもそうなると、剱は最初から総真が何なのか分かっていたんだね」
カノンのいう通り、剱は15年前から総真が何であるか理解していたことになる。
今まで何食わぬ顔で接してきた無表情を思い出し、少しばかり顔が引きつった。
実験記録はリュードの私室で見たものと相違ない。多少詳しく記されている程度だ。
内容に齟齬はなく、最終的にすべてを適合させることを諦め記憶の断片のみを引き継がせた旨が記されている。
その過程で葬術を発現した、という記述が見つかり3人は顔を見合わせる。
葬術は炎を出すもの。リュードが元来扱えていた葬術だ。
「俺、この内容で腑に落ちない点が何個かあるんですけど、どうしてリュード様は炎の葬術を失ったんですか?」
「儀式によって奪われたんだ」
「儀式って300年前の最終決戦の発端になったやつですよね」
「お前……カノンの権利を使って調べたな?」
儀式に関する記述はシャーレの記録にも一部保管されている。そのほとんどは消去されているが、神の権限があれば閲覧できるはずだ。
秋仁が知っているという事は主人の権利を乱用していることに他ならない。
胡乱な目を向けると彼はわざとらしく口笛を吹いてそっぽを向き、カノンは目を泳がせながら背を向けた。
その通りですと言ってるようなものだ。
「はぁ……まあいい。儀式は大戦の発端になったもので……説明が面倒くせぇ。とにかく葬術がその時兄貴から失われた。それは間違いない」
「で、そのあと選択的消去を会得したと。でもおかしくないですか?どうして総真君が葬術を発現できるんです?肉体の血縁関係はないんですよね」
「母親が全員同じだ。俺たちとは腹違いだって聞いた」
「ええ?もとになった方もですか?」
「うん。あの子だけ父親が違うんだって」
ほかの兄妹、7人は全員父親と母親が同じだ。
だが末弟だけは父親が違うと聞いている。肉体はなるべく宿しやすいように同じ母と父の遺伝を使っていると。
つまりこの葬術は母由来のもの、という事になる。
血縁関係者として継いでいてもおかしくはない。だがここには複雑な事情が絡んでくる。
「葬術を封印されているのは母由来なのが分かってるからだ。俺たちの母は」
「アビス、だから」
一瞬、その場に沈黙が満たされる。
薄々は気づいていたことだが、神たちの母親はアビス、で確定だと彼らは頷いた。
アビスという存在が出現してから不可解なことは多かった。
なぜ人型の海魔の存在が今まで隠匿されていたのか。なぜアビスだけ彼らは海魔ではなく名をもって認識し出来ているのか。
突然現れた存在として不自然かつ重要過ぎる立ち位置にあった。
彼らの母であるというのなら納得だ。神たちと同等の力をアビスは保有しているかもしれないのだ。
「ん?待ってください。母親はわかりましたが父親は?海魔ってそもそも両親がいるんですか」
「俺たちは正確には海魔じゃない」
「というと?」
「あの女曰く、新人類、半魔と呼ぶ生き物だ」
「はんま……」
海魔には両親は必要ない。彼らは深水から無限に生れ落ち、その数を減らすことはない。
遺伝などないし、存在も曖昧だ。だがそこに存在し、人に害をなす。
半魔とは存在定義が曖昧な存在を母とし、そこに人間の遺伝を加えた存在。
半分海魔半分人間の存在。故に半魔と名付けられた。
海魔の体に人間より頑丈な体と大量の深水、そして圧倒的な力を誇る。
すなわち、人間によって生み出された戦争のための兵器なのだ。
「300年前の大戦時、追い詰められた人間が生み出した兵器。それが神の正体だ」
「兵器って……じゃ、じゃあ300年前に突如歴史に神が降臨したんじゃなくて、人間が作り出した時期が300年前……」
「人造神器って当時は呼ばれてたかな……」
化け物に人間を生ませるなどマッドサイエンティストの発想だ。常人では到底思いつかない。
しかし現実に彼らは存在し、ここに立っている。
突きつけられた事実が冷や汗となって背を伝い、擦れた視界に動揺がにじみ出ていた。




