閑話 ヤドカリの殻#2
中層を訪れて1日の間にアストロは民家の構造の調査と盗みを、パグロは外側と他の層の調査を行っていた。
その一環の1つとして下層へも足を延ばしたのだが、中層も下層も金銭感覚が多少違うだけで大した差異はない。
この北区で別格として扱われているのが壁の向こうのシャーレ管轄区と上層だ。
上層と中層の間には身分証をかざす巨大な門がある。
明確に他者を拒絶する門は易々と超えることはできず、海魔を検知する機能もついているらしい。
実物を一度見に行ったときはイデアシリーズの肉体には反応していなかった。
おそらく深水だけの物体を検知していると考えらえる。
詳しい構造は分からないが、イデアは人間としてカウントされているようだ。
「敵陣に乗り込むのは後回しとして、まずは上層を調べましょう」
「身分証も盗んでくっか?」
「指紋や虹彩が合致しないと意味がないらしいわ。死体を引き摺って行ったら目立つかしら」
「となると別の方法か」
幸い門の周りには警備兵はいない。門の警備システムを信頼している証だろう。
葬術を使って突破してもいいが、恐らくある程度は対策されている。
故に門には干渉しない手段でここを開けてしまえばいい。
「内側から開けてくるわ。私を見ていて」
「はいよ」
返事と共にパグロの肉体がふっと根幹を失ったかのように倒れていく。
地面につく前にアストロの腕の中に納まり、横抱きにしたまま彼は門の前に立った。
パグロの目は閉じたまま呼吸すらせず冷たくなっている。まるで死体を抱えているようだ。
だが肉体は硬直せず、ゆらゆらと柔らかいまま揺れている。
これが人間とイデアシリーズの差であり、パグロの能力の1つだ。
ヤドカリは住処を変えるもの。よりよい家があればその殻の中へ侵入していく。
通常は空っぽの貝殻を選ぶがパグロには多少の穴があれば関係ない。
ほんの一瞬でも彼女の前で隙を見せれば、目の前から消えうせる。
ほんの数分。がちゃり、と門から開錠音が聞こえガコンッ!と何かが落ちる音が聞こえる。
床に響く振動と共に現れたのは1人の男。
彼はスーツを身に纏っており、黒く染まった瞳が眠たげに落ちている。
気だるそうな男はアストロを一瞥すると何も言わずに開け放ったままの門へ踵を返していく。
アストロはパグロの身を抱えたまま門をくぐり、何も反応しないことを確認してからそっとパグロの体を横抱きから背中に回した。
どうやら彼女は直ぐに体に戻る気がないらしい。
「その男死なないか?」
「終末を迎える前に穏やかに死ねるなら本望じゃないかしら」
見た目にそぐわない口調のいかつい男は立派な髭を蓄えており、この街で生半可ではない成功を収めていることが良く分かる。
知名度のある重要人物を殺してしまうのはリスクが大きいのだが贅沢は言えまい。
悠々と上層を歩く男の後を追い、きょろきょろと周囲を見渡す。
白く彩られた街並みには豪邸と呼んでいい家がいくつも立ち並んでおり、人々の服装が明らかに裕福だ。
煌びやかな宝飾と真新しいドレス、スーツ、革靴。
生物自体が希少であろうに革のバッグまで持ち歩いている。
薄汚れ、気絶した少女を背負うアストロは非常に目立っていたが前を歩く男の姿を見るや否や住人たちは興味を失っている。
この光景が日常茶飯事なのか男が有名なのかは分からない。
「住人が管理された社会で特権階級の階層はさらに厳しいチェックがあると思ったほうがいいの」
「だからその姿のまま?」
「少し不便だけど」
もとより自身の肉体ではない者に乗り移った亡霊だが、それにしては乗り移るのに躊躇がなさすぎる。
海魔のころに会得した能力と説明していたが、様々な形態の海魔として地上を荒らしていたのだろうか。
ほんの少しばかり歪な足取りの男を追って、上層をどんどん進む。
余計な装飾ばかりの中層と違い、ここは洗練された看板と小さな立て看板ぐらいしか見当たらない。
店自体が少ない印象だ。
どことなくどこの国にもある高級住宅街のような雰囲気を思わせる。
「社会科見学ならまずどこに行く?」
「まずはこの男のことを調べるために家にいくわ」
「はぁ?それ何の意味があるんだよ」
「色々なことが分かるの」
パグロは乗り移ったものが生物であれば頻繁に繰り返していた言動や交友関係、行動などを知ることができる。
特に住宅などは特定がしやすく、まずは乗り移った男の住宅を目指すという。
その家には上層に関する話や、そもそも上層へ入れる存在へのなり方、世界のあり方など情報の宝庫だろう。
シャーレのように世界の核心に迫るものはないかもしれないが、少なくとも北区では効力を発揮できる。
「そもそもそのおっさん誰?」
「門の裏側にいた人間。丁度出ようとしていたところを捕まえたの」
「不幸なこった」
男の名前も家族構成も見えているはずだが、彼女はどうでもいいと投げ捨てる。
特に重要な情報は入っていないとでも言いたげた。
男の職業は北区を牛耳っている皇家に鮮度の良い野菜を仕入れる商人らしい。
特定の地域に契約農家をもっておりそこそこ稼いでいるとか。
「これでお金の心配はないわ」
「かわいそぉ」
パグロが乗り移った生物はパグロが出ていくときに死んでしまう。
もう二度とこの男は人生を謳歌することはできない。
哀れに思って同情しても所詮殺す予定の人間だ。
アストロはずり落ちたパグロの体を抱え直し、前を歩く男に静かに手を合わせた。
門から歩いて数分。男の家は中心地にほど近い一等地に立っていた。
幸い家人はいないようで家の中はがらんどう。
有難く家の中をひっくり返す勢いで漁り、有用な情報を探していた。
最も重要である金は既に金庫から押収済みだ。銀行に預けている分は足がつくので手を触れない。
男かあるいは家族が読書家だったようであちこちに本棚がおかれている。
その中にはボロボロになった絵本などもあり、子供が何人かいたようだ。
書斎には仕事の書類の山のほかにシャーレに関する資料もおかれている。
主に食料に関する内容だったが、葬務官の数がさほど多くないという記述はいい情報だった。
「家族は5人か……娘が葬務官になったっぽいぜ」
「そんなこと調べて何になるのかしら」
「いいじゃねぇか。知らねぇより知っている情報は多いほうが良いだろうが」
「個人的なことを調べても何の得にもならないの」
他人に興味を抱かないパグロに肩を竦め、アストロは周辺に飾られた写真立てを見る。
家の中に写真を飾る家庭はさほど珍しくないが、この家には子供たちを中心にした写真が多くあった。
パグロが今手にしている男の日記も子供のことばかり。子煩悩だったようだ。
2番目の娘は葬術が扱えたようで、覗き見た日記の一部には皇家の後ろ盾を得て葬務官になったと書かれている。
「軍人になるのが誇らしいって考えは良く分かんねぇな」
「あら。立派なことじゃない。国のために戦う英雄なのよ」
「俺の国じゃ他の国にあるような軍は存在しないことになってたんだよ」
「ああ……そうだったわね」
国防に立つ人が偉いという考えはある。立派なことだとも思う。
だがわざわざ命を差し出すような戦いに赴く理由は良く分からない。
人間だった頃のアストロはそれほどの大義を持ち合わせることもなくぼんやりと生きていた。
突然目の前に災害という形で死が迫ったが故に数奇な運命を歩みはじめたわけだが。
「やはり外部の人間がシャーレに詳しいはずもないわね。でも国の歴史は把握できたわ」
「国ね。ここって国なの?」
「さあ。他国がないこの世界では国とは断言できないかもね」
彼女が取り出したのは歴史の教科書だ。この家の子供が使っていたものらしい。
学校で使う分厚い教科書をこの数分で読破したことにも驚きだが、彼女はきちんと理解できているらしい。
人間だった頃は相当優秀な人間だったのだろう。
「内容自体はかなり端折られているわ。歴史学者はいるみたいだけど土地をひっくり返すこともできず、神による教えと人間の記録が主な歴史になるみたい」
神とやらの管轄ということは裏はとれておらず改変し放題、ということだ。
ひとまず今語られている歴史とやらの説明を求めると、彼女は要約して話し始めた。
「歴史は1000年前と300年前に別れるわ。まず1000年前。世界が深水に沈んだころのお話ね」
1000年前突如として世界は深水と呼ばれる毒に浸された。
急激な海面上昇により土地はみるみる海底に沈み行き、人類は生存圏を狭めることとなった。
小さな土地を巡って争いは続き、ついに人類は数多の犠牲を出して疲弊し絶望した人々は船を出して死の時を待った。
終わりを求めた航海は世界中で起こりそのうえで多くの人が再び海に沈んだ。
海が沈んでしばらく、海上には海魔の姿が見られるようになった。
奴らは無意味に船を襲い、多くの船が転覆していった。
しかし世界が完全に海に沈んでから数か月後、突如としてこの地が海面から浮上した。
海を揺蕩っていた人々はこの地を目指し、たどり着き生き残った者たちの末裔こそが今を生きる人類である。
人類は数多の苦難を乗り越え、深水に適合する人間が次第に生まれるようになった。
彼らは深水を浄化する能力を持ち、資源の乏しいこの地に富をもたらした。
海魔達は何故か地上を避け、海辺にさえ近寄らなければ地上は安寧に満たされていた。
だが300年より少し前。海魔達が突然陸への侵攻を始めたのだ。
地上の人々は海魔の迎撃を余儀なくされ、平和に暮らしていた人々の街に軍が出来上がった。
軍は深水を扱える者たちを軍人として招集し、教育し、海魔を打ち滅ぼさんと励んだ。
しかし海魔は数が無限であるかのように減らず、そしてとても強かった。
多くの者が死に、多くの者が無意味に倒れ行く日々。
長い闘いの中で空虚な祈りを捧げる人類の前に神々は降臨した。
8人の神は各々が正義を振りかざし海魔から人類を護った。
この300年前の戦いを大戦と呼び、今でも神々は地上の人々を導いてくださっている。
「……とのことよ」
「なんか……こう……うーん」
「そうね。私も同じ感想よ」
彼らが知っている歴史は最初の部分だけだ。
世界が海に沈んだ。その時人類は何をしていたのか。
更に後の歴史はこの教科書とアビスの証言、さらに他の歴史書も交えて考察しなければ正確とは言えない。
だがこの歴史は広まっていることは把握した。
真実が白塗りされている歯抜けの歴史が、彼らにとっての真実なのだ。
これでは海魔が何なのか、そもそもなぜ深水に沈んだのかが全く書かれていない。
「長い時間をかけて失われたっていうより……」
「今の私たちと同じね。辛いのなら最初からなかったことにしようってことじゃないかしら」
歴史は戒めだ。先達の過ちを知ることで真実が見えてくることもある。
だが同時に先達の黒歴史であることもまた事実。
事実が後世を傷つけるのなら隠したがるのは致し方のないことだろう。
今まさに同じ発想で地上の人間を滅ぼそうとしているのだ。人のことはとやかく言えない。
「300年前の歴史でさえ正しくないのなら、1000年前なんて空想の世界ね」
パグロの言葉が静かな室内に木霊する。
自分たちの存在を丸ごと消されたような話に不快感が胃からこみあげてきた。
同時に罪の重さが両肩に伸し掛かり、深く息を吐きだした。




