過酷な北風#2
北区と言えど貯水池や浄化施設の管理はシャーレが担っている。
浄化員の教育や海魔が出現した際の対処法はシャーレが最もノウハウをもっており、教育が行き届いたとしても葬務官を育てるのは容易なことではない。
しかし自治の名目がある以上、勝手にシャーレが一部を占拠することはできず。
落としどころとなったのが、土地の買い上げだ。皇家がシャーレの代行として水回りを買い取り管理会社を設立した。
基本的に水道代が給与から天引きのほかの区とは異なり、ここでは皇家に水道代を直接払う必要がある。
それは莫大な資金となり、水回りの管理にも一役買っているのだ。
「おかげで貯水池の近くなら葬務官のスマホがあれば自由に出入りできるわ」
「難点があるとすれば水しかねぇことだな。観光もクソもねぇ」
「唯一自由な場所がここかよ」
街を見て回っている間にベンチに座るにも隣にコインケースがおかれており、道を歩くにも募金の催促がいたるところに貼られていた。
兎に角金銭に対する熱意がものすごく、公共事情によって様々な恩恵が受けられる生活がどれほどありがたいことか実感できた。
ここでは個人の生活以上に街そのものを維持するために区にかかる税金がとんでもない。
特に土地に関する税が多重にかかっており、高給取りと言われている葬務官の給料でも支払えそうにない。
少なくとも訓練官の彩春と白狼は首を横に振った。
4等葬務官の白狼はともかく、3等葬務官の彩春はそれなりにもらっているはずだというのに。
「ここで成功するって皇家すげぇんだな」
「実際すごいの。代わりに多大な犠牲を払っているから周りから疎まれがち」
「1人の化け物を作るために心血注いでりゃあ頭がおかしくなんのも当然だ」
皇へは大勢の優秀な人間と少数の凡人、そして頂点に君臨する完璧な存在が1人存在する実力主義の縮図だ。
優秀な人間では皇家を担うのに相応しくないと早々に足きりされてしまう。
常に1番は当たり前。それ以上の結果が出せない者は無能の誹りを受ける。
他人にできないことをこなして初めて優秀である大勢に入れるのだ。
「剱さんは完璧な存在ね。葬務官としてかかわるのは優秀な人達。それ以下は皇家の恥だって家に籠り切りらしいから会うことはあまりないかも。酷い話とは一概に言えないけれど、私はそんな家いやね」
「そりゃ俺も同感だ」
「俺も……神崎はちげぇの?」
「多大な犠牲を払って皇を作る家とは違って、私たちは神の手先。それぞれの個性を生かして神に仕えるって方針なのよ」
葬務官で最も敬虔な家系とも表される神崎家は皇家とは違い、全ての者がシャーレに属するわけではない。
どのような形であれ人類に貢献することを推奨しており、公共事業に従事したり一般企業で働いている者もいるとか。
「沢山葬務官がいる皇家と違って神崎は私と父と秋仁だけだしね。分家筋もないし、神崎の姓を持たない親戚が世の中にたくさんいるわ」
「同じ五大名家なのに方針が全然違うんだなぁ」
「神に忠を尽くし世に繁栄をもたらすという意味では同じよ」
争いは絶えないが同僚であることに変わりはないという彩春の表情はおおらかだ。
名家に生まれた彼女には沢山の苦労があっただろうにそれをおくびにも出さないのは流石と言えよう。
いつまでもおんぶにだっこなのが非常に申し訳なくなる。
とはいえ手を離されると途端に何も分からなくなってしまうので今は甘えるしかない。
「そういえば、北区って一般人が少なくて研究員が多いって話じゃなかったっけ」
ふと、とある疑問がわく。
ここに来る前にした話だ。自治区であることは知っていたが、シャーレの研究員が多く住んでいるのも事実。
では一体どこに研究員たちは住んでいるのだろうか。
北区のほとんどは一般人の住処。シャーレの管理している土地は名目上存在しない。
だが1か所。シャーレの名において立ち入り禁止になっている場所はある。
それは、海と隔てるために立てられたうず高い壁。その向こうは一般人の手は入ってない。
「葬務官の言う北区は主にこの壁の向こう側を指すの」
「なにそれ、専門用語?」
「そうね。自治区と北区は明確に違うってこと」
北区のうず高い壁は浄化の研究施設だ。ここから東区へ研究成果が送られ、日々生活の役に立っている。
葬務官が特に北区で来ることになるのはこの壁の向こうであり、今回の浄化もそちらの街にあるという。
「研究員たちは海のすぐ目の前に家を構えてるってこと?危なくない?」
「業務上仕方がないっていうのもあるけど、北は何故だか海魔の出現数がそう多くないの」
「理由は分かってねぇんだ。それも含めて調査対象だかんな」
自治区と北区は中層から繋がっている。
山脈があった辺りからでこぼこと巨大な切り口が出現し、そこから海が続いているらしい。
浜辺になっている南区と違って海までかなりの高さがあり、一面崖になっているのだとか。
崖際にある研究施設と自治区側に寄った住宅街が今回の任務地だ。
「てっきり自治区で浄化するのかと思った」
「ここは皇の縄張りだぞ。アイツらがいんのに訓練官の出番なんてねぇよ」
「それ皇に聞かれるとすっごい怒られるから言わないでね。総真なら嫌な顔される程度で終わるかもだけど……」
「ごめん……」
言われてみればそうだ。皇家が最も幅を利かせている区にわざわざ葬務官が派遣されるとは思えない。
考えが甘かったことを反省し、葬務官達が北区を壁の向こう側と認識しているワケが良く分かった。
同時に5大名家の負う責任の大きさにめまいがする。
この巨大なプレートの街を1つの家が守り続けているなどぞっとしない。
数十分ほど中層を歩いた先。
北区のさらに壁側に向かって進んだ先には堅牢な鉄の扉が待ち構えていた。
壁はシャーレが管理している場所であり、周辺には住居や店舗がない。
雑多な印象のあった居住区で見慣れた清廉さに触れ、どこか騒めき立っていた心が落ち着いた。
見たことのないものがごちゃごちゃと折り重なっている街は一見して華やかだが眩暈がするほど眩かった。
何があるのかすら分からない街並みは頭痛の種となり、刺激が強すぎた。
もともと木々しかない山奥の農村部出身の総真には賑やかすぎる。
一色に染まった壁を見ているとちかちかする目が休まる。
「3等葬務官、神崎彩春」
壁に設置された音声認証の機械とタッチ式の認証機にスマートフォンを掲げ、それぞれが壁の入口へと向かう。
扉はガコンッ!といくばくかの機械音を発し、重苦しい音を立てて開かれた。
一般人が壁の向こう側に誤って立ち入らないように、開いた先の扉にも2重のロックがかかっている。
そちらへもスマートフォンをかざし、今度は顔認証でやっと扉が開いた。
分厚い2枚の扉の先にはなだらかな海までの景色が広がり、視界は泡と青空に覆いつくされていた。
そして壁に吹き付ける風。強風と言ってもいい海風が頬を撫で、潮の匂いが鼻先に触れる。
居住区は縦に長い構造になっていたが、壁の向こうは下層に位置する場所からいくつものビルが延びている。
海風が谷間に入り込み、あちこちから強風が吹き上げていた。
見晴らしのいい高い位置にある入口は遮蔽物がなくもろに風を受ける。
煽られて落ちそうになるのを手すりにつかまって耐え、上から街並みを眺めた。
「あそこが今回の任務の場所ね。ちょっと遠いかしら」
「北区もいくつか泡があるね」
「処理速度はここが一番はえぇって聞くぞ。それでも追いついてねぇってことだろ」
居住区は本宅に常駐している皇家の葬務官が弔っているため、泡は常に存在しない。
逆に壁の向こう側の北区ではシャーレ所属の葬務官が狭い範囲を対応しているため、非常に泡への対処が早い。
それでもなお泡が存在しているのは偏に人手不足が原因なのだろう。
見渡す限りシャーレの建造物であるこの地では常駐する葬務官が少ない。
移動の葬術で本部から交代制で勤務するため、常にいる葬務官は精々2人程度だと事前説明で聞いた。
その2人が今懸命に泡の処理をしているのだ。
「イワシ型の弔いは訓練官にも簡単な部類だけれど、とにかく時間がかかるの。すぐに行きましょう」
「飛び降りて走る?」
「馬鹿!一般人にぶつかったら車と衝突するのと同レベルだぞ!」
「ええ……じゃあどうするのさ」
居住区よりも分かりやすい区画に整備されているが、それでも大小さまざまな建物が入り混じった区の端に行くのは容易ではない。
移動手段が常に用意されているものなのだが、今はシャーレもごたごたとしている。
訓練官のために車を配備してくれるはずもなく、歩いていくしかないと彩春は肩を竦めた。
だが南区と同じように全力で走るのは厳禁だ。
故に彩春は、手すりに足をかけすぐ先にある建物の方を指さした。
「シャーレが管理している壁の向こう側は基本的に葬務官が走るためのコースが用意されているわ。そこを通りましょう」
「コースって……繋がってないけど……」
「飛べんだろうが。てめぇの足は飾りか」
飛ぶ。それは即ち跳躍ということだろうか。
目の前にあるコースとやらの一歩目は明らかに10メートルほど離れた先にあるビルの屋上を指している。
いくら何でも人間が跳躍であのビルに飛び移れるとは思えない。
だが、3人は葬務官だ。深水操作さえあれば、彼らはこの程度の隙間を易く飛び越えてしまう。
「総真が一番ここを走るの上手いかもね。ひとまず私の後ろをついてきて。決して追い越さないように」
「結構高いんだけど、落ちたら2人は死なない?」
「大怪我で済むっつー話だ」
少なくとも10階建てと並び立つ程度の高さがある。
そこから身1つで15キロは離れた地点へ向かわねばならない。
自分の身は全く案じていないが、彩春と白狼が心配だ。
特に彩春は足がそれほど速くはなく、跳躍力もさほどないように思う。
「彩春は俺が抱えて走ろうか?」
「これぐらいなら大丈夫よ……ほら!」
言うが早いか。彼女は柵から飛び上がり、重力を無視するかのように軽やかな身のこなしで少し先にあるビルへと飛び移っていった。
白狼も同じようにビルへと飛び移り、早くしろと怒り気味に叫んでいる。
心配されたのが癪に障ったらしい。
彼らにおいて行かれまいと、総真もビルへ飛び移った。
はるか下には人々が行きかい、車が何台も走っている。
誰もいなかった南区とは大違いだ。
「ちゃんとついてきてね!」
「さっさとこい雑魚!」
彩春と白狼はさっさと先へ進んでいってしまった。
次のビルへと着地し、慌てて2人を追いかける。
下手をすると見失いそうになる。その前に全身に熱を行きわたらせ、深水の動きを指先にまで浸透させる。
深水を足に集中させ蹴り上げたコンクリートは、僅かにえぐり取られていた。




