割れたピック
総真達が秋仁の下へと訪れた時刻。ロックはリュードの下を訪れ、剱に無理を言って2人だけの空間に座り込んでいた。
暗く冷たい地下。石棺で身動き1つ取らず、息すらしていない兄が目を瞑っている。
その眼球の片側が陥没しており、ロックは両手で目を覆った。
忘れもしない。300年前の大戦のとき。
眼球をえぐり取られる深手を負ったロックの殺処分が決まった夜。
まだロック達は実験動物として価値が低く、使えない兵器は処分されるのが当たり前だった。
特に戦闘に役立たず、自身もまともに治せないような間抜けを庇う余裕はない。
多少人間より頑丈な程度の存在であれば他の兄妹達で事足りた。
両目がなくなり、なくなった器官を生成できなかった当時はあっと言う間に捨てられることが決まり、押されていた戦線に今すぐ出撃しろと言われた。
戦線で目が見えなければ当然すぐに死んでしまう。
ただそこにいるだけの大きな的となることになったロックは、命令を下す父の前でただ俯いていた。
救いの手は決して差し伸べられない。誰も助けてくれない。
踵を返し、戦場に再び墓場として舞い戻ろうと足を動かしたその時。
ロックは暖かく柔らかい腕に掴み取られ、何かをぽっかりと空洞になった両目に押し当てられたのだ。
——今すぐパッチワークを使え。目の治療を全力でしろ
そんなことをしても無駄だ。言いたくても口は動かず、反射的に言われた通り目の治療に葬術を使った。
どうせこの後死んでしまうのだから出し惜しみしても無駄だ。
全力で葬術をフル稼働していると、ふと目元に違和感を覚えた。
不思議なことに差し入れられた物体と神経が繋がる。徐々に血管や筋肉までもが繋がり始め、気が付いたときにはその物体は体の一部と認識していた。
これは眼球だ。
きわめて親和性の高い素材で作られ、その目の中に納まっていても違和感がない。
十分もあれば目は完全に再生し、不思議なことに景色が見えるようになっていた。
その先には両目が空洞となり、血を垂らす兄の姿。
彼は、弟のために自らの両目をくりぬいたのだ。
兄はもとは両目とも黒い瞳をしていた。だがロックに移植された瞳は金色。
彼は弟のために何度も目をくりぬき、瞳の色を金の色にして見せたのだ。どうやったのかという研究者の問いには全て気合だと返答していた。
そのあとも後遺症でいくら瞳を治しても片方の瞳は金のまま。
兄は自分の目の色など何でもいいと笑っていたが、ロックにはそう思えなかった。
金の瞳はアビスとの繋がりの証。忌々しくて仕方がないはずなのに。
「その目は今、何を見てンだ」
リュードの治療はなくなった器官を再生させられる。これは葬術に由来するものではなく兵器として作られた彼自身が獲得した能力だ。
彼の作成時のコンセプトは、全てを凌駕し成長し続ける人間。
数多の痛みから新たな能力を獲得し、その全てを海魔残滅と兄妹達に惜しみなく捧げてきた。
彼が最終的に獲得した憤怒の炎は全てを燃やし尽くす。時には自分自身さえも。
兄妹には暖かさを、そのほか全てに地獄よりも凄惨な業火を。
そうして全てを睨みつけていた兄は、今や両目を閉じ世界から目をそらしている。
「俺は総真があの子の生まれ変わりだと思っていた。兄貴が誰かから預かってきた赤ん坊で、あの子にそっくりな子。何の根拠もなく、守れなかったあの子を投影して、真実を探求することを放棄した」
目をそらしていたのは兄だけではない。自分もまた、真実を探る権利を放棄した。
きっと問えば兄は答えてくれただろう。300年前の戦争の最後、狂ってしまった兄が最初にとった行動に答えがあるはずなのだ。
信じたくない。考えたくない。
だが、総真の顔を思い浮かべるたびにロックは逃げ出したくなる足を留まらせる。
25年前、逃げ出したときには考えられなかった選択した。
兄妹達を見殺しにし、最期を兄に押し付けたときにはなかった勇気と責任。
石櫃の向こう側。末の弟の亡骸が収まっていた箇所が空白になっている。
そこには砕けた卵がおかれており、見てくれだけ繕ったひび割れた殻がおかれていたはずだ。
その殻の中には末の弟が不定形の存在として押し込められていた。
殻の外では生きていくことができず、会話をすることもできない。孵る前の雛。だが愛おしい末弟。
末弟には用意された肉体があった。赤ん坊の形をしたイデアシリーズの初代にして最新型であり、肉体が合わなかった場合の予備として複数用意されていた。
初代は一般的なイデアとは違い、深水に浸っていない人間の肉体、人工授精によりつくられた試験管ベビーから作られている。
母親は兄妹達と同じ。父親は不明。そして本来含まれるはずの成分を末弟で補う。
そうして肉体を手に入れる、予定だった。
「あの子は外を生きる前に死んでしまった。殻を割られ、目の前で無残に」
末弟が外を走ることは叶わなかった。その事実が兄を狂わせ、ロックとカノンに現実を直視する勇気を失わせた。
イデアシリーズは全面凍結。兄の手によって処分され、全てが闇に葬られたはず。
だが現実にパグロとアストロが現れた。あれはイデアシリーズにおける最終段階の肉体だ。
つまり兄の手でかの肉体は処分されていなかったことになる。それをアビスに流用された。
ならば、末弟の肉体も。
「総真があの子に似ているんじゃない。総真はあの子の肉体そのもの。そうなんだろ」
兄と同様に成長することを考慮された設計である肉体は人間と同じ速度で年をとる。
唯一違う点は自我が芽生えることはないこと。だが総真には自我がある。
赤ん坊から育ち、自身で思考し、日野総真という人間を作り上げた。
同時に、彼は時折おかしなことを口にしていた。その記憶を覚えていてはならないと抹消し続けた、遠い昔の記憶。
末弟スコア・オーレリアの記憶。
「イデアの肉体は魂がない。ただの肉の塊だ。生きることはできても思考する能力にロックがかかる。だが総真は動いている。生きている!生きてるんだ!!」
肉体にスコアのデータが残っている。そう考えて目を逸らし続けてきた。
だがもし、もし仮に死んだあの子が中にいるのなら。
それは、スコアなのか?
末弟スコア・オーレリアは確かに死んだ。それは間違いない。
無残にも地面へと殻ごと落とされ、二度と動くことはなかった。
兄が必死にかき集めて割れた殻に戻しても反応を示さず、あの時の兄の顔は忘れられない。
守れなかったことに後悔し、全てに絶望し、何もかもを拒否していた。
炎の葬術を用いていた兄はいつの間にかその葬術を奪われ、新たな葬術を会得した。
見たくないものを見ないために、目の前の現実を嘘にするために。
末弟は二度と帰ってこない。何度そう言い募っても兄は聞く耳を持ってくれなかった。
受け入れられない現実の先が総真という存在なのだとしたら。
「間違ってる。こんなのは間違ってる」
部屋の最奥。兄が使用していた実験室の残骸が当時のまま残されている。
研究資料も、手つかずの保存食も、200年ほど前のままだ。
大戦の後、兄は末弟の亡骸を抱え、この部屋に度々閉じこもっていた。
泡で陸を覆い隠した後も、部屋に立ち入る姿が目撃されている。
その際、必ず殻をもっていたことも。
「これは……」
ロックとカノンはこの部屋に一度も立ち入らなかった。
何をしているのか知りたくても、知りたくない現実が待っていることを恐れていた。
薄暗い施設の中、いくつもの小さなガラスの円柱が立ち並んでいる。
赤子を入れる程度の小さなその中は空っぽで、何も入っていない。
牛歩の如き足取りの中、ふとなにかぐしゃりと踏みつける音がする。
紙らしきものを踏みつけ、薄暗い中目を凝らす。
最奥、どこまでも続く闇の中で手にしたその紙には信じられないことが書かれていた。
「スコア・オーレリアの……バックアップ……?」
末弟のバックアップ。つまり記憶を引き継いだ肉体が存在するという内容だった。
イデア計画は不完全な部分が多い。肉体が適合しなければ内部に入り込んだ海魔は肉体の死亡と共に消滅するしかないと聞いた。
であれば、本人を入れる前に適合を見る実験用のコピー存在がいてもおかしくない。
末弟のクローンを肉体に入れ実験を繰り返していたのなら、まだ生きている個体がいたはずだ。
「生存個体は全部で15体、その中で実験に……イデアに適合した個体」
イデアに適合した個体は存在しない。理由ははっきりしないが、イデアは何故か海魔の存在を拒否するのだ。
研究員たちは移植手術における急性拒絶反応に似た症状が出現すると言っていた。
末弟においてもそれは変わらず、何度も拒絶反応で失敗した旨が書かれている。
実験試行回数は大戦終戦前から数千回にも及ぶ。
残されたチャンスは15回。いくつもの乱雑な言葉とメモが繰り広げられ、破かれた資料もあった。
ファイリングされたものの中には写真があり、動かなくなってしまったイデアとコピー体の写真が貼られている。
その中で、15回目の実験。最後となる実験の際に、リュードは狂気的な行動に出ていた。
「適合個体にはコピー体の2割を投入、残り8割を食事に混ぜる……!?」
人間の肉体に海魔の体全てを注入するのはあまりにも負荷が多きする。
その抜け穴として、生きている人間達の深水の割合に着目したようだ。
2割を超える深水に浸された者は短命であったり身体に影響が大きい者が多い。
つまり2割に抑えられれば、イデアにおいても生存できる可能性が高いのだ。
しかしそれでは記憶の引継ぎや能力の継承が不完全になる。
それを危惧した兄が、残りのコピー体を赤ん坊の食事に混ぜたのだ。
「あの子の記憶が断片的なのは明確に継承できていないから……?」
総真のスコアに対する記憶は断片的だ。時折思い出し、誰か他人の記憶が頭にあると告げる。
そのたびに兄は記憶を消去してきた。
「おかしい。辻褄が合わない」
末弟を復活させようとしているのなら記憶を呼び覚ます一瞬の出来事は喜ばしいはずだ。
だが兄は執拗に末弟の記憶を消している。
記憶を呼び覚ますことに何か不都合があるのだろうか。
思い出すことをトリガーとした、なにかが。
「ロック」
背後から背筋が凍る声が響く。振り返ることができず、固まったままただそこに立っていることしかできない。
確かな足音が近づいてくるたびに指先が震え、背後の明かりが長い影を作り出している。
逃げ惑うこともできず、歩みを進めることもできず。
背筋を伝う汗が嫌に響き荒い呼吸だけが残っている。
「この部屋に入る気になるなんて、何かあったのか」
兄に実体はない。姿を見せる気になったから目の前に泡となって現れただけ。
最初から、見られていたのだろう。
「き、ききたいことがある」
やっとのことで絞り出した声は裏返り、震えを含んでいた。
「イデアシリーズが出現した。研究室は、どこにある」
任務で出現したイデアシリーズ。あれは間違いなく父の研究成果だった。
だが研究所は大戦の折に爆破されていた。そのまま崩落したものだと思っていた。
イデアが出現したのなら研究所がどこかにあるはずだ。
そのありかを問いただすと、兄はしばし間を置いてから泡となった体で足を踏み鳴らした。
「私たちの生まれ故郷に」
まだある。
どっと噴き出す汗がとめどない。振り返った先にいた兄の両目はまっすぐとロックを捉えていた。




