瞼をこじ開ける#1
任務へ赴いてからその場で見聞きしたこと、今までの情報から考えられること。その全てを秋仁をへと3人は次々に語り始めた。
そうして情報を整理した結果、彼らが疑問を抱いた点を口にする。
彩春は客観的に「日野総真という人間は真に人間であるのか」あるいは「神との縁はどこからなのか」そして「海魔とは」「神とは」という根本的な部分に疑問を呈した。
白狼は「何故神は総真へと真実を隠しているのか」と眉根を寄せ、総真は自分に降りかかる全てに頭を抱えていた。
それぞれの話を聞き、情報を全て書き起こした秋仁は寝ころんだまま天井を見上げ、しばし沈黙を落とす。
ほんの数分。そうして瞳を開けたのち口にしたのは1つの最大の障害だ。
「総真への情報統制を解除しないことには議論は進まないよね、コレ」
「……ですよね」
「ンな気はしてた」
「情報統制?」
1人を除いで思い浮かぶのは度重なる記憶喪失。明らかに神側から意図的に情報を隠されているのはもとより、彼が見聞きした情報さえもなぜか消えてしまっている。
その原因は十中八九リュードの葬術であると睨んでいるが、決定的と言えるほどの証拠はない。
総真には現状、2つの勢力から多大なる干渉を受けている。
我らが絶対的神リュードと、敵たるアビス。そのどちらが根本的な原因なのか分からない以上、記憶喪失を止めることは難しいだろう。
彼の記憶喪失は彼自身のアイデンティティの形成を蝕んでいる。
違和感のないように記憶が補完されていることは確認済みだが、今回のことに関しては何故か記憶が奪われていない。
何かしら記憶奪取に条件があるようだ。そして、情報を得た時点で記憶奪取が起こり、タイムラグが発生した情報は奪われない可能性が高い。
今までの記憶は1時間以内に気絶と共に別の記憶に上書きされていた。それが本部に戻る数時間の間に起こらず、今尚正気を保っている。
「条件が分からないな。検証した結果、過去の記憶まで消されると厄介だし……」
「今までとの違いをメモしておいた方がいいかもしれません。状況、場所、誰といたか、とか」
「一旦ここまでの記録を残そうか。セーブは大事だよね。バックアップも」
良く分からないが、秋仁に言われるがままに今把握している情報を洗いざらい喋れと促され、マイクを差し出される。
後々自身で聞いたときに肉声であれば疑いようがないだろうという配慮なのだが、訳も分からず現状の記憶をさらけ出す羽目になり、総真は目を白黒させた。
言われるがまま話した内容は主に彩春と出会ってから今日に至るまでの話だったが、やはりすでに何か所か改変されている部分がある。
特にアビスの記憶はすっぽり抜け落ちている。だが不思議なことに任務の間にパグロとアストロから聞いたアビスという単語だけは彼の記憶にしっかりと残っている。この違いは重要だ。
藪を突いて蛇を出し、記憶消去を誘発しては堪らないと終始黙って全員話を聞いていたが、可笑しな点はいくつもあった。
「ヨシ、この状態で探っていこう」
「ま、待って!先生俺の話聞いてた?俺は何者なのかってのが分からなくなって、一緒に考えて欲しいって……」
「うんうん、分かってる分かってる。でもね、今その前段階に問題が生じててね、そっちの解決を先にしたいんだよね」
「前段階?問題?」
「君が正しく自分が誰なのかを知るために必要な工程だからね」
このままでは彼の望み通り現状を整理して情報を得られたとしてもまたまっさらな状態に逆戻りだ。
それではいつまでたっても彼の望みは叶えられず、嫌な真実にぶち当たった時本人だけが何も知らないまま話が進んでしまう。
記憶の消去は厄介だ。それだけで様々な状況を完全に封じられる。
全てをなかったことにできるのだ。それ即ち、誰かの時間を丸ごと消去していることに他ならない。
この現象の最も恐ろしい部分は総真自身に全く違和感を抱かせていない点だ。
自力で気づくことさえできない恐ろしさが、彼自身を真実から覆い隠している。
「この事実に触れた時点で発動するかもしれないけど……総真。君ね、記憶が消されてるの」
「えっと……どゆこと?」
「君が持ってる記憶は、正しくない部分がいくつもあるってこと」
意外にも、この発言のすぐ後に気絶することはなかった。つまり記憶消去の対象ではない、あるいは前回と同様に何かしらの条件をすり抜けている。
伝えられた本人はすっかり混乱し、自身の頭を何度も触っている。
「え?え?俺の記憶が正しくない?せんせ?俺確かに記憶力良くないけど、いくら何でもそんなこと指摘してるわけじゃないよな?」
「そうだね。君の記憶は正しくない。恐らくだけど書き換えられているか、あるはずのものを消されて継ぎ接ぎされている。これは何も俺たちに出会ってからのことではないと推測しているよ」
本人に違和感を持たせていない時点で彼の記憶は全てにおいて正しくない可能性が高い。
もしかしたら、ロックとカノンと暮らしている間にも記憶は消されているかもしれない。彼の過去に対する発言の信憑性が著しく低下している。
何より厄介なのが違和感が出ないように修正されている点だ。
これにより、偽りの記憶が植え付けられている可能性が十二分にありうる。
「君の過去は真実ではない可能性があるって、無茶苦茶なことを言うけど……信じてくれる?」
日野総真。彼が歩んできた15年。その全てが偽りである可能性に、言いようもない恐ろしさを感じていた。
正確でない記憶というのは誰にも確かめようのない話だ。
幼少期の交友関係や西区での生活など他人が関与するものは洗えば証拠が出てくる。
だがロックやカノンとの思い出は神達が隠し続ける限り正確性はない。
誤魔化せば誤魔化すほど怪しさが増し、総真の思い出の殆どが白紙に帰す。
「君自身の思い出全てが嘘だとは言い切らない。実際、ほとんどは事実だろうし。全部消すなんて無謀なことはしないはず。記憶に齟齬が生まれたときにリスクが大きいからね」
「それでも一部は不確定な情報の可能性があるんですよね」
「そうだね。この事実を受け入れないことには話は始まらない」
総真には思い当たる節があった。記憶に違和感を抱いたことは一度もない。
だが、時折頭の中で不思議と何か遠いものを思い浮かべているときがあった。
うっすらと知らない何かが記憶の底にあり、それは違うと誰かが否定する。
頭がぼうっとしている最中に曖昧な記憶だけが残った挙句、真実を見失っているのだ。
何も知らないでいる自身の環境に何か理由を付けるとすれば、秋仁の仮説は正しいような気がしてくる。
藁にもすがる思いで、総真はしっかりと頷いた。
「総真……」
「大丈夫。俺、何も知らないままは嫌だからさ」
心配そうな顔をする彩春を制し、秋仁へと向き合う。続きを促せば、彼は寝ころんでいた上体を起こし、ある資料を取り出した。
パソコンの画面に映し出されている内容はシャーレが作った神に関する項目。
ページの上部には秘匿項目と記されており一般の権限では決して閲覧できない資料のようだ。
「これは?」
「リュード様に関するじじい、剱の爺さんが作った資料。これは側仕えに共有されたモンでね。記憶喪失に関する手掛かりになるかもしれない」
「雑魚にかけられた葬術を解除するってことっすか」
「解除、とはいかないかな。記憶の消去に関してはリュード様の葬術が怪しいと睨んでるんだけど、不可解な点も多い。どう考えてもあのお方の葬術の範囲を超えているから」
「というと?」
記憶の消去。これ自体はリュードの葬術の範囲内だ。彼は見たくないものを消去する能力であり、記憶も対象内である可能性が高い。
だが彼の葬術では説明のつかない点がある。記憶の補完についてだ。
違和感なく記憶を継ぎ接ぐには誰かしらの協力が必要になる。
何か別の葬術、あるいは何者かによる全く違う干渉が想定される。
「リュード様も素直に葬術を解いてくれると思えないし、現状補完に関する手掛かりもない。だから記憶をなくす条件に関して考えたほうが無難だと思うな」
「葬術の発動条件か」
「他人の脳をいじるような葬術は無条件に発動できない。ましてや遠隔でしょ?絶対なにかからくりがあるって」
記憶喪失は確定では発動しない。アビスという単語が任務後に消えていないためだ。
すぐに消せないのかあるいは何らかの条件が未達成なのか。
総真の目を覆い続けている布を引き剥がすにはまず布を視認せねばならない。
そうして見えた布の先にはほつれが必ずある。糸さえつかめれば紐解ける。
「あくまで消すだけの葬術だから、消去内容を限っているのかも」
「特定の単語に反応し、その単語を聞いた前後1時間ぐらいは削除している可能性が高いかと」
「だとすると任務で反応しなかった理由がわからねぇ」
「何か状況が違うんだよ。今まで経験したことがなくて、日常と違う状況」
リュードの葬術は強大だが、その分代償が伴う。
資料の中には1つの記憶を消すだけで膨大な深水を消費すると記録されており、彼は時折大量の深水を消費することがあると。
もしかしたらこの大量に消費した瞬間が総真の記憶を削除している時間なのかもしれない。
断定はできないが可能性が高いだろう。
「この深水の消費に関して調べられないんですか?」
「残念ながら無理だろうね。全部じいさんが管理してるし、リュード様の意にそぐわないなら絶対に動かない」
資料に書いてある内容は当たり障りがない。
発動条件や距離といった内容は全く記されておらず、無条件であるとひとこと添えられているのみ。
弱点になるような情報を書かないための処置なのだろうが、本当に無条件の可能性も否めない。
少なくともリュードとの距離は関係がない。近ければ彼が任意で発動する葬術が増え、遠ければ自動で発動するのみ。
彼の意識の有無も無関係だろう。眠っていても起きていても記憶消去は起きている。
となると、最も考えられるのは環境の変化だ。
「南区も任務だったけどさ、あの時は大規模戦闘だったから泡は出現してなかったよね」
「1区画を覆う泡は流石に出せないらしいよ。それができるなら南区の壁の向こう側を今すぐ覆っているだろうし。ここに書いてあるけど、見えなくなっちゃうんだってさ」
「泡の性質が違うからリュード様の否定の対象になってしまうのね」
「泡……泡……」
天を覆う泡はリュードの目であり耳である。その中にいれば彼の監視の目から逃れることはできない。
常に全人類が見張られ、守られている。
かの泡は外向きに否定の葬術が働いている。内部に侵入することを拒み、内側に入った海魔の存在を否定し続けているのだ。
そして内部で発生した海魔への泡は内側に働いている。その存在を外の目から否定し、リュードは泡の中を視認できない。
ぽっかりと地図上に穴が空いたようになり、彼にはただの黒い点に見えているらしい。
資料には事細かに見え方が書かれており、とある1日の地図の推移を1時間ごとに変化させた映像はいくつもの黒点が蠢いていた。
そこでふと、とある疑問が浮かぶ。
「もしかして、視認するのが条件なんじゃ……?」
「視認……そうか!」
彼は常に全てを見ている。当然、総真の動向も会話も全て。今もすぐ傍で聞いているかもしれない。
それは即ち常に視認しているということであり、それは距離に関係なく泡の中にいれば自動で条件を達成できる。
だが葬務官となったリュードは任務にてリュードの視認できない泡の中に足を踏み入れた。
先ほどがまさしくそうだ。結果的にリュードは総真を一時的に見失い、発動条件をかいくぐったのだ。
「でもそうなると、泡の中で会話しない限り記憶は引き継げない。任務中に悠長に喋っているヒマあると思う?」
秋仁の言葉に全員が首を振る。
ヒントは得られたが、泡の中にいるだけでは何も解決にならない。
どうしたものかと全員が頭を捻り、唸り声ばかりが響いた。




