IDEA#3
身を削られたパグロは半身が吹き飛んだ足元のアストロを足蹴にし、くるりと方向を変える。
凍てついた深水溜まりへと身を翻した彼女は片足を引き摺って前へと進み、乱暴にもアストロの身を氷の上に投げつけた。
「いでっ!もう少し丁寧に扱え!」
「死に体に与えるのは墓だけよ」
混乱の一途を辿っている人類を無視し、彼らは勝手気ままに帰り支度を始めている。
身体の殆どが吹き飛んだ状態では成すすべがないのだろう。神2人を相手に不完全なまま争う気はないようだ。
しかし、彼らの蛮行を許容出来ないのが神という名の仮初の人類の守護者。
立ち去ろうとした彼女の脚を触手が刈り取り、その首をロックが掴み取る。
両手にほとんど死体の男女を掴んだロックは怒りに表情を染めていた。
「貴様らには聞きたいことが山程ある!勝手に帰ろうとしてンじゃねぇ!」
「あら。私たちは善意で消えようとしてあげているのに」
「はぁ!?善意だぁ!?」
「私たちがいる間、お前たちはここに閉じ込められたままよ」
彼女の言葉に思考が止まる。頭上をなおも覆い続ける泡を見て、薄ら寒いものが背筋を走った。
2人はこの泡が何なのか、なぜ発生しているのかを理解している。
その上で解決方法も理解しているのだ。海魔たる彼女たちが消えない限りこの泡は消えない。
泡は侵入する者を拒み、脱出しようとする者を妨げる。
葬務官たちは入る術は持っていても出る方法は持ち合わせていない。
だが彼女たちは出る手段があると発言している。
「泡を行き来する手段を確立している?海魔がなぜ?」
「答える義理はないわ」
「いいや答えてもらう。その内容次第ではテメェ等の本体を今すぐ切り刻まなきゃならねぇ」
黄金が刃よりも鋭く射抜く。今すぐにでも絞め殺してしまいたいのを必死に堪える指先が微かに震えている。
彼女たちはその変化を見逃さず、挑発的に口角を上げた。
「殺してぇなら殺せよ!なぁ!」
「どうせこの身は持たないわ。好きにすれば良い」
安い挑発だ。乗れば多大なる損害になることは重々承知している。
彼女たちは確実にアビスにつながる糸口。本体の居場所、アビスの目的、彼女たちが保有している知識。
得られる情報は山のようにある。だが理性的な思考とは裏腹に、手に力が籠もっていく。
理性の裏にあるのは彼女たちの存在を真っ向から否定する憎悪。
イデアシリーズの存在は総真にとって悪影響にしかならない。ロックはそう判断した。
彼女たちの言葉は目を塞ぎ続けてきた息子には毒だ。決して触れてはいけない真実へと近づいてしまう。
「戦争で家族を亡くすのはうんざりだ!」
「そりゃ俺達も同意見だ」
「これは互いの生存をかけた争い。どちらかが死ぬのは当たり前なの」
海魔と人間。互いの生存権をかけた争いは遙か悠久の時から決着がついていない。
いつまでも終わらない諍いにさらなる火種が投下され、永遠と燻り続けている。
人類にとっては世代交代を重ねた長い戦い。長期戦のために設計された積み重ねによって未だ正気を保っている。
だが神達にとっては生まれてから300年ずっと争いの最前線に立ち続けている。
身を粉砕する悍ましい怪我も、毒に我が身を落とす悲しき決断もつい昨日のことのように思い出せる。
次から次へと争いを持ち込むアビスとの因縁にほとほと嫌気がさしてきたタイミングでの出現。
「イデアシリーズの出現、総真が兄貴に接触した瞬間からの干渉……あの女は何を考えてンだ!!」
「それはお前のほうがよく知っているのではなくて?」
「テメェ等はアイツの子供だろうが。俺達よりよっぽど近しいくせに」
「黙れ!!質問にだけ答えろ!」
激昂するロックの神経を逆撫でする言葉ばかりを選んでいるようだ。
寸前で首をへし折らずに要られているのは彼の忍耐力の賜物。
だがロックは兄妹の中でも特に短気な気質だ。
いつ彼女たちの仮の肉体が消滅してもおかしくない。
そこへ割って入ったのがロックと同じ立場にあるカノンであった。
彼女は触手を2本パグロとアストロの元へ近づけると、小さく首を横に振った。
「情報は、もう得られないよ……」
「カノン!!」
「ロックお兄様。総真のノイズになる存在をこれ以上生かしておく意味は、ない」
言葉が終わるか終わらないかの刹那。
パンッと軽い音と共にあっけなく深水へと還った2人の身体だったものがロックへと降り注ぐ。
墨にぐっしょりと濡れた彼は唇を噛み締め、すぐに虚空へと視線をそらした。
間違っても妹や息子に怒鳴り声をあげないためだ。
同時に周囲を覆っていた泡は晴れ、触手の檻に囲われていた子どもたちが一斉に飛び出してきた。
「今のは弔ったってことで、いいんだよな……?」
「そう解釈するしかないわね……」
「チッ、なんなんだよ……」
様々な情報が一度に押し寄せる中、釈然としない終わりを迎えた任務に苦々しい気持ちが湧き上がる。
中央に残った深水溜まりが彼女たちの存在を示し、不穏な気配を漂わせる。
明確に敵意となり未確認の海魔が出現した。
この事実がシャーレにとってどれだけ重く、総真にとってどれだけ恐ろしいことか。
冷たい空気の中、誰のともしれない呼吸音が耳障りなほど響いていた。
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不思議なことに深水溜まりも2人の海魔の消失と共に消えうせ、引率のカノンは任務完了を告げた。
報告しなければならないことが山ほどあると先に帰還したロックとは別行動。
4人はゆっくりと南区をあとにし、シャーレが用意した車で本部へと帰還することとなった。
移動中の車内は沈黙ばかり。誰も声を発せず、薄暗く俯いている。
様々なことがありすぎた任務の中で特に不可解の中心たる総真は重症で、パグロの発言から長らく頭痛を訴えていた。
その症状もまたあまりにも不思議な話であり、彩春と白狼は顔を見合わせることとなった。
「私もロックお兄様と一緒に報告してくるから……みんなは医務室で検査を受けてから浄化室に行ってね……」
本部にたどり着いたのち、顔色が青を通り越して真っ白となったカノンがゆっくりと3人の下を離れていく。
周囲の葬務官や職員達が遠巻きにこちらを見守っているが、その視線はとても心配そうだ。
カノンが俯いて歩いているのはいつものことだが、具合が悪そうにしているのは誰も見たことがない。
更にともにいた3人の訓練官も暗い顔をしており、とぼとぼと言われた通り医務室へと向かっていった。
短い道のりの間も誰も一言も発することなく時間が過ぎていく。
訝しんだ人々が時折彼らに声をかけようとしたが、その表情の悲壮さに言葉を失う。
重苦しい足取りでたどり着いた医務室ではアゲハが機材を用意して待っていた。
「やっほ~!若人たちぃ!ロック様直々の指名で君たちの任務後検診を……え?何この空気。重すぎ?」
「アゲハさん……」
怪我人だらけだった医務室は任務に出向いている間に綺麗に整頓されている。
南区での攻防の処理が一通り落ち着いたようだ。
彼女はすっかり肩を落としてしまっている子供たちを眺め、その豊満な胸を両手で押し上げた。
「おいおい大丈夫?揉む?」
「揉みます……」
「ありゃぁ!こりゃ重傷だ!」
総真と白狼は聞こえていないのか反応を示さず、唯一返事ができる彩春だけがアゲハの胸へと飛び込んだ。
全身の体重をかけて彼女の谷間に顔をうずめた彩春のツインテールをくるくると弄び、事の重大さを理解する。
「これ事情話せるやつ?」
「ほほへはむふはひーれふ」
「ここでは難しいかぁ」
もちもち、両手で挟んだ胸をもみ込み彩春の顔を揺すっていると少しばかり声に活力が戻ってくる。
何を言っているのかはいまいち分からなかったが、他人に聞かれてはならない内容のようだ。
医務室には一般の職員も多い。人に聞かれたくない話ができる場所はアゲハの診察室と誰かさんが占拠している放射線室のみ。
診察室はつい先ほどまで使用していたばかりで備品補充のために開放している。
「しゃーない!秋仁のトコいこっか!君たちが信頼してる大人ってアイツぐらいっしょ?」
「先生……?」
目の焦点が合わずぼうっと虚空を見つめていた総真が顔を上げた。
迷子の子供と見まごう程落ち着きがなく、視線が彷徨っている。
目立った外傷こそないが、全員精神に多大な負担がかかっているのは見て取れた。
アゲハとて医者だ。外傷だけでなく心のケアも専門としている。
得に思春期の子供たちにおける心身の負担は今後に多大な影響を与える。
信頼できる大人に相談した方が良いだろう。
「総真くんが望むなら神様達に連絡が取れないか打診してみるケド?」
「今は……両親に相談したくない、です」
「そっかぁ。なら秋仁だね。ヨシ!れっつごーだ!」
総真の目に映った一瞬の動揺。それが大きなショックによるものだと察した彼女はそれ以上深くは尋ねなかった。
アゲハはくるりと身を翻し、大股で放射線室へと向かっていく。
周囲には彼女が子供達を引っ張って放射線室に向かっているようにわざとらしく彩春の体を引っ張り、総真と白狼へ後ろをついてくるように促した。
医務室はアゲハの城。彼女の患者と知れば他の者たちは深く立ち入ってこない。
行きかう人の多い医務室をずんずんと移動した一行は大量の鍵に覆われた放射線室の扉の前にやってきた。
アゲハは仁王立ちで扉を叩き、大声で中へと呼びかける。
「秋仁ー!開けるわよー!」
在室を訪ねるでもなく許可を取るでもなく、彼女は遠慮なく扉へと手をかける。
鍵を壊されてから未だ修理していない扉はガラッ!と当たり前のように戸を開き、中で横になっていた秋仁は嫌そうな顔でこちらを見つめた。
「師匠……怪我人の部屋を無暗矢鱈に開けるのやめましょうよ」
「ごっめーん!ちょっと大事な話でさー!」
全開にした扉を堂々と潜り抜けた彼女に続き、3人も中へと入る。
すっかり散らかった放射線室には大量の神が落ちており、数台のパソコンとたくさんの画面が起動している。
どの画面も何か文字のようなものを追っており、秋仁の手の中にあるタブレットにも大量の文字が永遠と流れている。
一体何事なのだと問う前にアゲハがそっと扉に体を滑り込ませ、いつの間にか廊下へと出ている。
いくつもの鍵を指さし、指定した部分の鍵を必ず内側からかけるようにと彼女は3人へ告げた。
「鍵、壊れてるんじゃ……」
「内鍵は生きてるのぉ。この前彩春ちゃんがぶっ壊したのは外にある鍵だけ!マジで開けて欲しくないとき用の鍵もあんの。私は出ていくから、きっちり相談しな?検査はそれからでもいいからさ!」
「師匠が空気読みねぇ」
彼女はそれだけを言い残し、そそくさと扉を閉めてしまった。彼女なりの気遣いなのだろう。
不審そうに眼を細める秋仁にひとまず鍵を締めろと促され、彩春が扉へと手をかける。
彼女が鍵を締めた途端、廊下から響いていたかすかな音すらも聞こえなくなる。
防音の葬術が施された特別製の鍵は秋仁がわざわざ取り付けたもので、医務室で2部屋しかない密談に適した部屋だ。
そうしてうまれた静寂の中、機械の駆動音が響く室内で秋仁はぐったりと横になったまま目の前の椅子を指さした。
「とりあえず座って」
何があったのか、話を聞こうか。
彼の言葉に一歩前へと踏み出した総真の足は小鹿のように震えていた。




