IDEA#2
怒りに我を失ったアストロをものともせず、パグロはため息を吐く。
異様な光景の中、地団駄によって踏み荒らされた地面は見るも無残な地割れを起こし、グラグラと視界が揺れる。
数分の癇癪の後、アストロは大きく息を吸い込み人間のように深呼吸をしてその紅い瞳を歪めた。
その瞳には星が浮かび上がり爛々と輝いている。
「イデアシリーズは海魔のために造られたモノだ。自立して動くようなこたぁあっちゃならねぇ!」
「お前が動いているのはどう説明をつけるつもりだ」
「動かし方は知ってんだろぉ?分かり切った質問すんな!」
拳から再び鋼鉄が突き出す。再び向いた攻撃を今度はロックへと届く前にカノンの触手が受け止めた。
バキンッ!となにかが砕ける音と共にとてつもない衝撃波が辺り一帯を吹き飛ばす。
カノンの触手に守られていなければ風圧で泡の縁に叩きつけられていただろう。
必死に触手にしがみつき、倒れ込みながらも何とか暴風をやり過ごすと、眼前に広がる光景に言葉を失う。
いかなる海魔の攻撃にも一切動じないカノンが、触手と共に1歩退いていたのだ。
叩きつけられた拳は毒々しく輝いており、遠くにいてもその瘴気に目眩がする。
「チッ!硬ぇ!」
「妹に触るな!!」
真横からの回し蹴りに反応できなかったアストロの身体が吹き飛ばされ、下半身がどこぞへと吹き飛んでいく。
切断された上半身だけがパグロの足元に転がり、その口から深水を吐き出した。
彼はなおも腕だけで立ち上がろうとしていたがその手をパグロが容赦なく踏み潰す。
ぱん、と泡が弾ける軽い音と共に弾け飛んだ腕はそのまま再生することはなかった。
「だから正面から戦うなって言っているでしょう。私たちだって万全じゃないの」
「けどよぉ!」
「ジョー、クラーケン。今すぐ殺し合いをする気はさらさらないの。ただ、私たちの目的をはっきりさせに来ただけ」
「俺達が見逃すと思うか」
「残念ながら今この場に本体がいるわけじゃない。いくらやり合っても互いに消耗するだけ。意味のない争いがしたいのならそれでも構わないけれど」
彼女たちは深水を通して身体を形成しているだけで、この場に本体はいないという。
肉体はどこか他所にあり、総真を見るためにわざわざ姿を表したと主張している。
この場で争ってもただの海魔を討伐しただけ、なんの意味もない。
彼女たちの目的をはっきりさせたいのはこちらも同じ。対話の意思があるのならと、ロックは僅かに拳を下げた。
「賢明な判断ね」
「同じ実験動物に情をかけただけだ。こっちは陸を掌握してる。身体を隅々まで開かれたよしみで今すぐ地獄に送ってやっても構いやしねぇんだ」
「それはどうかしら。あの女の捜索に手間取っている様子だったけれど」
一瞬、空気が凍りつく。パグロの口ぶりから察するにロックがアビスを捜索する姿を見ていたと。
気味の悪い言葉に再び構えを取る前に、彼女はわざとらしく両手を上げた。
まるで悪気があって発言したわけではないと言いたげだ。
挑発的な物言いをして相手を推し量っているようにも見える。
「次余計なことを言ったらその頭を吹き飛ばす」
「怖いわね。いいわ、さっさと私たちの目的をいいましょう」
彼女は緩慢な動きで手を下ろし、その過程で1点を指さした。
まっすぐと伸びた白い指先が指し示す場所はただ1つ。何も知らない少年、日野総真。
「彼の肉体を回収し、あの女の正式な器にするわ。あの女がいればイデアシリーズの量産は容易。器がたくさん作れる。そうして私たちは肉体を得て地上を掌握し、1000年ぶりの復活を遂げるの。地上を跋扈する人間を滅ぼして、ね」
「復活……?」
「海魔が地上に?」
海魔とは海に生きる化物。深水から生まれ深水によって生きながらえ、深水に還る存在。
それが地上に肉体を得て永久に生き、人間たちを全て滅ぼすと言っている。
無茶苦茶な主張だ。他の生物の生活圏を踏み荒らし、勝手に地を均し、庭にしようとしているのだ。
到底許される行為ではない。だが彼女は、その権利があるのだと声高に主張している。
「今地上に住まう人間達が陸を支配していいと主張するのなら、私たちも同じ主張をしていいはずよ。私たちは同じ生き物だもの」
「はぁ!?海魔と人間が同じはずねぇだろ!」
「可哀想な新人類。なにも知らないのね」
パグロの言葉に噛みついた白狼へ哀れみの視線が注がれる。
心の底からの同情に白狼はたじろぎ、困惑に言葉を失った。
そうして彼女はなんてことないように、自身を指差し信じられないことを口にした。
「海魔は人間。かつて陸がこの星の3割を占めていた時代。深水と全く関わりのない世界で自然に淘汰され深水に極限まで侵された先人類こそ、海魔なの」
「……は?」
空気が凍てつく。言っている意味が分からない。
海魔と人間が元は同じ生き物で、1000年前世界が海へ沈む前に生きていた存在?
全く信じられない。海魔に関する研究は未だ進展を見せていないが、それにしたって突飛すぎだ。
これではまるで、人間と人間が1000年も内輪で争っているみたいではないか。
今すぐこの事実を否定して欲しくて、3人は神たちを見る。
海魔について真実を知っているとすれば神たちしかいない。
しかし、ロックもカノンも顔をそらすだけで否定も肯定もしなかった。できなかった、というべきだろうか。
沈黙が重くのしかかり、誰も声を出せずにいた。
沈黙をいち早く破ったのは全ての中心たる哀れな少年。
何もかもを押し付けられ、その果てで何も知らぬまま巻き込まれている総真は眉間に深く皺を刻み、静かに手を上げた。
「えっと……混乱してるんだけど……順を追って説明してくんない?」
「それは私の役目ではないわ。真の意味で全てを理解しているのはこの世で2人だけ。互いの組織に1人ずついるでしょう」
思い浮かぶのは石棺で眠る長兄。激しい苦痛の中に沈む彼のみが全てを握る鍵。
イデアシリーズについても、海魔の真実についても彼のみが掴んでいることだろう。
パグロについて未だ分かっていないことが多すぎるが、なんとなく彼女は嘘をついていないように感じる。
人を騙そうという気が微塵も感じられない。事実を並べているような、淡々とした態度ゆえだろうか。
「俺を狙ってるってことでいいんだな?俺の体が手に入れば、人類は皆殺し?」
「簡単にいえばそうね」
「訳わかんなくなってきた……」
ただ人として生きて15年。育ての親に巻き込まれ、シャーレに保護されて数日。
どんどん積み重なっていく突飛な話に頭を抱え、事実に膝をつく。
いつのまにかこの体が人類の命運を握る鍵になるなど誰が想像できようか。
しかもこの肉体は彼女達海魔のために作られたという。
15の歳月に衝撃を与えるには十分な情報だ。自身の出生がさらに曖昧になる。
父が特務総務官、母が不明であると聞いていた。しかし、仮にイデアシリーズとやらと関りがあるのなら彼らと同時期に生まれたことになる。
ロックは嘘を吐いていたのか。否、彼は息子に対して安易な嘘はつかない。
言えないことは黙ってしまうが、決して嘘は吐かないのだ。情報自体は全くの虚偽ではないだろう。
「俺は……俺は?」
「総真、しっかりして」
「雑魚!敵が目の前にいんの忘れんな!」
白狼の言葉にハッと顔をあげる。そうだ、自身を狙っている存在が目の前にいる。
たとえ混乱の最中であろうとも現実を見失ってはいけない。
対話が成立しているために忘れていた。彼女たちは海魔だ。
決して人間と相容れない存在であり、明確に人類を滅ぼすと告げている。
その点だけで言えば彼女たちは敵だ。争うべき相手であり、互いの生存権を賭けなければならない理不尽である。
「お前の意見や考えは私たちもそこの兵器たちも気にしていない」
「それはどういう……」
「そこの兵器たちはお前を奪われたくない。私たちはお前を捕まえて利用したい。ここにお前の意志はなく、互いの意見がぶつかり合っていることに変わりはないの」
パグロの懇切丁寧な説明に言葉を失う。その通りだ。
父も、母も、叔父も、シャーレも、誰も総真の意見など求めていない。その考えを聞いてくることはない。
何も知らない、守るべき何か。それが周囲から認知されている日野総真という人間だ。
生まれはどうで、何を思っていて、どのように生活してきて、どんな性格か。
総真という個人を大切にしてくれる人も確かにいる。けれど世界の真実に迫るものはすべて伏せられてきた。
決して目を開けないように、覆いかぶさった布は分厚く1人では退けることができない。
これでは仰向けに寝転がったままの赤子だ。顔にかかったタオルをとることもできない生まれたばかりの子。
純粋無垢で自分の世界だけしかない、外の事は何も知らない小さな存在。
「お前の母はお前を欲しているわ。頭がおかしいとしか思えないけれど器としても個人としてもお前を愛している。兵器達が信じられないのなら私たちのところに来ればいい。手間が省けて助かるわ」
彼女の言葉を聞いた途端、脳裏に存在しないはずの女性の声が響く。
ただずっと誰かわからない名前と、その人物への愛を伝え続けている。
————スコア・オーレリア。
————愛しているわ。
いったい誰の声なのか。知っているはずなのに記憶が泡のようなものに塞がれて全く答えが見えない。
この声に聞き覚えがある。なぜ愛を囁いているのか知っている。
激しい動悸とともに全身に悪寒が走っている。両親に告げられた愛情とは全く違う。
心の底からの愛であると同時に、真っ新で冷たい額面だけの愛。
愛おしいと何度も告げられているのに、全身に走るのは恐怖ばかり。
どうして自分は会ったこともない女性の声に恐怖を感じているのだろうか。
「……三つ子の魂百まで。哀れね」
両腕で身を抱え呼吸を荒げる総真の姿に、パグロは同情を示す。
同時に彼女の左半身が飛沫をあげて切り取られ、後には巨大な何かが通り過ぎた跡が残っていた。
「私のせいではないわ。お前にも身に覚えがある衝動なのではないかしら。クラーケン」
「そう、まに!あの人の事を……!思い出させないで……!」
「精神汚染もここまでくれば滑稽ね。あの女のやり口には私も反吐が出そうなの」
巨大な触手をなくなった左側へと叩きつけたカノンの顔は青く染まり息を荒げている。
彼女にも総真と同じ声が聞こえていた。名を呼ぶ声と冷たい愛を告げる言葉。
頭の中に植え付けられたものはそう簡単に拭えない。たとえ記憶になくても。
いないはずの存在がほほを撫で、片手に親愛を片手にメスを持っている。
刃物が肌を滑る感覚が身を削り、強く歯をかみしめた。




