Marlin#3
紅色の燐光が拳を彩り、ビルの残骸を爆砕する。
土埃を上げて倒れくる暴力の合間をするすると抜けていくカジキ達は、原理不明の浮力で空を泳ぎ続けている。
空中に飛び散った小石ほどの瓦礫を足場に逃げ惑う魚を追いかけ、モリの如き鋭さで踵を落とす。
突き立った瓦礫が真っ二つに割かれ、合間を逃げ出したカジキ達が二手に分かれて散っていった。
「ぜん、ぜん!当たらん!」
攻撃こそ派手で威力も出ているがカジキたちの素早さに脚が追いついていない。
追いつこうとすれば攻撃が疎かになり、弔おうとすれば脚が疎かになる。
ほんの僅かな動作への思考が本能で動くカジキとの差を生み出し、つかず離れずが続いていた。
深水溜まりの凍結完了まであと1分。せめて1体は弔おうと派手に暴れまわっているというのに未だ背びれを1つ破壊できただけ。
これでは雑魚と言われても文句が言えない。
全身から溢れ出る汗が散り、顎を伝う水滴を拭い去った。
「くっそー!逃げるなっ!」
蹴り上げた地面が抉れ、破片の一部がカジキをかすめる。
全く軌道を変えず一目散に総真から遠ざかっていくカジキ達は油断をすると見失いそうで手に負えない。
1体離れていきそうなカジキを投擲した石で誘導し、瓦礫を避けてくるりと空中を1回転。
逆さになった視界の中で驚いた顔で上を見上げていた白狼と目が合い、いつの間にか深水溜まりへと戻ってきていたことに気がついた。
「雑魚!大道芸してる場合じゃねぇぞ!」
「ち、違う!こっちは真剣!」
「どっちが海魔だかわかりゃしねぇ爆音ばっかりじゃねぇか!」
痛いところを突かれてしまい、返す言葉もなく押し黙る。
カジキよりも泡の内部を荒らしている自覚は十二分にある。
先ほどまであちこちに散っていた瓦礫たちがさらに細かく砕かれ、視界は開けてきたが足場は悪くなる一方だ。
幸い白狼の方へはなるべく飛ばさないように配慮したおかげが深水溜まりの回りにはあまり被害がない。
深水溜まりはかなり凍っており、のこり1割といったところ。
しかし、凍結にかなりの力を使ったのか白狼は息も絶え絶え。とても戦えそうにはない。
「見た目だけ派手で弔えるか!しっかり狙え!」
「無茶だぁ!」
口だけは達者なまま、野次が飛び続ける。叩きつけた拳が何度もカジキをかすめ、そのたびに罵声が降り注ぐ。
南区で戦ったときとは打って変わり、広いフィールドと2体しかいない海魔相手に素人では勝ち目がないのではないかと悟り始めていた。
「機動力はてめぇのほうが上だろうが!なんで弔えねぇんだ!」
「当たらないんだ!アイツ足速いよ!」
「てめぇが殴り慣れてねぇだけだろ!」
白狼の言うことは最もで、総真は殴ろうとした際に一瞬身体が固まってしまう。
効率的なフォームもなくただ単に拳を握るだけの行為であり、深水操作で爆発的に上がった身体能力とグローブがなければ攻撃とすら呼べない。
さらに喧嘩慣れしていない総真は海魔相手でさえ隙が生まれてしまい、その隙に逃げられてしまう。
結果的に瓦礫ばかりが犠牲になり土埃があちこちに舞っていた。
「足止め!足止めできない!?」
「はぁ!?」
せめて機動力を削げれば総真の拙い攻撃でも当たるかもしれない。
どうにかしてカジキの動きを止められないかと白狼に懇願したが、彼は凍結に手一杯で全くその場を動けそうにない。
かと言って自分では足止めできそうもなく、再び鬼ごっこが始まってしまう。
どうにかしてカジキの動きを止めようと躍起になっていると不意にスマートフォンが控えめな音と共に着信を告げた。
「なん……だぁ!?」
気が一瞬懐のスマートフォンへと逸れた刹那。ヒュンッと耳元で風を切る音が聞こえ、眼前を走っていた海魔が爆発四散する。
突然深水へと還った1匹の海魔に唖然としていると、懐のスマートフォンが操作もしていないのに勝手に音を発し始めた。
「――当たったわね。総真、大丈夫?」
「彩春!大丈夫、助かった!」
まだ1体残っているが、2体に動かれるよりは格段にやりやすい。
反対側にいるはずの彩春の声にほっと胸をなでおろし、どうやったのか全く分からない援護射撃に感謝を述べた。
「――あれだけバコボコ鳴ってたら流石に気づくわ。私の方は6匹弔ったところなの。そっちは?」
「ろっ……あー、2匹弔って1匹追いかけてる!白狼は深水溜まりを凍結中!」
この短時間で倍の差をつけられているとは思わず、声が裏返ってしまう。さすがは3等葬務官。
正直に弔った数と白狼が近くにいない理由を告げると、彼女は一瞬驚き、同時に溜息のような音を拾った。
「――凍結?ああ……浄化できなかったのね」
「ごめん!俺浄化できなくて!」
「――できたら私が落ち込むわ。こっちには深水溜まりはなし、あなた達のほうがアタリね。今そっちに合流する」
「なるべく早く来て!俺全然弔えなくて!」
「――問題ないわ。見えているもの」
一体どこから見えているのかさっぱりわからないが、深く詮索する余裕はない。
どうにか逃げ惑うカジキに追いつき、総真はもう一度当たるか分からない拳を振り上げた。
逃げ惑う海魔へ拳が当たる直前。一瞬の寒気が背筋を襲う。
直感的にその場から飛び退いたほんの数秒の間に、あろうことか海魔は何かに貫かれていた。
一直線に飛んできた閃光が海魔の頭頂部から尾ひれまでを貫き、ぱしゃりと深水が弾けていく。
閃光が飛んできた方向を見ると、瓦礫の上で片膝を立てた彩春がライフルを構えていた。
「ごめんなさい!当たらなかった!?」
「だ、大丈夫……もともと射線上にはいなかったから」
正面から降り注いだ閃光の直線状に総真の体は入っていなかった。飛び退いたのは本能的な恐怖故。
駆け寄ってきた彩春に怪我はないと告げると、ほっとしたように胸を撫でおろした。
「ひとまず海魔は片付けたわ」
「泡がまだ弾けてないけどいいのか?」
「深水溜まりに反応しているのでしょう。浄化しないと解けないわ」
内部の深水濃度を図って泡の解除を判断するシステムが構築されており、浄化されていない深水溜まりも検知しているらしい。
凍結を続けている白狼の下へ行こうと促され、2人は走って彼の元へ向かった。
大した距離ではなかったが、道中海魔がいないか厳重に索敵を続けながら戻ったために少しばかり時間がかかってしまった。
たどり着いた頃には辺り一面白銀の世界が広がっており、白い息を吐いた白狼が頬の霜を拭っていた。
「白狼!ごめん!遅くなった!」
「こっちはだいたい見て回ったから合流しに来たわ」
「ちゃんと弔ったのか?」
「もちろん」
すっかり凍りついた深水溜まりの上であぐらをかいた彼は彩春の姿を見るやいなや片眉をあげる。
さらに総真をキッ!ときつく睨みつけ、可哀想なものを見る目を送った。
「てめぇ……グリーン3匹もまともに弔えねぇのか……」
「面目ない……」
「落ち込まないで。カジキは機動力が高い上に今回の泡はかなり広いもの。鬼ごっこになったら遠距離攻撃手段のない総真には難しいわ」
本来同等級の海魔が複数体いた場合、上位等級の者か同等級の者が複数人で相手取るものだ。
素人が3戦目にして1人で無傷のまま相手取ったのは十分な功績。落ち込むことはないと彩春に慰められる。
「首席よぉ。雑魚に甘くねぇかぁ?」
「経験値で言えば学園1年生にも劣るのよ。甘くもなるわ。それに、私は彼の面倒を見て支える責任があるの」
「余裕がおありのようだなぉ。雑魚と海魔の子守なんて馬鹿らしい!」
「伸びしろのある葬務官を育てるのも先達の仕事よ」
「訓練官がいっちょ前に……!」
再び喧嘩に発展しそうになる前にそっと2人の間に身体を割り込ませる。
不甲斐ない自分が悪いのだが争点にされるのも気まずい。どうにかして双方鉾をおさめてくれないかと2人を交互に見ると、渋々ながら下がってくれた。
状況はまだ完璧に片付いたわけではない。互いに情報共有をしようと提案すると黙って頷いた。
「私の方は数匹海魔を弔う程度。深水溜まりはここだけと見て良さそう」
「俺も同じ意見だ。雑魚にひとっ走りさせて全域見ても構わねぇが、こっちの浄化が先だ」
白狼の足元に張った氷は表面こそ綺麗に白く輝いているが、その下は黒く生き物のように蠢いている。
凍結してなお毒性を発し、海魔を生み出そうとしているのだ。
葬術で抑え込めてはいるが、もって数分といったところ。早急に浄化に入ったほうが良さそうだ。
「私がやるわ。そうね……総真も手伝ってくれる?」
「俺?」
「ええ。深水操作の応用よ。知っておいて損はないわ」
凍結に体内の深水の大半を使い切った白狼に代わり、浄化の補助を頼まれ目を白黒させる。
全くやったことのない作業な上、深水操作も道半ばだ。
だが浄化自体には非常に興味があり、目をキラキラさせながら水辺に座る彩春の隣を覗き込んだ。
「どうやるん?」
「今回は氷の上から浄化を行うわ。まずは体外に深水を出して」
言われた通り、指先から少量の深水を取り出す。
不思議なことに氷の下にある深水よりも総真の肉体から出てきた深水のほうがはるかにどす黒い。なんだか嫌な気分になる。
端で見ていた白狼はこそこそと氷で氷だるまを作って見物しており、その黒さに唖然としていた。
「その深水を氷の向こう側に送るわ。氷も深水で出来ているから、水に溶けるイメージ」
彩春の指先にあった深水が彼女の言う通り氷へと溶けていき、気がついたときには向こう側でぼんやりと青白く光っている。
そこから徐々に真下にある深水が透明な水へと浄化されていた。
物理的には貫通出来ないように見えるが、同じ深水でできている限り溶けて一時的に同化させられるのだという。
その原理を応用し、一瞬同化を図り再び自身の操作で深水を向こう側へ落とすのだ。
言われた通り浮かび上がった深水をゆっくりと氷に近づけていく。
視線と一緒に氷に当たった深水がぽちゃりとおよそ氷に触れたとは思えない音で透けていき、気がついたときには向こう側でぼんやりと浮かび上がっていた。
墨の上にさらに濃い墨の塊が落ちたようで不思議な光景だ。
「浄化は自分の深水に深水を取り込む姿を思い浮かべて」
「それだけ?」
「それだけよ。深水は海魔や自然に発生したもの以外に触れると純粋な水に戻るの。代わりに触れた深水の濃度が急激に増加するから操作を誤らないようにね」
まさか触れただけで浄化ができるとは思わず、半信半疑で水滴を深水へと近づける。
すると不思議なことに黒い塊が周囲の墨を吸い上げ、徐々に周辺が透明な水へと置き換わっていった。
同時に指先に酷く重い感覚が乗り、徐々に水滴が下へと落ちていく。
慌てて引き上げても僅かな重さが全身にのしかかり、気だるさを感じた。
「これ、結構重いな」
「浄化の速度が早いのよ。もう少し引き上げて……」
「こう……あっ」
深水に近すぎて浄化の速度が早すぎるのではないかと指摘され、少しずつ水滴を氷側へ引き上げようとする。
ほんの少し上へと引き上げた直後、ずるりとなにかが手の中からこぼれ落ちるような感覚に襲われる。
ぽちゃん!と落ちてしまった塊を慌てて手中に収めると、氷の下で濁流のような渦巻きが発生していた。
同時にガクンッと身体が傾いて氷へとしたたかに顔を打ち付ける。
冷たい感覚と同時に身を起こせないほどの重みに襲われ、真下ではまっさらな水が渦を巻いていた。
氷の上にいるというのに渦の中に飲み込まれ溺れているように錯覚する。驚異的な筋力があるはずの総真ですら氷にひびを入れるだけで身体を起こすことが出来ない。
「なん、だ、これっ!」
「総真!白狼!こっちにきて!」
「何やってんだ雑魚!」
その鏡の向こうに何かが蠢く。手に似た物体はゆっくりと渦の中心である総真の深水へと迫り、彼の手を掴み取った。




