Marlin#1
餌を求めて回遊するカジキは、1匹、あるいは数匹の群れで行動する。
海魔におけるカジキも同様に複数体発見されることがあり、バブルの色は総合的な強さで判断される。
今回のカジキは1体1体はグリーン相当で、総真や白狼でも簡単に弔える部類だ。
だが人間大のカジキが音もなくコンクリートをも軽々と貫く角をもって奇襲を仕掛けてくるのはブルー以上の脅威。
一瞬の油断が命取りになる状況、背後で触手の繭となってしまったカノンはじっと3人を見つめた。
「大丈夫かな……」
カジキマグロと白狼は言っていたがそれは所謂俗称。何故か戦争後からカジキをカジキマグロと呼称することが増えた。
ひとえに海魔を分類した際にマグロの中にカジキを含んだロックが悪いのだが、こうして聞くと時の流れを感じる。
カジキは海魔の中でも群れで出現しやすい部類であり、ブルーだと思って対処すると大怪我をしかねない。
最初に振られたときに、まだ総真達には早いのではないかと思案したが結局他に行ける葬務官もおらず最悪自分が対処すればいいと諦めた。
この間、カノンは触手だけを伸ばし、周囲にあるバブル内の海魔は全て殲滅した。
南区へ向かう際に頼まれたのは彼らの引率だけではない。無数に出現し対処が追い付いていない海魔の弔いも含まれている。
あとは彼らの努力次第。弔えても、弔えなくても構わない。彼らにできないのなら、この腕を伸ばせば事足りる。
「カノン様!私たちは移動いたします。カノン様はどうされますか?」
繭を少しばかり開き、覗き込んでいる子供たちと視線を合わせる。
先ほど遭遇したカジキ以外が近くに折らず、泡の中を探索するようだ。
ついて行っても問題ないがここは離れて様子を見るべきだろう。
数本の触手を子供たちに見えないように傍へつけ、カノンは首を横に振った。
「わ、私はここで待ってるね……何かあったら私の名前を呼んで……」
「信号弾ではなく?」
「聞こえてるから、大丈夫」
触手には聴覚も備わっている。名前さえ聞こえればすぐに駆け付けられる。
そもそも触手1本でもカジキを弔うのに何の不自由もない。見守っているだけで十分だ。
「承知いたしました。2人とも、行こ」
「カノン様。お気をつけて」
「母さん、油断しないで」
「みんなもね」
瓦礫の合間を縫って去っていく子供達の後ろ、僅か数十センチ後に触手達がついて行く。
深水を極限まで薄め、1ミリ以下まで細くした触手達。
夕刻までにすべてのカジキを発見し、弔えるのだろうか。
少しばかり不安を抱きながら繭の中で膝を抱える。子供たちにできることは何もない。静かに事の成り行きを見守るばかりだ。
アビスが出現した以上、ここからの戦いは確実に激しくなる。
海魔の出現数が大幅に増加したのもきっとアビスが海魔達を焚きつけているのだ。
何故総真を欲しているのか。それはリュードとアビスにしか分からないこと。
カノンは何も知らず、ロックも聞かされておらず、兄は何かを成そうと1人で奔走している。
「カノン」
ふと、繭の外側。泡よりも外の壁に何かが触れる。
とても聞き覚えのある声に自然と隙間が開き、一本の触手が甘えるように声の主の手に絡みついた。
「すまないな、1人にして。総真達は大丈夫か?」
「ロックお兄様……」
アビスの捜索に出ていたロックが泡を隔てた向こう側に立っていた。
純白の三つ編みが太陽に照らされ、金色の瞳が暖かく細められる。
彼はその場にどっかりと座り込み、絡みついた触手を壊れ物を扱うかのように優しく撫でる。
鋼鉄よりも頑強な触手を大切に扱おうとするのは兄妹達と秋仁だけだ。
「任務は……大丈夫、だと思う……」
「アビスの干渉は」
「い、今はないよ。海も私が来てからは、なだらかなほう……なはず」
確証のもてない曖昧な返事ばかりをしても兄は決して怒らない。
自信のないカノンを本人以上に信じ、彼女の言葉に一切の疑いを持たないロックは静かに頷いた。
シャーレの外に出た総真への干渉は今のところ確認されていない。
アビスが総真の居場所を検知できていないとは考えにくい。リュードが阻害のために薄い膜を張っているシャーレにすら侵入できたのだから。
接触するタイミングを図っているのかはたまた別に目的があるのか。
アビスの考えを完全に読むことは誰にもできない。どう出てくるかはその瞬間まで予想ができないのだ。
「案の定俺が探し回っている間は海魔は静かなもんだった。俺がその場を離れると数が増えて……ありゃ嫌がらせだ」
「他の区も同じ。南区も私が離れたらまた数が増えるかも……」
「俺達をどこかの区に縛り付けておきたいのかもな。兄貴か総真と分断するために」
中央区にいたときは他の区の海魔が活性化し、神達がやってくればなぜか新たな出現がピタリと止む。
その後またほんの少し離れると海魔が大量に出現し、またやってくれば止まるの繰り返し。
いたちごっこをする羽目になり、中央区に戻るのが躊躇われるほど各区はひっ迫していた。
遊ばれていると考えるしかないだろう。このやり口はとても身に覚えがある。
「最終決戦で俺達が兄貴のところにたどり着けなかった時と状況は同じだ。クソッ!あの野郎!」
「有効な手段なのは間違いないから……」
リュードは中央区を離れられない。強制的に神や特務葬務官が各区に出張ることになる。
剱を常に傍に付けているとはいえ、特務葬務官とて人間だ。
いずれは消耗しアビスの侵入を許すことになるだろう。
総真が目的だとリュードは確信を持っているようだったが、お気に入りたる長兄にちょっかいをかけないとは考えられない。
必ずアビスはリュードに会いに行く。
そのための準備を進めているのかもしれない。
「本当はお前にも隠れていて欲しいんだがな……」
兄たちは総真だけでなくカノンも守ろうとしていることは知っている。
2人は何処までも兄妹を愛し、守れるのなら全員生き残れる道を探しているはずだ。
だがそんなものはないのだと、リュードは300年前に首を横に振った。
どれだけ重い決断だったのかは想像に難くない。彼はそこからアビスという巨悪を屠るために地獄よりも辛い道を歩み始めた。
「大丈夫、だよ」
深海を突き進む兄を支えると決めたのだ。逃げはしない。
クラーケンは恐ろしい怪物。海の底に住まうモノは深淵を恐れてはならない。
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カノンと別れ泡の内部を探索すること数分。
360度、奇襲を恐れて周囲を警戒しながら進むのはことのほか骨が折れ、経験の浅い白狼と総真は疲弊が見て取れる。
白い息を吐きだした白狼の体にはところどころ霜が降り、一度も葬術を解除していないのが伺える。
一方総真も常に深水操作を続けているのか白狼とは正反対に額から汗が伝っていた。
激しい温度差に挟まれた彩春は周囲に深水の泡を飛ばし、索敵に集中している。
半径10メートルの索敵範囲では大した情報は得られず高濃度の深水を有した総真しか引っかからない。
白狼と総真が瓦礫を避けながら目視で探ってはいるが、見える範囲には当然いない。
そんな中早々に痺れを切らしたのは、頬に霜を張り付けた白狼であった。
「おい。固まって探すより別れて探した方が効率いいんじゃねぇのか」
彼の提案は正しい。全体の数も把握できていない現状、まずは泡の内部を正確に知ることが先決だ。
だがそれは全員の実力が申し分なく、弔いの実績がある場合に限る。
白狼は訓練官としてまだ未熟で、総真は実戦自体まだ3度目。葬務官の経験は2人とも浅い。
1体はグリーン相当だとしても2体出現すれば2人に勝ち目はない。
「選択肢は2つあるわ。1つ、このまま3人で時間をかけて索敵する。2つ、2組に分かれる」
「雑魚と主席、俺の2組か?」
「そんなわけないでしょう。等級的に単独行動できるのは私だけ。一緒に行動するのは総真と白狼よ」
彩春はもとから3等葬務官。ブルー相手であれば2人と行動するより1人で戦ったほうが有利だ。
一方白狼と総真は連携はできないが共闘の実績は一応ある。不可能な組み合わせではないだろう。
しかし、白狼はあからさまに嫌そうな顔を浮かべ眉間に深い溝を作った。
マジで雑魚と一緒に行動すんのか?と言わんばかりである。
「雑魚連れてったら足手まといだろ!いくらコイツの身体能力がバグってるつっても雑魚は雑魚!」
「経験がないのはあなたも一緒でしょう!私からすれば2人とも同じレベルよ!」
「しれっと俺もディスるのやめて?」
葬術の仕えない総真を白狼が下に見るのは今に始まったことではないが彩春まで身も蓋もないことを言い始めた。
戦闘経験がないのは仕方のないことだ。そもそも葬務官として育った2人と違って数日前まで一般人だったのだから。
無理やり巻き込んだ自覚のある彩春は一瞬目を見開き、分かりやすく項垂れた。
事情を知らない白狼は疑問符を頭いっぱいに浮かべ、さらに深いしわを刻む。
「あ?んで主席が落ち込むんだよ。雑魚がワリィんだろ雑魚が」
「総真は戦いに対しては素人なの……深水操作に関してはある意味私たちより心得があるけど……戦闘には役に立たないし……」
「やっぱ雑魚じゃねぇか」
「とにかく!総真は雑魚じゃない!」
「足手まとい」
「それもやめて」
「まあまあ……なるべく冷静に……」
再び争う姿勢に入った2人の間に立ち、距離を取らせる。
幸い敵地のど真ん中で怒鳴り合いをするほど愚かではない。早々に距離をとった2人は総真を見て考え込んだ。
「効率だけを考えるなら2組に別れたいけれど正直心配だわ」
「雑魚連れまわすつーのは癪だが、ちんたら歩き回るよりマシ」
「俺も白狼に賛成。このままだと日が暮れるって」
回遊しているカジキを探すにはこの泡は広すぎる。カジキ自体の移動速度も速く、発見次第速やかに弔わなければ逃げてしまうだろう。
二手に分かれる案に2票入り、不安ながらも彩春は致し方なく頷いた。
2丁拳銃から1丁のライフルに持ち替え、周囲を見渡す。
凡そ円の中心あたりに移動してきたようで瓦礫の中から最も目立つ壊れた看板を指さした。
「あそこにある黄色い看板から東側が私、西側があなたたち2人としましょう。何かあれば信号弾を。緊急時はカノン様の名を呼ぶこと。逃げられるのなら逃げて、この場所に戻ってきて。いいわね?」
「了解。彩春、気を付けて」
「分かってるわ。白狼、総真を頼んだわよ」
「知らねぇよ。葬務官のなら自分の身は自分で守りやがれ」
共闘する気がまるでない白狼は総真を置いてさっさと西側へ向かってしまった。
協調性のない姿勢に彩春が再び怒鳴る前に、総真はそそくさと彼の背を追いかける。
ほんの少しばかり背の高い白狼の歩いた箇所は少しばかり霜が降り注ぎ、彼の吐き出す息は常に白かった。
「白狼。海魔が見つかるまで葬術は使わなくていいんじゃ?」
「雑魚が。俺ぁ葬術を使いっぱなしにした方が強ぇんだよ」
体に負担の大きい永久凍土は深水を凍らせることによって成り立っている。
この葬術の難しいところは最初に凍らせる深水。この初動が最も集中力のいる作業であり、1度葬術を発動すれば任務が終わるまで解くことはない。
常に冷気を出し続け、身体における深水の一部を僅かに凍らせたまま全身に行きわたらせ、海魔へ伝播し易くしているのだ。
「属性葬術の基本だろうが。んなことも知らねぇのか!」
「それって剱さんの雷も?」
「皇剱特務葬務官!クッソ年上の特務葬務官の名前を気安く呼んでんじゃねぇ!」
剱の雷の葬術も属性葬術と呼ばれるものに分類される。所謂、葬術を単純な水以外に変化させる葬術のことだ。
彼は深水の濃度が高く割合も大きいため、深水の1割ほどを常に雷に変換したまま戻すことはない。
それは属性葬術の究極型であり、誰にもまねできない並外れた使用方法である。
白狼では濃度も割合も足りておらず、まともに使用できるのは5時間が限度だ。
「さっさと見つけてさっさと弔う!氷漬けにされたくなかったらキビキビ探せ!」
突き立てた氷の槍が地面に薄氷を生み出す。
氷よりも鋭い怒声に背筋が伸び、熱に浮かされた体が氷を踏みしめた。




