訓練官1年生#3
索敵の一環としてバブルの周囲を1周し、回遊経路を探る役目は最も足の速い総真に任された。
直径約300メートルの円をぐるりと走り、なるべく早く戻ってくるように指示された。
「どのぐらいで戻ってこられる?私なら身体強化しても2分はかかると思うわ」
「俺は1分。主席サマは足おせぇな」
「身長差も加味して欲しいわ」
背の小さな彩春からすれば白狼はかなり大きい。足の長さの時点で大敗だろう。
身体強化としては彩春の方が高度だとしても元の身体能力に準拠する所為で分が悪い。
任された総真は通常であれば白狼と同程度か少し早い程度の速度しか出なかった。十分規格外と言えるが、同じではだめだ。
だが今は新たな深水操作を学んだばかり。感じた差は明確であり、今であればもっと早く駆け抜けられる気がしていた。
「とりあえず走ってみるよ。1分は……かかんないと思う」
「はぁ?そんなことできるわけ……」
言うが早いか。駆けだした総真の足は暴風を伴い、猛スピードで泡の周りを駆けだした。
覆われた瓦礫の山の中で海魔の影を探しつつ、風圧を伴いながら全速力で駆け抜ける。
数秒とかからず3人の姿が再び見え始め、直前でゆっくりとした足取りでブレーキをかけた。
その間15秒。1キロ以上にも及ぶ外周を走り切った総真は息1つ乱さず、風圧に髪が可笑しな方向に曲がった2人に笑いかけた。
「すっげー早い!深水操作ってすげぇ!」
「……そう、ね」
「マジか……」
瞬間速度は水鉄砲に劣るが、長距離走れるというのが利点だ。この速度で永遠に走り続けられるのならこの小さな土地を足だけで回るのも夢ではない。
興奮に人を優に超えるほどの高さでぴょんぴょんと跳ねる姿に呆れかえった2人は、深い溜息を吐いた。
「コイツ、人間なんだよな……」
「そこは間違いないわ……うん、大丈夫。慣れた。とりあえず報告!海魔は見つかったの?」
「うん!いた!南側のバブルより、外周から数メートル離れたところを回遊してた!こっち側に進んでたかな……?」
「なら入った瞬間に鉢合わせる可能性もあるわね。全員戦闘態勢を整えて突入するわ」
浮かれていた総真へ飛んだ号令にびったりと動きが止まる。
先ほど見たのは黒い影が悠々とバブルの中を泳ぎ、地面から浮かび上がっているように見えた。
回遊というのは深水を用いて地上を浮遊しながら泳ぐ現象で、そのスピードは海中と変わらない。
かなりのスピードで総真達のいる西側に進んでいると報告が上がった。
同時に、その影に違和感を覚えたと彼は首を傾げた。
「マグロ型海魔っていうけど写真とちょっと違うような……」
「多少個体差はあるし、大きさの違いもあるわ。見間違いの可能性は?」
「ないとは言い切れないかも。具体的に何がおかしいかは後ろ姿しか見えなかったから良く分かんない。写真と違うような気がするってだけ」
「しっかり見やがれ雑魚!」
「ごめんってぇ!」
総真の目には回遊中のマグロ型海魔の大きさが僅かに報告より大きいように見えたのだ。
しかし見つけた際には既に全身が見えない位置を泳いでおり、詳細な特定には至らなかった。
これ以上はバブルの中に侵入し、確かめたほうが合理的であろう。
「違和感は大事よ。警戒していきましょう。私を中心に先陣を総真が、殿を白狼がお願い。カノン様はご随意にお願いいたします」
「わ、わかった……邪魔しないように離れてるね……」
並び順を正している間、カノンは少しばかり離れた位置に立ち足元から重苦しい音を立ててずるずると分厚い触手を全身に巻き付ける。
影よりも黒く染まる触手は光を通さず、うねうねと動く先端が天で絡みつく。
時折水滴を落とす巨大なつぼみと化した触手の合間からカノンが顔を少しばかり覗かせ、じっと訓練官達を見つめた。
文字通り手も足も触手も出ない状況で任務の邪魔をしないようにしてくれているようだ。
「よし!作戦開始!」
準備は万全。総真は両手に手袋を装着し、カノンは2丁拳銃を、白狼は棒を瞬時に伸ばす。
背後から僅かに漏れ出る冷気と、頑丈に固められた弾丸。そして、音速に達する足。
慎重にバブルの下へと達し、冷たい檻の中へと足を踏み入れた。
「……今のところ異常なし。クリア」
「いない、みたいだね」
「油断してんじゃねぇ。索敵が終わるまで武器は下すな!」
泡を越え彩春がそっと周辺に深水の弾を飛ばす。あちこちに飛び散った球が僅かに震え、彼女の半径10メートルほどを深水を探知するレーダーに変えている。
幸いなのか不幸なのか、現在海魔は確認できず武器を構えたままピンと張りつめた空気が漂った。
周辺に目を凝らしても海魔の姿は見当たらない。回遊しているであろう辺りには僅かに瓦礫が退けられた形跡があり、蛇行した跡が残っていた。
「回遊跡ね。総真がみたものは間違いないみたい。こっちに近づいているかも」
真っ直ぐ前方に方向を絞って再び探索を始めた彩春の深水に僅かに震えが走る。
その震えがマグロ型海魔にあたったことを意味し、彩春は2丁拳銃を素早く前方へ構えた。
「きた!戦闘準備!」
グローブを握りこみ、頬を撫でる冷気を負う。吐き出した息は白く、白狼の生み出した氷が僅かに周辺に霜を被らせる。
瓦礫の奥から徐々に表れた巨大な影。
悠々と地上を泳ぐ海魔が、長い角を有しゆったりとこちらに顔を出した。
真っ黒な背と5メートルは優に超える巨体。そして鼻先あたりに伸びる長い角。
その角が通常のマグロとは違う種類であることを示し、背後から野太い突っ込みが届いた。
「マグロはマグロでもカジキマグロじゃねぇか!!!」
人を貫き殺す鋭利な角を持ったマグロ型海魔。
マグロ型海魔に分類される中でも最も攻撃性の高いカジキマグロが目の前で優雅に太陽の光を浴びていた。
カジキマグロはこちらを視認すると、一直線に突っ込んでくる。
先頭に立っていた総真は飛び上がって避け、背後に立っていた彩春と白狼が続いて左右に散っていく。
幸い近くからの突進は見た目のわりに速度はなく鋭い角が勢い余って地面に突き刺さった。
深々と抉れたアスファルトが浮き上がり、カジキマグロが無理やり角を引き抜く。
深水で構成された黒く半透明の角の先端がギラリと光り、全員が武器を構えた。
「私は索敵を続けながら援護に回るわ!白狼を中心に総真は援護!」
「雑魚!足引っ張んなよ!」
「わかってるって!」
すぐに回遊して逃げてしまう海魔を前に彩春は二丁拳銃を構える。
射線を避け白狼が一直線に氷の刃を突き出したのを見て、総真はグローブを持ったまま海魔の側面へと回った。
尖った角の切っ先が白狼へと向かう前に尾ひれを掴んで動きを阻害する。
海魔の身をグローブを通してとはいえ物おじせず掴む姿に白狼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐさまその刃を海魔へと振り下ろした。
霜を伴って鋭利な氷が海魔の首を一刀両断し、吹き飛んでいく。
くるくると回って地面へと突き刺さった鼻先はどろどろに溶け、深水がぱしゃりと弾けて溶け出していった。
「随分あっけないね……」
「チッ!油断すんな雑魚!バブルが弾けてねぇ!」
簡単に沈黙したカジキマグロとは真逆に強固なバブルは未だ天を覆っている。
それ即ち未だこの中に海魔が潜んでいることを意味し、地面に広がった深水を踏みつけ辺りを見渡した。
視界に入る限りではなにもおらず、彩春へ問うても首を傾げるだけ。
どうやら視認できる範囲にはいないようだ。
「ブルー相当にしてはとても弱かったわ。恐らくさっきの海魔はグリーンね」
「どういうこと?ここはブルーの海魔がいるんだろ?」
「このバブルの中に閉じ込められている海魔と戦闘になった時、最悪の場合このぐらいの戦力が必要ですよ、という目印として色が定められているの。この場合はおそらく、複数いるのね」
頭上を覆っているバブルの色は内部にいる海魔の総合値を知らせるもの。
グリーン相当が複数閉じ込めらえている場合、一斉に襲い掛かられる最悪のパターンを想定し上位の色を滲ませることがあるらしい。
事前に渡された資料に複数の海魔の可能性があるとは書かれていなかったが、カジキマグロの弱さから推測して見落とされていた可能性も否定できない。
「回遊型は参列官では判断が難しいわ。あと何匹いるのか分からないわね」
「しちめんどくせぇ。3手に別れちまった方がはええだろ」
「だめよ。何かあった時に簡単に合流できないわ。足場も視界も悪い瓦礫の中よ」
バブルの中は押し流された瓦礫、倒壊したビル、時折広がる深水の水溜まりがあちこちにあり、罠の宝庫だ。
身体能力が最も高く深水に耐性のある総真は問題が少ないが、他の2人には過酷な現場だった。
なるべく3人固まって動き、突然の襲撃に備えて常に警戒態勢を解かず索敵した方が無難だと彩春は再度提案した。
「奇襲に気を付けて。1撃もらったらひとたまりもないわ」
「んなクソでかい角振り回してるやつに奇襲されるわけねぇだろ!」
先ほど斬り落とされて溶け落ちた頭を見つめる彩春に白狼が噛みつく。
刺されたら身を貫通しそうな角を眺め、先ほど浮かび上がっていた巨体を思い浮かべる。
大人一人が悠々と浮いて泳いでいるかのようなシュールさと恐ろしさは計り知れず、目立つ風貌を見逃すはずがないと主張した。
更に反論を重ねようとした白狼の下へ刃が近づいているとも知らずに。
「白狼!」
「おわっ!?」
瓦礫の合間。言い争う2人の側面からばらばらと僅かに瓦礫が落ちる音が聞こえ、総真が白狼の腕を引っ張る。
腕が千切れるほどの力でひっぱられた白狼はたたらを踏み、背面に尻もちをつく。
その真上を針よりも尖り、電柱波に太い角が容赦なく通り過ぎて行った。
ばしゃん!と水が何かにぶつかる音と共にバキッ!と何かが割れる音が届く。
音の方向を見ると地面が真っ直ぐ直線の形にえぐり取られていた。
それが海魔の角がコンクリートに大穴を開けた音だと分かり背筋が震える。
索敵の探知範囲外から超高速の突撃。
通常であれば防ぎようのない音速に対応して見せた総真は倒れた白狼を引っ張り上げ、もう1匹のカジキマグロに拳を突き出した。
「いた!」
「油断しないで!それが最後とは限らないわ!」
先ほど回遊していたカジキマグロと同じルートを辿ってきたようだ。
海魔は総真を見るや否や先ほど弔われた海魔同様に一直線に突っ込み、その腹を突き破らんと迫ってくる。
突き出た角が柔肌に触れ合う前。霜が視界を通り過ぎ、突き出た角をひび割れた氷が叩き割った。
巨大な氷はカジキマグロを地面へと叩きつけ、びちびちと暴れる尾ひれを踏みつける。
更に氷で殴打をお見舞いし、ぐしゃりと潰れた頭が地面へと飛び散った。
飛び散った墨汁を避け、再び空を見上げた白狼が舌打ちを零す。
2体の海魔を弔ったというのに未だ空は晴れず、暗雲を携えていた。
「まだ居やがるのか……」
「こまったわ。1体1体はとても弱いけれど数で来られては……」
奇襲の有用性を学んだ白狼は今度は反論しなかった。
互いに背を預け合い、視界の悪い瓦礫の合間を何度も確認する。
いつ襲い来るか分からないミサイルに怯え、拳に宿った熱が燃え上がるように熱かった。




