訓練官1年生#1
海魔討伐への指令が正式に訓練官たる総真と彩春のもとへも下り、同時に秋仁が糸居白狼の担当官に任命され事実上職権乱用がまかり通ってしまった。
「総真様への配慮と協力は全て全力で行うよう指示を頂いております」
「身内贔屓が過ぎる」
「事実上神崎家と皇家を味方につけていることになるわね。無敵じゃない」
「嫌だ!過ぎた権力で身を滅ぼしたくない!」
全く悪びれない剱はもうどうしようもないとして、指示を下したのであろうリュードは甥を甘やかし過ぎではなかろうか。
所属先は葬務部門の人事部が勝手に決めるとはいえ泥船もいいところだ。
「引き込んだ側の私はいいけど、白狼は私たちと一緒でいいのかしら」
「俺が完全に足引っ張ってるよね……マジでゴメン……」
「仕方がないわ……あのまま山で暮らしていてもいずれシャーレに来ることにはなっていただろうし……」
後半は小声で良く聞こえなかったが、彼女は大したことはないと軽く笑うだけだった。
結局訓練を行う時間はなく再び突然の実戦が組まれてしまい、総真はぐったりと肩を落とす。
理論的に深水操作の話は聞いたが、左から右へと音を流してばかりで理解できたとは到底思えない。
生温かな深水を体外に出すことは何とか可能だが、出せるだけでは武器にすらならないのだ。
「総真様。打撃系の深水操作ならば今ここで習得できるやもしれません」
「え!?嘘!?」
訓練室の片隅。今から明日への不安を抱えた若人に剱から思わぬ提案が飛ぶ。
それは剱が弟子に教えたという皇家直伝の体術らしい。
神崎家に伝わっている四季流も神崎家の体術が源流であり、拳1つで戦う四季一刀流が最も近しい型なのだとか。
「難しいことはございません。ただひたすらに深水を体内で循環させるだけです」
「循環?ずっと体の中でぐるぐるさせていればいいってこと?」
「はい。深水は一部分で固めて使うよりも流水として流れに乗せたほうが恩恵が大きいのです」
深水は人体に毒ではあるが、少量であれば一種のドーピング効果を発揮するという。
意図的に体内でドーピングし続けるのが身体強化の根幹であり、深水操作の基礎である。
一か所に高濃度の深水を留めるとその部分が腐り落ちてしまうが、常に循環し続け少量を保ち続ければ驚異的な身体能力を発揮できる。
問題は常に循環させる難しさと濃度の調節だ。
「総真様はいきなり全ての深水を操作しないほうがよろしいでしょう。まずは少量。丹田から少しずつ全身に巡らせることを意識なさいませ」
「なんで全部やっちゃだめなの?そっちのほうが強くない?」
「濃度が高い総真様は一度に全て操作すれば全身が全て腐り落ちかねません」
「こわっ!」
割合ではなく濃度が高い総真は少量でも毒になる危険性もある。
最初は少しずつ、アゲハにモニタリングをしてもらいながら全身に熱を伝えることを優先するように言われた。
ひとまず説明通りに丹田を意識し、ほんのりと感じる熱を少しずつ取り出していく。
腹を下って足先へ、底から指先、昇って肩、頭、巡って再び反対側の肩、と一方通行で循環させていく。
ぬるま湯よりも薄く、人肌よりも冷たく、ほんの少しばかり流した深水によって次第に体が必要以上にぽかぽかと暖まり、なんだか不思議な感触になる。
体温を無理やり上げる深水操作によく似ているが、この熱は深水そのものの熱によるものだ。
「……うっ、これ、すごいっ!疲れる!」
何よりもの違いは圧倒的なエネルギーの消費。常に全力疾走しているかのような疲れが全身を襲う。
ただ体内で深水を循環させているだけだというのに。
ソファーの上でだらだらと汗をかき、自身の身を巡る深水で体温が急激に上昇する。
これでもまだ深水は殆ど動かしておらず、ほんの一滴程度を全身にくまなく巡らせているだけだ。
「その状態を維持し、少し走ってみてください」
「こ、このまま!?」
深く頷かれ、促されるままに立ち上がる。こんなものを汗1つかかず常に行っているという葬務官は一体どんな体力お化けなのか。
ぽた、ぽた、と落ちて行く汗と共にゆっくりと前に進み、障害物のない遠くを向く。
どっと襲い来る疲労感を抱え、じっと先に駆けだした。
同時にひゅっと風を切る音が耳に届く。一歩がとてつもなく早い。
秋仁の背を必死に追いかけたときと同じ速度を軽く足を前に出しただけで少し飛び越せている気がする。
一歩、二歩、ジャンプするかのように軽々と飛び出た足が気が付けば壁付近まで差し迫り、慌ててブレーキをかけた。
「は、はっ、はや……」
「お見事です。ごく少量ですが深水操作を習得できましたね」
「マジぃ?すっごい早いじゃん!深水も全然うっすいのに!」
「もともと身体能力が高いからかしら……」
感嘆の声を上げる見学組の言う通り、圧倒的な違いを実感した。
今まで一極集中で行っていた深水操作とはわけが違う。全身に行きわたる活力と疲労が得も言われぬスピード感を生んでいる。
あまりにもあっけない習得に拍子抜けしたが、本当にこれでよいのだろうか。
「これ、で、習得?全然、深水は動かして、ないん、だけど……」
「総真様の濃度は全てを動かすには慣れが必要です。少しずつ増やしていく方式で訓練を継続しましょう」
深水の濃度は時に深水の保有量にも勝ることがある。
葬術を持たない総真にとって濃度が高いことは朗報であり、操作できる濃度が上がれば硬い海魔も砕けるという。
「次の任務で違いを実感してください」
「……ひぇえ」
次。訪れる海魔の弔いを再び突きつけられ、総真は情けない声を上げた。
深水操作に集中してちょっと忘れてたのに!
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翌日。早朝からメンバーの顔合わせを行うとの通達があり、総真と彩春は朝からロビーへとやってきた。
幾分か人の減ったシャーレでは同様に海魔の弔いに出立する葬務官が多く、その中でもひと際目立っていたのはやはりカノンであった。
滅多に人の多い場所に現れない彼女が2人の訓練官を引き連れているのが物珍しいのか、周囲の人間は遠巻きに観察している。
不自然に3人の周囲には穴が空いており、誰も近づこうとはしなかった。
「狭くなくていいけど複雑な心境だ」
「私はここ数日で慣れたわ」
そわそわと世話しなく手を動かすカノンはやはり人の多い場所が苦手なのか、視線がうろうろとさ迷っている。
総真と彩春がいるおかげで多少落ち着いてはいるものの、簡単に苦手なものは克服できない。
神との接触に慣れてきた彩春と、神の扱いに未だ困惑している総真はドーナツになったロビーを見渡す。
葬務官、参列官、シャーレの一般職員に至るまで誰も目線を合わせようとせず、さっと視線を逸らされる。
触らぬ神に祟りなし。決して関わりを持とうとしないのは彼らなりのカノンへの配慮なのかもしれない。
そんな穴の中心に、心底呆れたような粗雑な声が響き渡った。
「んだこのスペース。海魔でもでたんか」
「あ、白狼」
「おはよう、白狼」
「チッ、新しい配属先つーのはテメェ等のとこかよ。貧乏くじじゃねぇか」
きょろきょろと中心へやってきた白狼は総真と彩春の姿を見るや否や舌打ちを飛ばす。
大変失礼な所業だが、彩春は肩眉を上げ総真は苦笑いを返すに留めた。
「秋仁さんが治療中なんだろ?誰が引率すんだよ」
「そちらにいらっしゃるわ」
「あ?んだ……と……」
代理引率については既に聞いているようで、他の葬務官を探す白狼に2人は揃って隣を指さした。
訓練官の中では背の高い白狼の視界には入らなかったのか、示された方向からゆっくりと視線を下げていく。
その先にいた青空のように爽やかな髪と金色の瞳、真っ白なドレスと黒地に金帯の腕章が目に映る。
視界に映る情報を処理するのにたっぷり数秒。腕章の意味を知ると同時に、白狼は綺麗に90度頭を下げた。
「カノン様!!!おはようございます!!!」
「あ、うん……おはょ……」
突然発せられた大声に3人は慌てて耳を塞ぐ。キーンと響く声は下を向いていても良く通り、そのまま土下座する勢いであった。
お辞儀の状態から一切身動きをとらない白狼に顔を上げるよう言い含め、カノンはびくびくと震えて総真の僅か近くに寄った。
秋仁がこの場にいれば後ろに隠れてしまっていただろう。
息子を盾にする選択肢はないのか、そっと腕に巻き付いて目に涙を浮かべていた。
「あんまり、大きな声は出さないで……」
「うっす!失礼いたしました!」
「うん……まだ大きいけど……とりあえずありがとう……」
同期への態度とは打って変わり、神へ敬意を表した白狼はすっとその場に膝をついた。
彼の身長ではカノンを見下ろしてしまうため、失礼だと判断したのだ。
同じくらいの彩春はともかく、少しばかりカノンよりも背の高い総真をギロリと睨みつけ、お前も膝を付けと言外に伝えてくる。
だがその強要は彩春によって遮られた。
「総真はカノン様に敬意を表さなくていいの。カノン様直々にお許しがでているのよ」
「許しが出たって膝をつくのが最低限の義務だろうが。頭わいてんのか」
「い、いいの。あなたも立っていていいから。話ずらいし……」
何を馬鹿なことを言っているのだと彩春に食って掛かる前にカノンに制止され、白狼は渋々立ち上がる。
心なしか前かがみになっているのはせめてもの抵抗だろう。
「ある意味カノン様のご命令に逆らっているようなものよ。真っ直ぐ立ちなさい」
「あ?真っ直ぐとは指示されてねぇだろうが。立ってりゃいいんだ!立ってりゃ!」
「カノン様が話しづらいかもしれないじゃない」
犬猿の仲とはこのこと。何気ないことで再び始まりそうな喧嘩を抑えようと総真が両手を2人の前に滑り込ませる。
少しばかり総真へと身体をめり込ませたカノンが同時に割り込み、2人は自然と距離をとった。
「えっと……全員集合したからミーティングをするね……」
小さな号令に全員が背筋を伸ばす。彼女が言葉を発するだけで関係のない周囲もつい姿勢を正してしまうのだから不思議なものだ。
急激に静かになったロビーでカノンはスマートフォンを取り出し、冬仕から下った指令を読み上げる。
「今回の弔いはブルー相当の弔い、だよ。秋仁が静養しているから、私が代わりに引率します……異論はない……よね?」
誰が異論などはさめるものか。確認するまでもないと頷くと、彼女はあからさまにほっとしたような顔を浮かべている。
まさか拒否されると思っていたのだろうか。カノンが引率など前代未聞の栄誉な事態を蹴る葬務官は誰もいないというのに。
「出現位置は南区……色相変化は24時間起こっていないから、安心して。早めの弔いを要請されてるよ」
「早めというのは?」
「具体的には、今日中にだって。様子をみて次の日ってできないみたい」
「俺達で弔えなかった場合はどうするの?」
「私が出るよ……確実、だし」
海魔が発生した箇所は現在復興作業中の南区の壁付近。バブルで覆ってから24時間以上経過しており、周辺には多くの医務官が滞在している。
道を塞ぐ形でバブルが発生しているらしく、物資運搬に致命的な遅れが出ているらしい。
早期解決を願われ、仮に訓練官が弔えなくともカノンが確実に当日弔うと決まっていた。
「カノン様のお手を煩わせないように全力で戦えばいいわけね」
「いつも通り弔えばいいだけか」
「俺はいつも通りじゃないよ……」
現場慣れした2人の発言にため息が零れる。
再び弔うために訪れる南区を思い浮かべ、重苦しく息を吐きだした。




