閑話 秋の葉は紅
青く光る画面を動かし、散らばった資料を踏みつける。
サーバーの奥底に隠された古いファイルをいくつも開き、数多あるものを振り分けていく。
旧軍事時代、300年前の大戦時から残るファイルは膨大で、ダミー情報も多く紛れている。
特に神に関する項目は隠匿されており容易には開けない。セキュリティを突破したとしても真偽の定かではない情報が入り込む。
分かったことは神がシャーレの地下に現れ、人間に与するようになったところから。
断片的ではあるが当時の戦闘記録や神達と深水に対する研究をしていた軍事機関に繋がりがあったことが判明した。
問題はそれ以前。神の出現はそれ以前では確認されておらず、現れてからの戦闘記録は2等葬務官以下の実力しかない。
リュード・オルカ、と記さた資料が頻発し、他の神達の名がでてくるのはその2年後。
それ以前はリュード1人が大戦の最前線で戦っていたようだ。
葬術を持たない人間ばかりだった当時からすれば、3等葬務官以下でも海魔を数百体弔えれば劇的な戦果だ。
その裏には必ず研究機関の名が記されており、その代表海原リリーと記された名が妙に気にかかった。
「実験内容は人類が深水に適合するか否かの人体実験……皇家の祖先が参加してたやつだろ……?」
人類の存亡をかけた戦いの中で倫理を問う時間はない。これが最善だったと言われればそれまで。
歴史とは当時その場に立っていた者以外に築く権利はない。
皇家はこの人体実験を受けた者たちの集団であり、深水の濃度がすこぶる高い人々を集めた戦闘集団の末裔。
剱の高濃度は祖先に由来するものである。
実験記録には神達の協力があったことが記されているが、協力の具体的な内容は記されていない。
実験記録の作成者を半分ほど洗った結果、様々な人の名が見つかったが海原リリーの名はどこにもない。
代表でありながら一度も実験記録を作成しなかったのだろうか。
あるいは、意図的にこの人物の資料のみが消されているのだろうか。
「秋仁」
締め切られた放射線室の扉。少しばかり歪んだ戸を開いたのは優しく震えた声。
中を覗き込む金色の瞳とかち合い、秋仁はにっこりと微笑んだ。
「カノン様!昨日の今日で再びお見舞いに!?こんな俺のためにご足労をおかけいたします」
「秋仁、寝てなきゃだめだよ……」
平然と座って作業を行う重症患者を咎める声が聞こえるが、秋仁は笑うだけで頷きはしなかった。
側に置かれたビーカーにコーヒーを淹れ、机のない放射線室の棚に置く。
隣に放置されたパイプ椅子を引いた彼女が青く光る画面をのぞき込む。
表示された資料に目を通す姿に焦りもせず、秋仁は悠々と淹れたばかりのコーヒーを口にした。
「あなたの望むものはもうないって、ちゃんと言ったと思うんだけどなぁ」
「もちろん覚えております。ですが、些細な情報でも得ていて損はありませんから」
シャーレのデータベースに侵入し、勝手にセキュリティを解除する作業は始めたころからカノンに知られている。
始める前、馬鹿正直に侵入計画を話し、彼女を一方的に共犯に仕立て上げたのだ。
データベースへのアクセス権限も彼女のアカウントを介することで容易に得られた。
こうして調べているのを了承してもらうと同時に、真実を求める秋仁への助言や手助けはほとんどしない。
兄たちに報告せず止めもしないだけ協力的とも捉えられるが、やはり彼女は過去を知られることに抵抗があるのかいつも資料を見るときは難しい顔をしていた。
「怪我をした時ぐらいちゃんと休んで……た、ただでさえあなたは、その、殆ど休もうとしないから……」
「俺は人一倍努力せねばカノン様のお役に立てませんから」
「卑屈な考え方は私、好きじゃない……」
痛みを感じているはずの秋仁よりも悲痛な顔をした主人に叶うはずもなく、電源ボタンへと伸びた手が画面を切った。
休まなければ復帰できないのは本人が一番分かっている。
人手不足の最中怪我の所為で迷惑をかけている自覚があるのなら休むのが効率的だ。
分かっていても何もしない時間が口惜しく、見た目だけが整った身を睨む。
「冬仕から指令がありましたよね。本当にカノン様が?」
「うん、総真と彩春に充てた仕事みたいだし……多分、総真の実力をきちんと測りたいんだと思う」
「実戦で推し量ろうってのは賛成しませんけどね。アビスへの餌も兼ねてるんでしょう」
「狙いが総真なのはわかりきっているから……多分。お兄様たちが知ったらカンカンだよ」
「でしょうねぇ」
総真を狙うアビスがシャーレに出現したという報告を受けたときはたとえカノンからの知らせだったとしても耳を疑った。
出現には一定の深水と海魔が必要なのではないかと推測を立てていたが、ただの水を介して接触を図ってきたのは想像の埒外。
このままでは水気全てに近づかせることができず、シャーレに居ようが居まいが干渉は避けられない。
ならばいっそおびき寄せる材料とし、アビスの目的を知ることが先決だと判断したようだ。
引率できない秋仁に代わってカノンが行くと知らせが入った時は猛抗議の電話を冬仕にぶつけたが、応答どころか着信拒否。
部屋から一歩でもでたら話をしないと人づてに伝えられ、渋々引きこもって自分にできることに手を出していた。
「リュード様とロック様は?」
「リュードお兄様は眠ってる。しばらくは起きないはず。ロックお兄様は……アビスの捜索、だって」
「外に出ているんですか?」
「うん。多分向こうは見つかりたくないだろうから無意味だと思うけど……やらないよりはマシとか……」
神出鬼没、実体を持たないと推測されるアビスを捜索など不可能だ。
だがそれでもじっとしていられないのかロックは早々にシャーレを飛び出してしまったという。
幸い位置情報は常に把握できているようだ。行方不明にはもうならない。
再び1人でシャーレの留守を頼まれたカノンは不安そうに目じりを下げた。
「ご一緒できず申し訳ございません……」
「いいの。何も考えず休んでいて。私はお兄様たちと違って戦うことしかできないから……」
手に持ったビーカーに僅かにひびが入る。慌てふためいた彼女の手からそっと脆いビーカーを回収し、何事もなかったかのようにゴミ箱へ投げ捨てた。
カノンは他の神に比べて力が強く、その制御が上手くできない。うっかり人間の頭に触れただけで一回転させてしまうほど強力だ。
「カノン様。カノン様は様々なことを成し遂げてきました。戦闘はその一部に過ぎません。戦うことしかできないという評価は過小評価であり誤りです」
彼女は人間と距離を取り、卑屈な性格になっている。
彼女に最も必要なのは成功体験。何事も肯定し失敗を無暗矢鱈に問い詰めない寛容な心。
必要以上に失敗を恐れ怯える彼女が戦闘しかできないと信じているのは行き過ぎた膂力と葬術をほめられた体験が戦場だけだったからだ。
か弱き乙女であることをリュードと共に散々説いているが300年の確執は根深い。
「繰り返してください。カノン様は素晴らしい。カノン様はかわいい。カノン様はなんでもできる。さん、はい!」
「あ、秋仁……自画自賛はちょっと……」
「自信を形成するために最も必要な行為です!言わないならカノン様の分を含めて500倍言います!」
「多い!多いよぉ!」
口に手を重ねられ言い始める前に止められる。500でも少ないと思うのだが、カノンは1つでも過ぎたものだと首を振った。
秋仁が側仕えになってから褒められ慣れてきたとはいえまだ人並以下だ。
この状態で複数人の子供を引き連れた任務に1人で行かせるのは不安だ。
総真や彩春は問題ないだろうが、人数や状況的にもう1人訓練官が選出される可能性が高い。
実力が足りず訓練もできていない総真と3等葬務官の彩春では明らかにバランスが悪い。
間を取り持つために中近距離かつ現場にそこそこ慣れている4等葬務官の訓練官辺りが追加要員で招集されるはずだ。
葬務官は皆神に敬意を持っているとはいえ、人間の前に姿を現さないカノンを良く思っていない者もいる。
本当に大丈夫なのだろうか。
「……やっぱり俺も」
「だ、ダメだってば!」
「ですが、お1人では心配です。戦わなければ傷も問題ありません」
「動いた時点で傷口が開いちゃうよ!絶対にだめ!大丈夫!1人で頑張れるから!総真も彩春ちゃんもいるんだよ!」
カノンの言葉に秋仁は驚いて僅かに口を開ける。
あのカノンが頼る先として秋仁以外の名を出すことなど兄達以外にあり得ないと思っていたからだ。
まさか息子の総真とその友人を頼る先として考えるほどとは。
それだけ総真を信頼し、その友人も信頼に置けると考えているのだろうか。
彼女の成長を知ると共に知らぬ間に娘が成長していたような寂しさも感じる。
いや、自信を持てるように長い時をかけてカウンセリングを施してきた成果が出てきたと捉えるべきだろう。
「秋仁が傍にいてくれるのが一番だけど……あなたはずっと私といられるわけじゃないから……」
彼女は前を向いている。息子のためだろうか。それとも自分のためか。
心配ばかりしている自分が情けない。カノンを信用できない弱い心がとても恥ずかしい。
実力もなく主人を信ずる強い意志も持てない。なんと愚かな側仕えだろうか。
何より、彼女が成長を遂げようとしているその背を近くで見ることすらできないのが歯がゆい。
カノンは秋仁のためを想って2人の面倒を見ると名乗りを上げたのだろう。
総真は気心がしれ、彩春は秋仁の姪であり総真の友人だ。接する上での障害は他の人間よりはるかに少ない。
だが好条件がそろっていても1人では人間と相対することすらできない彼女が海魔の弔いへ引率。
それがどれだけ驚くべき成長なのか、カノンをずっと近くで見てきた秋仁が一番良く分かっている。
カノンが前に足を踏み出すたびに、追いつけない自身に引け目を感じる。
あとは心が強ければと言われ続けていた彼女が少しずつ自信をつけていくたびに、何の力もない身がボロキレのように崩れていく。
「秋仁……?」
傍にいたいのに傍にいられない。いてはいけない。ネガティブな思考がぐるぐると回り、折れた刀が視界に入る。
微笑む女と息を呑む主人の僅かな音。インカムの向こうでかすかに聞こえた「お母さま」という声。
その意味を探り、考え、資料を眺めた結果たどり着いた推測であると信じたい思考を振り払い、秋仁は暖かなカノンの手に触れた。
一瞬びくついた手は必要以上に力を抜き、秋仁に決して怪我をさせまいと自ら持ちあがる力すら入っていない。
一種の信頼にも似た行動が愛おしく、静かにその指の間に手を重ねた。
「どうしたの?どこかいたい?」
「……いいえ。どこも痛くありませんよ」
本当はずっと全身が軋むように痛い。内臓を吐き出したいほど気持ちが悪い。
けどそんなものはおくびにも出さず、にっこりとカノンへと微笑んだ。
「早く治して、アビスも海魔も全部俺がぶった斬りますから。カノン様も引率頑張ってください、ね」
何事もなければいい。そう願いながら出撃先の任務内容を確認する。
何の変哲もない任務内容が今は地雷に見え、痛む頭を抱えた。




