蝶は海を渡らない#2
「総真様には深水操作のみで海魔と戦闘可能なように鍛えていただきます」
「それって今と変わらないんじゃ……」
「無意識と意識下では影響が違います。武器を持って使い方を知らぬのと知っているのでは全く違うでしょう」
ぐうの音も出ない正論に顔が歪む。剱の言う通り武器は正しい扱いを知ってこそ意味のあるものだ。
今までただ殴る蹴るをしていた総真はド素人と変わらない。戦場では邪魔なだけだ。
殆ど相手にもされないような海魔相手でさえ火力不足は感じていた。
拳を握るだけでもやり方というものがあるのだ。
「僭越ながら私が指導、と言いたいところなのですが、深水操作単体の戦闘技術は私より秋仁の方が適任かと。よって今は理論のみお伝えいたします」
「え、剱さんが教えてくれるんじゃないの?」
「申し訳ございません。私は雷の葬術。濃度が高く、単純な深水操作にも紫電が走ります。参考にはならないと愚行いたします」
剱の上げた手からバチバチと雷が抜けていく。曰く、ただ指先に深水を集中しただけでもこうなってしまうらしい。
体内の深水は持っている葬術に影響されやすく、濃度の高い剱は特に表に出てきやすい。
常に雷を帯電している状態に近い彼は純粋な深水操作による戦闘を教えるには向いていないのだそうだ。
やったことがない、というのが正しい見解だろう。
「座学はそう難しくありません。深水操作と体術、人体に関する授業です」
「それどんぐらいかかるの?」
「学園では1年の時に何カ月かかけて学んだわ。短期集中なら1か月ぐらい?」
「無理!無理無理!そんなに入らない!覚えられない!」
勉強ができないとは言わないが苦手な部類だった総真にとって1か月の詰め込み授業は苦痛だ。
びっしり書かれたホワイトボードが学ぶ予定の座学のほんの少ししか書かれていないなど心が折れる。
どうにかして回避できないかと模索していると、剱はない頭を捻る総真の下へ膝をついた。
「問題ございません。重要な内容に絞ってお伝えいたします。長くても1日で終了いたします」
「それはそれで怖い……どうやって短縮してるの……」
「深水操作の歴史とか、有名な流派とか……覚えなくていいことはいっぱいあるから大丈夫よ。省けるわ」
「だといいけど……」
彩春の慰めを聞いて心を持ちなおそうとしたが、ホワイトボードのまがまがしさがとてもノイズになっている。
達筆な字でびっしり書かれた内容は全て深水に関する話だ。
読める限りの内容を見てもとてもではないが覚えられる気がしない。
百聞は一見に如かずと身体を動かした方が身になりそうだ。
だが残念なことに担当教師は重症で一時離れている。流石に来てくれとは言えない。
「できれば……優しく教えて欲しい」
できることは必死にない頭を回すだけ。懇願にも似たあきらめの言葉に剱は深く頷いた。
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長々と続く授業に目を白黒させている総真を横目に、女子組はひそひそと彼の身体について話し合っていた。
特に話題に上がったのは記憶喪失だ。
「アレ絶対リュード様の仕業だと思うんだけどどう?」
「アビスの可能性も捨てきれません。何の葬術を扱うか見当もつかないのに」
「あーその線もあるか。人間の記憶を遠隔で消せるとか最強の葬術じゃん」
何がトリガーになっているかさっぱり分からない記憶喪失は、確実に総真を蝕んでいる。
失った初期はなくなった記憶を問い詰めれば違和感を覚えてくれるが、時間が経つにつれて彼の中でないはずの記憶が綺麗に結合してしまう。
ないものは足せず、あるものは虚構でも真実だ。そんなことはなかったと言うは易い。
だがもし仮に嘘を信じていたとして、暴いたときに反動は?精神に異常をきたしはしないか?
様々な不確定要素が固まり、記憶喪失について誰も尋ねられずにいた。
「アビスに関連する記憶だけが削除されている可能性が高いけど、炎とやらも消えているのが不思議だねぇ」
先日アビスに出会う前に炎が総真の体から吹き上がり、その後体が勝手に動く事態になった。
その時のことを本人は忘れているらしいが、大事なのは炎を出したことすら覚えていないことだ。
炎が噴き出たときにアビスは存在しなかった。そのあとに姿を現したというのに、炎自体を忘れ去っていたのは疑問だ。
アビスが炎と関連している。リュードが持ち得ていた葬術であるという事実の他にまだ何か関連性があるように感じていた。
だが探ろうにも本人には探れない。何かを引き金にまた気絶してしまう恐れがあるためだ。
これは難問だ、とアゲハは困ったように腕を組んだ。
「どんな病気よりも葬術が一番厄介だよ。解除も難しいしかけた人に尋ねないと分からないことが多いの!そもそも海魔に向けるもの!人に向けじゃダメ!」
ごもっともな言葉に深く頷くと共に、治療系の葬術を海魔に向けることはできないな、と全く関係ないことが頭に浮かんだ。
葬術は海魔を討伐するためだというのに、その種類の豊富さが時に不思議に感じることが多くあったのだ。
葬術とは神より賜りし授かりもの。300年前の戦争の折にリュードが人類へもたらした海魔と対抗するための技術。
深水操作の身体強化のみで海魔と渡り合いジリ貧になっていた人類を救済した画期的な術だった。
海魔を残滅するために与えられたものであれば、残滅に特化した葬術のみでよいはずだ。
だが現実ではそうはならず、様々な効果の葬術が生まれている。
「これって何か理由があるんですか?」
「一説によれば人類の進化と共に葬術も変化しているんじゃないかって言われているけど詳細はぜーんぜんわかんない!リュード様も教えてくんないし!」
「教えられないからね……」
突如、背後から第三の声が届く。この場にいないはずの控えめな聞き覚えのある声に、アゲハと彩春は勢いよく振り返った。
白いドレスを身に纏ったカノンが、いつも通り困ったように眉を寄せ、僅かに微笑みを浮かべていた。
「わっ!?カノン様!?」
「いつからお出でに!?」
「ついさっき……し、指令があったの。総真と彩春を連れて海魔の弔いに行って欲しいって……」
指令の大本は冬仕。総帥とはいえ神に命令することは不可能のはずだが、秋仁に下すはずの指令をカノンに回したようだ。
秋仁が不在の間、二人の担当を引き受けていたカノンは律儀に指令をこなすために彼女は訓練室へとやってきた。
「訓練室にいるのは知っていたし、私の部屋はこの下だから……総真の様子は……どう?」
「体内の深水を感知し、今は基礎を学んでいます」
技術的な進展は特にないと付け加え、剱の授業を頭を抱えながら聞いている総真を示す。
ホワイトボードに書かれた内容が少し変化しているが、やっと数行理解できた程度のようだ。
「まだ実戦には至っていません。海魔討伐に向かうのは少々不安では……?」
「わ、私も、そう思う……彩春ちゃんへの負担が大きくなっちゃう」
意識して深水操作が可能になったとはいえ数分前の話だ。
訓練もせずに再び海魔の弔いに行くなど自殺行為に等しい。
だが引率がカノンであれば話は別だ。どんな海魔が出てきても過剰戦力。命の保証は確実と言える。
代わりにいざというとき以外は頼れず、なるべく自力で海魔と相対して欲しいとカノンは告げた。
「せめてもう1人くらいいればいいんだけど……」
秋仁が受け持っている訓練官は2人だけ。元々彩春以外を請け負う気のなかった秋仁は通常スリーマンセルで行動する訓練官を1人で働かせていた。
総真の登場によって2人になり、荷物が増えた状態では彩春に負担が大きい。
せめてもう1人訓練官はいないかと首を捻っていると、ばちばちっ!と何かが弾ける音と共に雷が頬を霞めた。
「それではもう1人訓練官を秋仁につけましょう。フリーの訓練官は何名かおります」
「剱さん……」
「地獄耳?総真ちゃんに授業しながらよくカノン様のお言葉が聞こえたね」
「え?何?母さん?」
膝をついてカノンへと挨拶を述べた剱とソファーからひっくり返って身を乗り出した総真も話に加わる。
指令が下ったことを説明すると、総真は露骨に不安そうな顔をした。
「俺まだ座学しか受けてないけど……」
「同感。剱さんがもう1人訓練官を見繕ってくれるそうよ。3人いれば緊急事態でもカノン様を呼ぶ程度のことはできるかも」
「バブル内で必ず待機するから、大丈夫だよ」
戦う力が身についたとは到底思えない総真がまだ不安そうにしていたが、指令は絶対だ。
人手不足に拍車がかかっている現状、断ることは一般人への被害を招く。
総真が行かないのであれば1人で行くという彩春に行かないとはいえず、総真はのろのろとソファーから立ち上がった。
「弱いけど大丈夫かな」
「カノン様が既に過剰戦力よ」
突然降って湧いた指令は現在各地に出現している海魔の弔い。
グリーン相当の海魔が複数各所で湧いており、常駐している葬務官が治療中の南区では対処に遅れが出ている。
今回は南区の端に出現したブルー相当の海魔の討伐である。
訓練官の任務としてはかなり簡単な部類だが、途中で色相変化が起こる可能性もある。
「できれば気心が知れてて実力が近い人がいいけれど……」
「白狼とか?」
「白狼は南区所属でしょ」
「糸居白狼であれば現在中央区所属だ。南区の担当官が任から外れ、新たに振り分けを行う前段階と報告が上がっている」
訓練官の割り振りは葬務官を束ねる剱の仕事の1つである。
白狼についても当然把握しており、配属先を切り替える程度造作もないと彼は職権乱用を宣言した。
「い、いいんですか!?勝手に配属して!」
「問題ない。再配属先は現状どこにもない。無理やりねじ込むならば総真様のお傍が適切だ」
人材を遊ばせておくよりは所属させた方がましだと、彼はさっそくどこぞへと連絡を取りに訓練室を出て行ってしまった。
トントン拍子で決まった白狼の参戦に、総真は大きな口を開ける。
「海魔の弔いに3人で……?」
やむにやまれぬ事情で飛び出した防衛戦とはわけが違う。
先日山奥で体験した海魔との戦闘を思い出し、総真は寒気を覚えた。




