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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
酸素は水面へ上りゆく

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蝶は海を渡らない#1

 ただ時間だけが過ぎていく中、アゲハはぐったりと横になる総真を見て勢いよく手を挙げた。


「はいは~い!どうせ気絶してるなら医務室に運んだほうが良くないですかー!今なら検査し放題ですよー!」

「最後の一言がなければ私も賛成でした」

「総真様をむやみに動かすのであれば1人でやれ」

「やばーい!つめたーい!」


 誰もアゲハの言葉に賛同しない中、冷たくあしらわれた彼女はめげもせず剱の傍へ寄っている。

 無視を続ける彼の周りをせわしなく動き回る姿は5大名家の家長とはとても思えない。


「ねえじいさん~私もリュード様とお話した~い」

「そうか」

「取り次いでよ~」


 次は無視。そうか、と簡素な返事を返すか無視をするかの2択しかない剱と会話が続くはずもなく、アゲハは早々にソファーへと戻ってきた。

 一体何がしたいのかと彼女に胡乱な視線を向けると、ただにっこりと笑うだけで言葉は出てこなかった。


 総真が眠っている限りこの場の状況は進まない。どうしたものかと頭を抱えていると、突然頭が生暖かいものに包み込まれた。

 とても柔らかく、フローラルな香りがする。


「総真ちゃんが寝てるなら彩春ちゃんを可愛がる以外にやることないじゃーん」

「わ、ふ、アゲ、ハ、さんっ!い、息がっ!」


 それが彼女の豊満な胸であることを知るのに少々時間を要した。

 自分にはない柔らかさが顔面を覆い、気道を塞がれて息がままならない。


 じたばたともがいて必死に訴えるとやっと気が付いたのか、少しばかり力を緩めてくれた。

 相変わらず胸の間に埋まっているが、何とか鼻先だけは出ている。


「ごっめーん!生き埋めにしちゃった!」

「あぶひゃいのれ、いきにゃりはやめひぇくだしゃい」

「ほっぺたむにむにね~かわいい~」


 聞いているのかいないのか。さらりとした髪をただひたすらに撫でられる。

 手持無沙汰でこれと言ってやることがないと言いたげな彼女は彩春を弄ぶことにしたようだ。


 何もすることがないのならと、彩春は頬を弄ばれたまま潰れた口で彼女へと問いかける。


「しょもしょも、アゲハしゃんはなにをしにきたんれすか?」

「ウチ?ウチは総真ちゃんの様子を見に来ただけ~!会議でちょろっと見ただけだし、秋仁が命かけて守った子でもあるじゃん?どんな子なのかなーって」

「個人的興味、れす?」

「そ!怪我人がたくさんいるんだけど、ウチが治療しなきゃいけないような患者はもういないの。緊急性も低いし、あとは余力のある子たちに任せてきた!」


 怪我人が大量にいる中、治療の葬術を扱える人間がこんなところで油を売っていていいのかと思ったのだが、彼女はもうすでに治療を終えてやってきたと述べる。

 アゲハの手が必要なけが人は秋仁くらいで、そもそも重症の者は会議の時点で既に大体は治療が完了しているそうだ。


「いきなり治療の葬術でぜーんぶ直すと支障が出るし、経過観察も大事っしょ」


 治療系の葬術は非常に便利だが、その能力は様々で人体に悪影響を与えるものもある。

 更に大きな傷を突然治療すると患者が葬術の発動に耐えられず死亡するケースもあり、重傷であればあるほど扱いは慎重だ。


 彼女が治療を終えたというのなら問題はないだろう。秋仁はともかく、アゲハは言動のわりに勤務に真面目だ。

 そうでなければ猪野家の当主など勤まらない。


「ウチは総真ちゃんの方が心配かなぁ。白狼ちゃんって子が記憶喪失を患っている訓練官がいるって教えてくれて。それが総真ちゃんだって知った時は驚いたよ」

「白狼が?」

「南区で一緒だった訓練官でしょ?医務室にわざわざ報告に来てくれてたよ」


 アゲハが総真のもとを訪れたのも白狼の報告を耳にしたからだという。

 もし深水の汚染によって引き起こされる症状の1つ、記憶の喪失だった場合すぐに対処しなければ人格そのものが消えうせてしまう。


 そうなる前に浄化作業を行わなければならず、記憶の治療は時間との勝負だ。

 訓練室に剱と共にいると聞き、彼女は当主の権限である訓練室への立ち入り権限を使い、エレベーターを起動させた。


「とはいっても汚染は見当たらなかったし、記憶喪失は別のことが原因かもね~」

「記憶喪失を信じるのですか?」

「そりゃ信じますとも。ウチはいつだって患者の味方よ?」


 深水に侵されていないというのに未だ白狼の言い分を信じていると彼女は平然と述べる。

 そのうえで総真は何か記憶が抜け落ちている可能性があると指摘した。


 記憶喪失とは本人に自覚があるケースとないケースがある。後者の場合、他者からの情報は貴重なものだとアゲハは告げた。


「南区で出会ったばかりの白狼ちゃんが気づくなんてよっぽどだと思ってさぁ。来てみたら即気絶されたけど」


 総真が波から逃れ、意識を取り戻した先で告げたありもしない現実の話。

 アビスという存在がすっぽり抜け落ちた彼の記憶はあらはあれど綺麗に前後関係が繋がっている。


 この話を聞いたアゲハは総真へと興味が湧いたと嬉しそうにつぶやいた。


「アビスと同時に炎の記憶も消えたって話だし、今回も炎が原因で気絶してるよね。不思議だなぁ言葉をトリガーにする葬術なのかな。どう思う?剱のおじーちゃん」


 投げかけた言葉に返事はない。アゲハのからからとした笑いは僅かながらに冷気を帯びた訓練室によく響き渡った。



――――――――――――――――――



 気絶から凡そ1時間と少し。ガバッ!と勢いよく起き上がった総真はきょろきょろと周囲を見渡した。

 

「ここは……」

「起きた!」

「よかった……おはよう、総真」

「おはようございます。総真様」

 

 周りから飛んでくる挨拶に視線を向けると、寝転んでいたソファーの近くに彩春とアゲハ、湯気立つコーヒーを手にした剱が立っていた。

 状況が飲み込めずじっくりと記憶を探ると、つい先ほどまで3人と深水操作について訓練していたことを思い出す。


 そうだ、体内にある深水を探ろうとして上手くいかず。もしかしてまた気絶していたのだろうか。

 心配そうな彩春の顔を見つめ、持ち上げた自身の両腕を見る。


「えっと……南区の時と同じ?」

「ええ、まあ……」

「ごめん、俺気を失ってばっかりで。今までこんなことなかったのに」

「仕方がないわ。突然環境が変わって、その、条件が変わったのかも」


 とても言葉を濁しているようだが、彼女が心配してくれているのは伝わってくる。

 ひとまず体に問題はないと告げると彩春は何か言いたげに口を何度ももごもごと動かし、結局それ以上は何も言わなかった。


 そんな彼女を押しのけ、ぐいぐいと顔を近づけてくる蝶が1人。


「総真ちゃん~どこまで覚えてるの?ウチのことは?分かる?」

「猪野アゲハさん……?」

「ピンポーン!自分が何してたかは?」

「体内の深水を認識しようとして……気絶した?」

「あってんね。おっけーおっけー」


 彼女はいくつか記憶に関して質問をしてきたが概ね他の3人と変わらない記憶を答えた。

 だが1点、先ほど掴んだ深水の感覚についての問いに総真は首を傾げた。


「うーん、なんて言うか、生暖かかったと思う」

「熱いじゃなくて?」

「うん。ぬるいお湯を触ってるような感じ」


 総真の発言に3人は顔を見合わせ、彩春とアゲハが首を傾げた。剱は無表情のまま我関せずと少し距離を置いている。

 どうやら彼女達によれば先ほどと発言が違うらしく、感覚が変化したのかもしれないと付け足された。


「なるほど、これが……」

「アゲハさん。口にしてはだめですからね」

「分かってるって。どんな症状が出てくるかわかんないもん」


 顔を寄せ合ってひそひそと話し始めた2人に首を傾げていると、剱から続きをしてはどうかと促される。

 気を失った後、すぐに深水操作をしても大丈夫なのか甚だ疑問だったが、剱が言うのなら問題はないのだろう。


 気絶した原因も良く分かっていない。

 アゲハは急に深水を操った故に体内の水分が過剰に移動して一時的な発作を起こしたのではないかと目を泳がせながら説明していた。


「ほんとに大丈夫かな……」

「問題ございません。もう一度深水に集中して」


 傷だらけの節くれた手が丹田を指さす。ほんのりとした熱を感じた箇所だ。

 促されるままに再び意識を腹に集中させ、生ぬるい感覚を求めて体内を探った。


 コツを掴んだのかすぐに先程のほんのりと暖かな感触が現れ、徐々に全身に広がっていく。

 意識すれば体の一部へ、しなければ腹の内側へと戻っていく深水が不思議でならなかった。


「できておりますね。では1部を外へ出してみてください」

「どうやって?」

「手の平に水の泡を浮かべているイメージを」


 言われた通り、宙へ手を広げその中心から泡が浮かび上がるのを想像する。

 手から泡が出てくるなど魔法のような話だが、秋仁も父も似たようなことをよくやっている。


 感情的になると泡が浮かび上がる父と母は喜ぶとよく全身から立ち昇らせていた。

 そのさまはよく記憶に残り、イメージはいとも簡単に形成できた。


 すると、腹に溜まっていた熱が全身を駆け巡りその一部が手の平へ集中する。

 薄くゆっくりとにじみ出た深水が手の平を伝って外部へ飛び出し、透明な泡を作り出していた。


「で、できた!」

「お見事です」

「え!?うそ!?もうできたの!?」

「マジ?見せて見せて!」


 後ろでこそこそと話し合っていた女子が手のひらを覗き込む。

 形が少し歪だが、透明の膜がぽっかりと浮かび、風もないのにくるくると回っている。


 総真がイメージすれば泡の外殻は自由自在に形を変え、面白いことに大きさも深水を足せば好きなだけ替えられた。


「深水操作の基礎とはいえ習得には1週間かかると思っていたのに……」

「一般的な人間であればそうでしょう。ですが総真様は生まれながらに深水に触れる機会が多く、ロック様とカノン様の指導の賜物と言えましょう。リュード様にご報告しなければ」


 ぱしゃぱしゃと無遠慮に総真を撮り、その都度リュードのスマートフォンらしきアカウントに写真を送り始める。

 これも指示に含まれていたのかと思うと何とも言えない気持ちになる。


「これで深水操作による身体強化の訓練に入れます」

「訓練?」

「はい。意識した身体強化の訓練です」


 今までのは準備段階。本題はこちらだと宣った剱はいつの間にかびっしりと書き込んだホワイトボードを引いてくる。

 一番上の題名は深水操作による身体強化訓練の概要。


 つづられた内容のハードさに、総真は頬をひきつらせた。

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