休符から始まる#2
25年前。葬務官の所属する組織、正式名称海魔対策特務機関シャーレは大きな転換点を迎えることになった。一番の原因は神の1人であるロック・ジョーの失踪。
当時シャーレを仕切っていた総帥と残った神2人の関与が疑われたが、権力に抗うことができず失踪後にその足取りを追う者はいなかった。
「まさか田舎に引っ込んでるとはなぁ。クララ、クララかぁ」
秋仁がスマートフォンを片手に手帳を捲る。どこかへメッセージを飛ばしているようだ。先程から通知音が鳴り止まない。
「日野くんはこのあと適当に理由つけて今日中に退院させる」
「まだ目覚めたばかりですよ!?痛みも訴えていますし、あれだけの重症のあとです!」
「主治医の俺が判断しますぅ。ちゃんと山までは送り届けるし。山道はちょーっと辛いだろうけど家で寝ていたほうが回復するって人もいるよ」
理屈はわかるが納得はできなかった。殆ど治療が終わっているといってもたった1日。葬術で急速に回復しても失った体力や血液までは戻らない。経過観察もままならず生活に支障があっては大変だ。だというのに、秋仁は有無を言わさず手続きを進めてしまう。
「反対!反対です!せめて1週間は入院させるべきです!」
「ロック・ジョーがいなければ、そうだろうね」
「神様がそんなに大事ですか!?」
日野の周りは謎が多い。仮に失踪した神が本当に関わっているのであれば葬務官として無視はできない。けれど、命の恩人にさらに負担をかけるような恩知らずかつ薄情な真似は彩春の信念が許さなかった。
なおも抗議の声を上げ続ける姪に、秋仁はやれやれとわざとらしく両手を広げる。
「そんなに心配なら彩春がついていけばいいじゃん」
主治医の秋仁は治療と先程の経過観察から理論的に退院は可能だと、論文もかくやという分厚いカルテを差し出した。どこまでが真実か定かではないが、この内容を真面に受けるなら確かに退院は問題ない。内臓が出ていて腕が泣き別れになりかけていた人の状態とは思えないけれど秋仁の葬術はそれを信じ込ませるだけの実績がある。
着実に事態が進行していく中、秋仁はどこから取り出したのか紙袋を手渡す。有名な和菓子店の羊羹だ。
「菓子折ね。怪我させちゃったこと謝らなきゃいけないし、どっちにしろ行く予定だったんだよね」
「ちょ、ちょっと!本人への確認をしてから!アポを取ってから行くべきでしょう!?」
「え?彩春このあとなんか用事ある?」
「私じゃなくて!!日野くんと!ご家族へ!!」
彼はそんなのどうでもいいでしょ、と言わんばかりに通知がなり続けるスマートフォンへ目線を戻してしまう。これ以上は取り合わないという合図だ。悲しきかな叔父と姪とはいえ上官と部下。彼がやれというのなら納得できなくても成し遂げなければならない。報告書に恨み言つらつら書いてやる。
「日野くんには今の話悟られないように。バレたら減給だから」
「理不尽!恐喝!」
指先から打ち出した小さな礫は無情にも一瞥もくれず空中で霧散した。圧倒的な差を前に言葉は意味をなさない。葬務官は実力主義だ。特に2等葬務官と3等葬務官の間には高い壁がある。不平不満はその壁の染みにすらなりはしないのだ。
さっさと行けと追い払うように手を振られ、彩春は不満を隠さず荒々しい足音で廊下を去っていった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
総真の退院は速やかに行われた。都合がよいことに本人もいち早い退院を強く希望しており、その日の夕方には少ない荷物をもって彼の住まう山の麓まで来てしまった。
展開の速さにずきずきと痛む頭を抱えた彩春を、総真が心配そうにのぞき込む。
「大丈夫か?」
「あなたは自分の心配をなさい」
固定具の外れた腕は痛々しい痕が残っている。ぐるりと腕を覆う肥厚性瘢痕が赤みを帯びていた。
「本当にこのまま帰路についていいの?相当険しいはずだけれど」
「慣れてるから大丈夫。彩春こそついてこれるのかよ」
「深水操作で身体能力を上げてついていくから大丈夫よ」
「なにそれズルッ」
あなたも無意識にやっているのよ、とは言えず彩春は押し黙る。急に口を閉じてそっぽを向いた彼女に首を傾げるが、総真はいち早く家に帰るために山道へと足を踏み入れた。
家に入るための道は複雑で一見すると本当に道なのか疑わしい場所ばかりを通る。前を歩く総真は難なく歩いているが、彩春は身体能力を向上させついていくのが精一杯であった。
足場も悪く似たような木々の隙間を歩くため、方向感覚を失いやすい。太陽の位置を探ろうにも葉が邪魔をし、天が覆い隠されている。
「本当にこんなところに住んでいるの?」
「俺を拾うまで父さんは転々としてたみたいだ。母さんがここを見つけて、俺を拾ってから自分たちで家を建てたって」
総真が拾われたのは生まれてすぐのことだったそうだ。両親に関する情報はほとんどない。育ての父親の話では、生みの母親は遠くに行っており父親が総真を預けたそうだ。
「うち複雑でさ。俺の父さんと母さん、実は兄妹なんだ。俺のために夫婦ってことにしてくれてる」
「育ての親が兄妹……」
つまり、彼の戸籍に記されていた両親は改ざんして夫婦ということになっているのだ。偽名の上、兄妹だとは頭が痛くなってくる。
秋仁は父親の名前と同時に母親の名前にも何か引っかかりを覚えている様子だった。兄妹という話が本当なら、妹、母親はつまり……。
「彩春?」
「あ、いえ、なんでもないわ」
足を止めて考え込んでしまった彩春に振り返った総真の顔はとても神と同じような存在には見えなかった。特筆すべき点のない少年だ。内面を評価するなら誰かを救うために危険を冒す危うくも勇気ある心を持っている。出会って短時間だが、彼の行動の数々は尊敬に値する。
だからこそ、分からなかった。本当に彼は神に連なる者なのだろうか。
「社の広場を抜けたら家だ。足元、気をつけてな」
差し出された傷だらけの手。触れ合った暖かな体温がゆっくりと惑う指先を掴んだ。
戦闘の痕跡が色濃く残る広場。真っ二つに切断された社は見る影もなく、無残な瓦礫と化している。辺りの地面は足首ほどの深さに抉られ、ものによっては膝下へ至るものもある。
「あ」
先を歩いていた総真が声を上げる。彼の視線を追いかけると、切り倒された木々の近くに人影が見えた。遠目からでも目立つ白銀の長い三つ編みが風に吹かれ揺れている。
総真の声に気が付いたのだろう。美しい顔に浮かんだ2つの黄金がこちらへ向いた。
片方の黄金を横断する縫い目のような傷跡が嫌に目に残る。よく見れば首や腕、指に至るまで同様の傷が浮かんでいる。関節部分に集中した傷が非現実的で、彩春は出来の悪い人形を見ているような不気味さを感じた。
「父さん!」
「おー総真。生きてたか~」
駆け寄っていく総真の後を付いていくと明瞭で快活な声が届く。ひらりと傷だらけの手を軽く振った男が倒れた木々の合間を軽々と飛び越え、総真の体を上から下までじっくりと眺めた。
「お前……男前になったかぁ?」
わざとらしく自身の傷跡を叩く男が一瞬、鋭い目つきでこちらを射止める。ほんの数舜の出来事だったが、身の凍り付くような寒気が全身を駆け抜ける。つい昨日ここで死にかけたというのに、目の前の存在の方が遥かに死に近いと脳が警告している。
逃げ出そうと震える脚をその場に繋ぎ止め、努めて冷静にその瞳を見返した。
「昨日帰る予定だったんだが、延びてついさっき戻ってきたところだ。昨日の夜メッセージを入れたんだが、見てなかっただろ」
「あ!ごめん!見てない!」
慌ててスマートフォンを取り出した総真が通知をみると、確かにメッセージが何件か入っていた。丁度病院に担ぎ込まれた頃だろう。
「この荒れ具合もそうだが、返信はなし、家に帰った様子もねぇ。仕方がないから山を下りて探しに行こうとしてたンだ」
「ごめん……事情が、事情があったんです……」
「そっちのお嬢さん関連か?」
急に話を振られ背筋が伸びる。思わず傅いて祈りを捧げてしまう体を抑え、かくかくとぎこちない動作で深く頭を下げた。
話の内容を聞くに、彼が件の父親。日野ロックおよびロック・ジョー候補。
「お、おは、お初にお目に……じゃなくて、はじめ、まして……3等葬務官の神崎彩春と、申します……」
「へー、神崎んとこの」
それは一体どういう反応なのだろうか。神崎家は葬務官の中でもそれなりの地位にある有名な家系だ。少しでも関わりがあればその名の意味を知っていてもおかしくはない。けれど、ロックの瞳はどこか違う意味を孕み、じろりと彩春の下がった頭を見ている。蛇に睨まれた蛙の気分だ。
「神崎さん?大丈夫か?震えてるぞ?」
「ご、ごめんなさい……その、山道が堪えたみたいで……」
悟られてはいけない。引きつった笑顔のまま誤魔化せば、総真は慌てたように彩春の手を取った。
「傷に障ったのか!?」
「いえ……怪我はちゃんと塞がって……」
「ちょっとごめん!」
「え?え!?ええ!?」
大丈夫だ、と紡ぐはずだった口は悲鳴に変わる。突然横抱きに持ち上げられ、内臓へと響く浮遊感が一にもなく襲ってくる。総真に抱えられ荒れた広場を横断しているのだと気付いたころにはもう反対側まで到達していた。
「日野くん!?私は大丈夫だから!」
「治療系葬術を受けても全快したわけじゃねぇし、大人しく抱えられとけ。悪いようにはしねぇって」
いつの間にか隣に立っていたロックが覗き込んでくる。その周りにはいくつかの深水が浮かび上がっていた。とても見覚えのあるそれが秋仁と同様の深水操作だと気付くのにそう時間はかからなかった。
この先に家があると言われされるがままに運ばれる。羞恥で死にそうだ。だが畏怖に震える脚ではどうせ立てはしない。甘んじて状況を受け入れることにした。
「腹の風通しが良くなってンねぇ。治療した葬務官は結構手練れだ、悪くない」
「えぇ……っと」
「元、葬務官でな。治療を専門とした葬術が使えンだ。具合がワリィなら貧血だろ。リビングに寝かしてやンな」
元を強調した彼が扉に手をかける。山の中にぽつんと現れた2階建ての家は麓にある建屋と風貌は変わらない。立地に目を瞑れば一見して普通の民家だ。
内装も凝ったものはなく、綺麗に整頓されている。麓であっても買い物に不便を感じる田舎だというのに物に困っている様子はない。電気や水道も引かれているようだ。
「総真。俺の部屋に土産で買って来た紅茶がある。とってきてくれ」
「わかった!」
「赤い箱だ。ちょっと奥まったところにあるからゆっくり探してこい」
リビングに置かれたソファーへと下され、そわそわと身が落ち着かない。
頼みの綱の総真は早々にリビングを出て行ってしまった。
手に浮かび上がった汗を握りしめ、ソファーから身を浮かせる。
目の前で真剣に彩春を診察している男が件の神、ロック・ジョー。25年前に失踪した悠久の時を生きる人ならざる者。
「それ、中央区にある老舗の和菓子屋ンだろ。葛餅で有名なトコ」
「え、あ、はい!よくご存じで……」
総真が部屋を出て行ったタイミング。見計らったように投げかけられた言葉に視線が紙袋へと向く。抱え上げられたときに少しくしゃくしゃになってしまったが、中身は無事のようだ。
それを無遠慮につかみ上げたロックが面倒くさそうにため息を1つ。
「冬仕はそこの葛餅が好きでな。ったく。俺のサボり場だったのに……昔、羊羹の方が好みだつったら羊羹ばっか買ってくるようになりやがった……やっぱり羊羹か。お、いちご。これは25年前にはなかったな」
紙袋を勝手に漁り、中身を見たロックの言葉に身が固まった。昔を懐かしむ言葉の冒頭。冬仕という名は身に覚えがありすぎる。
冬仕は彩春の父親。現海魔対策特務機関シャーレのトップ、総帥に君臨する男である。
25年前、目の前の男の側近を務めていた過去がある。神の失踪後、最も長く捜索を提言していた人でもある。
「とっくに諦めたと思ってたンだが。アイツの差し金か?」
「い、え……なんの、ことだか……私はただ、ご子息を傷つけてしまったことを謝りに……」
「知ってる。見てたからな」
口内を蹂躙する苦い味。生唾をに見込む音が脳内に大きく響く。どくどくと脈打つ心臓がまだ自分が生きていられる幸運とこれから訪れる悲運を嘆いている。
薄ら寒い気配が腫れた傷跡を抉る。継ぎ接いだ手が周囲に浮かぶ闇よりも深き毒へ触れた。




