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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
あなたの為のアクアリウム

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4/49

休符から始まる#1

 眩い光に瞼が震える。血潮がうつる裏側で左手に暖かなものが重なっているのを感じる。

 最後に耳にした言葉を頼りに瞼をこじ開ければ、真っ白な光が瞳孔を刺した。


 眼前に映った景色は白く、アルコールのような匂いが鼻につく。規則正しい電子音と身体につながれた線。あちこちに張られたガーゼに触れようと持ち上げた右手は包帯で皮膚が見えない。指先を曲げようにも何かで固定され、成すすべなく再びシーツの海へ戻した。

 

 起き上がろうとして、鋭い痛みにうめき声が漏れた。突然の衝撃に腹部が折り曲げられず、ほんの数センチ浮いた体がマットレスに受け止められる。ふと、左手の先で2つの毛並みが顔を上げた。


 いつからそこにいたのか分からないが目が充血して、髪が心なしかぼさぼさだ。怪我をしていたはずだが、真新しい制服に身を包んだ姿からは様子が伺えない。


「日野くん!起きたのね……よかった……」

「えーっと、葬務官さん?なんで俺の名前を?」

「私は神崎彩春。ごめんなさい、勝手に持ち物を調べさせてもらったの。あなたのご家族に連絡しなければいけなくて」


 枕元のパイプ椅子には上着を脱いだ際に社の裏へ置いた鞄が鎮座している。鞄の上に乗せられた生徒手帳から名前を確認したのだろう。緊急の連絡先もそこに書かれている。

 ここは西区にある総合病院。その一室を葬務官の権利で貸し出してもらっているらしい。


「その……ご両親のどちらとも連絡がつかなかったの。書いてあった連絡先が……」

「あー、父さんも母さんもスマホ持ってないんだ。緊急の連絡先つっても村長への連絡先でさ。2人と連絡つかなかったんだろ?」

「ええ……重体だったあなたも意識がなくて勝手に治療をさせてもらったわ。ごめんなさい」

「命を助けてもらったのに文句なんかねぇよ」


 自分自身を見ればどれほど酷かったのかはなんとなく分かる。手を尽くして治療を施してくれたのだろう。海魔に遭遇して一般人が生きているだけ御の字だ。

 しかし彩春はそう割り切れないようで、沈痛な面持ちで総真に頭を下げた。


「あなたが死の淵を彷徨ったのは偏に私の責任。助けると言ったのにこんなことになってしまって……」

「いいって!神崎も死にかけてたじゃねぇか!俺よりあんたの治療はどうしたんだよ」

「私は……」

「君も彩春も俺が治療したから問題ないない」


 彩春の言葉を遮った声に視線を向ける。開け放たれた病室の扉から歩いてきたのはワイシャツにジャンパーを羽織った男。片手には火のついたタバコを持ち、くるくると指先で弄んでいる。


「秋仁先生!患者の前です!そもそもここは病院です!!」

「おっといっけね。小うるさいのがいるんだった」


 火のついたタバコを、指の先に突如として現れた水の塊に浸し、ぐしゃぐしゃになった残りを乱暴にポケットに突っ込む。何も持っていないアピールなのか両手をひらひらと振り、壁にかけられた椅子を手に取った。


「具合は?起き上がれそうか?」

「なんとか……えっと」

「この人は神崎秋仁2等葬務官。ダムの近くにいると言っていた葬務官は彼のことよ」

「神崎?苗字一緒?」

「私の叔父なの」


 海魔と相対していた時、近くにいると言っていた葬務官は彼だという。葬務官の制服は着ていないが先程指から水を出していた。戦闘の際に散々見たが、あれも深水操作なのだろうか。


 秋仁は無遠慮に布団を捲り、包帯の上からあちこちに触れている。彼の周りにはいくつもの小さな深水が浮かび上がっていた。

 

「救援に来てくれた人ってあんた……ですか」

「そのとーり。ついでに君たちの治療も。君ってば腕はバラバラ、腹は中身がこんにちはしてたんだぜ。よかったな、内臓と筋肉に直接外の空気吸わせられて。レアな体験だぜ」

「先生!」


 ぞっとする言葉の羅列に信じられないが、包帯の位置からして嘘ではないのだろう。宙に浮いていた深水が小さく人体の形に変形していく。しかし腕と手のひらは目視できる程度の深水の膜1枚で繋がれ、腹は大きく横に引き裂かれている。


「これが発見時の状態。ここまで酷いと、俺以外は誰がどう頑張っても失血死させて終わりだったろうな」

「うへぇ……これ、俺の腕と腹?なんで生きてるん?」

「俺の腕がいいからでしょ」

「説明が足りていませんよ!」


 ため息をついた彩春が代わりに説明をし出す。秋仁は葬務官の中でも特殊な葬術を操る。弔うための力には本来あり得ないはずの、人間の治療を主とした成分に深水を浄化できる。万能の回復薬とまではいかないが失った一部を再構成する力もあるらしい。彼があの場に居合わせたのは幸運だった。


「ま、そもそも君達が怪我をする前に駆け付けるべきだったんだけどね。そこはほんとごめん。若い子の体を傷物にしちゃった」


 語尾にハートが付きそうなほど軽い調子の秋仁とは対照的に、彩春は怒りのあまり眉間にしわが寄る。今にも殴りかかりそうな彼女に首を振り、必死に止めた。頼むから怪我人の前でバイオレンスな争いを起こさないで欲しい。


「深水で補った部分は勝手に定着して君自身の肉に置き換わるけど、かなり体力を消耗する。食事はきちんと3食とってね。1日経った今置換率は7割ってところだし、明日には完治してるよ」

「1日……」


 海魔との遭遇から丸1日。なんだかまだ夢のようで信じられない出来事だった。日常の隣にある命を脅かす存在。言わずとも誰かが遠くに追いやってくれていたナイフに無知のまま素手で握りこんでしまったような、そんな薄ら寒い恐怖を味わった。

 

 黙り込んでしまった総真に何を思ったのか。秋仁は静かに立ち上がり、態と音を立てて椅子を引く。


「色々話すことはあるんだけど怪我人だしね。一旦休もうか」


 人がいては休めないだろうと、ナースコールを枕元に置いて秋仁は扉へと向かう。同じように彩春が席を立ち、ふと真剣な眼差しで総真を見た。彼女はしばし口をはくはくと音もなく開閉する。紡ぐべき言葉を探しているようだ。


 そうして何度か繰り返さえた動きが、やっとの思いで音を伴う。


「謝ってばかりじゃ、勇敢に戦ってくれたあなたに失礼よね。……助けてくれてありがとう」


 胸に染み込んだ言葉が彼女の背をなぞる。彼女がこうして無事に立っていられること、それだけで引き裂かれた手に意味があったのだと言われたような気がした。



――――――――――――――――――――



「彩春。ちょっとこい」


 病室を出た彩春に手招き1つ。壁に寄り掛かった秋仁がタバコを取り出そうと懐を探る。その手を抑え、彩春はぎろりと睨みつけた。


「禁煙ですってば」

「あー悪い悪い。ちぃと脳に酸素が欲しくてさ」

「逆に減るでしょう」


 激務の葬務官をする傍ら大学に通い、医師免許を軽々取得した男の言葉とは思えない。声を発したと思えば軽口ばかり。実力に相応しくない責任感のない言葉の数々は彼が実績に比して全く尊敬されない原因になっている。かくいう彩春も彼の言葉は半分も信じていない。

  

「ニコチンは収縮した血管の代わりに酸素を配ってくれる万能の成分だぞぉ」

「大嘘つかないでください」


 再び懐を探り始めたのを止めようとしたが、今度は先手を打たれ静止する。出てきたのはひしゃげた小箱ではなく、血の滲んだ手帳。捲ってみるとびっしり走り書きで埋め尽くされている。


「日野総真の手術記録だ。目を通しておけ」

「個人情報では……?」

「汚染被害者の手術記録は葬務官が自由に閲覧できる。知ってるだろ?」

「それは緊急事態及び研究のために使用する場合に限ります」

「じゃあ緊急事態」


 そんな言葉1つで人権を無視した理不尽がまかり通ってたまるか。手帳を突っ返そうと秋仁を見やると、彼は肩を竦めて廊下を歩き出してしまった。


「どこ行くんですか!」

「見たほうが早いだろ」


 慌てて後を付いていった先は昨日総真が担ぎ込まれた手術室だ。深水による汚染被害者の手術は専門の医師か一部の葬務官にしか許可されていない。この病院にも専門医はいたが秋仁ほど治療と浄化に適した人材はおらず、手術室に何時間も籠っていた。

 

 現場保存を頼んでそのままにしていた手術室はあちこちに血痕が残っており、使われた器具もそのままだった。アルコールに交じる鉄錆びた匂いが凄惨さを物語っている。


「ここを見てどう思う」

「どうって……」


 言葉の意味を測り兼ねて辺りを見渡す。人1人を助けたはずの現場にしては血生臭い。あれだけ大きな怪我で海魔の深水を直接体内に浴びたのだ。汚染も酷かっただろう。手術台の傍に置かれた深水を入れるための隔離容器を覗き込む。

 そこでやっと違和感に気が付いた。


「隔離容器が空?」


 汚染被害者の治療は困難を極める。体内に侵入した深水が体を内側から腐らせ、急速に広がっていくからだ。まずは汚染源である深水を除去しなければならない。

 隔離容器は念のため10リットルは入るように大きく作られている。汚染された部位や浄化した深水を入れるため、すぐに溢れかえってしまうそうだ。


 けれど、この隔離容器は空っぽ。汚染部位も浄化した深水も一切入っていない。その形跡すらも見当たらなかった。


「君の報告だと、総真は深水に触れても汚染されなかった。ここまでなら葬務官も同じだ。多少深水操作できれば防げる」

「はい。ですが体内に大量に侵入した深水の浄化は葬務官でも時間がかかります。ただではすみません」

「そうだね。でも結果は御覧の通り」


 秋仁は総真への浄化は一切していないという。行ったのは治療だけ。失った肉やまろびてた臓器を収め、固定するために彼の葬術を流し込んだ。


「俺の葬術への馴染みも異常だ。1日で腹の半分、骨までも繋がりはしない。何らかの深水への親和性、あるいは耐性があると見たほうがいいね」

「ですが彼は深水操作はできないと」

「嘘だね。いや、嘘ではないか。本人に自覚がないだけだ」


 断言と共に手帳を取り上げられる。ぱらぱらと捲った何ページ目かの隅に、深水の計測機器による診断結果が貼られていた。これは幼児期に受けることが義務化されている体内の深水保有率を測る検査だ。


 人間は誰しも深水を保有している。されどそれは少量で大抵は1滴にも満たない。その量が多ければ多いほど深水操作への適性が見込まれる。


 総真の検査結果には人体のおよそ2割が深水に浸されていることを示していた。これは葬務官である彩春と同じ数字だ。しかし不思議なことに、その2割は彩春の数千倍にも及ぶ密度で構成されている。まるで、海魔のような。


「なん、ですか……これ……」

「俺もびっくり。馬鹿みたいな数字を見たのは人生で3回だけだ」


 3回。その言葉に思い当たる節がある。彼が3回だけ、この検査の紙をもって頭を抱えていた時があった。正確にはそれは3人分の検査結果。人類の英雄たる者たちが残した資料。


「案外近くにいるもんだね。神様って」


 彩春はあの戦いで口にした祈りの言葉を反芻する。全ての葬務官が憧れ、畏怖し、頭を垂れる、神と崇められ信仰される存在。多くの人々が目にすることすら叶わないそれらは今尚人類を護る為に力を奮っている。


 手術室の外。空を覆うヴェールが脳裏を過る。天と地を隔絶し、海から来る海魔を未然に防ぐ永劫の檻。あれは神が構築する大規模な葬術だ。通常の人間が扱えば脳が焼き切れて死に至る泡。それを惜しげもなく300年も展開し続ける我らが神。

 かの少年は同じものを内に宿しているという。


「この数字で報告に上がらず、葬務官にもなっていないところを見るに検査自体を受けていないだろう」


 手帳に挟まれた戸籍抄本。変更履歴まで詳細に記されたものだ。この短時間で一体どこから入手したのか。


「日野総真。父親は日野ロック。母親は日野クララ。両親は多分どっちも適当だな。データベースを調べても名前がヒットしなかった。あの子は養子ってことになってるが、抜かれる前の……つまり本当の親がどこにもない」


 辿って行った中身は見た目こそ違和感のないものの、秘匿された変更履歴がずらりと並んでいる。日野総真、という名前すら何度か手が加わっていた。


「改ざんの跡が大量にある。結構強引に変えたみたい。でもだーれも指摘できない人が変えてるから今まで放置されてたんだな」


 変更履歴、その全てに付随している主犯の名。とても偶然とは思えない文字が網膜を走る。

 総真の父親の欄と主犯の名を指先でなぞる。


「ロック・ジョー……」


 人々が崇める神の1人。彼は25年前から、行方不明になっていた。

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