波間に剣を突き立てん#2
現れた訓練室はえぐり取られた壁や地面があちこちに点在する真っ白な部屋だった。
目がおかしくなりそうなほど純白に包まれた室内は境界線がなく、永遠に続いているようにも見える。
凡そ人間業とは思えないひび割れは修復したようなあとがあり、焼け焦げた地面が修復箇所を覆っている。
修理しては破壊の限りを尽くされた室内は不思議なことに下のや上の階には貫通しておらず、頑丈に造られているのが良く分かる。
部屋の片隅に場違いなほど真新しいホワイトボードが立っており、近くには広々としたソファーがおかれている。
紫電を走らせ一瞬にしてボードに寄った剱がきゅっきゅと音を立てて文字を書いている。
「総真様、こちらにお座りください」
「あ……うん……なんか思ってたのと違う……」
「調査という割に授業のような……」
腰を下ろせば半分は沈むソファーは快適で、ボードに書かれていく文字は達筆だ。
少々豪華な授業とも取れる構図に総真と彩春は首を傾げる。
てっきり調査というからには実際に身体能力を測ったり、医療器具を持ち出すのだと思っていた。
「葬務官としての知識をお持ちではない総真様に配慮し、説明は最大限行うことを義務付けられております。端的に言えば授業を行わせていただきます」
「なるほど?」
「総真様は深水操作について一般的な義務教育に組み込まれているカリキュラムと同等程度の知識を保有しているでしょう。ですがそれでは根本的な部分の説明は省かれ、扱い方すら分からない状況にございます。まず深水操作とは何か。これを知ることが調査に役立ちます」
遠回しな言い方だが、要は深水操作について一切知識のない総真に合わせて事前知識を作ってくれるらしい。
ボードに書かれているのは深水とは何か、深水操作とは何かを簡単に表にしたようなものであった。
深水と書かれた部分には体内の深水と外部にある深水の2種類が記載されている。
これについては常識的に知っている。人間は誰しも少なからず深水を保有しており、それとは別に世界中に深水は存在する。
海魔が発生する原因でありながら資源確保が難しい小さな島と化した世界で豊かな暮らしを育む基盤となっている。
深水と人間は切っても切り離せない関係であり、これに関わらずに生きていくことは不可能だ。
「深水操作とは深水そのものを操る技術のこと。葬術との違いは発展性です」
「発展性?」
「深水操作は深水を浮かせたり移動させたり形を変えたり。深水の性質を変えずに操る技術。葬術は性質そのものを変質させる能力。全くの別物と言ってもいいわ」
深水そのものを操るか、深水を媒介に何かを行うか。その違いが最も顕著な部分であり個人差が出やすい部分でもある。
深水操作だけならそこそこの人類が行える技術だ。
身体の深水を操る関係上、行えるようになればすぐに分かると言われているが残念なことに総真は実感がない。
「深水操作って使えばすぐわかるもんじゃねぇの?」
「深水操作は体内の深水を操作するとき1度外に出す訓練をいたします。ひと目でわかるとは、これのことかと」
言葉と共に浮かび上がった水滴がぽこぽこと集合し、1つの球となって現れる。
秋仁や彩春も深水を扱うときに1度球にして扱っている姿をみたが、基礎訓練の内容に体内にある深水を外に出すというものがあるそうだ。
これは体内にある深水を暴発させ人体に悪影響を与えないための処置であり、やらなくても操作はできる。
紫電を走らせて瞬間的に消えては現れる剱は葬術と深水操作を同時に扱っているそうだが、深水は浮かび上がっていなかった。
「深水操作は訓練をすれば血肉と同じ、扱っているのが当たり前の体になります。総真様はおそらくその形に近いと思われます」
医学的な面を秋仁が、深水を多く宿すものとして神達が、深水操作を伝授する歴戦の戦士として剱と冬仕が考察した結果、総真の肉体は深水に対して類まれなる順応を見せている可能性が高いという。
深水操作は習得するだけでも半年以上かかる代物だ。体内の水分を操作してくれと言われても早々できる者ではない。
総真の肉体は深水と類まれなる調和を産みだしており、本来人体にとって猛毒な深水を無害にしていると考えられる。
無害にできる量は決まっており、さほど大量ではないが少なくとも戦闘で多少浴びる程度では支障はない。
「それってすごいことなの?」
「即効性のある猛毒と人体が共存している状態です。通常の人間であれば赤子のころには息絶えているかと」
「深水へ耐性があるだけでもすごいの。耐性がある分だけ扱える量が増えるわけだし」
総真の体質はレア。前例がなく人間の中ではトップクラスに順応している。
だがそれを扱う技術はなく、育ての親であるロックを問い詰めたところ彼は深水操作に近いことを教えた記憶はあると宣た。
水上歩行もその1つであり、いくつか似たような技を教えていると。
「日常生活の中で身のこなしについてアドバイスをたくさんされていた関係上どれがどのように当てはまるのか分かりません」
「そりゃそうだ」
「ので、これから1つ1つ確認いたします」
「……マジ?」
真剣な表情で頷いた剱に、総真と彩春は頭を抱えた。
剱が取り出したるは「多分教えたんじゃないかな」リスト。
ロック本人に側仕え冬仕の協力の下聞き出した代物だが、信ぴょう性は極めて低いという。
本人が何を教えたのか殆ど覚えていないことと、半分はカノンが指導したものが混じっており判断が付かないのだという。
水上歩行は既に確認済みと書かれ横線が引かれていた。
「水鉄砲、ハイドロプレーニング、ダッシュ……名前から推察できるものもあれば良く分からないものもあるわ」
「深水を体外に放出する技は教えていないとお聞きいたしました。全て体内で完結するものかと」
「水鉄砲なのにですか!?」
「あ~それね!名前だけなんだ」
あっけらかんとした総真とは対照的に彩春は胡乱な瞳を向けている。
無理もない、水鉄砲と聞かれたら体外に射出する技を思い浮かべる。彼女自身の水月孔がそうなのだから。
手渡されたリストを確認する限り、総真の学んだものと相違ない。
足りないものと言われても思い浮かばないが、少なくとも記載されている内容は全て理解できる。
口頭で説明することは難しく、かといって似たような技術も多いせいで余計にややこしくなるだろう。
実際にやってみろと促されリストの上から順に少しずつ行うことなった。
「まず水鉄砲からだな……これは単純に足を速くするヤツ。説明が分かりづらくて想像しやすい名前に変えてもらったんだ」
「説明の補填にしては名前が不思議ね」
「やってみるよ」
最初に教わった技術であり、当時は足を速くするだけのものだと思っていた。
かけっこで1番になれると踏んでうきうきで学んだのだが、残念なことに人前での使用が禁止されてしまったものだ。
足に神経を集中させ、1点を見つめる。前方に意識を強く持ち、直線を描く。
一閃。瞬く光が周囲を包み込み、視界の端に星が散った次の瞬間には総真の体が壁に触れていた。
「は、早……走っていた時より断然早いじゃない!」
「これ短距離でしか使えなくて……。水鉄砲みたいに一直線に全速力で走るだけ!長距離は無理!」
精々200メートルが限界の短距離移動。今思えば足運びと推進力を深水操作で補っているのだろう。
この技であれば南区で縦横無尽に走る秋仁について行くこともできたのだが、如何せん長い距離と障害物の多い場所は危険だ。
「これ曲がったり急に止まったりできないんだ。障害物があると激突する」
「それは……なんというか不便ね……」
「でしょ?」
200メートルを1秒かからずに踏破する速度で障害物に突っ込めば大けがは免れない。
最初の練習の際には足が何回か折れた。そのたびにロックに治療してもらっていたが、よく考えればかなり可笑しな状況だ。
「剱さんの葬術の使い方に近いかもね」
「私のは大した速度はでません。角度を変えることも可能であり、障害物は薙ぎ払えます」
「角度変えた意味ないじゃん」
剱の葬術は雷に由来するものらしいのだが、誰も移動以外で使用しているところを見たことがないのだという。
特務葬務官の戦闘とは苛烈で、同じ特務葬務官でなければ視界に入った時点で巻き込まれる確率が高い。
移動に扱っている瞬間以外で見るのは特務葬務官が前線に出なければならない異常事態のときだけだ。
「深水操作で葬術と同等の性能が出ている点が疑問です。人間に可能な動きなのでしょうか」
「それを俺に聞かれても……」
「教えたロック様とカノン様に尋ねるか、誰かが実践してみないと推し量れませんね」
「俺を人間判定してないって意味?」
葬術を扱えない総真からすれば深水操作と葬術に大差はない。扱えないから使わない。その程度の認識だ。
その後も言われた通りに実践して見せたが、似たようなものばかりで根本的な部分に変化はない。
深水を体内で循環させ、操作する。それだけを繰り返し、局所的に強化を行っているということが判明した。
この事実は深水操作の理念としてはかなり珍しい解釈だと彩春はいう。
「深水操作は全身に巡らせることで身体能力を強化するものなの。一部分を超強化して扱うのは珍しいわ。それは新人が良くやる失敗って認識だったもの」
「なんでみんなはやらないの?」
「部分的に強化しても強くならないからよ」
高濃度の深水を体内に持つ総真には体感できないことだが、人間は深水操作を部分的に行うとその部分が壊死してしまう可能性が高いと説明された。
一部分で濃度が高まると体内で生成されているにも関わらず毒性を露わにする。
さらに全身がもろい人間にとって身体の強化は最優先事項。
行わなければ死が待っているといってもいい。局所だけを強化しても頭を吹き飛ばされればお終いだ。
「総真様は深水に耐性があり、深水濃度が高く、部分強化をしても問題がないのでしょう」
「耐性……マジで重要じゃん」
「そうよ。耐性さえあれば解決する問題が山ほどあるわ」
言われた通りに深水操作を使い続けているのも常識離れしていると注意されてしまった。
毒を触り続けて平気なわけがないと抗議され、体は何ともないと肩を竦める。
調査はイレギュラーに難航を極め、名前負けする深水操作をいくつも精査するはめになった。




