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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
ひび割れた水槽

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43/52

潮風は遠く#2

 ふとした瞬間、覚束ない足取りで酷く歩きにくい地面を歩いていく。

 ざくざくと音の鳴る地面は白く、耳には南区で聞いたざあざあとざわめく海の音が聞こえる。


 鼻を擽る潮風がべたつき、脚は意味もなく先の見えない虚空を歩いている。

 波打ち際の音色とただひたすらに歩き続ける動作に、これは夢なのだと自覚を得た。


 海に行ったのは南区がはじめて。この足元にあるものは砂浜と呼ばれる存在もあの時は見られなかった。

 海辺は海魔が跋扈する場所で、リュードの葬術をもってしても内側に生まれてしまうものを堰き止められないと聞く。


 こんな風に穏やかに海風を感じながら歩くことなどできはしないだろう。

 視線の先に地平線の彼方まで続く青を眺め、なんだか無性に海に入りたくなって脚が自然と波間を目指した。


 押し寄せる波花を散らし、衣服が濡れるのも構わずにざぶざぶと海へ入っていく。

 腰の深さまで足を進めたところで、ずるりと前に出したつま先が滑り落ちる。


 そのまま受け身も取れず浮遊感の中真っ逆さまに海へ落ちて行く。

 空気のない中苦しみもがき、上を目指すほど底へと堕ちる。


 手足をばたつかせるほど何かが身に絡みつき、底へ引きずり込まれていく。

 それが人間の手であると気付いた時、背筋に悪寒が駆け巡った。


 抵抗は空しく、手を繋がれて引っ張られるままに暗く冷たい海の底へ。

 無為に散っていく空気が天へと上り、どこか遠くへと消え去っていった。



 

——————————————————————————————



 

「は、げほ、はぁっ!」


 勢いよく身を起こした先で目を見開く。

 肌に張り付いた衣服が気持ち悪く、脂汗の浮かんだ額を拭い去った。


 周囲には誰もおらず、見覚えのない部屋が広がっている。

 混乱に思考を巡らせやっとここが新しく与えられた部屋なのだと思い出した。


 疲労に眠ってからなんだかとても恐ろしい夢を見ていた気がする。

 思い出したくない、冷たく暗い所へ迷い込む夢。


 どうしてだが同時に懐かしさも感じ、余計に恐怖を感じる。

 起き上がって曖昧になった夢は心に恐ろしさだけを残し、鳥肌のたった腕をさすった。


「水……」


 落ち着かない心臓を抱え、のろのろとベッドから降りる。

 勝手の分からない広々とした室内を進み、備え付けの冷蔵庫の中を漁る。


 支給品らしき食料と共に水が入っており、開けて一気に飲み干せば身が冷え切って胃がひっくり返りそうになった。

 それでも気分は幾分かマシで、ガンガンと痛むこめかみをさする。


 シャーレに来てからどうにも夢見が悪い。

 意識のあるうちは現実に翻弄され、意識のないうちは知らないことに翻弄される。


 ここに来てからそんなことばかりだ。

 今まで平和に暮らせていたのが不思議なくらいに激動の時間に巻き込まれている。


 まだ彩春に出会ってから1週間も経っていないのが信じられない。

 未だ自身が扱っている深水操作についての調査もしておらず、気が付いたときには戦場に立っていた。


「なんであの時、戦えたんだろうな」


 拳を握りこんだこともないこの手で海魔を殴り、振り上げたことのない脚を高く上げた。

 武術を習ったことのないはずの身が勝手に動き海魔を叩きのめしたときはひたすらに必死で何故倒せたのかすら分からない。


 昔から身体能力は高かった。山を遊び場にし、自由に駆け回っているのがほとんどだった。

 学校の友人は軒並みついてこられず、全力で遊んでくれたのはロック1人だ。


 あの時から人とは違うと思っていたが、狭い田舎社会ではただ少し体が強い子程度の認識で稀に見る身体能力だとは誰も思っていなかった。

 この体は何かおかしい。だが人であると父も母も伯父も言う。


 おかしいと分かるのに詳細が分からないのが歯がゆく恐ろしかった。

 家族を守り、家族を大切にしたいのに、身の内から漏れ出た炎がその覚悟を歪ませる。


 あの炎は何なのだろうか。もしや、白狼の言っていた今はない手の火傷はあの炎に関連しているのか。

 考えれば考えるほど情報の少なさに頭が痛む。


「どうして何にも分からないんだ……なんで……」


 大事なことが何1つ頭にない。体のこと、深水操作のこと、育ての両親のこと、本当の両親のこと。

 どこかで聞いていてもおかしくないことが徹底して隠され、知らないまま時間だけが過ぎていく。


 翻弄されている事実に惑わされ、手に入れたい真実にたどり着けないまま。

 悪寒が背筋を走る。知らないままでいなければならないと頭痛が叫び、知らなければならないと理性が求める。


 狭間の意識の中でどちらが正しい自分の意志なのか分からず、手に持っていたペットボトルをとり落とした。

 ばしゃんと音を立てて床に散らばったボトルを拾い上げようと床へかがむと、ふと地面に散った水面に違和感を覚える。


 地面へと透けるはずの水がなぜか別のものを反射し、その先に人の手らしきものが見えたのだ。

 

「なんだ……これ……」


 水面へ手を伸ばしていく。指先が触れ合った瞬間、水面からずるりと肌が現れ、総真の手首を掴み取った。

 

「うわぁ!」


 振り払おうと腕を無茶苦茶に揺すってもビクともしない。そのままずるずると水面にひきずりこまれ、床につくと思っていた手がすり抜けていく。

 夢で感じた恐怖を思い出し、身を硬直させた総真の眼前に薄暗い闇が迫った。




 闇の向こうは薄暗いだけの何もない空間だった。

 まだ夢を見ているような浮遊感が漂い、足場のない空間をきょろきょろと見渡す。


 誰かに引っ張られる感覚があったのだが、訪れた空間には何もいない。

 ただの水たまりから前後不覚になるほど広々とした空間に転移させられるとは思ってもみなかった。


 南区へ飛んだ時は深水で造ったワープポータルのようなものに飛び込んだが今回は本当にただの水だ。

 人体に害のない、深水とは無関係の水分から葬術を発動するなど果たしてできるのだろうか。


 それ以前にあの部屋には総真1人だったはずだ。これは本当に葬術なのか。


 開いた口からは泡が零れ落ち、まるで水中のように身が重い。

 しかし空気に困ることはなく脳が混乱に苦しみ出す。


 出口を探そうにも光はなく、ぼんやりと浮かび上がった自分自身だけがそこにある。

 足を踏み出したり、泳ぐように手をかいたりしても前に進んだ実感はない。


 落ちてきた場所はとうに消えうせ、葬術もない総真にはお手上げ状態だった。

 目がおかしくなるようなただの黒の中長時間留まれば気が狂ってもおかしくない。


 どうにかして脱出し、何が起こったのかを突き止めなければ。

 だがどうやって。


 「……っ」


 声も出ない空間でぼんやりと口から浮かび上がる気泡を見つめる。

 上へ登っていく気泡は数センチ浮かび上がった直後にぱたりと消えうせ、存在を拒まれるかのように総真以外のものが存在しない。


 意味もなくくるくると周囲を見渡し、必死になって出口を探し続ける。

 ふと、はるか遠くにぼんやりと何か光のような白い点が浮かび上がっていることに気が付いた。


 何もない空間で佇むよりははるかにマシだろうと、懸命に光明へと泳ぐ。

 走る、歩く、という動作でも進めるかわからずまとわりつく重苦しい液体のような何かをかき分け、光に向かって進み続けた。


 光はだんだんと近づいてくるが、多少大きさが変わる程度で手の届く距離にはやってこない。

 ひたすらに泳ぎ続けた体は疲労を訴え、まとわりついていた水がさらに重く感じる。


「っ!」


 瞬間、光が上へと逃げていく。視界の端から徐々に上空へと去っていく光にやっと自分が落下していることに気が付いた。

 足先から冷え切った空気が流れ込み、背筋に這い上がる悪寒が真下の何かに恐怖を抱く。


 今まで一切気配を感じられなかった誰かが、その先にいるような不可思議な感覚。

 自分を連れ去った存在なのか、それともこの空間に最初からいる存在なのか。


 見えもしない暗黒でひたすらに目を凝らし、落ちて行く体を必死に登らせる。

 もがけばもがくほど落ちて行く体は氷よりも冷たい何かに足をとられ、足首に手のようなものがまとわりついた。


「オーレリア」


 誰かが呼びかけている。

 俺はそんな名前じゃない!と叫びたくとも声は出ず、顔のない存在がこちらに手を伸ばしていた。


「スコア・オーレリア」


 知らない、そんな名前の人物は知らない。

 俺の名前は日野総真。父と母に名付けられ、15年の生涯をその名で生きてきた。


 スコア・オーレリアなんて奴知らない!


「総真!」


 その手を振りほどかんともがいていた先に、何かが霞める。

 遠くに去っていたはずの光明が眼前に現れ、暖かな柔肌と見覚えのある薄暗い触手のような深水が光へひびをいれていた。


 吸盤のついたそれが母の暖かな手であると気付き、光へと手を伸ばす。

 指先が触手をかすめた瞬間勢いよく腕に巻き付き、尋常ならざる力で外へとひっぱりだされた。


「う、あっ!」


 ばきっ!と嫌な音を立てて体がフローリングに叩きつけられる。

 痛みに身を起こすと、複数の吸盤のついた触手を足元から生やした母が真っ青な顔で目の前に立っていた。


「大丈夫!?息はできる!?」

「は、げほ……う、だ、いじょう、ぶ」


 フローリングに転がった総真を抱きしめた母の体がとても暖かく、冷え切った身から力が抜ける。

 足元に落ちたペットボトルと地面に広がった水は先ほどまでの現象が嘘のように静まり返り、酸素を求める荒い息だけが落ちて行く。


 母に支えてもらいながらもなんとか起き上がり、水辺から逃げるようにソファーへと身を投げ出した。


「かあさ、なんで、ここに……」

「ロックお兄様が総真の様子をみてこいって……私もあなたが心配できたら、台所に海ができてて……」


 先ほど地面に零した水は総真が落ちている間、薄黒く濁り波風を立てていたのだという。

 それがまるで海のように見え、ごぽごぽと溢れる泡に嫌な予感を抱いて彼女の深水で形成した触手を突き入れたらしい。


 感覚が鋭敏な触手は人の息遣いを感じ、中を探索した結果総真を発見した。

 まさかこれほど薄いただの水がワープゲートになり人間を飲み込むとは想像しておらず、慌てて引き上げたと説明された。


「どうして落ちていたの?というかそもそもあれは……」

「俺もわかんない……誰かがスコア・オーレリアって呼びかけてたけど……」


 瞬間、母がぎょっとしたように目を見開き散らばった水を見つめる。

 その名前に聞き覚えがあるのか、その肩が大きく震えているのが見て取れた。


「母さん、あれは……」

「総真。お母さん急いでお兄様に報告しなきゃだめみたい……少しだけ待ってて」


 あれは何だったのか。

 そう問いかけようとした言葉を遮り、カノンは部屋を出て行ってしまう。


 ぽつんと部屋に残された総真は呆然と扉の先を見つめ、地面に散った水滴を見つめた。

 

 

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