潮風は遠く#1
訪れた日より人がまばらになった道を歩き、寮へやってきた一行は建物の前に佇む女性に声をかけられた。
垂れ下がった眉に肩にかかる程度の黒髪。青々とした瞳は会議室で見た2人を思い起こさせ、総真はぱちくりと目を瞬く。
「もしかして皇家の人?ですか?」
「うん、はじめまして!私は皇治剣。おじ……当主様のご命令であなたのお部屋に案内します!」
どこか緊張した面持ちの少女、治剣は1つ上の2年目の訓練官だという。
腕章は同じグリーン。まだ4等葬務官である証だ。
リュードの傍を離れられない剱に代わり、皇家からの要請でやってきたのだという。
随分と破格の待遇に彩春はおろか白狼まで怪訝な顔をしている。
「お前、神崎の世話になってるんじゃねぇのか?」
「皇家とは何の関係もないわよ。剱特務葬務官が気を回してくれただけ、だと思うわ」
「ンで特務葬務官が雑魚に気ぃ回すんだよ。わけわんねぇ」
ひそひそと固まって話す彩春と白狼を他所に、困ったように笑った治剣が1つの鍵を取り出した。
そこには小さなシャチとタコ、サメのキーホルダーが付いている。鍵1本に対して随分と多い。
「これはリュード様達からだそうです。お部屋の鍵ね。ところで、神崎彩春ちゃんは知っているけど、そちらの子は?一緒に行ってもいいの?」
「白狼っていう……友達?です?」
「誰が友達だ!」
抗議の声がすぐさま飛んできたが、治剣はにこにこと笑うだけで突っ込みはしなかった。
一緒に案内して欲しいと頼み、4人で寮の中を歩いていく。
この棟は特務葬務官用に誂えられたもので、少し離れた位置にある女性用のものと殆ど同じ造りになっているらしい。
部屋の広さは階級によって差があり、訓練官は基本的に1階のワンルームがあてがわれる。白狼の部屋も1階だという。
同じく訓練官かつ4等葬務官の総真も1階に部屋が用意されているものだと思っていたが、彼女が向かった先はエレベーター。
どうやら上の階に向かうようだ。
「1階じゃねぇのかよ。どうなってんだマジで」
「それは俺も聞きたい」
この寮は上の階に行けば行くほど部屋が広く、数が少なくなっていく。
5大名家のように中央区に巨大な家を持ち、本部と遜色ない訓練施設を所有している場合もあるため、入居者自体はそう多くない。
葬務官が快適に生活できるように共有スペースはもとより個室の設備も充実しており、家具家電付きは当たり前。
最上階などはワンフロア全て個室になっており、独り身の特務葬務官が主に住む場所になっている。
このエレベーターが向かう先は2階。部屋を半分に区切って造られているエリアだ。
困惑したまま2階への戸が開き、促されるままに1つの部屋の前に立つ。
渡された鍵を使ってみろと言われ、古典的なアナログの鍵を扉へと挿した。
すんなりと回った扉の向こうには広々とした空間とこじゃれた雰囲気の家具。パッと見ただけでもワンルームとは比べ物にならないほど広く、日当たりもとてもいい。
「この階は今誰も使っていないから、実質1人でこのフロアを貸し切ってる状態なんだって」
「はぁ!?訓練官にこんな対応でいいのかよ!」
「この部屋に住んでいる人の名義はロック様になっているから大丈夫だって」
治剣の説明にピンときていない白狼が首を傾げている。
ロックが誰なのか良く分かっていないのは先日の南区防衛戦でわかりきっていたことだ。
白狼は遠慮なくあたりを物色し、あちこち見て回りはじめた。
玄関先で額に手を当てて呆然としていた彩春もハッとしたように部屋の中を歩き回っている。
「本当にここ?」
「うん、本当は最上階を使いたかったんだけど、生憎今は入居している子がいて。ごめんね」
これ以上部屋が広くても持てあますだけだ。
ばらばらと冷蔵庫まで漁り始めた白狼を傍目に、総真はじゃらじゃらとキーホルダーのついた鍵を持ちあげた。
サメのキーホルダーがどことなく勝ち誇ったような顔をしている気がする。
部屋を壊滅させたロックの一時避難先として使う気で広い部屋を用意させたのではなかろうか。
「それじゃあ、私はこれで。またね、1年たち」
「あ、ありがとうございました!」
案内役を全うした治剣はもうここに用はないと早々に立ち去って行った。
広い部屋に残された3人は、既に若干2名始めてしまっているが部屋の散策を開始する。
充実した家電と色を白にそろえられた家具は見栄えが良く、本部を囲う壁より少しばかり高い窓から街がよく見える。
何よりワンルームを見たあとには信じられないほど部屋が広く、総真は既に困り果てていた。
「これだけ広いと逆に使いづらい」
これからこの広い部屋に1人で住み始めなければならないのは少しばかり苦痛だ。
ロックがずっとこの部屋を使えばいいのにと思う反面、人間だらけの寮で生活できるのかと不安がよぎる。
このままロックが居座るようであれば無為に過ごすことになってもおかしくはない。
戸棚の奥まで物色している白狼の背に立ち、深々とため息をついた。
部屋をひっくり返す勢いで物色していた白狼は遠慮なくどっかりと大きなソファーに座りこんだ。
腰を下ろすだけで沈み込む柔らかな家具は明らかに3人の立場に合っておらず、居たたまれなさが加速する。
「盗聴器も監視カメラもねぇ。マジでロック様?って奴のために用意された部屋だな。何者なんだソイツ」
ベッドの下にまで潜り込んでいた白狼は部屋を調べてくれていたようだ。
物騒なものが仕込まれているなど微塵も想像していなかった総真は背筋が自然と伸びる。
「そんなことあるの?」
「皇家は過去に目をかけていた葬務官を監視において徹底的に管理していた時代があるの。皇が準備した部屋ってのはそういうものよ」
「最近は人権がどうたらとかで表向きには禁止らしいけどな。皇だろ?知らんうちに仕掛けてもおかしかねぇよ」
どれだけ皇家の評判が悪いのか分からない。少なくとも彩春と白狼は未だ信用していないようだ。
自分の目で確かめたというのに住んでいるうちに仕掛けられるかもしれないと宣っている。
「今回はロック様達のご命令だろうし、剱さんはリュード様の意にそぐわないことをやった皇は粛清していってるから大丈夫だとは思うわ」
「剱つーと特務葬務官の皇剱?あの人なら問題ねぇか」
戦闘系葬術を持つ者が多ければ多い程重宝されていた時代、好き放題に暴れていた皇家の評判はシャーレ内部ではとても悪い。
性格に難がある者が多く、横柄で葬術を持たないものを人とも扱わないとか。
それをリュードの命令で粛清して回ったのが剱だという。
彼の統治は頭ごなしで実力で叩きのめすストロングスタイルだが、もともと実力主義の皇にはあっていたようだ。
「そもそもロック様に無体を働こうなんて誰も思わないわ。ここは安全、と考えていいでしょう」
「おい、そのロックつーの誰なんだよ」
水回りを見に行っていた彩春がゆっくりとソファーに座ると、白狼が痺れを切らしたように先ほどから話題に上がっているロックについて尋ねてくる。
まさかシャーレにいて神の名を知らない者がいると思わなかったが、本当に知らないようだ。
「ロック様を知らないなんてあなた本当に学園に通っていたの?潜り?」
「潜りはそこの雑魚だろ」
「ぐうの音もでない」
「一般教養の授業を寝ていたんじゃないでしょうね」
葬術を発現した子供は、個々人の能力に差があるためすぐに後進育成担当の葬務官が付き、それぞれに教育を施す。
学園と言いつつもマンツーマンで進む塾のようなシステムだ。
葬務官としての実力や学力のレベルに合わせて授業は様々。
しかしシャーレの神であるロックを知らないというのはそれ以前の問題だと彩春は強く非難した。
「いい?ロック様は神様の御1人。間違っても無礼な真似をしないで」
「神って2人じゃねぇの?カノンサマとリュードサマだったか?」
「今私たちを見守ってくれているのは3人よ」
「んで、なんでその神サマが雑魚の部屋用意してんだよ」
神に対してまるで興味がないかのように振舞う白狼になおも説教をしようとした彩春を止め、どう説明しようかと言葉を選ぶ。
白狼の指摘通り、先日葬務官に成ったばかりの総真との関係性は不自然だ。
伝えたくとも適切な言葉が見当たらず、うんうんと唸って頭を捻る。
「うーん……家族、だから?」
「はぁ?じゃぁテメェもカミサマだつーのかよ」
「ないない!俺は人間!俺は拾われっ子なの!」
「橋の下で神サマに拾われたつーの?ンな偶然信じるわけねぇだろ!」
「俺も出自に関しては良く分かってないんだよ……」
生みの親が分からず、ただロックに預けられ今まで育ってきたと説明すると彼は複雑そうな顔をしながらも頷いた。
まだ信じてはいないようだが、説明しづらい家庭環境であったことには理解を示すという。
「神達は全員総真を身内として扱うって言っているのだから私たちはそれに従うまででしょ?」
「はぁ?んなこと言ったのかよ!雑魚の癖にクソ偉いじゃねぇか!」
「親の七光りにもほどがあると思う」
宣言は現状は上層部で止まっているが、いつかシャーレ全体に伝わる日が来るかもしれない。
無用な権限と立場を手に入れてしまい大変不本意だ。シャーレに来たのだって無理やりだというのに。
平凡な人生を送り、山奥で家族そろってひっそりと生活していくささやかな時間は15年という短い期間で途絶えてしまった。
シャーレに来てからは激動の時間で、まだ2日も経っていないというのに何カ月もいるような気がしてくる。
1人部屋ではないがやっと個室が与えられたことで今まで張っていた気が少しずつ緩んでいく。
ソファーにもたれかかると瞬時に瞼が落ちてきそうで、うとうとしながらも必死に耐えた。
「おい、雑魚。客がいるのに寝るんじゃねぇ」
「ずっと忙しかったし疲れているのよ。総真、寝るなら寝室に行った方がいいわ」
双方から真逆のことを言われながらも、結局彩春のいう通り寝室へ行くことを選んだ。
2人には申し訳ないが1度部屋を出て欲しいと伝えると、白狼は渋々、彩春は当然だと部屋を出て行った。
眠れなかった昨夜以来、1人の時間の訪れにどっと疲労が押し寄せる。
簡易的な服を着たままベッドへと倒れ込み、そのまま落ちて行く瞼に身を任せた。




