埋葬するは骨か肉か#2
アビスは自身の実験対象に必ず役割を与える。お気に入りならなおのこと。
リュードに与えられた役割は新たなる種となること。それ即ち、神である。
「アビスの目的は最初から変わっていない。私を新たなる種たる神にすることだ」
「それは……既になっているのでは?」
「残念ながらこれは途中経過。私が抗い続けている所為で遅々として計画は進んでいない」
人間でも海魔でもない存在を作り上げることがアビスの悲願なのだという。
リュードはそのプロトタイプでありながら完成に最も近い存在。
完成にはまだいくつもの工程が残っている。そのどれもをリュードは拒否し、アビスは実験の進行を促し続けている。
「私の劣化は時を早めるためのもの。私が狂い果て、彼女の望む結果になるのを待っている。正直、私が死ねば実験はご破算になるのだが……」
計画の要はリュード・オルカ。実験対象がいなくなれば自動的に計画自体が頓挫する。
最も合理的なアビスへの仕返しだろう。だがこれはリスクが大きく、兄妹達は猛反対をした。
「そりゃだめだ。あり得ん。兄貴が死を選んだ時点でアビスは強行突破してくる」
「今はまだ、予想がつく範疇にいるけど……リュードお兄様が亡くなったらあの人の動きは全く分からなくなるよ!」
「と、いうわけだ。残念ながら私の死は余計に事態を混乱させるだけと却下された」
アビスが出現し、彼女はリュードを救うと言っていた。未だ彼女は神の作成を諦めていないのだ。
ならば彼女の向かう箇所は、寄り道がいくらあれども最終地点はリュードということになる。
彼女は実験のデータをとるために常に慎重に行動する。
特にリュードに関するデータ取集はやり直しが効かないものが多く、余計に慎重だ。死を選べばどんな干渉があるか予想できない。
「つーか、兄貴に死んでほしい分けねぇだろ。寝言は寝ていえ」
「うん。冗談でも……言わないでね……」
何より家族に死んでほしいと2人は微塵も思っていない。
憎き人間のために最愛の家族が命を落とすなど、耐えがたいことだ。
2人の言葉にリュードは眉根を下げ、少しばかりひびの入った腕を軽く持ち上げた。
「総真に関することもそうだ。あの子が亡くなれば器は消える。だがそれでは彼女の計画がまるで分からなくなる」
「あえて残すことで誘導している、と」
「あの子へ矛先が向かうのは心苦しいがな」
肉体を乗っ取るつもりでいるのならむやみやたらに殺しにかかったりはしないはずだ。
まずは彼女の計画の全容を把握し、全てを破壊し、彼女自身を手にかける。
長い段階を踏むことになる。相手が何を用意しているかも分かっていない。
だが向かってくる場所が分かっているなら対策のしようもある。
「我々の方針は変わらない。海魔を残滅し、元凶たるアビスを討つ」
ひとまずは相手の出方を見るべきだ、とリュードに進言され冬仕は苦い顔をしながらも頷いた。
肉体を持たない神出鬼没かつ海魔を操る相手に対抗できる策は殆どない。
現状、全ての区での防衛能力を高め、狙われている総真に相応の実力を持った者を付けるしかないだろう。
果たしてどこまで意味があるか。
「アビス自体の捜索はいかがいたしますか」
「私が行ってみるが、恐らく無意味だ。南区に出現した時点で私には感知できていなかった。繋がりを切断しているのが原因だろう」
リュードは葬術を発動し続けているため、彼女は葬術を介して干渉をしようとしてきている。
だがリュード自身との繋がりは一方的に切断して以降、持つことができていない。
ロックやカノンへの干渉をリュードへの接触に使おうとしている形跡もある。だが上手くは行っていないようだ。
アビスはリュードの居場所を知る方法がない。反面、総真の居場所は瞬時に特定する方法がある。
この違いを調べることができれば、多少なりとも対策ができるかもしれない。
「殆どを抹消してしまったが、大戦時に海魔を研究していた頃の資料が幾ばくか残っている。それも君たちに共有しよう。あとで剱に……」
彼が剱へ指示を出そうと片腕を上げた瞬間。ぼとり、とその腕が地に落ちる。
人形のパーツが落ちるようにあっけなく取り落とした腕は徐々に溶け、先のない腕がその場へ取り残された。
「リュード様!」
慌てて椅子から立ち上がった冬仕を、剱が静止する。
表情を変えない彼は慎重に深水の水溜まりとなった腕を集め、小さな泡として浮かび上がらせた。
同時に、組んでいた足が泡となって弾け飛ぶ。
手足を失っても平然としているリュードは、頽れた身を他人事かのように眺め、深い溜息を残した。
「私の体が限界のようだ。すまないが、続きはまた後日」
「申し訳ございません。身を粉にして生きてくださっているリュード様へ配慮が足りず……」
「よい。今日はすこぶる調子がいいほうだ。中断させて悪い。私が目覚め次第追って話をしよう」
手足が崩れ落ちる状態を調子がいいの一言で片づけられるほど冬仕は非現実を受け入れていない。
どれだけの苦しみが彼に伸し掛かっているのか、人類を代表し目を逸らすわけにはいかなかった。
これ以上彼に語らせるのは不適切だ。
今はまだ対策に時間を裂ける。情報は追々、少しずつ引き出せれば御の字だ。
「剱。あとは頼む」
「お任せください」
背もたれへ身を預けたリュードが瞳を閉じる。同時にぐちゃ、ばき、と耳を塞ぎ目を覆いたくなるような身体の崩壊が始まり、そのひとつひとつを剱は丁寧に泡へと変えていった。
顔の半分が崩れ、手足が捥がれ、内臓が砕けたその姿に皆悲痛な面持ちを浮かべる。
割れ物を扱うかのように優し気な手つきで剱に抱えられた彼は、閉じた瞳を開けることなくゆっくりと会議室を出て行った。
兄のいなくなった会議に早々に興味を失ったロックとカノンが部屋を出て行こうとするのを、冬仕は入口に仁王立ちすることで阻止した。
「何すンだてめぇ」
「ロック、貴様に聞きたいことがある。カノン様はどうぞお通りください」
「おい!」
まるで対応が違う側仕えを怒鳴りつける兄を他所に、カノンは早足に会議室を出て行った。
おそらく秋仁の元へ向かうのだろう。これだけ人間が集まっている会議に秋仁なしで参加しただけでも非常に珍しい事態だ。
これ以上は彼女への負担となり、ひいては重傷を負っている秋仁の負担となる。
去っていくカノンとロックを隔絶するように早々に扉を閉め、冬仕はその場に残った面々を見やった。
「すまないが各家の代表は業務に戻ってもらいたい。話せる内容かどうかは後日皇剱、神崎秋仁両名の側仕えと検討させてもらう」
「そりゃ総帥命令?」
近場にいた芹沢の疑問に深く頷く。ロックの側仕えであり、シャーレを統括する者の判断だ。
4人は渋々ながらもそれぞれの持ち場へと去っていく。
ちらちらとロックの方を見ているが、彼がひと睨みした後は振り返ることなく会議室の戸が閉められた。
居残りを告げられた主人は心底面倒くさそうに机に脚を乗せ、椅子をぐらぐらと揺らしている。
「で?何が聞きたいって?」
「長らく貴様らが言及を避けている神についてだ。隠していないと言いながら毎度説明を拒むだろう」
リュードの語った内容を飲み込み切れなかった原因はただ一つ、前提情報の不足だ。
特に神と言う存在は全く資料がなく、リュードの口から抹消という言葉が飛び出た。
このシャーレでは2度と見つけることのできない資料にどれだけの重要情報が詰まっているか。
彼らの情報はこれから争うことになる諸悪、アビスへと直結する。総帥の立場としてせめて知らなければならないだろう。
「説明がめンどいンだよ。長々とくっだンねぇ話聞きてぇか?」
「その長々としたくだらない話を訊いている」
いやに明るい会議室の中では彼の表情が良く見える。普段から人間への嫌悪感を隠しもしない彼が、珍しく感情の読めない表情を浮かべている。
凪いているのは意図的か、それとも感情を自制するためか。
「そもそも俺はその神って呼び名も気にくわねぇンだよ。俺らの種族名はそンな大それた名前じゃねぇ」
「正式な種族名があるのか」
「造った奴がつけた名前がある。それも名乗りたかねぇが他にないから仕方ない」
神とは彼らに縋りついた人間達が勝手につけた呼び名だ。正式な名でないのは重々承知している。
だが造った者がいる、というのはリュードの話に関連するものだろうか。
「俺は隠しちゃいねぇが兄貴は隠したがっている。念のため側仕えで止めろよ」
「致し方ない。リュード様のご意思であれば」
「ケッ、相変わらず俺の言うことは聞かねぇやつだ」
彼はしばし考え込むように目を瞑ったのち、机に放置されたリュードのカルテを手に取る。
医学を修めていない冬仕は見ても大した情報は得られないが、彼が見開いたページはリュードの身体情報がまとめられたページのようであった。
「いいか、俺達の歴史は300年前。海魔と人間が馬鹿みたいに争っていた時代に遡る」
紡がれていく歴史の中、冬仕は大きく目を見開く。
あらゆる常識を書き換える隠匿された歴史の奔流に、ずっと痛んでいた頭が破裂しそうであった。
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ところ変わってシャーレ食堂内。
少し冷めたフレンチトーストをかじった総真はじろじろと送られる周囲の視線を感じ居心地の悪い想いをしていた。
「なんで俺こんな見られてんの……」
襲撃によって慌ただしかったシャーレ内部で食堂は一部稼働を停止しており、今朝残ったフレンチトーストならあると出されたのが数十分前。
並んでフレンチトーストをいざ頬張ろうとした折、羽織ったままの制服を思い出し、椅子の背もたれにかけてから食堂の雰囲気が変わった。
全員が総真のことを畏怖を込めた視線で見つめ、ひそひそと何事かを囁かれている。
良いのか悪いのか話の内容は聞こえないが悪口でないことを祈るばかりだ。
「ロック様の上着を持っているからかしら。一晩でかなり恐れられていたようだし」
彼らの視線は制服についた黒字に金の腕章に集中している。ロックの上着の制服は型が古く、今は誰も着ていない形をしているらしい。
その所為で多くの者は見覚えのない制服が記憶に残り、おまけでロックに酷い目に合わされた記憶が付随しているようだ。
前線で大暴れしていたのも記憶に残る大きな要因になったのだろう。
1等から2等葬務官達の視線が特に痛い。前線に立った彼らならばロックの姿を見ているはずだ。
「場所を変える?あなたの権限ならどこか別の会議室でも……」
「あ!お前ら!」
突如、脇から聞き覚えのある声が湧いてくる。声の主はずかずかと大股で近づき、偉そうに腕を組んだ。
「あ、白狼」
「さっきぶり白狼。南区から戻ってきたのね」
「テメェ等しれっと呼び捨てにしてんじゃねぇ!」
呼び捨てが気に入らなかったのか、大声で吠えたと思えば勝手に椅子を引いてどっかりと座り来んだ。
彼の両手には包帯が巻かれ、あちこちに処置されたようなあとがある。
今は制服を着ておらず、簡素な服に身を包んだ彼はフレンチトーストを前に苦笑いを浮かべる2人に眉根を寄せた。
「んだよ!見てねぇでさっさと食えよ!」
「いやぁ、この空気の中よく俺達のテーブルに来ようと思ったよなぁって」
「あ?空気ぃ?」
きょろきょろと周囲を見渡しても彼には良く分かっていないらしい。
椅子にかかった制服にも全く興味がないのか、横から総真のフレンチトーストを摘まみ取って勝手に口に入れていた。
その不遜な態度が今の状況では非常に有難かった。




